50:毒花からの招待状
兄上が、まだ帰ってこない。
あの一件から、すでに1か月。
ステラの周囲の護衛は、未だ減らない。
タウンハウスに籠るのも、そろそろ限界と父上母上に直談判はしているものの、未だ、邸の敷地外への外出が認められた試しはない。
ここに至り、ステラはあることに気付いた。
もしや、兄上の行方が分からなくなっているのではなかろうか。と
今回のターゲットはステラ。
狙ったのは、旧王兄派の新勢力であり、スタンレイに打撃を与えることも目的の一つ。と、父上が言っていた。
――スタンレイに打撃を与えることも目的
その「も」が曲者だ。
魔塔に行ったきり戻らない、お祖父様。
――ベルトランもあれから姿を見せないから、恐らくは魔塔で協力させられているに違いない。ただ、お祖父様は週に一度程度は、タウンハウスに顔を出し、父上と何やら内密に打合せをしているのは知っている。
神聖神殿の教皇猊下に、ステラの転移先だったらしい場所への立入り許可を取りに行ったまま、戻らない兄上。
――そもそも、教皇猊下に許可取りが必要な「場所」というのが、すでに胡散臭い。
まあ、十中八九、こちらに戻らないでそのまま調査に入ったな。とは、思う。兄上だしな。
そうして、そのままその「場所」とやらに、はまり込んだ。と、ステラは推測する。
兄上が、だ。
一か月も会いにも来ないで、ず~~~っと調査だなどと……。
兄上だぞ?
あの、兄上が。だ。
恐らくは、今回は本当に自分の命に係わる事態だったことが、これだけで丸わかりである。
深入りしてドツボにはまり、帰ってこれない。
兄上の緊急事態を受けての、この自分への行動制限と、護衛の数。理解するなという方が無理がある。
だけれども、事態はそれだけでは治まらないのかもしれない。
先日、不意に思い出した金瞳の魔人。
あれが、本当に、師匠が「片付け残したモノ」であるならば、王家どころか王国に関わることになるだろうことが、ステラには予想できる。
『時代が動く時にはね、兆候ってものが確実にあるんだ。そこから、目を離してはいけないよ』
師匠の声が、不意にステラの耳を打った。
「約束。忘れてないよ、師匠」
小さく呟いて、ステラは目を閉じた。
冬将軍の足音が聞こえだす、季節が初冬へと向かうある晴れた日の事。
ステラに届いたある封書が、スタンレイ邸のこの一か月の日常を簡単に転換させた。
・・・
「――――――ウィスラー公爵家のレティシア公女から招待状だと?」
父上の声が、聴いたこともない程の剣呑さを帯びていた。
ウィスラー公爵家のカラーである、紫の封蝋で閉じられた封書を父上に渡すと、珍しくも「ちっ」という舌打ちが聞こえてきた。
怖い。怖いよ、父上。
全身から、黒いオーラが駄々洩れですよ………。
「あの毒花が――――一体全体、何を考えている―――?」
公爵家令嬢様を「毒花」扱い……。
スタンレイでなければ、成敗されてもおかしくないのだが、まあ、この国に怖いものはないうちの父上だもの。問題はない。
公爵家公女レティシア・リリィ・ウィスラーは、デイビットと組んでいっつも喧嘩を売ってくるが、決して自分からは「動いていません」を押し通す一見たおやかな淑女で、「リリィ・オブ・ヴァリィ」とも敬称される、血筋は王家にも繋がる厄介なお嬢様である。
リリィ・オブ・ヴァリィとは鈴蘭のこと。
鈴蘭は、たおやかで儚げで小さな美しい花ではあるが、それと同時に、毒を持つ花だ。
レティシアを説明するのに、これほど的確な二つ名はないだろう。
「茶会を開くからどうぞ?だと。毒でも飲ます気か――――――」
パスだパス!と、美しい装飾の招待状カードを暖炉の火に投げ捨てようとした父上の手を、母上が止めた。
「ウィル。最後まで読んでください。ステラが私達に相談した意味がわかりますから」
そう。
この招待状には、どういう意図が?と首を捻らざるを得ない、一文が最後に添えられている。
自分だけではそれを読み取れなくて、ステラは母クロエにまずは「招待状」を見せた。
「待ち人来る。来訪を心待ちにしております――――――だあ?」
恐らくその「待ち人来る」は、一か月間姿が見えない、兄上を指すのだろう。
あの兄上が、そう簡単にウィスラー公爵家の手に落ちるとは、天地がひっくり返ってもないとは思うが、兄上が出奔してからの動向が、ステラにはわからない。
折に触れ兄上の動きを父上に尋ねても、答えははぐらかされるばかりで、埒が明かない。
この際気になることは洗いざらい吐いてもらおうと、ステラはウィリアムを見上げた。
「は!動向がつかめなくても、あのアイザックがそんなヘマをするわけが――――――」
「やはり。兄上の行方がわからないんだ?」
ステラの一言に頭から一刀両断されたように、ウィリアムは「あ」と口を噤んで固まった。
「あなた………」
はあ。と大きく溜息を吐く呆れるクロエが手にした扇子で愛する夫の頭を「びしっ!」と、打った。
母上?
結構な音がしましたよ。
流石、扇子マスターですね。前に、手首の捻りで力を入れてない様に見せて、相手を打ち付ける技。と見せてもらった、アレですね……。
「……ステラ、あのね」
「兄上が一か月も私を放置するなど、ありえないから。予想はしてた」
やはりかなり痛かったのか、涙目で眉を寄せる父の姿に、ステラは息を吐いて言った。
「兄上が調査に行った場所って、師匠が『片付け残したモノ』がある所ですか?」
ステラの言葉に、両親の肩が微妙に揺れた。
それが答えだろうことは、すぐに分かった。
「――――行ってきていいですか?」
行ってきていいですか?には二つの意味がある。
レティシアの茶会の誘いがひとつ。
もうひとつは、兄上の消えた場所。
「ステラ?!お前はダメだ――――――」
「兄上が心配です。迎えに行ってあげないと……。いつも迎えに来てもらってばかりなので、今回は、私が、行きます。それに」
ひどく慌てる義父の姿にステラは綺麗に笑んで見せた。
「師匠との約束を果たせそうなので」