53:金瞳の魔人ー再来
吹雪と呼ぶには生ぬるい、命をも奪いかねない白いブリザードの中で、絶叫の悲鳴を上げるエリザベスの後ろで、静かに佇む司祭の瞳は、金色に輝いていた。
恐らくは主人であろう公爵夫人に手を差し出すことも、守ろうとする素振りすら、全くない。
「…………―――!!」
公爵夫人が何かを彼に向かって叫んでいるが、彼は全く構いもしない。
金瞳の司祭は、神が遣わした聖人か天使を思わせる様な柔らかで綺麗な姿の持ち主で、先刻まではエリザベスの後ろで司祭らしい穏やかな笑みを浮かべていた。
良く言えば素晴らしく麗しい司祭。悪く言えば中身を隠すために擬態した、テンプレ司祭。
どうやら彼は、後者のようだ。
ブリザードの突風が、彼が冠した司教冠を飛ばした。
現れたのは、ステラの起こしたブリザードと同色の、雪のような真っ白な髪。
彼は今、これ以上の愉しみはない。という嬉しそうな顔で艶やかに、笑んでいた。
まるで、大好きな演劇の舞台を観劇している観客のような、佇まいで。
ウィスラー邸内に荒れ狂うブリザードにより、紳士は淑女を守りもエスコートもせずに我先にと逃げ惑い、淑女は紳士など当てにならないとドレスを翻しヒールを投げ捨て、護衛の者に助けを求めこれもまた逃げ惑っている。そんな紳士淑女に助けを求められても、護衛の騎士達はブリザードと氷の刃の防衛防御のみで手一杯とばかりに血塗れの満身創痍。この場には、弱きものを助けるものなど、ひとりも存在しない。
そんな阿鼻叫喚の坩堝を、彼は、心の底から楽しんでいるのだ。
言ってしまえば、この状況の最大の元凶は、自分である。
更に言ってしまえば、建物ごと粉砕し、更地にする気も満々である。
人のことは言えないが、あの金瞳の司祭も大概だろう。
正体は大体読めたと言っても、あまりにあまりな相手を呆れ果てて冷たく見上げていたら、視線に気付いたのか、金色の瞳がステラに向けられた。
ステラと司祭の視線が一直線に繋がった。
世界にお互いしか存在しないかの様に、ただ一直線に。
向こうはどうかはわからないが、ステラの方はこれ以上ない殺意を持って、相手と対峙していた。
相手は、恐らくは、すべての元凶。
師匠が「片付け残したモノ」。
魔の森で出会った、怨嗟の闇の魔物。
どうして司祭になんか擬態しているのか?
何故、ウィスラー公爵夫人の側仕えをしているのか?
聞きたいことは山ほどあるが、この魔人にとっては、きっと意味は何もないのだろう。
ただ、自分の愉しみの為。
ただ、自分がやりたいことだけをする。
魔の森で対峙したあの魔物が、目の前のこの男であるならば、きっと、ただそれだけの事なのだ。
師匠の言葉を思いだす。
ーーあの怨嗟の魔物は、何も考えていない。
ただ、楽しんでいる。
命あるものを殺し、恐怖を、叫びを、涙を、自らの糧にするだけーー
ステラは自分の中の全てを投げ捨てる覚悟を持って、司祭の金色の瞳を睨み据えて、今思う本音のみを言葉に乗せた。
「……会いたくなかったぞ。金瞳」
誰が聞いても、本当に嫌そうなステラの声音。
ゴウゴウと音を立てるブリザードによって、その言葉は相手には聞こえないものとステラは思っていた。
だというのに、金色の目をした司祭はステラの呟きを確実に聞いたかのように、天使の笑顔でこの上なく幸せそうに微笑んだ。
これ以上の喜びはないというように、失ったはずの片翼を見つけたとでもいうように、金色の目をした司祭が満面の笑みを浮かべて、ゆっくりと口を開いた。
「逢いたかったよ。アメジスト」
金瞳の魔人の声が、ステラの耳を打った。
「どれだけ、この時を待ったことか」
「人の話を聞いてないのか?本当に会いたくなかった。かなりいい迷惑だ」
この状況でどうして会話が成り立つのか?全くわからないが、相手の言動は本当にこれ以上無い程の、大迷惑である。
兄上が消えたタイミングで思い出した、あの時の記憶と、この金瞳。
最近なんとはなしに思い出す、師匠の言葉も相まって、そろそろ、全てに決着をつける時期が近付いているのだろうな。と思ってはいても、無意識に出る溜息を止める術はない。
可能であれば、もうちょっと、もう少しだけで良いから、スタンレーの娘で、兄上の妹で、居たかったな。と、この期に及んで強く願う。
どちらにしても、ステラにとっては大変厄介で、二度とお目にかかりたくなかった事だけは確かな相手である金瞳は、中身に似合わない司祭服で両手を広げて、ステラを招いた。
「一緒に行こう。アメジスト」
「これまでの全ては、お前の差し金か?」
「いいや?私は神殿に擬態し、こちらの御婦人の庇護を受けていたに過ぎない。時が来るのを、本当に首を長くして待っていただけだ。そうしたら、どうしてだか全てが私の手の中に転がり込んできた。私は何にもしていないのにね。この御婦人がいうところの、神様ってヤツは本当に存在しているのかもしれないな」
床に蹲るエリザベスを蹴り倒して、金瞳の司祭が高らかに笑う。
「公爵夫人!?」
「お母様になんてことを!?」
「フレド!?なんてことをするの、わたくしはっ」
公爵夫人が金瞳を「フレド」と呼んでも、彼は彼女に冷たい一瞥を与えるのみ。
なんだか茶番が始まりそうな気配がする。
向こうの都合は知らないが、金瞳に本気で暴れられたら、こちらの人間にも被害が及びかねない。
向こうが揉めているうちに、こちらの大切な人達を逃さなければならない。
ステラは金瞳から目を離さずにかすかに振り向くと、ネイトに向け小さく話しかけた。
「あの偽物司祭。かなりヤバい相手だから三人を連れて退避しろ」
「やっぱ、あれってアレですか?」
「……あの魔の森の時、やっぱりなんかあったんだな」
一瞬だけ殺意を込めて睨み付けても、ネイトは華麗にスルーしてくれた。
「ははは。若も一緒デスよ。とりあえず、俺はお譲とご一緒しますので。双子様達だけ、退避願います」
ネイトが、双子とビアトリスにひらりと後方に手を指し向けて、退場を促す。
「俺はステラと一緒に居るから、イーサンは赤狐を頼む」
ネイサンが、イーサンとビアトリリスにそう告げて、ステラの隣に並ぶ。
「俺も残るから赤狐は逃げろ」
イーサンが、ビアトリスの肩を押した。
「私も残ります!って誰もいない?!」
キーッ!と、ビアトリスが怒りの声を上げる。
本気か君達……。伝言ゲームじゃないんだけど……。
本当にアイツはヤバいので、お願いだからここから逃げて欲しいのです。
あなた達は、自分の、アキレス腱なのだから。
どうしたらこの人達は、この場を引いてくれるのだろうか。
ステラが思案し始めたその時、金瞳の司祭が勝ち誇ったように声を上げた。
「招待状に記した”待ち人”は、私だよ、アメジスト」
「私はお前など、待ってはいない」
お前などでは決してない。自分の待ち人は、誰よりも世界よりも大切なモノは、ただ一人だけ。
ステラがすいっと手を上げて空を切ると、ウィスラー邸内を荒れ狂っていたブリザードが一瞬にして消え去った。
「兄上を返せ」
世界がどうなろうと、師匠との約束が果たせなくても、それよりも大事なものは、アイザックだけ。
初めて出会ったあの時から、アイザック以上に大切なものなど、ステラには、ない。
作者ののっぴきならない事情で、更新が遅れまくって大変申し訳ありません。
ここからは、いつもの投稿間隔に戻せるかな?と思いますので
続きもお付き合い頂けましたら幸いです。