13:王子様から避難します
ステイビア王国は王を君主とし、憲法を遵守する立憲君主制国家である。
現王家は国を興した初代王の血脈を現代に繋げ、長子存続を良しとしない、実力主義で知られている。
長子であっても、能力、実力が伴わないと、王太子にはなることは叶わず、更には、議会の承認がなければ立太子の儀礼を受けることはできない。
王太子宣下の議会承認には、婚約者を伴うことが義務付けられている。
未来の王妃の能力と家格も王太子の条件と謳われてはいるものの、実の所は、王の伴侶に国を傾けられては堪らない。と法で定められた第一関門。
このように婚約者選定は王家にとり、最重要案件であるのだ。
王家には現在、王子の名を冠するものが2名いるが、これがまた今までにない問題を生んでいる。
第一王子のセオドア・ワイアットは、現王クリストファー・ダニエルの実子であり、能力と実力は議会にも認められている。
対する、第二王子のデイビット・イアンは、クリストファー王の兄で王太子争いに負けた故フィリップ・ヘイデン大公の子であるが、クリストファー王が養子としたため第二王子を名乗っている。彼には、亡きフィリップ・ヘイデンを王にと画策した、立憲君主制から王制への転覆を狙う「旧ヘイデン大公派閥」が付いており、彼らは長子存続を叫び、フィリップの血を持つデイビットこそ、次代の王太子に立志するべきと日増しに声を大きくしている。
この「旧ヘイデン大公派閥」こそ、幼いアイザックを誘拐殺害しようとした真なる黒幕だ。
スタンレイは大公家創立前の現王の王太子争いで、長子のフィリップではなく次子のクリストファーの後ろ盾となり、更にはある理由から、ヘイデン大公家を取り潰した過去がある。「旧ヘイデン大公派閥」から恨まれる理由には事欠かない。
彼らはスタンレイの力を削ぎ、王権をデイビットに戻すために、このところ表も裏も両面での行動を現し始めた。
そんな時勢のさなかに、これである。
「想像以上の大荒れですね」
「ははは」
クザンの呆れ声に、ウィリアムは乾いた笑いを零した。
スタンレイ邸の優雅なダイニングは氷瀑祭り会場へと変貌していた。
その中心には、ウィリアムの弟と長男、そして親友の息子が居る。
氷と風の魔法が、ダイニングに吹き荒れて、まるで真冬のブリザードの真っ只中だ。
「王子殿下」
常日頃のウィリアムであれば、親友クリストファーの息子であるセオドアのことは、親愛を込めて「セオ」と呼ぶ。
その彼が他人の居ないこのスタンレイ邸で「王子殿下」と呼び掛ける時は、大変危険度が高い事を、セオドアは子供の頃からの刷り込みで知っている。
「―――はい!」
「王宮へお戻りください。間もなく陛下より迎えの使者が到着致します」
「ウィリアム叔父上!俺は、本気で―――っ、ステラに会わせてください!」
生まれた時から知るセオドアのいつもの「叔父上」呼びに、ウィリアムが相好を崩しいつもの表情と口調に戻る。
「気持ちをわからんではないが、今は帰るんだセオ。時勢を読めないお前ではないだろう」
「―――わかっては、います。………だからこそ」
アイザックと取っ組み合いの姿勢で、彼の胸倉を掴んでいたセオはその手を放し、所在投げに立ち尽くした。
幼馴染のそんな姿にアイザックは息を一つついて、ウィリアムの隣に並んだ。
「いいか?レオも聞け、ステラは、私の大切な娘だ。政略の駒にする気はないし、政略狙いの者になんか絶対に嫁には出さんし、ステラの望まぬ婚姻を進める気もない。お前たちがステラを手に入れる事が出来る手段は、ただひとつだ」
ウィリアムの言葉に、レオナルドとセオドアの目つきが変わる。
父親のステラに対する真意を知るアイザックは、冷酷な青い目で二人を射るように睨みつけた。
「ステラを自分に惚れさせることだ」
◇◇◇
スタンレイ家別邸は、敷地内西側にある湖の中央に浮かぶ島に建つ、隠れ家の様な邸だ。
生い茂る木々の中に建つ白亜の邸宅には、スタンレイ当主である現侯爵の許可を得た人間しか立ち入ることはできない。
そもそも、この湖には船着き場すらない。
船がないのなら泳げばいい。と言うものもいるが、それも不可能である。
湖には魔法陣が敷かれ、水に触れるだけで、氷の彫像が出来上がる。空を飛ぶ以外、相当の手練れな間者ですらもこの島に踏み込む事は出来ない。
スタンレイで一番難攻不落といわれる小さな城。
その城のサンルームで、湖の一番美しい風景を見渡していたクロエが、優雅に扉を振り返った。
「ここに馬を駆って渡って来るのは、お祖父様とアイザックとあなたの3人位ね、ステラ」
「コツを覚えれば母上もいけますよ。な、ネイト?」
「自分は、お嬢と一緒じゃないと無理です。単騎なら凍って死にマス」
本当に死ぬかと思った。としゃがみ込むネイトの肩をぽん。と一つ労って、ステラはクロエに近寄ると親愛のキスを彼女の頬に落とした。
「面倒を掛けてすみません。母上」
「悪いのは王家のお馬鹿さんよ。うちの娘が魅力的でも言って良い事と、悪い事があるの。ウィルが陛下と話をつけたから、もう大丈夫。お馬鹿さんがうちの領地を出るまで一緒にここにいましょうね、ステラ」
コロコロと鈴を転がす様に笑ってクロエが続ける。
「久しぶりにステラと一緒に水入らずで居られる状況を作った事だけは、褒めてあげてもいいわね。お茶にしましょう」
「はい」
大好きな母の隣の席に着き、ステラは自分の好物の菓子ばかりが並ぶテーブルを見て嬉しそうに笑った。
『ステラを婚約者有力候補として王太子となることを宣言する』
心無い令嬢達の仕打ちで姿を消したステラへの擁護から、セオが王宮夜会の終盤で言ったらしい無責任な一言。擁護なんてものでは無く、迷惑以外の何ものでもない。まさにステラにとっては青天の霹靂で受託する気など全くない。
セオの事は嫌いではないが、兄上の幼馴染でうちによく遊びに来るもう一人の兄的感覚でしかない。だが次代の王太子が関わってくるとなると、自分一人の判断だけでは、スタンレイに迷惑が及ぶ。
『わかりました。今度こそ家を出ます』
と、作戦本部で話したのだが、兄上と父上母上にはその場で完全却下の厳命を受けた。
セオの世迷言を潰す為に、作戦本部を開設し、ほぼ全ての根回しと対策立案は終了したので安心しなさい。と目の下にクマを飼った父上に力強く諭され、あの迫力には頷くしかなかった。
「ステラを王家に渡すなんてありえないのに、セオも大博打を打ったわね。うちの男どもに勝てる見込みなんてないのに、ね?」
「「ないですね」」
何故かちゃっかりテーブルに着き、ティーカップに口を付ける双子がここにいる。
「ステラを嫁にしたいなど、我ら4兄弟に勝ってから言って欲しいものです」
ステラの左隣に座る、次男イーサンがオレンジ味のマカロンを口に放り込みながら言う。
「そもそも、嫁に出す気などないですが」
ステラの右隣に座る、三男ネイサンがオレンジピールのチョコレートを齧りながら続く。
相変わらず二人ともオレンジ関連のお菓子に目がないようだ。自分の好物でもあるので、早く食べないと二人に全部食べられてしまう。
ステラから遅れること半時、本邸からの秘密通路を使い、双子はサンルームに現れた。
ステラを見つけるなり、夜会でのハニートラップで離れてしまったことを詫び、抱きつかれた。
「二人共、女子供に手を挙げないのは紳士として褒められるけど、小娘達に攻撃のチャンスを与えたことは、許されないわよ」
「「はい。兄上からも厳重注意を頂きました」」
「今後はアイザックを見習いなさい。あの子は要らぬ羽虫はひと睨みで排除するから」
羽虫って………それはそれで、問題ではないでしょうか?母上………。
「でも、あなた達も大人になったわね。最初はステラを『きったないの』扱いだったのに。ねえ、ネイト?」
「自分は、クザン隊長と一緒に『捨ててこい』と言われましたね」
「「ネイト!!」」
このくだりもよく聞いたフレーズだったなあ。とステラは昔を思い出しながら紅茶を飲み干す。
「そんな可愛げないあなた達がねーーー」
「「ーーー母上、もうそろそろお許し下さい」」
真っ赤になって顔を下げる二人を、扉前で控えているネイトが口を押さえ肩を震わせ笑うのを我慢している。
ステラを最初にスタンレイに招いたのは、アイザック。
留めたのは、ジョシュア。
スタンレイに入ることになった決定打を決めたのは、間違いなく、イーサンとネイサンだ。
「懐かしいな」とぽつりと呟き、ステラは柔らかく笑んだ。
師匠がくれた縁。
それが、間違いなく今の自分を作っている。
アイザック、イーサン、ネイサン、ジョシュア。
4人の兄弟がスタンレイに揃わなければ、ウィリアムがスタンレイの当主でなければ、クロエがいなければ、自分は一体どんな人生を送ることなっていたことか。
「「「ステラ?」」」
3人に同時に名を呼ばれ、ステラは花が綻ぶように綺麗に笑った。
「もう、10年になるんだな。ーーーあの頃のツケは、いつ返してくれるのかな。『竜顔賜りしスタンレイの小侯爵であられる御次男イーサン・ワイアット様、御三男ネイサン・ヴィクトル様』?」
女神の微笑みの直撃を浴び、双子は全身の血を集めたように真っ赤になり、テーブルに顔から突っ伏し、それを聞いたクロエが更にコロコロと楽し気に笑う。
10年前の「もう一つの事件」の中心にいた双子。
あの頃のイーサンとネイサンは、ステラをいじめ抜いて、スタンレイから追い出すことにのみ心血を注ぎ、『竜顔の―――』のくだりをつけて自分たちを呼べ。とステラに強要していた黒歴史があるのだ。