33:兄上とネイサンがお怒りです
後ろから抱き締められる。
いわゆる、バックハグ―――です。
だけれども、これは、そんなに生易しいものじゃない。
獲物を捕まえて、決してその腕の中から逃しはしない。
絶対に奪われない。という狂気とも取れるほどの覇気に全身を絡め取られ身動きもできない。
「あにうえ………?」
寸前まで気配もなく突然に現れたアイザックがステラを背後から力の限り抱き締め、懐深く隠すようにその胸の中にステラの身体を抱え込み、肩口から喉元に頬を鼻先を擦り寄せた。
「―――――無事で、良かった」
魂の叫びをやっとの思いで吐き出す様に、アイザックが呟いた。
喉元に触れるアイザックの唇と吐息。
言葉が零れるのに同期して唇が肌を掠めて、背筋がゾクリとする。
「――――あ、兄上?」
いつもとは様子が違う兄上にどう対して良いか分からなくて身を捩ると、体を反転させられてもっと深く抱き込まれてしまう。
兄上の体に取り込まれて、一緒の個体になってしまいそうだ。
人間の身体がこんなにもぴたりと合わさることを、ステラは初めて知った
頬から顎と首から胸までのラインが、互いの首元を交差させることで、元はひとつであったかのようにキレイに、隙間なくぴたりと合わさってしまう。
兄上の真冬の大気のような清廉な匂いに包まれて、鼻がツンとして胸を衝かれたように涙が滲んでくる。
軽い目眩がステラを襲う。
ここから離れるなんて、自分に出来るのだろうか?
「――――離れることは許さない」
自分の心を読んだのか?と聞きたくなる兄上の言葉に薄く目を開くと、鼻先が頬につく程近くに、焦がれてやまない暗青色の深いサファイアの瞳にステラのアメジストの瞳が映っていた。
このサファイアの瞳に囚われたら、逃げるなんて出来るはずもない。
涙が滲みそうになって、それを絶対に見られたくなくて、ステラはアイザックの胸に顔を埋めた。
「ステラ。返事は?」
今度は甘やかすように柔らかく抱きしめてくれるアイザックに、顔を上げることも出来ず、苦し紛れに喧嘩を売るしかステラには手立てがなかった。
「―――――賭けは延び延びになって、まだ、決着がついていないはず。だ」
「今のところは、そういうことにしておいてやる」
兄上が、くすりと小さく笑うのがわかった。
兄上は、本当に、私にだけ甘い。
こんな状況だというのに、私さえ無事であれば、周りなんてもうどうでもいいに決まっている。
そんなことを思っていたら、兄上の気配が変わった。
あ、違った。
無事を確認してからが、大変だったのだ。
なんとか、ここで兄上を止めなければ、恐らく、ベルトランの命はここで、終わる。
そろりと顔を上げてみると、案の定………。兄上の表情は氷の彫像を通り越し、絶対零度の氷の刃となりベルトランを睨みつけていた。
その睨みで、相手を殺せる勢いだ。
ベルトランの顔は焚火の炎を映しているというのに、真っ青だ。
じりじりと後退する彼の命を繋げなければ、今回の襲撃の元締めと相手の目的にたどり着けない。
止めねば。という意識でもって、くん。っと兄上の服を引くと、顔を挿げ替えたように柔らかい目に変わった兄上が、「どうした?」とこちらを見た。――――――――――その時だ。
「兄上!!!」
アイザックと同じく唐突に現れたもう一つの人影が、彼の近衛制服の後ろ襟をぐいっと引っ張った。
おお……。
怒りの頂点にあるだろう天下の兄上に対しそんな対応を取るなど、命知らずな。
いつの間にそんなに強い男になったのか。
呼び声のみで分かった相手を仰け反りながら睨みつけるアイザックを宥め、ステラが顔を上げた。
「ネイサン。お前まで来てくれたのか?」
「来るに決まってるだろ!他ならぬステラが攫われたんだぞ?!それに、兄上!!」
ぐいっ!とステラとアイザックの間に両腕を突っ込み二人を分けると、ネイサンは遠吠えのように声を上げた。
「ギャラリーが居ます!お控えください!!」
「関係ない」
「関係ありです!!」
そんなこんなを言っておきながら、ネイサンがアイザックからステラを奪い取り自らの腕の中に抱き込んでしまう。
「ステラ!無事で良かった!!」
「へ?」
ぎゅうぎゅうに抱き締められて、つい変な声が出てしまう。
「ギャラリーが居る。ステラを離せ。ネイサン」
地獄の番人もかくや―――という重低音の響きを持っての兄上の言葉にも、ネイサンは怯まない。
「関係ありません!!」
先程の問答が逆になってるな。
しかし………兄上にそんな風に逆らうなんて、本当に、いつの間にそんなに大人になったんだい?ネイサン。
「もう一度言う。ステラを離せ。ステラは俺の妹だ」
兄上の一人称が「俺」です。
この辺で引かないと、ネイサン、そろそろ危ないと思います。
「僕の妹でもあります!」
バチバチと火花が出る程に睨み合い、両者一歩も引かない兄弟に両腕を引っ張られて、ステラはもう笑うしかなかった。
焚火の向こうであまりの恐怖に体を震わせ蹲るベルトランに、ステラは困り抜き、頭を捻り、自分なりにこれで良いかという言葉をひねり出し、口を開いた。
「ここが治まるまで、ちょっと待ってもらっていいか、ベル?」
「「ベル――――――――?」」
しまった。愛称で呼んでしまったと思った時すでに遅し………。
スタンレイ兄弟の恐ろしいまでの追及の目に苛まれ、ステラは白旗を上げるしかなかった。
取り合えず肉を薦めて満腹となってもらって、それから、弁明に入ろう………。