3:二人で肉祭り
魔の森と呼ばれる深い森の中で魔獣数体に囲まれて、慌てず守りの守護魔方陣を展開するなど、大人でもとっさには対応できないだろう冷静な判断はすごいと思った。
更には突然現れた得体のしれない子供の所業で、魔獣の血を全身に浴びたというのに、瞬き一つせず微動だにせず、声すら上げない。
神経が太いというかそもそもないのか?
その胆力たるや、想像を絶する。
白金の豹みたいな子供の彫像が、血塗れの顔でステラを見ている。
まるで射殺す勢いの目付きある。
普通の子供であれば、この段階で大泣きだろうが、生憎とステラは自分でも普通の子供である自覚はない。
「ステラだ」
飄々とそう告げるステラに、白金の彫像がかすかに眉を寄せる。
「………何者か聞いている」
「それ以外、回答する言葉がない」
顔に飛び散るディトーの血飛沫を左腕で拭って、ステラはディトーの肉の解体作業に入った。
てきぱきと肉の解体に精を出す子供を黙って見つめて、彼はステラの背に向けて呟いた。
「僕も、自分が子供らしくないと自覚はしているが、お前はその上をいくな」
「褒められてる?」
「褒めてはいない」
「ソウデスカ」
最早相手への興味もないステラは、相手のことを気にしないことにした。ステラの優先事項はディトーの肉処理だからだ。
秋風が心地よく吹く木漏れ日に照らされた美しい森の中で、小さな子供がディトーだったものを解体していく。肉を切り落とし骨を砕く音と血の匂いが辺りを満たしていく様は、誰がどう見てもおかしな風景だろう。
太陽が真上ということは昼に近い時刻だ。
昨日から食べ物にありついていないステラは、辺りの木々を拾い手際よく火をつけると、残した木の枝に肉を刺し地面に突き立て焼き始めた。
塩は常備しているのでそれをまぶすと香ばしい肉の匂いだ漂いだした。
その時、誰かの腹の虫がそこに鳴り響いた。
ステラの腹ではない。
この場にいるのはの消去法で行くと美麗なお貴族様の子息だけである。
「……腹が減っているのか?」
まだ居たのか。と、ジト目で振り返るステラに白金の彫像は表情も変えずに首を傾げた。
「腹がヘルとは、どういうことだ?」
「そのままだ。飯を食わないと腹が減って腹の虫が鳴る」
「これが……腹が減るということか……」
これは、自分よりもヤバイ子供が来たぞ。とステラはこれからどうしたものかと眉を寄せたが、「ひとまず」と口火を切った。
「あんたの名前は?」
ステラは木の枝に肉を刺すとそれで白金の彫像を指した。
「名?」
「名前を知らないと、あんたを呼びようもない。オレはこんなだけど、人には名前があることを知っている。名も呼ばずものとして対するのは無礼者のすることで、オレは無礼者ではない」
貧民窟では女とバレると娼館に売られるリスクがある為、自分を指す一人称は一貫して「オレ」で通しているステラである。もともと言葉使いも師匠の話し言葉のままの男言葉なので、指摘を受けたことはほぼない。汚れまくった貧相な子供の性別を確実に確認する者も少なく、なるべく素顔を出さないように髪も伸ばし顔を隠していることもあり、相手はステラの性別など気にもしないだろう。
ただ、自分よりも確実に幼く、身分においては天と地ほどの差があることは一見するだけでわかるはずだ。
浮浪者にしか見えない子供に人の尊厳について語られ、白金の彫像が口元を綻ばせた。
「僕の名前は、アイザック。アイザック・ヴィンセント・スタンレイと申します」
浪々たる高位者の声でアイザックは貴族の礼をステラに向けた。
ステラは手にした次の肉を火の元に突き刺し、立ち上がり背をすっと伸ばし騎士の礼を返す。騎士の礼は師匠に教わったものだ。
「改めまして、ステラと申します」
アイザックのそれはおよそ子供の所作ではなく、ステラに至ってはその風貌と年齢で?と突っ込みたくなる程の美しい騎士の礼。子供らしくない子供の二人は互いに血まみれの手のまま握手をかわした。
二人だけの肉祭りは美しい礼をもって始まった。
思い起こせばあの肉祭りがステラの人生の転換点だった。
初めて会ったあの時から、兄上は、兄上だったが。
ステラも人の事は言えないが、当時8歳やそこらだった王族にも近い超高位貴族の嫡男が、いきなり場所もわからない深い森の中にただ一人置き去りにされ、泣き喚かないのもどうかと思う。
後になって聞いた話なのだが、あの時のあれはどうやら、スタンレイ侯爵家の敵対勢力による嫡男誘拐暗殺未遂だったとのこと。
ワープホールを使い兄上を拉致誘拐し、首都から遠く離れた辺境の魔の森で殺害しよとしたところをワイバーンに襲われ、誘拐暗殺グループは兄上を捨て逃げたのだとか。
一人その場に残された兄上はワイバーンの空からの攻撃をかわす為、冷静に森の中でも木々の枝が多いポイントに逃げ込んだのだそうだ。やっと息をつけると膝をついた兄上の前に今度はディトー3体が現れ、周囲を囲まれ逃げようもなく守護魔方陣の詠唱を始めたところに、何者かわからない兄上よりも小さい子供が突如現れ、ディトーの一匹を一刀両断した―――。
その小さな子供こそ誰あろうステラであるが、自分はさておき、兄上は今も昔も、トラブルに巻き込まれる星の元に生まれ、要らぬ問題をしょい込む才能を達人並みに持ち合わせているらしい。
そんわけのわからない出会いをした得体のしれない子供など、そのまま別れて記憶の彼方に消してしまえばよいものを、兄上はそうはせず、何故か拾い上げてくれたのだ。
「あれのお陰でステラと会えたのだ。あの誘拐暗殺グループには感謝の意を込めて相応の礼を返したよ」
と、後に兄上は語っていた………。
どういう礼だったのかは聞かないことにした。
聞かない方が今後確実に平和に生きていけると思ったからだ。
「あの時ステラが焼いてくれたディトーの肉は、美味かったな。いまだにあれ以上に美味いディトーの肉は食べたことがない」
あの時の肉は持ち帰るべきだった。と、もう何百回と聞いた兄上の後悔話しに、ステラは淑女の笑顔を引きつらせた。
その話をされると、ステラは正直辛い……。
あの二人だけの肉祭りの後の話になる。
二人して腹いっぱいにディトーの焼き肉を楽しんだのち、ステラは干し肉造りの為、秘密基地へと残ったディトーの肉を運ぼうと動き始めた。そうしたら、アイザックが、手伝ってくれるのである。どこまでもついてくるのである。
「家に帰らないのか?」と尋ねると、「ここがどこかわからないので帰るに帰れない」という。
「場所と道を教える」と言えば、「そう時間を置かず家の者が迎えが来るので動かない方がよい」と、彼の所在地を家人に示すというマーカーペンダントを見せてくれた。
「ならここに居ればいい」と言えば、「雨が降りそうだ」とのたまう。
血塗れのくせに雨に濡れたくない。という彼を秘密基地である洞穴に招き入れる他に選択肢はなく、一宿一飯の礼に働くという彼に。仕方なくステラは仕事を与えた。
ディトーの肉運びを手伝わせ、手が空いているというので、干し肉造りを手伝わせたのだ。
天下のスタンレイ侯爵家の嫡男に、血が滴るディトーの塊肉を運ばせ、干し肉製作を手伝わせる。
今考えれば、そんな死をも恐れぬ行動をとるなど正気の沙汰ではなく、この世のどこを探そうともそんなことをするのも出来るのもステラの他には誰もいない。
次の日、物々しい武装で現れたスタンレイ家の騎士達は、次期主君たるアイザックの生存を男泣きに喜んで、ひとしきり盛り上がった後、その惨状に声を失った。
全身に浴びたディトーの血が変色してこびり付いたままのスタンレイ家嫡男が、ワイルドに串刺し肉を食いちぎるその姿は、誰の目にも衝撃だったに違いない。
まさかその串刺し肉の製作を嫡男にさせたなど、ステラは口が裂けても告げることが出来なかった。
あの時から、ディトーの肉は兄上の好物になったそうだが、その件を話すとすべてを話す必要が出てくるため、理由を問われると、二人はいつもあいまいに笑ってかわすことが慣例となっている。
あの時製作したディトーの干し肉は、きっとあの秘密基地でミイラ化したに違いない。