26:スタンレイ侯爵家の華麗なる面々3
父上に初めて王宮に連れていかれた時に、王妃様を挟んで、セオドアとデイビットに初めて対面した。
初手から何故かぐいぐいアプローチしてくるセオとは対称的に、というか、こちらが普通の正しい反応だと思うデイビットは、見たくもない汚らしいモノを見る様な冷たい侮蔑の目を、ステラにずっと向けてきた。
いつも自分に向けられる、貧民は人でない。と嘲る、人としての「格」がない者達と同じ目。
デイビットは第二王子殿下ではあるが王族としての「格」を持っていない。
貴族以外は人ではなく、自分達を特別と考える悪い意味での典型的な普通の貴族の男だ。
これを指摘すると、昔から鬼のように怒ってくるけれど、人間、自分が一番痛い事を言われると怒るものだ。
自分の人格が王族のレベルに達してはおらず普通だと、デイビットは理解しているのだろう。そこは褒めておこう。
国王陛下とセオに呼ばれ、王宮に行く度に、デイビットにはくだらない嫌がらせをよく受けた。
それも、父上と兄上と国王とセオが居ないところを狙って。
王宮内の他の大人には第二王子特権で圧をかけ、外部には漏れないようにする周到さ。
腹黒く、底意地の悪い子供だなあ。というのが、デイビットに対するステラの最初の印象である。
子供の頃から変わらない胡散臭い笑顔で手を差し出されたが、ステラはそれには構わず、魔術転移学の講義がある西棟の3階に向かった。
「相変わらず、お前は手厳しいな」
その言葉はそっくりお前に返すぞデイビット。
なぜか隣に並んで歩くデイビットにステラは少々眉を寄せた。
デイビットに関わると碌なことはない。
出来れば完全に関わらず学院生活を送りたかったのだが、今年で18歳になるデイビットは学院の3学年で、ありえないことに魔術転移学を取っているらしい。昇級で3学年となり魔術転移学は教授の命令というか……強制というか……で講義を取ることが必須だったステラとは、一年間一緒の同窓ということになってしまう。
イヤだなあ。
なんの嫌がらせで、魔術転移学を取ったんだこの王子様は?
貴方には、魔術転移学を学ぶ頭なんてないでしょうに。
完全無視を決め込んで2階から3階に向かいどんどん階段を昇っていくステラの肩を、デイビットが引いた。
「この俺に、ずいぶんな態度だなステラ」
肩を引く勢いのまま、壁に背を圧しつけられデイビットが右手を壁に付いた。
いわゆる壁ドンです。
わあ―――やめて欲しい。
何を始める気なんでしょう、このお馬鹿さんは……。
目の前の少々見上げる位置にある、兄上の御尊顔とは比べようもないまあまあ整った顔を見上げ、ステラはつまらなそうに冷たく言った。
「第二王子殿下に愛称呼びを了承した覚えはありませんが、どのような真意がおありでそのようなことを?」
「兄上ではなく、俺と婚約しろ」
はい?
さすがのステラも目が点になり、頭が真っ白になった。
「父上は、お前を妃にした者を王太子に指名し、王座を渡すとおっしゃっている。だから、お前は俺と婚約するんだ」
世界が滅びると言われても絶対に嫌だし、世界がひっくり返っても、仮に生まれ変わったとしてもそれはあり得ません。
更には、その「だから」の文脈の意味が理解できない。
ああ、ここに兄上が居なくてよかった―――。
ステラが思ったことは、まずそれだった。
今ここに兄上が居たら、この目の前の第二王子殿下は一刀両断で切り殺され絶命し、さすがのスタンレイも今のままではいられなくなる。
「貧民街出の卑しいお前が、この俺の妃になれるというんだ、光栄すぎて声も出ないのか?」
はい。おっしゃるとおり、声が出ません。
あまりのお言葉に今まで鍛えに鍛えた理性限界壁が、粉々に吹っ飛びそうです。
えええええ?!やめて下さい!私の顎を持つな!!
「壁ドン」からの「顎くい」で、勝ち誇ったような薄ら笑いもプラスされ「俺ってキマってる?」なんてドヤ顔なんてされたら………キモチワル過ぎて、露わになったその喉を右手の握力の最大値で握りつぶし、今すぐに貴方様をぶっ殺しそうです。
兄上より先に自分が王族殺しの汚名を着ることになりそうだなんて、自分でも予想出来なかった――――――。
「ステラには魔術転移学の授業準備を申しつけているのですが、それを足止めなさり、この学び舎にはそぐわないお言葉を、只今、耳にした気がいたしますが」
頭上から降り注ぐ、神というよりは大魔王と言った方が良い渋すぎる重低音を響かせる声に、デイビットは変わらぬドヤ顔で振り返り、ステラは、全身から血の気が引いた。
これは、本当にまずい事態に陥った。
聞かれてはいけない、聞かせてはいけない相手に、第二王子からの面倒でありえない実現不可能な求婚の言葉を聞かれてしまったのだ。
「カール教授!!すまないが、今は国の未来に対しての重要な話を―――」
「確かに、重要ですな」
彼の言葉を最後まで聞かずに声に上げた魔術転移学教授であるヘルベルト・カールの言葉を同意の意と取ったのか、デイビットは勝ち誇ったように顎をしゃくって見せた。
「スタンレイの養女であっても卑しい貧民出であるこの女を、慈悲深いこの俺が婚約者とし、俺はこの国の王太子になる―――」
「そのような重要な案件を軽々しくも、このような学び舎の踊り場で、簡単に済ます―――?あり得ませんな………あげく」
ああ、空気が冷えてくる―――どんどん冷えて、階段も廊下も白く霜がつきはじめている。
馬鹿だなデイビット……。
お前はこの場で死にたいようだ。
暗青色の深いサファイアの瞳が、その目で人を射殺せるような冷たい視線をデイビットに向けている。
この人は、怒らせてはいけない。なぜならば―――。
「デイビット・イアン・ステイビア」
絶対零度の低い声に、瞬時に「はひっ!」とデイビットは彼らしくなく背を正した。
流石の彼も、今この場での命の危機を感じているようだ。
カール教授が、ゆっくりと口を開いた。
「ステラが卑しい貧民出?慈悲深い俺が婚約者?―――我ら家門のすべてを敵に回す気概がおありとは、逆に見直しましたよ。そのような勇気がおありならば、ご自身で国を建てることも造作もないでしょう」
表情も変えずに怒気を纏う氷の目は兄上のそれと同じ。
魔法転移学教授。本名ヘルベルト・カール・スタンレイ。
スタンレイ侯爵家前当主にして、我が祖父は表情の見えない鉄仮面の顔で悠然とこの国の第二王子殿下を睨みつけた。
ああ、幼い日からデイビットはスタンレイの地雷を踏むのが大得意だった。
「あの時と同じだ………」
在りし日のデイビットを思い出し、ステラは頭を抱えた。
◇◇◇
師匠が定めてくれた誕生日を過ぎ7歳になったばかりの頃だったか、あの日も狙いすましたかのように、デイビットはやってくれた。
王宮の車寄せまでは父上と兄上が一緒だったが、父上は財務卿に「確認がある」と連れ去られ、兄上も騎士団付属の少年部隊に急遽招集を受け連れて行かれ、残されたステラの前に見慣れない女官が頭を垂れた。
女官の手が小刻みに震えていたことで、ステラにはだいたいの予想がついていた。
通ったこともない回廊を進み、連れて来られた場所は、王宮にもこんな場所があるのか。と思う程の、打ち捨てられ、朽ちかけた古びた館だった。
そこに待っていたのは、ドヤ顔の第二王子殿下と、彼のご学友であられるご貴族様の子弟の面々と、更には、その子供たちの護衛役たち。
ずいぶんな大所帯だな。
今回のいじわるは盛大で一味違うらしい。
デイビットの将来は、このままではロクデナシ一択だな。と、ステラは大きく息を吐いた。
予想通りの展開過ぎて、呆れを通り越し彼の行く末を案じてしまう。
底が浅すぎるのだ。
「なんだその憐れみの顔は?」
おお。それはわかるのか。立派立派。でもちょっとだけ違っています。
しかしまあ、貴方は自分の行く末を少し考えた方が良いと思う。
師匠と親友だったというあの国王陛下が、父上と同じで只者であるはずがない。
その国王陛下が、ステイビア王国の闇の歴史に名を遺す王兄の子である不出来な甥を、自分の養子とし第二王子の席に座らせていることの意味を、貴方は真剣に考えないと、マズいでしょう。
「あまりの馬鹿にはつける薬がない。という、顔です」
火に油を注ぐ一言をあえて投げてみると、思った通り怒りのピークと言った真っ赤な顔に変貌し、デイビットは両手を振って捲し立てた。
「殺さない程度に、痛めつけてしまえ!」
自分で来ないで周りにやらせる。典型的なお山の大将だ。
わらわらとご学友の面々が自分なりの最強の武器を持ってステラに向かってくる。
お山の大将の下僕である貴族子弟の護衛達もそんなに知力はないらしく、小さき主の言葉を信じ大貴族の庇護を受ける貧民孤児を守ろうとする者はいない。
まあ、彼らに守ってもらう気などさらさらない。
ステラの狙っているのは、正当防衛だ。
いっちょ、腕辺りを切り付けてもらって、それを盾に自身と正当性を立て、こいつらを一掃してしまおう。と、考えてはいる。
ただそれが立証できず、貴族を傷つけた汚名を被るようならば、スタンレイから勘当してもらって、森に帰ればいい。それだけだ。
ステラの狙い通り、第二王子殿下には逆らえない困り顔のまま剣を高く掲げたへっぴり腰のチョコレート色の髪の貴族少年が、「ごめん」とちいさく呟きながら剣で切り付けてきた。
ごめん。もなにもない。
お陰様で腕に一筋切り目を入れてもらって、その剣を奪って、第二王子殿下を含める皆様を床に沈めて差し上げることが出来る。
にんまりとステラが口元を上げたその時、朽ちかけた古びた館に地響きが響き渡った。
館内をゴウゴウと物凄い風力で風というには収まりがつかない暴風が荒れ狂い、窓は割れ、埃をかぶっていた調度品は倒れ粉砕され、それらが渦を巻き、その場に居合わせた者たちに襲い掛かる。
「「ぎゃあああ!!」」
第二王子殿下を含む子供達、及び、彼らを護衛する任にある者たちまでもが阿鼻叫喚の恐怖の声を上げ、その場にへたり込み自らを守るために体を丸めた。
その中に、ステラは一人立っていた。
荒れ狂う暴風の渦は、決してステラには向いてこない。
その意味を、ステラは瞬時に理解し窓辺に走り寄った。
「おいで」
窓の外で、アイザックが両手を広げていた。
「兄上。手を煩わせてしまって、申し訳ない」
「お前が一人で全部片付けられるのはわかるが、また森に戻ると言われては敵わない」
難癖を付けて貰って、森に帰ろうとしていることが読まれている。
バツが悪く眉根を寄せながら窓辺から飛び降りようとしたステラを、アイザックが抱き留めた。