62:異常世界2−シリウスと金瞳のフレド
不意に目の前が真っ暗になって、また現れた世界は、さっきまで見えていた学舎の風景ではなかった。
焚火の炎が爆ぜて小さな火が跳ねてくるような、ぴりっとした痛みを感じ隣を見ると、シリウスの表情が一気に冷たいものに変化していた。
目の前に、ぽつんと一人立つ、不敵な笑みでこちらを見て来る小さな子供。
その子供の髪は、闇の中に浮かび上がる真っ白な髪をしていて、その瞳が、金色に鈍く光った。
「金瞳―――?!」
瞬間、アイザックは自分で考えるよりも早く、剣を抜いていた。
目の前の子供は、あの司祭に擬態した魔人に酷似していて、不敵な笑みが、アイザックの癪に障った。
「アイザック、無駄だ。過去視だといっただろう?アイツは、ここでは、斬れない」
「―――あんな子供の時分から、ここに、存在していたのか?」
「ああ、産んだのは、エリザベス・ミネルヴァ・ウィスラー公爵夫人。ウィスラー公爵との婚姻前に、自分の弟であるフィリップ・ヘイデン・ステイビアと通じ―――腹に芽生えた小さなその体に、創世の魔人の魂を降ろした、魔女の子だ」
姉弟で交わされた、許されざる近親間での忌むべき子。
それだけでも、国の法で裁かれるべき大問題であるというのに、更に、禁忌とされる創世の三神のうち闇を司る魔人を降ろすなど―――。
「何重の禁忌をぶっ飛ばしたんだ、あのばーさん」
「同意見だね」
何度見ても腹が立つ、と呟いて、シリウスが続ける。
「世界創世の三神は、竜王と魔人と精霊王であることは、知っているね?竜王の血は、君の家に繋がっていて、精霊王は人の言う事などに耳を貸してくれない。憎み倒すべきスタンレイに対抗して、王家をた~~~いせつな弟と乗っ取る為に、あの魔女ばーさんは、黒い魔法を駆使して、魔人の魂を自分の腹の子に降ろしたんだよ。まったく、迷惑な話だ」
非常に腹の立つ話だ。だが、と、アイザックは少々考える。聞いたことのある話と、聞いたことの無い話が、混ざっているからだ。
「創世の竜王の血が、うちに繋がっている?」
「うん。聞いたことなかったかい?世界が始まったばかりの頃、創世の三神が【はじめの神子】を奪い合って、荒ぶって大喧嘩して、魔人が世界を掌握するところまで行ったらしい。その時に、竜王ー古の青銀の竜と共に、魔人を退けた英雄がスタンレイの始祖だ。そして、スタンレイと共に戦った騎士がステイビア王家の始祖、魔剣士がリアムの家の始祖」
竜の血が入っていることは、聞いてはいたが、創世の竜王の血だったなんて、知りたくもなかった。
「……ただの竜憑きって、聞いていた」
「竜が『ただの』ってこともないと思うけど、ま、スタンレイの代替わりにウィルから詳しく伝達されると思うよ?」
スタンレイが本来国王となるはずの立場にあったものの、古の英雄は、王など面倒とその役をステイビアにパスした。そうして血を繋げ現在もステイビアが王家を名乗り、ステイビア王国を騎士として守っている。真の王の代わりに―――。
「これは王位継承の儀式のときに、新王に伝えられる伝承で、王と教皇にのみ語り継がれるんだ。ああ、スタンレイも侯爵位を継ぐときに絶対に聞くらしいよ」
「―――うちの一族であれば、全員が全員、王位なんて要らんって言いそうだ」
「ははは。ウィルも、同じこと言ってた。ま、この辺の理由から、ステイビア王家は実力主義で、長子であっても簡単に王にはなれない。そもそも、魔女ばーさんとボンクラ第一王子には、荷が重すぎの任なのさ」
「で、ばーさんの結論が、アレか?」
アイザックが、金瞳の子供を指差すと、シリウスが頷いた。
「スタンレイの始祖は、青銀の竜との間に子をなしてるから、たまに竜の力を持つ者が生まれ、人間としてはありえない力を持ってて、たまに理性が切れて暴走する。君と教授がこれだよね?ウィルの長男として君が生まれた時に、魔女ばーさんったら、また焦ってさ。王家の転覆に動き出した」
で、あれだよ。と、シリウスが溜息交じりに暗闇を指を指した。
そこには、先刻までいたはずの金瞳の子供の姿は消えており、じわじわと王城が現れ、城内部が現れ、そうして、王城の貴族議会ホールが見えてきた。
「金瞳は、どこへ?」
「神殿預りになったんだ。アレは、国にとっても世界にとっても危険で、幼い頃から神職として教育すれば、まともに育つとかなんとか、前の教皇は、お頭がお花畑だったからね~」
そう言って笑う、シリウスの笑顔は、闇に染め抜かれたように黒かった。
議長席には、アイザックの記憶が正しければ、自分が幼い頃に急逝した前王が座していて、その横には、この場にそぐわない煌びやかなドレスに身を包んだ、公爵家に降嫁したはずのエリザベス・ミネルヴァが目の前に一人立つ栗毛の騎士を、見下げていた。
『魔剣士とはいえ、平民上がりの下級騎士であるこの者の虚偽報告により、王城はいま混乱を極めています。更には次期王太子であるフィリップを誹ったその責は重いと言わざるを得ず、軍法会議に掛けての、極刑を求めます』
エリザベスの凍り付くような視線と声にも、栗毛の騎士は全く怯みもしない。
騎士を囲む貴族議員は、極少数名が痛ましげな顔で俯いているものの、ほぼ全員が、王女の弁に頷き、冷めた目を騎士に向けている。
王の顔色は土気色に染まり、表情は無く、目はどんよりと澱み、意志の光はない。
『第二王子殿下と、スタンレイ侯爵の居らぬ間を狙っての強制執行で自分を極刑としても、犯した罪は消えませんよ、ウィスラー公爵夫人』
聖人の様な微笑みを浮かべて、栗毛の騎士が長剣を抜いた。
アイザックは、その剣に見覚えがあった。
アイザックが知るのは、ステラが自分の命よりも大切にしている、幼い頃にはとても不似合いだった、古いが立派な長剣。
目の前の騎士が手にするその刀身は、ステラのそれと酷似していた。
『―――議場で剣を抜くとは、無礼を通り越し』
『王家を蝕む魔を狩るのが、自分の仕事ですので』
緑の瞳に金が散る目を見開く元王女にして現公爵夫人の喉元に向けて、リアムは真っすぐに剣の切っ先を向けた。
『僕の大切な友には、指一本触れさせない』
エリザベスは自らの生命の危機を理解し、王城近衛を召集すべく金切り声を上げる。リアムは全ての悪意に周囲を取り囲まれても、意に介さない涼しい顔で長剣を肩に担いだ。
『―――雑魚が』
その所作と口ぶりは、アイザックの大切なただ一人のステラに、とてもよく似ていた。