101:お姫様の大妄想
「あなたと初めてお会いしたあの日のことを……わたくしは忘れたことはありません。アイザック様」
アイザックの胸に甘えるように頬を摺り寄せて、レティシアは頬を染める。
恋する乙女そのものの初々しさを表面上は見せながら、どろどろの暗闇の中に毒々しい花を咲かせるレティシアの笑みは、あざとさと妖艶さが入り交りとてつもなく禍々しい。
「あの時から、わたくしは、あなたを伴侶とすることを決めていました」
獲物に絡みつき締め上げながら、赤い舌を出す蛇のような禍々しく淫靡な笑みを浮かべ、レティシアは赤い唇を引き上げ、うっとりとアイザックを見上げる。
「アイザックが浮気? よし。大丈夫だ。ステラは俺が幸せにするからな!」
「殿下は引っ込んで下さい。ステラを幸せにするのは、叔父であり将来の伴侶たる私です」
レティシアの黒髪に四肢を絡め捕られながらも、ステラの伴侶に立候補するセオドアとレオナルドに、ネイサンが着衣のボタンを引きちぎり投げつける。
「セオ殿下もレオ叔父上も、的外れな事言わないでください。兄上亡き後、ステラを幸せにするのは僕ですからご心配なく!」
「……皆様、殺しても死にそうにないですね、って、お嬢?」
これだけの騒ぎの中で、ひとり動かないステラにネイトが駆け寄るが、レティシアは、自分の獲物ではない者になど興味はなく、歯牙にもかけない。
彼女の思考は今、自らの壮大な夢の中を揺蕩っており、すべてを手に入れた妄想の海に酔っていた。
美しく高位な肩書を持つ男たちを手に入れて、何よりも欲していた、この世にただひとりの宝石のような男が、やっと手に入った。
そう、あなたは、わたくしのモノ。
あれは、わたくしが5歳になったばかりの初夏のこと。両親と共に登城した王城の庭園で、色とりどりの薔薇の中に佇むあなたに、わたくしは目を奪われました。
白金の彫像の様に美しい男の子。
薔薇園の中心にある噴水で、第一王子のセオドア殿下と第二王子のデイビッド殿下が水遊びに興じているのを、子供らしくない冷たい目で見詰めるあなたは、わたくしの心を瞬時に奪いました。
わたくしの目には、もうあなたしか映らなかった。
白金の髪と同色の長いまつ毛に、瞳は暗青色の深いサファイア。
ああ、なんて美しい男の子なのだろう。
わたくしの隣に並べるにたる宝石を、わたくしはあの日見つけたのです。
いつもいつも、会う人会う人が、わたくしの美しさを褒め称える。
わたくしは美しさと知性を備えているだけでなく、血までも美しく高貴に満ちているので、わたくしが褒め称えられるのは至極当たり前と、お母様はわたくしを諭す。
――レティシア。あなたは、この王国で一番に高貴な血を持つ女の子なのです。
現王妃は王と婚姻を結んだだけでその席に座る、しがない伯爵家の出生であり、わたくしの持つ高貴な血には勝てないと、お母様はいつもわたくしを抱き上げながら教えてくれました。
――あなたは、何者よりも濃い王家の血を持ち生まれた、わたくしの宝物。わたくしの愛そのものなのです。
お母様は先王の第一子の王女であり、お父様は名門貴族家であるウィスラー公爵。
お父様の先代にも、王家から降嫁された王女の血が入っているため、わたくしの血はほとんど王族と言って遜色はなく、従兄である第一王子と第二王子に次いでの王位継承権すら、わたくしには与えられている。
この国で、わたくしに「否」と言えるものはいない。
5歳にして「美しき姫百合」と称えられるわたくしには、たったひとつだけ、足りないものがある事を、彼に出会った時に気付いたのです。
それは、わたくしの伴侶。
美しく高貴なわたくしの隣に並ぶにたる、宝石なような男は、王国中を探しても、アイザックしかいない。白金とサファイアに彩られた美しいアイザックだけが、わたくしの伴侶にふさわしい。
わたくしは、あの日、あなたを見つけました。
そして、あなたも、わたくしを見つけてくれたのでしょう?
だのに……あなたは、魔女に捕らわれてしまった。
いえ、魅入られてしまったと言った方がいいでしょうか?
誰とも知れない夜盗に、あなたが攫われ、命を脅かされたことは、わたくしも聞き及んでおります。きっと、わたくしと運命づけられたアイザックに嫉妬した輩が、わたくしを得ようと、あなたを亡きものとしようとしたのでしょう。
王城から領地に戻られるタイミングを狙われ、行方知れずとなったあなたの御身が救われるように、わたくしは身を賭して神に祈りました。
わたくしの祈りは神に届き、あなたは無事、戻って来られたけれど、
「あなたは魔の森で魔女に魅入られ、捕らわれて……その心を、無理やりに奪われておしまいになった……、ですが―――」
あなたは、わたくしを求めていらした。
「気付いておりました。あなたがわたくしをいつも目で追ってくれていたことを……。わたくしは知っています。魔女の魔法に掛けられても、わたくしへの愛は、消えなかったことを。わたくしを、いつも、求めていらしたのでしょう?」
まるで歌うようにうっとりとアイザックを見上げ目を緩めるレティシアに、アイザックは動かない。冷たく凍り付いたサファイアの瞳は驚愕に見開かれ、侮蔑の澱みが籠められていることを物ともせずに、レティシアは真っ直ぐにアイザックを見上げ、夢見るように言葉を続ける。
「わたくしも同じです。ずっとずっと……あなただけをお慕いしておりました。ウィスラーとスタンレイの長きに渡る確執の為、それを表に出すことは出来ませんでしたが、わたくしとあなたの想いは、いつも繋がっておりましたよね」
ふふっと微笑み、レティシアはもう一度アイザックの胸に甘えるように顔を埋めた。
「やっと、わたくしたちの想いはひとつになります。あなたが憂う、不要な厄災は、わたくしが祓って差し上げましたから」
レティシアに身を摺り寄せられるアイザックは、動かない。
普通であれば、一刀のもとに薙ぎ払うか、相手を一瞬にして氷漬けにするはずのアイザックが動かないのには―――理由があった。
「「……ア、アイザックが……固まってる」」
ギャラリーの見解は一致していた。
「……オヒメサマの妄言が酷すぎて、兄上の全身に寒イボが……。あまりのキモさに時が止まっていると見た」
「あまりのキモチワルサに全ての機能がストップしてますねえ。……若もお嬢も、一応人間だったんデスネ」
ネイサンとネイトの呆れ声に、レティシアの標本にされた男たちは、捕らわれの身の上である自分たちの状況も忘れ、生涯初お目見えのアイザックの見事な固まりっぷりを目に焼き付けていた。この後、免罪符として使えるだろう、アイザックの弱みを確実なモノとするために……。
『ステラ。アイザックがとってもおかしいよ。ねえ、ステラ?』
真白が動かないステラの袖を引く。けれど、ステラも動かない。アイザックがレティシアにすり寄られるその姿を見ているのに、ステラのアメジストの瞳には、周囲の全てが映ってはいなかった。小刻みに震えるステラの伸びた指が、ゆっくりと、爪が食い込むほどに握りしめられてゆく。
ステラの変化に気付いた真白が、アイザックを呼ぼうと顔を向けたその時、レティシアがアイザックの頬に手を添えて、ゆっくりと唇を寄せた。
「あなたは、わたくしのモノ。あんな薄汚れた人とも言えぬ女に、渡しはしません……」
レティシアからのステラへの侮蔑の言葉に、アイザックのスイッチがやっと入った。
「――世迷いごとの妄言よりも、許せん言葉を吐いたな」
アイザックの暗青色の深いサファイアの瞳が鈍く光り、レティシアの澱みのような波打つ黒髪が白く凍り付き粉々に砕けてゆく。
アイザックの怒りは深い。
大妄想に酔っていたレティシアが、恐怖のあまり唇を震わせ息を飲む。アイザックの剣が間違いなく自分の喉笛に降りて来るのが、彼女の目にも映ったからだ。
「アイザック様! 目を覚ましてください!! わたくしは―――」
「「アイザックッ! キモチワルイのはわかるが、待て~~~!!」」
今まさに、アイザックの剣によりレティシアの首が飛ぶっと、一同が目を瞑ったその時だった。
彗星のしっぽの様な軌跡で飛んできた真っ直ぐな足が、黒い淀みの本体であるレティシアを、一線の元に蹴り飛ばした。
骨が砕けてぼろぼろになりそうな衝撃音と共に、波打つ黒髪の中に弾け飛んで行くレティシアを瞬きもせずに見つめていたアイザックが、ゆっくりとその顔を背後に向けた。
青白い炎を全身から噴き出させているその人が、爛々と輝くアメジストの瞳で、アイザックを睨みつけた。




