44:レオナルド天使と出会う2
空の青を映す長い銀の髪が宙に広がり、ドレスのスカートが背にはためく。
その姿がまるで天からの使いのようで、レオナルドは瞬いた。
他のギャラリーと同じく、皆が我知らず見惚れるその場にあって、唯一両手を広げ受け止めようと動いたレオナルドに、翼を持った「女神の娘」みたいな女の子が、およそその姿に似合わない声を上げた。
「―――――邪魔っ!!」
女の子はその体を受け止めようとするレオナルドの前でくるりと1回転して、すたっ!と芝生の上に着地した。
子供らしくない大人びた表情をした怜悧な美貌の少女の顔に、レオナルドは見覚えがあった。
あれ?この顔、見たことがあるな。
自分の尊敬する兄とは別人の様に変わってしまった、メロメロのデロデロになった娘馬鹿が、ひたすらに愛でていると噂の女の子。そうその子がこの子と同じ顔をしていたと、レオナルドは思い出した。
少々?育っているが、それは当たり前かもしれない。思い起こせばばこうして対面するのは、2年ぶりだ。
「―――君は、どうして空から降りてきたんだ」
「空からなんて降りてなんてきてない。さすがにそんな化け物ではないし、そこから飛び降りただけだ」
そこ。と頭上を指さす兄の養女であるステラに、レオナルドは頭上を見上げた。
庭園に飛び出す形状の美しい装飾を施された白亜のテラスに鈴なりな、ステラと同年代の少年少女達が顔を青くしてこちらを見下ろしている。
ステラに対しての陰湿な社交界のいじめのことは、レオナルドの耳にも入っていた。
あまりにも当たり前な、貴族階級では良くある事例のため、別に気にも留めてはいなかった。
だが、認めてはいないが、この少女はスタンレイが庇護下におく少女だ。
目の前で不当な扱いを受けているのを、放置するわけにはいかない。
ここで見て見ぬ振りなんてしたら、父上にどれだけ―――いやいや。
騎士として見過ごす事は出来ない。が正しい。
「いくらいじめを受けているとしても3階から飛び降りるのは―――」
そこまで話して、レオナルドは気付いた。
―――ちょっと待て。
3階だぞ。3階!!
テラスの手摺に並ぶ少年少女の顔色が蒼白な意味を、レオナルドは初めて理解した。
大方、3階は子供の社交場で集団で盛大に意地悪をしても大人は来ないし、袋小路であるテラスに追い込んだとしても、3階から飛び降りることはない。
と、高を括り、まさかステラがそこから飛び降りるなど、誰も予想もしていなかったのだろう。
更に、もしも、ステラが怪我でも負ったらどうなるか――――――。
それを考えるに至り、血の気が引いているのだろう。
スタンレイが自分の家門を潰しに来ると、流石にそこは理解しているらしい。
スタンレイの前当主と現当主、並びに次期当主が、養女を溺愛しているということは、この2年で国中に広く知られている。
ならばこんな陰湿ないじめなどしなければ良いようなものだが、それはそれ、これはこれ。らしい。貴族子弟というのは本当にお頭の軽いお馬鹿が多い。
「前に2階から飛び降りたのを知ってる連中が、3階からは飛ばないと思ったんだろうな」
必要があれば5階だろうと飛び降りる。と小さく呟くステラに、レオナルドですら全身から血の気が失せる。
そんなことがあったら、あの三人が―――どう出るか、考えるだけで恐ろしい。
「―――頼むから、二度とやらんで欲しい」
本当に国が滅ぶ………。
レオナルドは痛み出した頭を抱えたい気持ちを抑え、前髪をかき上げ首を振った。
「育ちの良い紳士淑女予備軍の方々は、いじめもパターン化してお上品だよな。いつも大人と護衛から見えないテラスかバルコニーに追い込んで、罵詈雑言と飲食物をぶつけようとするだけだ。下町とか貧民街の子供のほうが、よっぽど根性がある。可愛らしくて潰す気にもならん」
キッパリハッキリ言い切って、レオナルドの前でドレスの裾の汚れを払った男前な少女が、胸元をごそごそさせて、何やら毛玉みたいな白い物体を取り出した。
「―――なんだ、それ?」
「大丈夫だったか?」
両手のひらに乗せたこんもりとした毛玉に、ステラが優しい眼差しを向ける。
真っ白な毛玉から、ぴょこんと狐みたいな耳が立ち上がった。
それから、リスみたいなふかふかの尻尾。
ぎょろりと開いた大きな目は、血の様に真っ赤だ。
「―――なっ?!」
なんで、そんな危険なモノをドレスの胸元から出すんだ?!
レオナルドの声にならない叫びが、覇気みたいに飛び散った。
「そっそれ!!魔獣の幼体じゃないか?!今は白くとも―――今に全身真っ黒になって、魔瘴気を発する!!どこでそんな危険生物を手にしたんだっ―――?!」
「あちらの、馬鹿殿下様が鳥籠に入れて持ち込んだ―――」
ステラが指差すテラスには、青いやら赤いやら、最早人間の顔色とも思えない、第二王子殿下の馬鹿面があった。
「この世に要らぬ生き物は、いたぶり殺す。お前もこうなる。との熱弁をふるわれ、この子を殺そうとするもんだから、ぶん殴って奪ってきた」
ああ………。確かに第二王子殿下様の左頬が輪郭が変形する程に、がっつり腫れておられる。
あれは―――確実に奥歯が折れている。
これは大事になりそうだ。と一筋の涙がレオナルドの頬に流れる。
ここら辺に居る結構な人数に、スタンレイの養女が、恐れ多くも第二王子殿下を殴りつけた事と、危険生物指定で発見した場合即殺処分を定められた魔獣を手にしている事を、知られてしまった。
「――――王子殿下を殴ったのは、兄上にお話しして対応するが、でも、その魔獣は、危険だ!俺が処分を」
人の言語を理解しているのか?「処分」という言葉にギッ!と牙を見せ、魔獣の幼体は真っ白な全身を総毛立たせ黒い魔瘴気を発し、血の様な赤い目を怒りに燃えさせた。
「断る」
怒りに震える魔獣をそっと胸元に抱き寄せて、ステラがその背を優しく撫でた。
怒りの咆哮を上げていたはずの魔獣が、ステラのその手に耳を寝かせ、釣り上げた目尻を下げる。
「大丈夫だ。私が森に還してやるからな」
魔獣の赤い目を覗き込みふわりと笑うステラに、魔獣の幼体はその真っ赤な目を潤ませてすりすりと頬にすり寄った。
魔獣が幼体と言えども、人にそんな風に慣れることなど聞いたこともない。
目の前の情景が信じられず、ぽかんと口を開けるしかないギャラリーの前で、ステラはドレスの裾をたくし上げて腰元に括りつけると、レオナルドに向けにっこりと微笑んだ。
「あのど阿呆な大馬鹿に、次は5階以上の塔ででも狙えって言っといてくれ。そっからでも、飛ぶけど―――ああ、もう会うこともないかもだけど」
少女の真っ白で真っ直ぐな細い足に、目を奪われそうになって、視線を空に向ける。
ステラのその言葉遣いと言動に呆気に取られても、レオナルドはステラを見ることができない。
「君は―――――――――――っ?」
返答が無いので顔を戻すと、レオナルドの視界の結構遠くまで走り去るステラの後ろ姿が見えた。
靴だけ、綺麗に並べてある。
素足でガーデンパーティ脇の背丈ほどある植栽の迷路に飛び込みながら、ステラは振り返ってレオナルドに手を振った。
「後のことは、宜しくお願いします!」
って、何処行く気だ―――――?!
騎士見習としての護衛の任務も、ステラを毛嫌いしていることも、全てをすっかり忘れて、レオナルドはステラを追った。