4:スタンレイ侯爵家の華麗なる面々1
王城迎賓館の車寄ポーチ前は閑散としていた。
当たり前の話である。夜会は始まったばかりで帰路に就くものなどいないからだ。
主持ちの従者や御者等は専用の待合所で夜会の終焉を待ち、主の帰宅の報を受けるまでは待機となる。
車寄担当の王宮付侍従に帰宅の報を伝え、侯爵家の馬車を呼ぶ手はずを付けたアイザックはステラを振り返った。
「少し時間が掛かるらしい。ここは肌寒いから、別室でお茶でも飲むか?」
アイザックはどこまでもステラに甘い。
秋が近付く季節とはいえ涼やかな風の吹くこの時期に肌寒いことはないが、今日のステラのイブニングドレスは肩と鎖骨のデコルテラインが露わになるデザインだから、気を遣っているのがステラにはわかる。
「兄上、大丈夫だ。寒くはない」
6歳でアイザックと出会い拾われて侯爵家に入り淑女教育なるものを受けはしたが、ステラは家族の前では素の自分となる。
優しく理解のありすぎる侯爵家の面々は口調など好きにして良い。とステラの好きにさせてくれるからだ。
ただ、「文句を付けて来る者など、潰してしまえばよい」と、侯爵家としてはどうなのか?という、方針を貫かれるため、ステラ自身が「それはまずいでしょう」と外向きでは言葉と態度を修正し侯爵家としての体面を保っている。
「………ここは、危ないからな」
「ここは王宮の敷地内だし、危険はないだろう?」
まっすぐに彼を見上げるアメジストの瞳に、アイザックは変わらぬ鉄仮面の眉を少々寄せた。
「やはり、来たか………」
来なくて良いものを。と地獄の使徒みたいな低い声で続けるアイザックに、ステラが首を傾げたその時、聞きなれた声がポーチに続く回廊から響いた。
「————ステラ!!」
王家守護たる濃紺の近衛騎士団の礼服に騎士団長を示す青銀のサッシュ。黒いマントを翻す長身の美丈夫は物凄い走力で一気に距離を詰めてきた。
「良かった、間に合った!私に顔も見せずに帰るなんてあり得ないだろう、ステラ!!」
アイザックがステラを背に隠し、突撃してきた相手を睨みつけた。
「ステラに近寄らないで頂きたい。怖がります」
アイザックは近衛騎士団所属の騎士であり、目の前の彼は上司に当たる近衛騎士団長である。この言動は普通なら許されないものだが、それに対しての突っ込みは彼から一切入らない。
「ステラが怖がるわけがないだろう!私は、ステラの婚約者だぞ!?」
「父上も母上も私も弟達も侯爵家の執事も従者も従僕も侍女も誰も認めていない妄言を、いつまで言い続けるおつもりですか、叔父上?」
畳み掛けである。
二つ名で「白銀の彫像」との異名を持つアイザックがこんなに長く言葉を続けることはほぼない。ないというのに、ステラが絡み相手がこの叔父である場合、アイザックはあり得ない程の口撃を仕掛ける。
レオナルド・ノーラン・スタンレイ。
現スタンレイ侯爵の年の離れた実弟にしてアイザックの7歳上の若き叔父は、部下でもある甥っ子にやり込められながら声を上げた。
「もっ妄言とはなんだ?!私は本気だし、兄上には常にステラとの婚約を申込続けている!もうすぐ―――」
「ステラが侯爵家に入った時の叔父上のステラに対する侮辱言動を、我々は許してはおりません」
「ステラを侮辱?何を言ったと?私は――――」
「現王陛下の御代となっての治世歴26年10月5日午後7時5分過ぎの侯爵家領城のダイニングでの夕食の席で」
「時間まで克明に覚えるなっ!!!!!」
スタンレイ侯爵家の血筋を知らしめるプラチナブロンドにサファイアブルーの青瞳。だというのにアイザックの冷たさとは真逆の印象を与える、人好きするこの義理の叔父をステラは嫌いではなった。
「レオ叔父上」
ステラはアイザックの背中からちょいと顔を出すとにっこりと笑顔を見せた。
「ああ!ステラ!今日も綺麗だね。逢う度に美しくなる」
「あまり見ないでください。ステラが減ります」
「お前なあああ!?」
二人の掛け合いがステラは昔から好きだ。楽しくて微笑むとレオナルドは喜びに顔を綻ばせ、アイザックはブリザードを吹かせる。
「で?」
「で。とはなんだ『で』とは?!」
7つも上の叔父を転がしながらアイザックは一つ息をついた。
「用件をどうぞ。セオがなにか言ってきたんでしょう?」
「くそっ………読み通りだ、帰宅の急報を受けて取り合えず足止めしろとのご命令だ。今日は絶対にステラと踊るとセオドア第一王子殿下に言われてなあ」
3人の周囲の空気がひやりと冷たくなった。
アイザックはステラの肩を抱いて叔父を睨みつける。彼はステラが社交界デビューをしてから、彼女が自分と家族以外の男と踊ることを許してはいない。それが例え次代の王太子であろうともだ。
「それで足止めに———?」
腰に帯びた剣に手を伸ばすアイザックにレオナルドは首を振った。
「第一王子殿下であろうともステラと踊るなど私が許すわけがなかろう。このまま帰宅は私も万々歳……それはひとまず置いておいて、急報の内容を聞いて放置出来なかった。———どこの馬鹿が我が愛しのステラを愚弄したと?それ相応の対応はとるのだろうな、アイザック?」
レオナルドの表情が先刻までの人好きする顔から、相手を一刀で切り伏せるな冷酷な騎士の顔へと変化した。
やはり、スタンレイの血族だな。とレオナルドを見ながらステラは考えていた。
スタンレイ侯爵家は王家と並ぶ古き血筋を誇る生粋の大貴族でありながらも、一度敵と見做した相手には容赦がなく、相手が『国』であっても滅ぼしたことがあるそうだ。
公爵家に陞爵する機会は長い歴史の中何度もあったそうだが、だがその都度、敵とした相手を完膚なきまでに滅ぼしてきた家の歴史がそれを阻んだとのことだ。
ようは、人を殺し過ぎてきたらしい。
ステイビア王国内には、スタンレイ家により滅亡した貴族家も結構あり、中には公爵家もあるらしい……代々の血筋は皆な同じらしいので、兄上にも、叔父上にもその血は、脈々と流れているのだ。
「————あのお嬢さん達のお陰で夜会から帰宅できて万々歳なんだがな」
「生半可の対応では許さんぞ。私が出る」
「叔父上のお手は煩わせませんよ」
ステラが二人を治める為に口を挟んでも、ステラ馬鹿の二人にはその言葉が届いていないようだ。
「ステラが通学中の王立学院も来週から秋の長期休暇に入ります。ステラは優秀で1・2学年の全単位は履修済みで、飛び級で来期は3学年履修が学院で決定しています」
兄の言葉に「ん?」とステラは首を傾げる。
確かに学院は来週から秋休暇に入る。それは、よいが。どうして自分が1・2学年の全単位履修済なんて、まだ誰にも言っていないことを兄上が把握しているのだろう。
おまけに……。3学年に飛び級が決定とは―――自分もまだ知らない情報を何故この兄は知っているのでしょうか?
「少し早いですがタイミングも良いので、ステラは心無い令嬢たちの仕打ちに心を痛め体調を壊したことにして明日より新年時まで学院を休学させ、領地に戻ります。父上母上とも相談の上、くだんの5家とはスタンレイが関わる全ての商業取引を全面停止しようかと」
誰が心を痛めて体調を崩したと?これ幸いととっとと帰れて嬉しくてピンピンしてますが。
挙句……スタンレイとの商業取引全面停止って……。スタンレイってこの国のインフラにほとんど関わっているから、それって死ねってことに近いのではないのか?
これは、止めた方が良いような気がすると、ステラが口を開きかけたが、無駄だった。
「そうだな。それ位で丁度良いかもしれんが、もうひとひねり欲しいところだな」
「それは、領地に帰宅後徹底的に考えますよ。早急に対応するため、王城の転移ゲートを借りて一気に領地に戻る手筈を先程」
さっき馬車を呼ぶには随分と長く車寄担当の王宮付侍従と話しているとは思っていましたが、そんな手筈まで整えていたとは思わなかった。ステラは軽い眩暈を感じていた。
あのお嬢さん達には悪いが、こうなってしまったら兄上も叔父上も最早止めることは叶わない。
もともとは出自(※人種自体は同じ白人の可能性が高いです。)を差別した向うが悪いので、なるようにしかならん。とステラはこの問題の達観を決めた。
そうこうしている間に、スタンレイ侯爵家の家紋を刻んだ6頭引きの豪華な馬車が車寄せに音を立ててやってきた。
アイザック付の従者と従僕。ステラ付きの侍女が、馬車の扉前に音もなく現れ主人への礼を執った。
「お待たせいたしました、若様。すべての準備が整いましたのでご乗車くださいませ」
従者であるオスカーの声がけに軽く頷き、アイザックはステラに右手を差し出した。
ステラは少々のため息をつきながらもその右手を重ね、それに満足家に笑んだアイザックはレオナルドに顔だけを向けた。
「セオへの対応はよろしくお願いいたします。叔父上」
「心得た。私もこちらが片付き次第、スタンレイ領城へ向かう。対応策の打合せには同席したいからね。その時はゆっくりお茶でも飲もう、ステラ」
ステラの左手を取ろうとするレオナルドの手をアイザックは瞬時に叩き落とした。
「……お前なああ」
最後までそれか。と憎々しげに呟くレオナルドに構わずにアイザックはステラの手を引き馬車内へ彼女を先に誘導し座らせた。
「では、失礼いたします。叔父上」
冷たいながらに礼を執る甥っ子にこちらも構わずに、レオナルドはステラにだけ笑顔を向けて騎士の礼を執った。
この二人は本当に中身が似ている。
ステラは改めてそんなことを考えていた。
この馬車でスタンレイ領地に一気に帰るらしい。
久しぶりに母上と末の弟に会えることは本当に嬉しいが、何か忘れ物がある気がしてステラは口を開いた。
忘れ物————。
ああ。大変な忘れ物をしていたことに気が付いた。
「………兄上。イーサンとネイサンを忘れてる。待たないのか?」
イーサンとネイサンはアイザックの1つ下で、ステラの2つ上の今年18歳になるスタンレイ家の次男三男である双子だ。
御多分に漏れず、外見はスタンレイのプラチナ・サファイアを完璧に誇り、アイザックではなくレオナルド寄りの人好きする社交的な性格である為、それはそれはご令嬢たちにモテる……。
今回はステラに悪意を持つ令嬢連合によるハニートラップでステラとの距離を取らされ、ステラが悪役令嬢(?)に囲まれるスキを取らせたのだが、致し方ないといえばそれまでだ。
ステラは別に一人でも問題なく対応できたはずなのだ。
もしかすると、このような大事にならずに済んだ可能性もある。
この、兄が現れなければ。だが、どちらにせよ、兄上は兄上なので、同じ事態になっていた可能性は高いかもしれない。
「あの双子は―――私の言いつけを守らずお前をあんなところに一人にした。放っておけ。もう18だ。自力で帰るだろう」
転移ゲートを使わなければスタンレイ領城まで、騎馬でも1週間かかるのだが。あえて、これ以上のことは話すことはないだろうとステラは窓の外を見つめた。
「………月が綺麗だな」
アイザックの言葉にステラは虚を衝かれたように目を見開き、小さく笑った。