67:告白
「―――この情報量は、一気に飲み込むのが、難しい、です、ね」
ステラは面食らって、そう告げることだけで限界だった。
教皇様は今なお、金瞳のフレドと怒涛の戦いを繰り広げられているというのに、こちらはもう、頭の中がいっぱいいっぱいで、動くことが出来ません。
兄上は性格上の問題で、物事の説明を行う際は、まるで教科書の文面の様に過不足なしに理路整然と話してくれる場合が多い。それは、わかっているのだが、わかっているからこそ、今、聞いた、兄上と教皇猊下が嵌まり込んでいたらしい異常世界の説明は、ステラを混乱に叩き落した。
師匠と父上と王陛下と教皇猊下と魔塔主の学生時代を盗み見て、王陛下と王兄殿下の政争の真実を見て、私と師匠の始まりを見てきたなんて、今話されて、「ほ~凄い」などとは、言える訳もない。
「情報が欲しい」と言ったのは、確かに私です。
でもですね、今聞くのは止めとけばよかったと、ちょびっと後悔しています。
だって今……この大騒ぎですもの。
「そういうことで、ステラ」
そういうことって、どういうことですかね、兄上?
「俺は、最初っからお前を離す気なんてないんだ」
兄上の一人称が「私」ではなく「俺」ということは、兄上が「素」の状態に近いであろうことを簡単に知らしてくれるが、どこから文脈が繋がって、ここに着地するのかが、申し訳ないですがイマイチ理解ができません。
「阿呆か?!アイザック!!話を端折り過ぎだ!!」
壮絶な魔術応酬で火花を散らし合っている教皇猊下が、まさかの参入で茶々を入れて来るのを、ステラは回らない頭で聞くしかない。
「キチンと!ちゃんと!さっきの異常世界の説明みたいに、過不足なく正しく話さないと!誰かに持ってかれるぞ!ってか、僕が貰うよ~!!」
「―――随分な余裕だな!教皇!!アメジストは私のモノだ!!」
教皇と金瞳が同時に放った魔弾がぶつかり合い、遂に、ウィスラー邸の天井が粉砕されて、邸の天井だったものは瓦礫となり辺りに降り注ぐ。
兄上が瞬時に魔術陣を敷いて、二人の周囲は丸い防御壁に包まれ瓦礫の雨を気にすることはなくなったが、こちらを真っすぐに見つめる、暗青色の深いサファイア瞳から、目が離せない。
兄上の目が、私だけを見つめて来る。
この目を、私は知っている。
初めて、魔の森で出会った幼かったあの日。秋の木漏れ日の下で、私のせいでディトーの返り血を全身に浴びながら、表情も変えずにただ真っすぐにこちらを見てきた―――あの時の、兄上の目、だ。
「―――ステラ」
逃げなきゃいけない、と、瞬間思った。
これは、聞いてはいけないことだ。
聞いたら、自分が壊れてしまうかもしれない。
兄上は、今話してくれた異常世界とやらで、私の過去の全てを見てきて、私の生まれと、師匠との全ても見てきてしまったのだろう。
兄上にとっての私の存在意義は、兄上の暴走を止められることのみ。
兄上はもう、ご自分で暴走を律せる程に成長されている。
人の住処とも言えない、あんな場所で生まれ生きた自分の真実を目の当たりにして、最早不要と、遂に切り捨てられる時が、来たのだろうか。
悲しい。
どうしよう、心が、崩れていきそうだ―――。
「その顔。真逆の事を考えてるな」
真逆?
兄上こそ、何を言っているんですか……。
「あの、怨嗟の魔人の毒気にでも当てられたか?お前らしくもない」
「……兄上?」
「あれだけ抱き締めて、お前の不足で死にそうになっている俺を見せても、わからんか……いや。お前をそんな風に不安にさせていたのは、俺のせいだったな」
兄上の右手が、そっと私の頬に触れてきた。
まるで壊れ物に触れるようにそろりと、それでいて絶対に逃がさない様に、右手だけでなく左手も―――――。
「俺は―――竜憑きの暴走を止める手立として、お前を側に置いているわけではない」
「な――……」
何を?と言葉を紡ごうとしたが、それは、兄上に飲み込まれてしまった。
文字通り、言葉通りなのだが、何が起きたのか、ステラにはわからなかった。
アイザックの顔の輪郭がぼやける理由が、あまりの至近距離のせいだと気付いた時、ステラは自分の唇がアイザックによって塞がれていることを初めて理解した。
―――え?
物事としては知っているが、どうして、自分が、兄上に口付けられているのだろうか?
瞬きも出来ずに目を丸めるステラから、ゆっくりと唇を離し、鼻先が触れ合うほどの距離のまま、アイザックはステラのアメジストの瞳と視線を交わし、ステラに告げてきた。
「―――初めて魔の森で出会ったあの時から、俺は、お前を手放す気などない」
兄上の言葉が、耳にも、頭にも、入ってこない。
そんなことは、あるはずもない。
たった一人の人の唯一になれるなんて、そんなの自分に訪れるはずがない、ただの、夢のはずだ。
自分に都合の良い、夢でもみているのではないか。
こんなこと、あってはならない。
自分は、ただ、少しでも長く、あの家で、皆と―――兄上と一緒に笑っていられれば、それだけで良かったのだ。
いずれ、兄上に生涯の伴侶が見つかり、自分の役目は終わる。
それまでは、兄上の側にいようと、兄上に不要と言われるまでは、側に、居ようと……。
「竜憑きの暴走を抑える手段としてステラを離さなかったわけではない。ただ側に置いていたかっただけだ。竜憑きの執着を正しく理解しろ」
「あに、うえ」
視界がぼやけるけれども、サファイアの瞳が自分に近付いてくるのが、ステラには見えた。
「このままでは、私は、嫁に―――いけません」
ステラのアメジストの瞳から、涙が落ちた。
「馬鹿を言うな」
困ったように笑った兄上が、頬を伝う涙を唇で吸い取って、それからゆっくりともう一回、キスをくれた。
「お前を嫁に貰うのは、俺だ」
一目惚れの初恋の相手を、誰に渡すって言うんだ?
そう続けるアイザックに、ステラが泣き笑いで答えようとしたその瞬間、教皇シリウスの声が二人を切り裂いた。
「アイザック!!ステラをっ―――――!!」
一瞬の隙を突かれて、アイザックの防御壁がガラス細工の様に粉々に砕け、金瞳のフレドが放った闇のような真っ黒な矢が、暴雨の如く、ステラに向かい降り注いだ。