21:クレセント侯爵家の赤い兄妹
クレセント侯爵家の家紋は炎と剣。
古くからの武門家で、血筋の目印とも言える燃えるような赤毛と剣の腕でもって名を馳せてはきたが、長年のスタンレイの隆盛のもと、その力は衰退の一途を辿っている。
その理由は簡単だ。
スタンレイには絶対に勝てないのに、変に喧嘩を売り返り討ちに遭い、その度に家のあらゆるものが削られているからだ。
クレセント侯爵家嫡男ヴィクター・サイラス・クレセントは、今にも倒れそうな青を通り超した死人のような土気色の顔をした両親と執事の報告に頭を抱えた。
曽祖父も、祖父母も、両親もやらかして来たことは、耳にタコが出来るほど聞いてきたのに―――。
「ビアトリス………お前もか」
最近は流石の両親もスタンレイには近寄らなくなり、やっと学習機能が付いたかと安心していたら、今回は妹がやってくれた。
よりにもよって、スタンレイ一族が溺愛してやまない、一人娘をいじめただと?!
それも、あのアイザックの前で!!
よくぞその場で氷漬けにされなかったな、妹よ………。
「あの女は最下層の貧民街出のアバズレです!」
うん。それは社交界はおろか、貴族界では周知の事実で、スタンレイ一族も本人も全く気にせず隠してもいない事実ではあるが、アバズレなんてとんでもない。かの王立学院を飛び級しまくる才女だぞ。
お前は同い年のくせに、王立学院入学資格も取れず、中等学院で足踏み中だろうに、良く言えるものだ。
「ちょっと―――だいぶ?綺麗だからと言って」
お前も、同年代の令嬢の中ではトップクラスの美貌と言われているが、「スタンレイの冬薔薇」には敵わない。次元が違うと思うが、口には出さない。
「身分を理解し下がれと申したまでです!」
はい。良く生きてるなお前。奇跡だ―――!!。
「おおおお、お前の不用意な一言で、我がクレセント侯爵家は取潰し寸前だ!!今すぐステラスタ令嬢に土下座し、許しを請うて来い!!許しを貰うまで、帰って来るな!!スタンレイの許しを得るまで、うちの門は通さんからな!!お前も共に行け、ヴィクター!!スタンレイ嫡男とは近衛で同僚だろう!お前も詫びて、ビアトリスがこれ以上不要な事を言い出さんよう監督しろ!!」
ああ、飛び火した。
嫌だなあ。自分もアイザックに殺されてしまいそうだ。
遺書を書く時間が欲しい。と、巷の令嬢連合からは「赤の貴公子」と呼ばれきゃあきゃあ言われる端麗な顔を、ヴィクターは思い切り歪めた。
ビアトリスは事の重大さを理解していない。
その事実は、スタンレイ領地に向かう馬車の中で露見した。
自分の見てくれにしか興味のない、世にあまた居るデフォルト令嬢よりは多少の頭を持っているはず。とヴィクターは自分の妹を評価していたのだが―――。これは、酷い。自分の妹への評価はかなり甘かったようだ。
「セオドア王子殿下もアイザック様も、あのアバズレに魔法でもかけられているのです!」
まさかあの二人が?
そんなことを思っているなど、阿呆にも程がある。
魔力も魔術の実力も、魔法師団のトップレベルと肩を並べるあの二人にそんなもんが効くはずがない。
「わたくしは、お二人をお救いしたい一心で!」
そうだった。ビアトリスは面食いで、良い男、綺麗な男を目にすると、まあまあな頭が飛んでかなりのお馬鹿さんになる、幼い頃からの癖があったなあ。とヴィクターはどこともない遠くを見つめる。
妹は、セオドア王子殿下とアイザックの綺麗な顔面にやられて、なけなしの頭が飛んだとみえる。
「御理解頂けましたか、お兄様?!」
「うん。お前の理想が、白馬に跨がった美しい王子様だった事を思い出した」
「えっ?な、何を仰るの突然っ?!」
ビアトリスの顔が、髪色と同じく真っ赤に変わる。
その様子だと、未だ理想は変わらず、ロマンス小説が大好きで、美しい男が大好きの性癖は全く変わっていないようだ。
もう少し、世の理を覚えて、スタンレイという地雷を踏まない頭に、お兄ちゃんは育って欲しかったなあ。
「そ、そんなことより!このスタンレイの対応は酷すぎます!貴賓室にも通さず、我々クレセント侯爵家に対しての取次の礼儀が見えません!!抗議して下さいませ!!」
いやいや。お前のやらかしで、通常だったら家門総出で抹殺されてもおかしくない。
それなのに、御一家は練兵場(?)に居られると、ツンとした印象の執事補佐の補佐という家人が、わざわざ馬で案内してくれるだけ僥倖と言えよう。
所で、練兵場って馬が必要な程に距離があるのか?
スタンレイ城ってどんだけ広いんだ………。
そのまま馬車でどうぞ。と促された車中の窓から、ヴィクターはスタンレイ城内部を見やった。
城の外郭も容易に踏み込めない頑強な造りで堀までありびっくりしたものだが、内部に入ると更に驚愕した。
ここは王城か?
というほどの、城ですか?と聞きたくなる邸宅に、家人用の建物だって普通の貴族の邸宅並みのレベルだ。近付く騎士棟も、騎馬を要する厩も、信じられない程の規模だ。
同じ侯爵家というのに、家格も財力もまるで違う。
公爵への陞爵を長年王家から打診されているのを断り続けている。との噂は本当なのだと、ヴィクターは理解した。
もはや自分の家とは格が違う。
茫然と車窓を眺めているヴィクターとは対照的に、現実を見ずきゃんきゃん吠え続けていたビアトリスが、突然口を噤み目を見開いた。
視線の先には、スタンレイが誇る騎士団の練兵場が見えた。
馬車道から一段低い練兵場は、車窓からも一望でき、その中央で剣を振るう二人の騎士が見えた。
ひとりは、輝く金髪が真昼の光に輝いている。
あの金髪は間違いない、セオドア王子殿下だ。
対する騎士は、ヴィクターも見たことがない。幾分線の細い、青い空を映したような青みを帯びた長い銀髪を頭の高い位置に括った、若い騎士?あの華奢な体から考えると騎士見習の従騎士かもしれない。
流れるような太刀筋。
踊るような体の流れ。
だが、剣の腕は、目を見張る。
かなりの使い手だ。
ヴィクターは背中に流れる冷たい汗を感じていた。
目の前の妹がどんな状態にあるのかにも気付かない。
馬車が止まり、扉が開かれた。
「どうぞ、あちらにお進みください。ご一家は皆さまいらっしゃいます」
案内役をしてくれたスタンレイ家執事補佐の補佐が礼を執りながら伝えてきた。
礼儀がない!と怒り出すと思っていたビアトリスは、怒りの声を上げることもなく、茫然と車外に進みそのまま立ち尽くすと、両手で口元を覆った。
自分と同じ茶色の瞳に、星と………ハートマークが見える?気がする。
どんどん紅潮する頬、息すら詰めて見つめるその先には、銀髪の若い騎士。
あ、ヤバい。とヴィクターは思った。
あの銀髪は―――ビアトリスの理想の王子様像にドンピシャ。
本から抜け出してきたビアトリスの夢の王子様。
その人をついに見つけてしまった。と、妹の顔にはそんな言葉が書いてある。
王子殿下と銀髪の勝負がついた。
王子殿下が、膝をついている。
勝負に勝ったらしい銀髪が、美しい所作で王子殿下に手を差し伸べている。
「きゃあああああああああああ!!!」
耳がいったかと思うほどの悲鳴が、すぐ隣の妹から響き渡り、練兵場に集うすべての人間の視線が、一気に自分達に集中した。
それは、王子殿下の相手をしていた銀髪も例外ではない。
遠目にも見てわかる、ものすごい美形だ。
剣を携え、銀の髪が風になびく様は、ロマンス小説の挿絵の王子か英雄か、いう風情である。
ビアトリスから、声にならない悲鳴が聞こえてくる。
喉元から、どっから出してるの?と聞きたくなる超音波が、ヴィクターの耳を打つ。
銀髪の騎士に見とれこれ以上ないほどに、真っ赤になる妹.
息を吸いなさい。
そのままでは、窒息して死んでしまうぞ、妹よ………。
まあ、この目の前の事実を知ったら、本当に心臓が止まるかもしれないが。
ヴィクターはここに至り、気付いたことがある。
青を映した長い銀髪、アイザックにも負けない怜悧な美貌―――瞳はここからではわからないが、深いアメジストの色に違いない。
ヴィクターは今まで、令嬢らしいドレス姿しか見たことがなかったが、その凛とした美貌を騎士服が際立たせている。
「女性が好む小説の、白馬に乗った王子みたいな令嬢だな。『スタンレイの冬薔薇』は」
その姿にまんまとやられている妹が、目玉が落ちそうなくらいに目を剥いた。
「うそ、でしょう―――?」
嘘ではないよ。あの騎士が、お前の毛嫌いしていたステラスタ・エレノア・スタンレイ。その人だ。
アイザックとは、同い年で子供の頃から良く比較された。良い意味でも悪い意味でも知り抜いている、氷の獣みたいなアイザックが、あんなに穏やかな目を向けるのは、あの妹ーステラスターにだけ。
自分も気を抜いたら、何かを持っていかれそうな、『スタンレイの冬薔薇』。
だが、それに甘んじるわけには行かない。
父は王兄派。
自分はそれを継ぐ者で、王弟派のスタンレイとは相容れない。
それは、誰に言われるまでもなく、自分自身が一番知っている。
ヴィクターもビアトリスも同じく「引き込まれてはいけない」とステラを睨みつけた。
だけれども、心というものは、頭で制御できるものではない。
すでにクレセント侯爵家の赤い兄妹の心は、『スタンレイの冬薔薇』に持って行かれていた。
彼らはまだ、気付いていない。
この練兵場に居る全てのスタンレイからの視線が、「敵」と見做されての攻撃色に染まっていることを………。