16:侯爵閣下の涙
どうやら一連の騒ぎは、全部見られていたようだ。
その驚きの目を見たらわかる。
「「父上!兄上!!」」
双子が半べそを搔きながら、侯爵とアイザックにダッシュで走り寄っていく。
つい先刻まで、森から突然現れた暴漢プラス謎の乱戦を傍観するしかなく、狙われたのも命の危機にあったのも自分達だと、やっと理解したのだろう。
「「おかえりは、明日と聞いていました!」」
でも明日ではなく、今ここに居てくれて嬉しいと、双子がわんわん泣いている。
自分達を守ってくれる父兄の姿を見つけたとたん、その危機を回避できたと緊張が緩むのもわかる。
膝をつき双子を腕の中に受け止める侯爵だが、その目は、瞬きもせずにステラを凝視してくる。
ええ。言いたいことはわかります。
「お前は一体何者だ?」ですよね?
これは、早々にこの場を去った方が良さそうだ。
森の中の脅威はもう去った。
ひとまず、一か月位世話になったツケはこれで払えたのではないだろうか?
身体を反転させようとした瞬間、それは許さんとばかりに、ステラの右手はがっつりとネイトに掴まれた。
握られた手にギュッと力が込められ、ネイトの手が「逃がさんぞ」と言ってくる。
そのままネイトに手を引かれ、ステラはスタンレイ一家の輪の中に引っ張り込まれた。
「泳がせた分はありましたかね、閣下?」
「予想以上の結果だが、生け捕りの功績は」
「お嬢ですよ。俺は、坊っちゃん達のガードをしてただけで―――」
びし!という音と共に、ネイトと繋いだ手に手刀が入った。
「―――若様………」
アイザックの手刀はネイトの手にのみ狙いすまして入っており、結構な痛みがあったのかネイトは無事な方の手でそこをわざとらしくさすってみせた。
自由になった手をステラが引こうとしたが、間髪入れずアイザックの手に握りこまれる。こちらも負けじとぎゅっと力が込められて、暗青色の深いサファイアの瞳がステラの顔を覗き込んできた。
「すまなかった。残りの組織のあぶり出しに、王宮の協力もあって父上達と罠を撒くため邸を離れた。父上と僕が離れたら動くと思ったが、これは想定外だった」
「―――弟を餌にしたのか?」
「どちらかというと、ステラだったんだけど、魔王の噂は存外真実と捉えられていて、弟達にターゲットが移ったようだ」
そんなことを言いながら、爽やかに笑わないで欲しい。
餌にされたとか、魔王の話が真実化しているとか、本人に伝えてはダメでしょう。
「………じゃあ、ここん家の問題は片付いたんだろう?森に帰っていいな?」
「ダメに決まっているだろう。ところでステラ、この惨上は?」
つないだ手の反対側、手にした剣ごと左手もアイザックに掴まれ、両腕を広げられる。と、くるりと体を回される。ダンスでも踊らされている位の優雅さである。
全身くまなく見られた………。
アイザックが言わんとしていることは、わかる。
わかるが………。そこは見なかったことにして貰えないだろうか?
「どうしてこんなに汚れているんだ?」
「―――乱戦だったから……」
「その汚れじゃない」
やはり、そこですか。
こっちは話しても良いのですが、あちらは良くないらしいですよ。お兄様。
こちらの会話が聞こえているらしい双子が、侯爵の腕の中でびくり!と体を震わした。
「まあまあ、若様。お嬢は確かにヤバい所に突っ込まれてすごい感じに仕上がってるので、若様の手を汚すわけにはいかんのです。俺が運びますよ」
ステラはネイトにひょいと抱き上げられて、助かったのか、かえってまずいことになったのか考察する。
どう考えてもこれは……。
「ヤバイ所ってなんだ、それにさっきから聞いていれば、『お嬢』って呼び名は一体何なんだ、ネイト」
アイザック様がお怒りです。
「お嬢はお嬢です。俺をお嬢に付けたのは若様デスよね?好きに呼ばせてもらいます。お嬢の汚れ具合に関しては、ご次男様とご三男様にお聞きください。お嬢は俺がお邸までお連れしますんで」
はっはっは。と朗らかに笑ってるがネイト。どんだけわざと「お嬢」を連発し火種に燃料を投下しまくるのだ?
ステラはとっさに火消しに走る。
「馬場横を歩いている時に、不穏な気配を感じて―――注意を怠ったオレが悪いだけだ。普通だったら躱せたんだが―――」
「何を?」
わあ。その顔。
笑顔なのに怒りまくっているのが凄くわかる。
お貴族様の顔芸は、庶民の理解を軽く超えてくる。
こうなってはもう、何をどう繕っても双子を援護することは出来ないことを察し、ステラは心の中で信じたこともない神様に「双子が無事ですみますように」と祈りを捧げた。
「イーサン、ネイサン」
地獄の使者みたいなアイザックの声に、双子は侯爵の腕を瞬時に抜けて、邸に向かい一目散に逃げだした。
風魔法を使用しての脱兎の速さである。
「―――簡潔に報告しろ、ネイト」
「双子様が風魔法ぶっ放して、馬糞堆肥溜めにお嬢を埋めて放置。邸中の家人に根回しの上、若様不在の間に完全にお嬢を消す計画でした。裏は取ってます」
「―――詳細は後で聞く。ひとまずステラは不本意だがお前に預ける。呼び方は―――後でケリをつける。黒王」
いつの間に寄ってきていたのか、ネイトに抱き上げられたステラに鼻面を擦り寄せていた黒王は、本来の主であるアイザックに名を呼ばれ不精気味に馬首を向けた。
まだステラに未練がありありな様子の黒王に、アイザックは「僕もだ」とため息交じりに跨るとステラを見下ろした。
「捕まえて、きちんと詫びさせる。酷い目に遭わせて本当にすまなかったステラ。ネイト、逃がすなよ」
「がってん承知デス」
逃がすな。との恐ろしいお言葉を残し、颯爽と黒馬に跨った王子様が退場なされました。
ネイトもそこを承知しないでもらいたい。
「ネイト。降ろしてくれるか?」
「嫌ですね。降ろしたら、逃げるでしょ、お嬢」
「逃げるに決まってるデショ」
やっぱり。とケラケラ笑うネイトの腕からどう抜け出すか考えていたら、すぐ前にアイザックの顔があった。
正しくは、アイザックが年を重ねて大人になったらこんな顔。という顔の侯爵閣下がステラをじっと覗き込んでいる。
人殺しの技をどこで会得したのか。
その方向の質問を受けるのだろうと、ステラはどう答えたものか内心身構えたものの、侯爵の問いはそれではなかった。
「雷を宿した―――剣を、君のその剣を、見せてもらっていいかい?」
ウィリアムは震える手をステラに伸ばしてきたが、正直どうして良いかステラは迷った。
剣は我が身を守るもの。
『剣士たるもの、命と同意の剣をこの身から離すことはまかりならん』と、師匠から叩き込まれている。
それに、この家にはそれなりに自分に良くしてくれる人達はいるが、ステラが今ここで信用出来るのは、アイザックとアイザックのお母さんだけだ。
悪いが侯爵は―――。
「剣士たるもの、命と同意の剣を身から離すことまかりならん。かな?」
「何故………その言葉を、侯爵様が」
「私の、大切な親友が―――頑固でね、いつも、そう言ってよっぽど機嫌が良くないと、彼の命より大切な剣には、触らせて―――貰えなかった………君が抜いて、見せてくれるだけで」
侯爵の言葉を最後まで聞かずに、ステラは鞘ごと大切な師匠の剣を、彼の目の前に差し出した。
アイザックより幾分明るい暗青色い目が、驚きに見開かれる。
「―――いいのかい?」
ステラの大切な師匠の剣に敬意を払ってくれた侯爵。
きっと大切な親友はもうこの世にいないであろうことは、彼の悲しみと悼みの心を映した瞳を見れば、わかる。
師匠が最後に残した言葉は、2つあった。
ひとつは、自分の命をステラに繋げられて良かった。ということ。
もうひとつは、自分の大切だった友に、自分は最後まで自分らしく自分の信念を持って生きた。と伝えて欲しい。との伝言。
師匠が、伝えてくれと願った人が、もしかしたら侯爵かもしれないと、ステラは思ってしまった。
理由はわからない。
だけれども、そうであればいい。と願いを込めて、師匠の剣を、ステラは侯爵に手渡した。
無言で剣を両手で受け取る侯爵の手は、震えていた。
震える右手で、静かにゆっくりと鞘から剣を抜き出して、柄に近い刀身に彫られた小さな文字を見つけ、侯爵は声を詰まらせた。
「―――リアムの剣」
侯爵閣下の目から大粒の涙が落ちた。