22:白馬の王子様?
しゅりん。と軽い音がした。
まさかと思いながら、兄上を振り返れば―――予想通り過ぎる。
剣を抜いた兄上が、すたすたと、馬車道の赤い兄妹に向かい歩き出していた。
「良いタイミングだ。一気に全部片付くな」
ヤバい。兄上の目が本気だ。
ステラは模造剣を投げ捨て、腰に帯びていた剣を抜きながらアイザックとの距離を一気に縮めて、切りかかった。
「兄上!流石にそれはマズい!!」
ガキン!!と剣の刃が合わさった鋭い音が辺りを切り裂いた。
「領地内で片付ければ治外法権だ。無断で入り込んだ向うが悪い」
アイザックがステラの剣を力で払うのを円を描くようにいなし、ステラは剣の鍔で剣背を圧し、アイザックの剣を御した。
「セオとセオの護衛の目がある!」
「併せて潰せば良いだけだ」
「少し落ち着こう!兄上!!」
ガキン!ガキン!!と真剣を以ての本気の剣士の勝負が繰り広げられるその側で、茫然と膝をついたままのセオドアを避難させるべく、ネイトとクザンがその両腕を引き上げ、外周に引き摺り出した。
「………すごい」
剣が合わされる度に火花が散って見える程の剣戟に圧倒され、セオドアは瞬きもできない。
「あの兄妹喧嘩には近寄ってはいけません。お引きください、王子殿下。いいことなんもありませんよ」
ネイトの弁がステラの耳に入る。
兄妹喧嘩たあ、何事だ、ネイト?!あとで覚えていろよ。とステラはそれを頭に刻んだ。
「お前を害した者は、何者でも許さん」
うん?
その「お前」を今殺しそうな勢いで攻めているのは、当の兄上では?
さっきの手合わせどころの話ではないアイザックの本気の剣を受けながら、ステラは苦笑いするしかない。
これは、兄上の意識を赤毛兄妹から完全に逸らす必要がある。
「兄上、何か私にしてほしい事とかないですか?」
「―――………」
ギリギリと鍔迫り合いをしながら呟くステラの折衝案に、アイザックの力が少しだけ弱まった気がする。
チャンスは今だ。
「剣を引いていただけるのなら、もれなく何でも一つ、ご希望を叶えることをお約束致します」
「―――なんでも?」
兄上の眉がぴくりと動いた。
「二言はございません」
「よし」
ふっと、アイザックの剣圧が途切れ溢れていた覇気が引っ込んだ。
美しい所作で剣を鞘に戻す兄の姿に安心の息を一つ吐いて、自分のそれも鞘に戻したステラの右手指先を、ついとアイザックの手が包んだ。
「ん?」と思う間もなく、アイザックが優雅に貴婦人への騎士の礼を執り、そのままステラの指先に唇を落とす。
「兄上?」
「これで契約成立だ。ステラの膝枕での昼寝で手を打つ」
膝枕の昼寝。
おいおいっ。と突っ込みたくなるご希望ではあるが、兄の神々しくも美しい笑顔にステラは固まるしかない。
その時だ。
「ひゃああああああああ!!!」
いつの間に降りて来ていたのか?
先まで馬車道の上からこちらを睨みつけて来ていた見事な赤毛のクレセント侯爵令嬢が、その髪と同色に真っ赤に紅潮した顔を両手で覆い膝から崩れ落ちた。
良く見ると、両手で顔を覆ってはいるが指は開き、その隙間から限界まで見開かれた茶色の目がこちらをガン見している。背中に寒気が走るほどです。
なんだこの人……?
件の夜会で喧嘩を売ってきた人、だよな?
ちょっと、だいぶ怖い………。
ちなみに、鼻血、垂れてませんか?
「め、めがつぶれそうに……尊い。騎士二人の、いちゃだなんて―――美味しすぎ―――」
大丈夫かこの侯爵令嬢?
あなたの言葉が理解できません。
さすがの兄上ですら、どん引きです。
そんな自分達の向こう正面のネイトが、セオドアに笑顔で説明しているのが聞こえてきた。
「スタンレイの兄妹喧嘩は犬も食いません。当てられるのが関の山です。しっかし、あのご令嬢、命知らずっすね~」
それを言うなら「夫婦喧嘩は犬も食わない」だろう。ネイト。
が、そんな説明にも構わずに、セオドアが声を上げて突進してくる。
「ステラの膝枕など許すはずなかろう!!アイザック!!決闘だ!!そこへなおれ!!」
剣を振りかざす殿下を兄上が鼻で笑う。
「決闘でなおれとは、頭湧いているのか?負け犬は、とっとと王宮に帰れ。お帰りはあちらだ」
これはもう完全な見世物だ。
一抜けで、帰ってよいでしょうか?
だけれども、アイザックの腕は自分のものと誇示するようにステラの腰を抱いてきて、逃げ出すことが叶わない。
「ええ?!取り合い?!―――王子殿下と白銀の彫像様が、下賤出身の美しい貴公子を取り合い?!あああ………もう、もう!!」
下賤。というパワーワードに兄上の殺意が一瞬燃え上がったが、それよりも、この、なんというか、なんといっていいかわからないご令嬢様の情念の炎の方が強かったらしい。兄上の殺意に勝つとは、称賛に値する。凄いの一言だ。
茫然とご令嬢を見やるステラとアイザックに、そおっとセオドアがステラに手を伸ばす。
が、瞬間「ばしっ!」とアイザックがその手を打ち落とす。
するっと反対側にその身を移動させ、再度ステラに手を伸ばすセオドアに、アイザックはステラを抱き込み反転すると剣を抜いた。
「ステラに触るな。減る」
「兄上―――言い方………」
この練兵場はスタンレイの野次馬だらけだというのに………。
もうどうしたら良いのでしょう。
ステラの切なる救いの願いを、神が聞き届けたのか?
真打の一言が、この茶番に終了のゴングを鳴らす。
「―――ああ、義兄弟?!……かんっぺき、もうダメ」
義兄弟?自分は一応女ですが……。
頭を捻るステラの前で、本日この場で最大のスペシャルじゃないゲスト、クレセント侯爵令嬢ビアトリスが鼻血を噴き、ばったりと倒れ伏した。
「「「はい?」」」
その場に集うすべての者が、同じタイミングに同じ言葉を発して、全員で首を傾げた。
「―――スタンレイご令嬢………並びに皆さま………我が妹が、なんというか、ご面倒?をお掛けし大変、っ違う!!………今までの愚行もひっくるめて、ほ、ほっんとうに、すみません!!!」
赤毛の兄(?)の大土下座は見事に尽きる。
赤毛の妹(?)は大量の鼻血を噴出して大の字で倒れ伏している。
ビアトリスには面識はあるが、兄らしき大土下座の貴公子には会ったこともない。
ステラがすいっとアイザックに視線を向けると、アイザックは面白くなさそうに眉を寄せ口を開いた。
「クレセント侯爵家嫡男ヴィクターだ。私の同期で同僚でもある」
「はあ。では―――」
この場で簡単に頷くことはできないな。とステラは後方に見える両親にちらりと目を向けた。
この騒ぎに紛れての「謝罪」が、件の夜会での愚行に関することを含むのであれば、ステラの頷きは「謝罪の受託」と取られかねない。
こと、父上がスタンレイとしてすべてを動かしているのであれば、自分はここでは何の反応も返すことは出来ない。
ステラの意を汲んだのか、ウィリアムは練兵場に集う家人と騎士たちに散会を告げクザンを伴い、ステラたちの元にやってきた。クロエは侍女長ローズとロウエン達に指示を出し、鼻血令嬢の応急処置と担架の準備が進んでいく。
「ヴィクター殿。妹君の状態が状態の為、ひとまずは本邸に招きはします。先ぶれもなしに現れた理由と弁明は、そこでお聞きしましょう」
父上は笑顔ではあるが、目は全く笑っていない。
「は、はっはは、はい!」
クレセント侯爵家嫡男君は血の気が落ちた真っ青な顔で、首がもげそうなほどの勢いで頷いた。
父上の、冷たく凍るような容赦のない高圧なプレッシャーが「意に沿わぬ用件ならば五体満足でここを出られると思うな」と言葉には出さなくても語っている。
父上も容赦がないな。
兄上とさほど変わらない。
兄上をちらりと見上げると、それに気付いたのか小さく口角を上げて笑んでくれた。またしてもこちらの頭の中を読んでくれている。
「あとは、セオ」
兄上にやられてまだ痛むらしい手をさすってるセオドアに、父上が振り返る。
「っはい!ウィリアム叔父上!!」
「ステラとの勝負はついた。今後、ステラには二度と会わせないからね。お前はもう王宮に帰りなさい。お帰りはあちらだ」
うん。父上、王子様にも一切の容赦がありません。
「ええ?!」
父上の胸倉にしがみ付くセオドアに、父上はひらりと決闘の宣言書を目の前に広げて、重要文言を指で指した。
「第二条一項。甲が乙に敗した場合においては、甲は乙に対し今後一切の拝謁は叶わず。これを以てして約定となす。これは宣言書の有効期限間において覆すこと叶わず。簡単に訳すと、甲が乙に負けた場合、今後一切会うことは許されない。これは完全なる約束で、宣言書の有効期間は無期限」
「え?」
ぽかんと口を開けるセオドアに、父上が最高の笑顔で最後のとどめを刺してくれた。
「甲がセオ。乙がステラ。サインと印綬をする際は、正しく文面を読み解くこと。と私は講義で教えたはずだよ、セオ」
「おおおおお叔父上えええ?!」
「はっはっは。さあ、みんな引き上げるぞ~」
セオの悲しみの鳴き声が練兵場に響き渡る。
すこし可哀そうな気がするが、もうちょっと頭も冷やしてほしいので、セオにはいい教訓になることでしょう。
やれやれと、兄上と並んで歩きだそうとすると、ネイトが馬を連れて現れた。
「まったく。お嬢も罪作りな人ですねえ。男も女もメロメロっす」
何を言い出すんだコイツ。と思う間もなく、ネイトの頭に兄上の手刀が直撃する。
「若っ!」
兄上がネイトの伴った黒王にひらりと飛び乗る。
主が騎乗したというのに、黒王はステラに鼻づらを伸ばしすりすりと擦り寄ってきて、隣に並ぶ白馬に向け睨みを聞かせた。
「真白を睨むな、黒王。お前は兄上の大切な愛馬だろうに」
ステラが顔を撫でると黒王は嬉しそうに目を細めた。
「………馬もでしたね」
「なんか言ったかネイト」
「いえっ!」
ネイトが逃げるように自分の愛馬である栗毛のクリュウに飛び乗った。
ほらほら。というように真白がステラの服を引っ張ってくるので、ステラは笑顔を溢しその背に飛び乗る。
首後ろをポンポンと撫でると、真白は嬉し気にいなないた。
アイザック付の従者であるオスカーが先導し、一同は本邸に向け駆けだした。
その後ろ。
「「―――白馬に乗った王子っ」」
うっすら意識の戻ったクレセント侯爵令嬢を含めた、赤い兄妹の言葉がこぼれ落ちた。
それを聞き及んだスタンレイ一門の家人が、うんうん頷いたことはその場にいた者たちの秘密である。