20:王子殿下こてんぱんにされる
立太子も目前と言われるセオドアの逗留に、スタンレイ本邸は未だかつてない緊張感に包まれていた。
理由はひとつ。
セオドアと共に、護衛や側近など10数名が本邸に滞在しているというのに、今現在、スタンレイ一家は誰一人として本邸に居ない。という、この事態だ。
御家族は全員別邸に移動されてしまいました………。
王子様への対応は、上級使用人に任されたというのに、最側近は皆、別邸に当たり前のように付いて行ってしまいました。
彼らは主が第一で、王子様はどうでも良い、生粋のスタンレイ家人である。
残された使用人達は羨ましいやら恨めしいやら、上級使用人トップチームへの昇格を目指し、「この難局を乗り切ろう!」をスローガンに、団結し結束した。
大きな声では言えないが、王子様の接遇はセカンドチームに任されてしまったのだ。
彼らは皆、脳天がハゲそうなこの状況に頭を痛め胃を痛め、ここ数日は胃薬を手放せない状況となっている。
そんな彼らを試すように、神は更に新たな難局をご用意くだされたようだ。
上級貴族とひと目でわかる6頭引きの豪華な馬車が、護衛の私設騎士団を伴いスタンレイ城外郭の門を叩いた。
騎士団の揃いの制服と豪華な馬車に徽章される家紋を確認し、外郭門番は瞬時に外郭警備長へ報告を上げた。
本日の予定にない来客とはいえ、無下にこの場で拒否はできない相手。
この面倒な時期に先触れもなく現れた招かれざる賓客の家名を聞き、懸命に本邸を回していた執事長補佐の補佐であるロウエンは苦虫を噛み潰したように眉を寄せた。
「ブラックリストの筆頭じゃねーか」
おっと口が滑った。と、ローエンは背を正し、いつものツンとした顔に戻る。
「主様と奥方様、若様がここにいたら、『潰せ』の一言だよなあ。クレセント侯爵家って例の夜会で、お嬢様に喧嘩売った筆頭令嬢のいる家だろう?」
「お嬢様を愚弄したってクソ令嬢が来てんのか?放置だ放置!外郭門で夜明かしさせろ!」
ロウエンの言葉に続く騎士団の従騎士達を見て、彼は大変に真っ黒い笑みを浮かべて、同輩の従騎士グウェンの肩を抱いた。
「俺、いい事考えた」
「その黒い顔をするってことは、なかなかの名案だな、どうする、オレは乗るぞ」
俺も俺も!と声を上げる従騎士連隊と、セカンドチームの従僕メイド達の前で、ロウエンは胸を張った。
「練兵場にご案内だ!!さっき連絡がきただろう?お嬢様が王子殿下と決闘するって。ってことはだ、若様も主様も奥様もいらっしゃる!!きっとぶっ潰してくれるぞ!!俺、案内してついでに見てくる!!」
おお!!と声が上がりまくり、全員がその案に拳を上げた。
◇◇◇
スタンレイ城外郭の門に招かれざる客が現れるより少し前。
スタンレイ騎士団の練兵場でステラは大切な師匠の形見の剣を鞘に戻し、額から流れる汗を腕で拭った。
「やはり、兄上は強い」
「同じ言葉を返してやる」
兄上との真剣勝負は、いつも本気の勝負であり、模造剣は使用しない。本物の刀剣を使う。
お互いの腕への信頼があってできる事ではあるが、兄上との勝負はいつも本当に楽しい。
汗で張り付き乱れた、青を映す銀の髪をポニーテールに結い直し、ステラが「切るかな」と呟くと、アイザックの手がステラの髪に伸びた。
「ダメだ」
長髪は邪魔だ。が持論のステラではあるが、兄の一声でいつもいつも切るタイミングを逃している。
アイザックは剣を握っていたその手で、ステラのポニーテールをするりと毛先まで撫でるように指で梳き、最後のひと房を優しくつまむと軽く口づける。
兄よ。
何ということをしてくれるのか……。
顔に血が上ってくるのをステラは懸命に押さえ、視線を下に向けなんとか耐える。
「絶対に切るな。もったいない」
「……う~~ん。ま、これだけ長いと、もしもの事態で売れるからいいか」
「もしも?」
「いえ、何でもないです兄上。ところで―――」
この兄の前での失言はまずい。
とっとと話題を変えようと、ステラは先刻の兄の甘やかな所作で、いまだ引きつる口元に気合を入れて、根性の笑顔でアイザックに向き直った。
「どうです?セオには勝てそうでしょう?」
王子殿下に負ける気などひとかけらもないステラが、ちゃきっと鞘ごと剣を構えておどけてみせる。
この心配性の兄を安心させるには、実技をもって理解させるしかなく、今回の本気勝負と相成ったのだ。
もうすぐ、決闘勝負の伝達を聞いたセオドアがここにやってくる。
彼は、ステラの剣の腕を知らない。
それは、スタンレイが総力をもって隠しきった長年の隠蔽工作によるものだ。
ステラの剣の実力は騎士団のマスタークラスを優に超える。
何といっても剣の師匠は、剣聖と名高かった魔剣士リアム・ゲイブリエルである。
アイザック誘拐事件時にはディトー3体をぶった切り、双子襲撃事件時には裏グループを薙ぎ払った事は、スタンレイの歴史に名を刻んでいる。当時のステラの年齢は6歳。「恐るべし幼児」と騎士団の回顧録にも記載が残っている。
更にステラは魔力量も膨大で、術式展開もせずに息を吸うように魔法を使用してしまうことから、侯爵夫妻とアイザックはステラに対しある危機感を持った。
「剣と魔法の両方をその身に備えたスタンレイの養女」ともなれば、騎士団も魔法師団もステラをほおっておくことは絶対なく、悪ければ幼少の頃から、奪われてしまうかもしれない。と。
その事態を重く見た、主にアイザックが主導権を握り、スタンレイ家発信でステラの剣術と魔法の能力は「ほどほどの実力」ということにして今まで隠しきってきた。これによりセオドアを含めた王宮もその他主だった機関も、それを真実として認識してくれた。
アイザックが諦めたように、小さくため息を吐いた。
「最初からお前が負けるとはまったく思っていない。セオに会わせたくなかっただけだ。お前が減る」
「―――減るって」
言い方が凄い………。何と返して良いかわからん回答を貰ってしまった。
そうこうしているうちに、本命がいらっしゃいました。
王子殿下、満面の笑みでのご入場です。
後ろに護衛として控えるレオ叔父上の苦笑いが、この一芝居に彼も加担していることを示しています。
流石のスタンレイ一家とそのスタッフ。
報連相が完璧です。
「ステラ、やっと会えて本当に嬉しい。髪を結った騎士服の君を見るのは初めてだけれど、いつにもまして美しいな。君に会うのに一週間も時間が掛かってしまったが、なんとか説得は出来たんだね。俺との婚約を、ついに決めてくれたと思うと、本当に嬉しいよ」
何言ってんだ………?
変なものでも食べさせたのだろうか、セオが壊れている………。
ここまでお馬鹿な方ではないはずなのに、一体何が彼をここまで変えてしまったのか。
自分への本気の恋心によるものだなど、まったく気付かないステラは、セオドアの言葉に口をへの字に曲げることしか出来なかった。
セオの護衛部隊に紛れ込ませている、スタンレイの影にステラが視線を流すと軽いブロックサインで状況を知らしてくれた。
何々?王子殿下、と、結婚を家族に反対、されて。
うん?王子と結婚したくて、負ける気だと思ってる。って?
誰が?
私が―――?
あり得なさすぎる。
思い込みもここまでくると凄いな。
隣に立つ兄上も、呆れ返って何も言えない模様です。
「さあ、ステラ!勝負を始めよう!俺は本気で行くからね!ステラも本気でかかって来て!」
まんまとスタンレイの術中に落ちてますね王子。
私が本気でかかったら、貴方を殺ってしまいます。
これは正々堂々と王子に王宮に帰還してもらうために用意した、セオドア殿下の為の舞台です。この場にいるセオの側近を除く全員が、この出来レースの結果を知りながら、この舞台を見に来た野次馬です。
「セオ、決闘の宣言書にサインはしたのか?」
最高のタイミングで父上がセオに声を掛けた。
「ああ!この通り!俺の名を記載し、印綬も押した。レオ、ウィリアム叔父上に渡してくれ」
「お預かりいたします。殿下」
レオ叔父上もこちらの陣営です。
今にも大笑いしそうな顔を一生懸命に歯を噛みしめて耐えているのが、丸わかりです叔父上。そんなに肩を震わせると、セオにバレますよ。
宣言書には「この勝負に負けたら一生ステラには言い寄りません」という言葉をとても高度で高貴な文章で書き連ねてある。宣言書作成に立ち会ったので知っている。
ほとんど「一生ステラの前には立ちません」位の事が書いてあるのに、本当にいいんだね、セオ。
宣言書がレオ叔父上から父上に渡るのを見届けて、兄上がほっとしたように肩を抱いて、耳元に顔を寄せてきた。
「これであとはお前がセオを潰すだけだ」
「潰したらまずいだろう。王子だぞ」
二人して小さく笑うと、セオが剣を構えて剣先を兄上に向けた。
「どけ!アイザック!!お前がステラにひっつけるのは、今日までだ!!」
「お前は今日限り、ステラの前には立てないからな。覚えておけ」
王子殿下がきゃんきゃんアイザックに吠えているのにかまわず、ステラはネイトから模造剣を受け取り右手で構えた。
ステラの本来の利き手は、左である。
「準備は宜しいですか、殿下?この勝負は、模造剣での勝負で、1本とった方が勝ちとなります。そろそろ始めさせて頂けますか。私はお腹が空きました」
「わ、わかった。いつでもいいぞ。ああ、ステラには悪いが今回は身体強化魔法の使用は禁止でいいかな?筋力が倍になったら、女性では結構な腕前と聞く君ならば、打ち合いが長くなってしまうかもしれない。早く終わらせて、一緒に昼食を取ろう」
セオドアのこの言葉に、アイザックと侯爵夫妻は失笑し、練兵場に会したスタンレイに属する者達は、皆一様に言葉を無くした。
「お嬢。女性では結構な腕前なんですね。人類史上ではないんですね」
腹がよじれる。と息も絶え絶えに今にも吹き出しそうな笑いを抑えるネイトの頭を、ステラは模造剣の剣先で叩いてからセオドアに向き直った。
「まあまあの腕ですよ。どうぞ。初手はお譲りします」
「よし!行くぞ!ケガはさせないからな!」
この決闘においての主人公二人を囲む外周に並び立ち、ウィリアム、アイザック、レオナルド、クザンの4人は、お互いにしか届かない読唇をさせない口先だけの声で、立ち合いの検証を行っていた。
「セオのやつ、真面目に剣術指南受けてるのか?ステラの立ち姿で引かないとは。ある程度のレベルがあるならすぐに実力差に気付くだろうに」
やれやれと項垂れるウィリアムに、レオナルドは首を傾げた。
「ほどほどに揉んではやっているんだが……。ステラとの婚約って餌に舞い上がりすぎてるんじゃ」
「レオナルド様。もうちょっと厳しく指南された方が良いかと存じます。あれでは―――」
クザンの言葉に、アイザックの声が割って入る。
「ステラの一撃で終わりだな」
上段の構えからのセオドアの一撃を、右手一本で握った剣を横に滑らしステラがいなす。
セオドアのやさしさからステラの手を痛めないようにとの、威力のない一撃だとはわかる。わかるが、これは、剣術指南を受けているのか?と問いたくなるほどに、予想を超えた、下手くそだ。
ステラは一本受けただけで呆れ返ってしまった。
当初はセオドアのプライドを傷つけない程度に、本来のステラの腕がバレないようなすれすれのラインで勝つ予定ではいた。
だが、それは、セオドアの為にならないと、このへなちょこの剣を受けながら考える。
「ス、ステラ!―――本当に、強いんだっ?!」
両目瞑ってでも相手が出来そうだ。
右に左に、剣を打ち込んでくるが、それがどうした?と聞きたくなる。体幹が弱いのか、バランスがばらばらで、力の伝導が剣にまったく伝わっていない。
これは今後の王国の為にも、本当にコテンパンにしてやらねばいけないらしい。
防御一辺倒だったステラが、ギンっ!と、セオドアの剣を払いのけた。
セオドアの足がよろめく。
「え?」
「本気で打ち込んで来て下さい。私は左足はこのまま固定し、右足と右手だけでお相手します。あと」
ステラは足先で直径1メートルほどの円を地面に描いた。
「この中から出ないで対応します」
「はあ?」
「悔しかったら、私をこの円から出ざるを得ないような攻撃をしてください」
「―――どういう」
「はい。どうぞ」
ステラはついに構える事すら放棄し、右手に持った模造剣を地面に向けた。完全なノーガードである
「ケガしても知らないよ?!」
流石に馬鹿にされたことに気付いたのか、セオドアが剣を振り上げ刃先を横にしステラの体に打撃を与えようとするが、瞬間、ステラの剣がそれを撥ね退ける。
「右ががら空きです」
がつん!と柄でセオドアの右肩を打ち付ける。
「左足、重心が入ってません」
剣の腹でセオドアの腿を打つ。
「はい。上、下、次右、肩が抜けてます」
「え、え、あああ、あ!」
がきん!と鋼がぶつかり合う音がして、セオドアの模造剣が空に飛んだ。
「い―――」
手首を捻ったのか、剣を握っていた右手首を抑えて、セオドアが膝をついた。
知らずうちに視線が、地面に向かう。
セオドアがその時目にしたのは、先刻ステラが足先で描いた円だ。
左足を固定すると言ったステラだったが、右足も動かすことはなく、両足共に最初に立った位置から動いている跡はなかった。
「はあはあ…………」
息が上がっているセオドアに対し、ステラは小さく息をついて涼しい顔で手を伸ばした。
勝負はついた。
これで静かになると良いな。
ひとまずお腹が空いた、肉食いたい。とステラが思った瞬間だった。
二人を囲んだ外周より更に外側から、聞きなれない絹を割くような悲鳴が練兵場に響き渡った。
誰もが声の方向に振り返った。
この場に居るはずのない、居てはいけない、スタンレイの敵がそこに立ち尽くしていた。
クレセント侯爵家令嬢ビアトリス・ベラ・クレセント。
この決闘の真なる最初のきっかけを作った元凶。
王城夜会でステラに喧嘩を打った5家の令嬢の筆頭たる彼女は、全身の血を顔に集めたように真っ赤な顔で、ただひたすらにステラを睨みつけていた。