102:じゃじゃ馬姫
私だけ隔離された?
暗闇の中に一人囚われ、振り向いた先に、会いたくもない金瞳が居た。心底勘弁して欲しいと、ステラは眉を寄せ、相手を睨みつける。
レティシアの悋気を使い、私の嫉妬を誘発し接触したのだろうが、これしきの事で私の心を闇に堕とすことが出来るだなんて、さすがに考えてはいないだろう。盤上で駒を動かしているはずの金瞳が今、自分を闇に取り込み姿を見せる狙いが、ステラには読めなかった。
こんなに簡単に自分を闇に取り込めるのだとしたら、このような面倒な舞台を用意せずとも、とっとと私だけ呼びつければいい。不要な駒も使わず、兄上も皆を巻き込まず、早いところ自分と命がけの勝負をして欲しいものである。こんなことを考えていることがバレたら、兄上にはお説教を喰らうのが目に見えているが……。
「――私だけを隔離した、お前の狙いは、なんだ? 金瞳」
やっぱり、私だけを自分の元に連れて行く気なのだろうか? じりっと金瞳と距離を取ろうとするステラを見つめ、金瞳が静かに微笑む。過去の自分の記憶にもない、穏やかな、笑みだ。
あれ? とステラの中に違和感が生まれる。
金瞳が、こんな風に微笑む姿など、見たことがなかったからだ。
「俺のステラスタ。君の心に落ちた嫉妬という黒点が、王宮に染みを残す闇と繋がり、やっと……逢えた……」
金瞳の姿が、ゆらりと霞み、近付いてくる。
これは――自分の知る金瞳でも、異常世界の中の金瞳とも違う、と、ステラはぱちりと瞬き、剣を構えて防御の姿勢をとった。
幼い頃に魔の森で対峙した金瞳は実体で、異常世界の中の金瞳も実体に近く、でも、確かに金瞳はそこにいた。だけれど、今、目の前にいる金瞳は、姿は同じだが――いや、金瞳の姿を纏った、別人の様な印象を受ける。
「ステラスタ」と自分を呼び掛ける声は、金瞳のモノなのに、何かが、違う。
声の、響きが違う。
声の中に、私を思う、心が見える。
目の前の男は、「俺のステラスタ」と自分を呼んだ。
『俺のステラスタ』
自分が幼い頃……そうやって名を呼んでくれた、やさしい人が、ひとりだけいた。ステラはそれに気付いて、これ以上開かないほどに目を見開いた。
心の中に「まさか」という言葉が鳴り響く。
心臓が恐ろしいほどに脈動し、全身を流れる血が、鼓膜を打ち続ける。
金瞳の姿をした金瞳でないモノが、ステラの目前まで進みより、少しだけ顎を引いて、緩やかに口角を上げた。
いつものシニカルな金瞳の笑みではない。
知っている。この笑みを……この癖を……。
自分は、一瞬たりとも、忘れたことはないから。
ステラの指先が震えだした。両手で握るリアムの剣にもその振動が伝わり、震えだす全身を叱咤して、ステラは、金瞳の姿をしたモノの双眼を見上げ、祈るように覗き込んだ。
自分だけを見つめるその眼差しは、瞳の中に輝く穏やかな光は、金瞳のものでは、ない。
その優しさを、知っている。
誰よりも、私は、知っているんだ。
息もつけずに目も見開いて、瞬きも出来ずに茫然と見つめるしかないステラに向かい、金瞳の姿をした違う存在が、嬉しそうに破顔した。
「流石だな。外見はコレなのに、俺が金瞳でないことに気付いたか。ずっと、ずっと……この時が来るのを、ここで待っていた、ステラ」
とんっと人差し指でステラの胸を小突き、金瞳の姿をしたモノが笑う。
ステラのアメジストの瞳に光が走り、溢れる涙は、真珠が零れ落ちるようにその頬を伝わり落ちた。
「……ど、して……そんな、姿で……?」
「姿を作る元素がこれしかなくって仕方がなかった。ステラが、俺との思い出の欠片をくれたら元通りに―――」
目の前が涙で霞んで何も見えない。
ステラはもう何も考えられなくなって、大粒の涙を零しながら、目の前の相手にしがみ付いた。
「―――っ師匠……!」
「俺のステラスタ……。男共をなぎ倒す、腕っぷしのいいカッコいい女になったな……」
この世にたったひとつの大切な光を、ぎゅうっと抱き締めるリアムの腕が、躰が、薄い光を帯びて変化してゆく。金瞳の白い髪は、柔らかく輝く栗色に、金瞳の象徴といえる金色の目は、光が透けるアメジストに――。着こんでいた外套を脱ぎ捨てるように、金瞳の姿をしたモノが、ステラの愛した大切な師匠ーリアムーの姿に変貌した。
「……師……匠!!」
「逢いたかったよ、ステラ……。ずっと……ずっと待ってた。俺の大切な娘を抱き締める、この時を……」
リアムの紫水晶の瞳にも、涙が溢れていた。この世の中で、自らの命よりも世界よりも大切な、ただ一人の娘を抱き締めて、リアムはステラの銀の髪に顔を埋めた。
「……ずっと……ステラと一緒にいた。でも、こうして抱き締めることは出来なくて、ツラかったなあ」
「ずっ、と?」
ステラは涙でぐちゃぐちゃになった顔を隠しもせずに、父親の腕の中で泣きじゃくる幼子の様に、嗚咽を漏らしながら顔を上げ、リアムを見上げた。
「うん。俺は、ずっとステラと一緒にいた。剣に、俺はいたんだよ」
泣きじゃくりながらも、決してその手から離さないリアムの剣に、前の主人であるリアムがそっと触れた。
「ずっと、一緒にいた。ステラが悲しんでいる時も、新しい家族と出会えた時も、ずっと、ずっとだ」
「―――し、しょう」
もう、言葉なんて何の意味もない。
師匠が、ここにいる。自分を抱き締めてくれる、温めてくれる、声を、聞かせてくれる。
ステラのアメジストの双眼から、止まることなく流れ出る綺麗な涙を唇で吸い取って、リアムはステラを見つめて嬉しそうに微笑んだ。
「ずっと……剣を大切にしてくれてありがとう、ステラ。お前が俺を、俺の魂を掬い上げて、俺の魂と心を剣に留めさせてくれたんだ。だから、ずっと、一緒にいれた……。ステラを抱き締める躰がないことだけが難点だったが、お前の成長を一番傍で見守ることができて、俺は、幸せだった」
今もな。と続けて、これ以上の幸せはないと笑うリアムに、ステラはしがみ付くことしかできなかった。どれだけ逢いたかったか知れない。どれだけ、この温もりに包まれたいと願ったか知れない。自分をこの世界に生かしてくれた、何よりも大切な父の胸の中に、ステラは溺れた。
「……ど、して、ここに―――? なん、で、金瞳に」
「金瞳と魔女に……昔、嵌められてさ。おかしな空間の処刑部屋に突っ込まれた事があったんだが、その時に残しておいた俺の残留思念が、いい仕事をしてくれた」
ちゅっと泣き止まない幼子にするみたいにステラの額にキスを落とし、リアムがニッコリと笑った。
「もともとは、金瞳と魔女への備えのつもりだったんだが。ステラが俺が潜む闇に触れてくれて、俺の残留思念を目覚めさせてくれた。それはラッキーだったんだけど……。形をとるのに、ココの元素を搔き集めたら、金瞳のしかなくってさ。驚くとは思ったが、俺のステラなら、きっと気付くと思っていた。どうだ? 若い頃の俺は結構いい男だろう?」
自分の記憶の中に残る師匠は、色のない生気もない白髪で、躰は病魔に侵されてガリガリのボロボロだった。でも、今の師匠は、年のころで行けば、レオ伯父上に似た年代に見えるほど若々しくて、生き生きしていて、そして……腹の色が黒く透けて見える。
「――師匠。その顔は……すべての借りを一括で返す気だな?」
「流石は俺のステラ、理解が早いな。よしステラ。売られた喧嘩は?」
「……買う」
「ヤラれたことは?」
「……100倍返し」
「良くできました!」
流石は俺のステラ! っとぐりぐりと頭を擦り付けて来るリアムに、遂にステラの涙は引っ込んで、その代わりに笑いが湧き上がってきた。
「得体のしれない存在になっても、師匠は師匠だな」
「当たり前だ。我ながら今の状態を何と称していいかわからんが、俺は俺でしかないからな。さてステラ。一緒に100倍返しに戻ろうか。まずは、我が愛しの娘に喧嘩を売ってきた、魔女の娘から血祭りと行こうか」
自分を抱き締めたまま、すいっと視線を流すリアムの目線をステラが追う。暗闇の向こう、薄く浮かび上がって見えるさっきまでいた場所で、ウィスラーの小娘が、あろうことか兄上に唇を寄せていた。
「人の恋路を邪魔する者は、馬に蹴られても文句は言えない。さて、俺の大切なじゃじゃ馬姫はどうする?」
「そんなの、決まってるじゃないか師匠」
今すぐに―――蹴り飛ばしに行くに決まっている!




