43:レオナルド天使と出会う1
王立学院騎士科で学ぶレオナルドのもとに、尊敬する兄から「養女を迎えた」との突然の連絡が入ったのは、彼が5限のカリキュラムを終え学院寮に戻って来てすぐの事だった。
レオナルドにとってはまさに寝耳に水。
寝床に氷水を撒かれたかのように、彼の瞳孔は瞬時に限界まで開いた。
すぐさま、魔術転移学教授である父ヘルベルトと共にスタンレイ本邸に飛び、ウィリアムに対面したが、レオナルドの「尊敬する兄」の姿はもう、どこにもなかった。
そこに居たのは、出来たばかりの娘に、めろめろのでろでろに変わり果てた、娘溺愛の親馬鹿だったのだ。
「何処の馬の骨ともわからない、貧民街の子供!」と、少女を論したレオナルドに、アイザックの雷が落ちる。
「―――叔父上。お言葉にはお気を付けください」
甥っ子の凍てつく氷の眼が、レオナルドを殺さんばかりに射てきた。
レオナルドは、首筋にひやりと冷たい氷の刃が当てられたような感覚に苛まれた。
彼は、甥っ子のこの氷の目が、大変に怖い。
何故ならば、敬愛しているが怒ると大変に恐ろしい我が父に生き写しだからである。
――この件に関しては、ウィリアムも激しく頷いていたので兄弟の総意であることに間違いはない――
ひとまずここは、戦略的撤退をしよう。と、レオナルドは決めた。
何故だか、父上はこの浮浪児を認めてしまったようで―――父上と兄上と甥っ子を敵に回してしまえば、自分の勝つ見込みは限りなくゼロだからだ。
・・・
「その子を養女にする限り、俺は、二度と本家の敷居は跨ぎませんからね!!って、啖呵を切ってね〜。レオナルドったら涙目で一人でゲートから帰ったのよ」
相変わらずのコロコロという笑い声を上げながらのクロエの言葉に、ジョシュアが眉を寄せる。
「姉上に対しそんな戯言を叔父上が……万死に値いしますね」
「ジョシュったら、アイザックと同じこと言うのね?ステラがうちの娘になった頃は、レオもまだ学院生で―――頭でっかちな貴族の子弟の典型だったのよ」
今はすっかりつける薬もない位にステラに骨抜きになってるけれどね。と、付け加えクロエはふふふ。と笑う。
強気な啖呵を切ったものの、誰にもそれを止められず、この日、レオナルドはうしろ髪を引かれたのか、何度も振り返りながら、ゲートを使って王都に転移し学院に戻った。
何故行きに使用した転移術ではなく、ゲートで帰ったのか?
それは、ヘルベルトがステラと話をしたい。と言って、本邸に腰を落ち着けてしまったからである。
「お祖父様は、すぐに認められたのですか?」
ステラが養女になることを。
ジョシュアとビアトリスの好奇心丸出しの目に、クロエは口元を扇で隠して肩を震わせた。
「お祖父様とアイザックは、本当によく似ているでしょう?こちらがびっくりする位の速さで孫娘馬鹿になってしまったのよ。2人しておんなじ顔をしてステラを取り合って―――」
あの時のステラの全てを諦めた死顔は凄かったわ〜。と、クロエは遂に声を上げて笑って続けた。
「ここから2年間、レオは臍を曲げて本邸に来なくなったんだけど―――あの日!突然に今のレオに変貌を遂げたのよ!!それはもう呆れる位に見事にね!!」
・・・
皆の前で啖呵を切った手前と、甥っ子の目が怖いこともあり、レオナルドの足はスタンレイ本邸から遠のいていた。
帰りたいのに帰れない。
アイザックは怖いが、双子の顔は見たいし、そろそろ2歳の誕生日を迎える4男坊にも会いたい。
実は子供好きであるレオナルドの我慢は、そろそろ限界だった。
そんなある日の事だった。
王宮で大規模なガーデンパーティが催され、その招待客の多さから警備の近衛が不足気味となり、研修と銘打ち騎士科の学生が駆り出された。
騎士科首席で見目の良いレオナルドは、問答無用で内警に回されたのだが、これがただの「警備仕事」だけではない事は、すぐにわかった。
婚約前の年若い令嬢を連れた貴族や、社交の場で火遊びの相手を物色しているおよそ淑女と言えない女性達から見れば、レオナルドは恰好の「餌」だった。
名門スタンレイ侯爵家の次男にして、学院卒業後は近衛騎士団への入隊が決まっているエリート。更にはスタンレイ家の男子の色である銀髪蒼眼の眉目秀麗な顔立ちだ。注目を浴びるなと言う方が難しい。
見合いを断り続けたツケが回ってきてしまった。
うんざりする気分のまま、愛想笑いを浮かべ人生の修行と心を決め警備に当たっていたレオナルドだったが、執拗に絡んでくる令嬢グループに、我慢の臨界点越えが近い。
「レオナルド様。来週の我が家の夜会の招待状はご覧頂きまして?わたくしのエスコートをお願いしても―――」
「職務中ですので」
夜会などこの世で一番興味がない。招待状など受け取り次第即火種に変えた。
「明日の学院のセレモニーでは是非私と―――」
「申し訳ありません。明日は本日の総括報告会がありますので」
誰がエスコートなどするか。俺はそもそも女嫌いで、貴族令嬢が特に大嫌いなんだ。
毒毒しい心の中を清廉な騎士の顔で隠し微笑むレオナルドに、彼を取り囲む令嬢のうち数人が顔を真っ赤に染めて倒れそうになっている。
いいからとっととどっかに行ってくれないものか。
俺はこのパーティで兄上の姿を見つけ、2年ぶりに本邸に入れる算段をつけたいのだ。
と、レオナルドがそこまで考えた時だった。
頭上から結構な人数の悲鳴が聞こえ、その場にいた全ての人が頭上を見上げた。
―――空から―――天使が降りてきた。
後のレオナルドは、その時をそう称した。