10:兄上の爆弾宣言-エピソードⅡ
ステラは思いだす。
それは、アイザックに連れられて初めてスタンレイ家を訪れた夜半の事。
そろそろ眠ろうと就寝の準備を始めたのは、日付もとうに変わった真夜中だった。
アイザックの母親の急な陣痛と出産に邸内の誰もが右往左往する中、「ひとまず」と客間に一人放り込まれた。
「どうすれと?」と広い豪華な部屋の中でひとり腕を組み、次に考えたのは「逃げよう」だったが、襲い来る眠気にステラは勝つことが出来なかった。
少し眠ってから逃げよう。と結論は出たが、今度はどこで寝て良いかがわからない。
目の前には立派な客間の豪華なベッドがある。
こんなふわふわでキレイな寝具に、横になどなれるはずもない。
自分の知るベッドとは違いすぎる客間の寝台に「寝る」という選択肢がステラにはない。
更には今までの貧民街生活で危機管理能力が無駄に高い事もあって、寝床の選定は難しい。誰の目からも身を隠せて、相手の気配を見極めて眠れる場所を探し、ステラの眼鏡に適ったのは豪華な寝台の下。絶好の寝床を見つけたとばかりにすぐに潜り込んでみる。
寝台下は子供のステラにはほどほどに広い空間があり、ベッドカバーのお陰ですっかり身を隠すことが出来、なおかつ快適だ。
ここなら眠る事が出来そうだと、目を瞑った時、扉をノックする音が聞こえた。
「…………」
ステラは気配を消し、息を潜めた。
もう一度ノック音が聞こえて、続いて扉が開かれる音がする。
「ステラ?」
アイザックの声だ。
ここでアイザックに見つかると逃げることが難しくなるかもしれないので、隠れたままにしよう。気配も消しているし気付かれることは、きっとない。
そう決意したステラは息を殺して、アイザックが客間から出ていくのを待った。
待ったというのに、彼は出ていくどころかすたすたと迷いなくベッドに近付くとベットカバーを捲り上げた。
「どうしてそんな所で寝ているんだ?」
「………人の気配があるとダメというか、人前では寝れないんデス。どうして、ここに居るのがわかった?」
「ステラの気配はわかる」
なんだか、勝負に負けた感が凄い。
ステラはアイザックの手により、ずるずるとベッド下から引っ張り出された。
「人前で寝れないって言っても、魔の森のステラの秘密基地では僕がいても夜寝てただろう?」
「———アイザックはなんでか、大丈夫だった。師匠以外で初めてでちょっとびっくりしたが」
「ならいいな」
「なにが?」
問いには答えず、アイザックはベットの上にステラの小さな体を持ち上げ座らせた。
「今日は、一緒に寝よう」
「どうしてそうなる?」
「僕がステラと一緒にいたいから」
このお坊ちゃんは一体何を言い出すのかと、眉を寄せ怪訝な顔を向ける。
ステラのそんな顔にもまったくひるまず、アイザックは掛布を捲り枕を整えてステラの肩を小突いた。
ぽすん。と音を立てて枕に埋もれてしまう。
わあ、ふわふわで、なんて気持ち良いんだろう。
まるで雲に寝転んでるみたい。なんて子供らしい事を考えてしまっているステラの横にアイザックが掛布を掛けながら滑り込んでくる。
あまりの寝具の心地良さと、あまりに自然なアイザックの流れる様な動作に、気付けば並んで寝転んでる。
「なんで?」
「体がすっかり冷えてるな」
何が起きているか把握出来ず天蓋を見上げ呆けているステラを、それに全く構わないマイペースなアイザックは両手を伸ばして、柔らかく懐に抱き込んでくれた。
あたたかかった。
びっくりするよりもその心地よいあたたかさに、どうして良いかステラはわからなくなる。
こんなの知らない。
どうしたら良いのかわからず、身を離そうとするステラに気付き、抱き締める腕に力を込めてアイザックが呟いた。
「一緒に、いて。ステラ」
アイザックの手が、キレイに洗われて本来の色となったステラの銀の髪をするりと撫でてくる。
その手がまた優しくてあったかくて、アイザックの呟きの意味を勘違いしてしまいそうになる。
勘違いしてはいけない。
アイザックは誘拐され殺されかけて、やっと救出されたと思ったら胎児の魔力暴走が始まり、ついで母の陣痛出産立ち合い―――冷静そうに見えてもこの3コンボの精神的ショックはかなり大きいはずだ。
恐らくは、そのほとんどに何の因果か居合わせることになったステラに、同調と安定を求めて寄りかかっている。だけなんだと思う。
アイザックもまだまだ子供だし仕方がないか。と納得しかけたが、自分もまだ6歳だぞ。
そう思うと、ステラはなんだか頭が冷えて冷静になってきた。
自分だってこの2−3日をよくぞ乗り切ったと、自分自身を褒めてやりたいくらいなのだ。
こんな大きな家の跡取なんだ、アイザックには自分で頑張って立ち直ってもらう他ない。
気付いてはいけないことにはさっさと蓋をして、ステラは腕を突っ張ってアイザックの胸を押した。
「ご飯も食べさせてもらったし、礼は返してもらった。明日、森へ帰る」
「ダメだ」
ダメってなんなんだい。ぷうっとステラは頬を膨らませる。
自分でも子供くさい顔をしてしまったと自覚したが時すでに遅く、それを直視したアイザックが面白そうに口端を上げた。なんだかその顔を見ていられなくて、ステラは体を反転させ背を向ける。
「一宿一飯の礼なら、ディトーの解体と今日のご飯で充分」
「追加案件がある」
「お母さんと弟のことなら―――二人が頑張っただけで、オレは何も」
違う。とアイザックが首を振って、後ろからステラをぎゅうっと抱きしめてきた。
「僕の魔力暴走も、止めてくれた。今まで、誰一人止めることが出来なかった暴走を、ステラは止めた」
ああ。とステラはすべてが腑に落ちた。
一緒にいてくれ。というのは、ともに在って欲しい。ということではなく、そういうことなんだ。
魔力暴走を止めることが出来る便利な道具。
それが欲しいから、一緒にいて欲しいと、アイザックは言っているだけなのだ。
つきん。と胸が痛んだが、ステラは気付かない振りをしてそれに蓋をした。
背中を向けていてよかった、傷ついた顔など見せたくはない。
「まあ、ステラがどう考えようとも、物理的に逃がさないけどね。うちの敷地は魔法的にも武力的にも最高の防御陣を敷いているから、僕の許可がなければ、ステラはここから一歩もでれないよ」
しんみりと背中からのあたたかさを噛み締めていたステラの目を、一気に覚ますお言葉をアイザックが宣った。
「はいっ?!」
「お祖父様に厳命されているんだ。見つけたら絶対に逃がすなと」
秒速の速さで振り返ったステラの前に、天使の顔で悪魔の邪悪さを称えたアイザックの清々しい(?)ばかりの良い笑顔があった。
この笑顔に勝てる勝算は、この夜のステラには1%もなかった。
・・・
あれから、なんだかんだで一か月が経とうとしている。
何度か……というかいつもいつも、スキを見つけては脱走を試みているステラではあるが、成功した試しはない。
何故ならば――――。
あの夜アイザックが言っていた通り、この家の邸内も敷地内も防御陣は完璧で外からだけではなく内からも抜け出す穴が一点たりともないのだ。
ステラはすでに日課となった「脱走」を日々試みては、どこからか風のように現れるいつも笑顔の騎士長クザンに捕まり抱き上げられて、その度、侯爵夫人クロエの元に連行される毎日を送っていた。
その後始まるお茶会までが、このところのステラのルーティーンとなっていると言っていい。
毎日の脱走が体力を奪っているのか?はたまた、最初から何故か警戒心が湧かなかったアイザックとその母だからなのか?茶会の席でもアイザックかクロエが居れば昼寝が出来るまで、ステラは侯爵邸に慣れてきていた。
だけれども、夜の就寝は別である。
夜になると、いつものように一枚拝借した毛布を引っ張り、寝台下に潜り込みステラは眠りにつく。
そうでないと、安心できないのだ。
それが、スタンレイ邸に来てからのステラのいつもの就寝方法だったのだが、今日に限っていつもは来ないはずの見回りメイドがベッドメイキングされたままのベッドに気付き、更にはステラの姿が無いことを上役に報告したらしい。
夜も更け本来ならば静けさに包まれているはずのスタンレイ邸内は、今や上へ下への大騒ぎである。
「やはりスパイだったのでは?」とか、身に覚えのない濡れ衣を着せられるのも近い気がしてきた。
どうしてこんな事態になったのかと、寝台の下で、ステラはひとり思案していた。
居るはずの客人が不在であると、報告するのは見回りメイドの仕事だとはわかっているが、今更ではないかと思うからだ。
アイザックに一宿一飯の礼をしたいとお城のような邸宅に引っ張り込まれ、更に追加案件もあると宣われ、もう一ヶ月もここで軽い軟禁生活を送っている。
最早過剰な一宿一飯の返礼ではないか?
貸し借り率から行けば、今度礼を返すのはこちらのターンな気がするし、何故こんなにも長期滞在になっているのか、もう意味がわからない。
これまでの間、ステラを客として扱ってくれるスタンレイ邸のメイドは総人数からいくと約半分。アイザックとクロエの号令の元であるとしても、正直半分ものメイドが人間扱いしてくれるのは驚きだが、残りの半数は居ないものとスルー扱いするか、犬猫以下のゴミ扱い。
どこでも同じ貧民街の子供に対する、セオリー通りの扱いである。
就寝確認などされたのは今日が初めてだ。
今日の見回りメイドはステラを人間扱いしてくれる、アイザックとクロエに忠実な人材に違いない。
ステラがそんなことを考えている間に、騒ぎはどんどん大きくなって、完全に出るタイミングを逃してしまった。
でも、これはチャンスかもしれない。
アイザックとクロエには、命の恩人と引き止められてめったにない人間扱いを受けた。正直嬉しくてそれを完全に振り切ることが出来なかったのだが、この騒ぎに乗じて、ここから抜け出す事が出来るかもしれない。
ステラは肌身離さずの大切な師匠の形見の剣をぎゅっと抱きしめた。
もとの世界に戻るだけだ。
気付かないフリをしている「あたたかさ」に慣れてはいけない。
ステラは脱走のタイミングを測ろうと、辺りの声と動きに全神経を傾けていたが、なんだか事態が急速に収まりつつある空気を感じる。
誰かが何かを指示してる?
騒ぎの声が小さくなってきている。
ばたばたと行き来していた気配が順々に遠のいて行く。
「…………?」
客間前の廊下からメイド達の気配が消えて、そうして静かに扉が開いた音がした。
大人ではない軽い足音がベッドに近付いてきたかと思ったら、ベッドカバーが捲られて、薄闇の中でも分かる綺麗な顔が小さく笑んだ。
「ステラ」
夜着にガウンを羽織ったアイザックが、ステラに手を伸ばしその手を取った。
魔の森から離れる時も、スタンレイに来た最初の夜も、こうして、アイザックはステラの手を引いてくれた。
ステラはこの手を払うことが、何故だか出来ない。
「ステラと一緒に寝ようと思って来たら、一体全体なんの騒ぎかと思った」
「……アイザックが散らしてくれたのか?」
「うん。ちゃんとステラはここに居るのにな」
あいつら全員クビだ。とアイザックが嘯いて、ステラの銀の髪を撫でてくる。
「その顔。これに乗じて、また逃げようとしてたな?」
「――――――――っええと」
とぼけて何とか言い訳を考えようとして、ステラは斜め45度に視線を流した。
それに気付いてか気付かずか、アイザックがくすりと小さく笑った。
「ステラ。僕と、賭けをしないか?」
初めての夜と同じ、天使の顔に悪魔の邪悪を纏った良い笑顔で、アイザックはステラをベッド下から引っ張り出した。