42:セオドア恋に落ちる
洗脳教育というものがある。
ステイビア王国第一王子として生まれたセオドア・ワイアット・ステイビアは、まさにこれを受け育ったと言って間違いない。
ただ、この場合の洗脳は、通常思われるマインドコントロールとは、少々、趣が違うと言える。
「リアムが子供を成していて、その子が女の子だったら、お前はステラと結婚するんだぞ。必ず我らの血を繋げるのだ」
「――――クロエの所もウィリアム様が同じ様なことを言っているそうですが、セオドアに無茶な英才教育を施すのはお止めください。陛下」
母親の膝に抱かれた幼いセオドアは、自分の父親のあまりの剣幕と圧に恐怖すら感じ身を丸めた。
「あら、セオドア大丈夫よ。お父様は少々頭のネジが飛んでいるだけですから」
「―――酷いなジュリア」
「酷いのはどちらです。ただでさえ自分で生涯の伴侶を選べないかもしれない立場のセオに、貴方は更に伴侶の呪いを付与するおつもりですか?」」
「伴侶の呪い?」それがセオドアの憶えている、一番古い「ステラスタ」に関する記憶だ。
セオドアの父は歴代でも名君と誉れ高いステイビア王国の王だが、家族の前でも良き父ではあった。
ただし。が付くが―――。
「マブダチトリオ」のことになると人が変わり、更に「ステラスタ」に関しては人格が崩壊する。
物心ついたときから「ステラスタ」の洗脳を受けて育ったセオドアは、「ステラスタ」という言葉には、いついかなる時も反応してしまう、残念な子供として成長してしまった。
同じ状況にあるはずのアイザックにその事を尋ねたことは多々あるが、彼はいつもクールに「別に」の一言だ。
まだ見ぬ、この世に存在することも怪しい「ステラスタ」に想いを馳せていたセオドアだったが、ある日突然に、その時がついにやってきた。
ウィリアム叔父上に抱かれて王宮にやってきた、アイザックの瞳の色みたいな青色と白を基調にした可愛らしいドレスを着た、セオドアが今までに見たこともない綺麗な女の子。
青を映す銀の髪にアメジストの宝石みたいな瞳を持った女の子の名は―――「ステラスタ」。
幼い頃から聞き続けた「ステラスタ」が、ついに目の前に現れた瞬間だった。
セオドアは一目でステラを気に入った。
父からの長年の刷り込みによる「絶対に伴侶とする相手」としてだけではなく、人の美しさでは収まらない妖精のように可憐で綺麗な幼い少女に、ただ目を奪われたのだ。
「ステラスタ………はリアム叔父上に女児が生まれた時に付けると決めた名。と、父上は言っておられましたね。では、父上達の協定から、私はステラと婚姻を結ぶことになるのですね?」
そう尋ねたセオドアに、「ステラスタ」は一目でわかるほどの苦虫を噛んだような呆れた半眼を向けてきて、彼女を膝に抱いていたアイザックは彼女を抱いたまま立ち上がり王妃ジュリアに向き直った。
「ステラが疲れておりますので、失礼ながら我々はこれにて失礼いたします」
やっと出会えた「ステラスタ」をまるで自分のモノのようにしっかりと抱いているアイザックに、セオドアは少々カチンときた。
「ステラスタ」のことを尋ねたらいつもいつも判を押したように「別に」としか返さなかったアイザックが、一体全体どうなってそうなった?
ステラスタになんの興味もなかったはずのアイザックのあまりの変わりように、セオドアは堪らず声を上げた。
「いっつも興味ないと言ってたろうアイザック!ステラスタは僕の婚約者―――」
「僕の妹だ」
きっぱりはっきり言い切りると、アイザックはステラを抱いたまま踵を返し出て行ってしまった。
「あらあらあら」とコロコロ笑う母上と、「所詮下賤を通り越した貧民街の浮浪児です」と呟き父上に拳骨を貰うデイビットにも構わずに、セオドアはただ、初めて逢えた「ステラスタ」の姿を記憶に刻んだ。
それからのセオドアの日々はステラを追うことに費やされた。
ステラが王宮に来ていると聞けば飛んでいき、ステラが来ないのならばとスタンレイ邸に会いに行った。
ステラは会う度に自分に微妙な顔をしてきたけれど、その可愛らしさにそんなものは関係なかった。
アイザックに妨害されても、他の貴族子女達からステラの悪評を吹き込まれ邪魔をされても、セオドアはステラに会いに行き続けた。
そんなある日のこと、デイビットが大問題を起こした。
ステラを不当に呼び出して、自分の取り巻きを総動員し、大人達の狩猟大会開催中の森の中に置き去りにしたのだ。
王宮から近い王領内の森の中とはいえ、狩猟大会の為に様々な獣が放たれている。
父上は血色を無くし、警備の騎士達が一斉に森に駆け込んで行く中で、スタンレイ侯爵とアイザックは何故か帰宅準備を始めていた。
「ウ、ウィ、ウィル?!」
「お前とはしばらく絶交だクリス。馬鹿の再教育が済むまで、我が一族は領地に引き篭もるからな」
「ステラの安否確認―――いや!助ける必ず!!騎士団を総動員して―――」
もう、どちらが王かわからない。
臣下である侯爵のマントに縋り付いて弁明し足止めの懇願をする国王の図に、周囲の貴族たちは凍り付いている。
「不要です陛下」
氷の様な声でそう言うと、アイザックはすたすたと歩き出した。
向かうのは、森の深部につながる小道。
その先の、うっそうとした森の陰から小さな影が見え、それが少しずつこちらに近付いてくる。
小さな影は、身の丈を超える位の長剣を肩に乗せ、その剣先には黒い狼の頭部が突き刺さっていた。
黒狼の頭部から鋼の刃を伝い赤い血が流れ落ちている。
だが、それだけではないだろう大量の鮮血を全身に受け、銀であるはずの長い髪は、真っ赤に染まっている。
女神の娘の様な美しく綺麗な少女が、血まみれで歩いてくるその姿に、その場に集う全ての者が声を無くし、信じがたいその光景をただ見つめていた。
「お帰りステラ」
「兄上。せっかく母上に整えて頂いたドレスを汚してしまい申し訳ありません」
真っ白い肌の顔にまで飛び散った鮮血を、ぐいっ!と腕で拭うステラを、アイザックはなんの躊躇もなく抱き上げた。
「帰るよ」
「はい」
血塗れのステラが、氷の彫像を見つめてふわりと笑った。
見たこともない程に綺麗で、春の日差しのように優しい笑顔だった。
ステラのそんな笑顔をセオドアは見たことがなかった。
アイザックにのみ向けられるステラの顔は、セオドアが自分だけに欲しかったものだ。
「ステラ!!」
セオドアは無我夢中でステラに走り寄った。
彼の声に気付きながらも全く振り返りもせず、足も止めないアイザックの肩口から、顔をのぞかせたステラがセオドアに気付いた。
「兄上」
ちょいちょいとアイザックの肩口を引っ張り足を止めさせたステラに、アイザックはため息を吐きながらも振り返った。
「何用だ、セオ」
氷の様に冷たいアイザックの声を、今は気にする時間などない。
義弟の愚行を詫び、ステラを王宮に招き、その血塗れの体を清め、侯爵家令嬢の体面を整えさせてあげたい。
その一心で近付き、声を上げようとしたセオドアをステラが制した。
「セオドア王子殿下。これが私の本来の姿です。あなたの義弟殿下が行ったのは愚行でもなんでもなく、私の真の姿を皆様の前に見せたかった。ただ、それだけのことでしょう」
幼い少女の言葉とも声とも思えない、凛とした響きを持ったそれは、周囲に響き渡った。
「これが、私です。あなた様の求める美しき夢の貴婦人は、この世には存在しません。そろそろ目を覚まされた方が良い」
獣の返り血に塗れた幼い少女が、聖母のごとく柔らかな光を発して微笑んだ。
父により幼い頃から刷り込まれたセオドアの幼い恋はその時終焉を迎えたが、その時ステラが発した柔らかくそれでいて鋭い光はセオドアの心を、強く焼いた。
それはまるで矢の様に、刃の様に、セオドアの心に強く突き刺さった。
◆◆◆
「その時にね、一目惚れ?二目惚れ?したのですって。ステラの血塗れの笑顔に」
セオドアってマニアックよね~~!!とコロコロを通り越したケラケラという笑い声を上げて、クロエが手元のクッションをバシバシと叩いた。
「銀の美少女が剣を肩に背負ってその先に黒狼の頭って――――――どこかの物語の美少女剣士のようですわね!!」
「凄い凄い!」と手を叩くビアトリスに「そうでしょそうでしょ!」とクロエが同調する。
この方々の女子会とやらにはついていけないと、ジョシュアがステラの寝床に戻ろうとすると、後ろ髪を引かれる話が耳に入ってきた。
「そんな王家の家族間情報を、クロエ様はどうしてご存じなのですか?」
「ジュリアがね。あ、王妃様とは私、幼馴染で親友なのだけれど、お互いの息子が不憫。ってことで、情報交換しているのよ。向うは父親の刷り込みによる強制恋情で、うちの長男は―――ある意味人間か?って疑いたくなる心と情愛のなさが欠陥ポイントで、これでも苦労しているのよ。レオナルドの発火する程の惚れっぽさのほんのちょっとでも、アイザックに遺伝していればよかったのにね~」
二人がきゃーきゃー盛り上がっている側で、ジョシュアは少々頭を捻った。
実のところ、叔父であるレオナルドのステラへのアタックは、常日頃から鬱陶しく思っていたジョシュアである。
このまま、ここで母親たちの女子会を耐え抜けば、レオナルドを牽制出来る情報を入手できるかもしれない。
「レオ叔父上は、どうしてあんなに姉上を望むのですか?」
ジョシュアの言葉にビアトリスの鼻が期待に膨らみ、クロエが大きく頷いた。