2.がけっぷちの元銀行員
------
関東圏にある地方銀行グループの1つ、「きらやか銀行」。俺はそこの元行員だった。
世間の銀行員に対するイメージはよく分からないけど、少なくともきらやか銀行は都会で働くキラキラオフィスという華やかなイメージではなく、前時代的な社風が色濃く残る会社だった。
頭取は生粋の営業畑出身で、「足で稼げ、頭を使え」というのが当行のモットーだった。
入る前に感じていたイメージとのギャップは、かなり衝撃的であった。
今でこそハラスメントについては世間の風当たりも厳しくなっているが、入行当時はパワハラ文化も残っていたし、いつも帰社時間は21時を回っていた。
22時を過ぎると深夜労働扱いになってしまい悪い噂が立つので(それと店が強制的に閉まるので)、それまでには帰らされたけど、それでも毎回36協定で定める残業時間との戦いだった。
支店長はいつも、「昔に比べて持ち帰り残業やサビ残が減っただけ、今の若い連中はましやな」と笑っていた。ただ昔に比べてコンプライアンスにうるさくなり確実に業務量は増えているし、ネット社会になり案件処理スピードも早めていかないと、競合他行とのシェア争いに負けてしまう。常に支店の目標を背負って、やりたくもないカードの勧誘やビジネスマッチング先の紹介を行っていた。
加えて毎週金曜日恒例の飲み会に、月に一度は得意先に誘われてゴルフや麻雀。
遊びという遊びを一通りたしなんでいたせいか、使い勝手のいい社員として重宝された。
ただこれが続くと非常にお財布に厳しい。
入行時に半強制的に申し込みをさせられた、カードローンやキャッシングをこんなに頻繁に使うことになるとは思っていなかった。口座残高は常にゼロを行ったり来たり。
唯一褒めてあげたいのは、入行した時に始めた積立貯蓄だけを行っていたことだった。この貯蓄は普通預金口座と独立して口座管理されているので、借金とは別にしっかり貯めることが出来た。
辞めるときの単身寮からの引っ越し代に、積立の半分以上使ってしまったけど。
最後に在籍していた支店の雰囲気は、それはもう最悪だった。
一番の辞めるきっかけになったのは、昨年の年末に行われた、自分が最も推している声優「一ノ瀬葵」のファンクラブイベントに、仕事の都合で参加出来なくなってしまったから。
唯一の趣味と言っていい、声優イベントへの参加。
それまでアニメにほとんど興味を持っていなかった自分だったが、友人の金坂から勧められたアニメを見て、その作品の主演を務めていた一ノ瀬葵に一目ぼれした。ガチ恋といって差し支えない。
一ノ瀬葵が出ている作品だけは毎クールチェックし、関連グッズも買いあさった。
最近は作品の出演数も控えめなので、個人的に今後の活動を心配しているのだけれど。
ともあれ、生きるモチベーションを保てていたのは、ひとえに一ノ瀬葵の存在が大きかった。
その推しのイベントに参加できないなんて。
イベントの日程が発表されてから、この日だけは絶対に休むと決めてスケジュール管理頑張って来たのに。
ああ、俺は何のために必死こいて働いているんだろう。
プツンと、何かが切れた音がした。
そこから3か月かけて転職の準備をしたが、思うような会社が見つからず。
次の仕事が見つからないまま、銀行を退職することとなった。
辞める前は、流石に仲の良い同期が送別会を開いてくれた。
皆の前では強がってふるまったが、たぶん虚勢を張っていたのはバレていたと思う。
「俺もいつだって辞めたいけど、銅島みたいに、まだ決心がついてないんよ。俺は妻と子供を食わしていかなきゃいけないし。もう少しあがいてみるよ」
一緒の時間をともに闘ってきた同期の言葉は、アルコールよりも体にしみた。
「一旦色々考えて、また次の働き口が見つかったら連絡するわ。落ち着いたら飲もうぜ」
努めて明るく言ったつもりだったけど、自分でもわかるくらい声は震えていた。
もう少し続けても良かったかな、とちょっとだけ思った。
そうして俺は、数年間勤めたきらやか銀行を退職した。
退職して分かったのは、銀行って若い時に辞めてもそんなに退職金がもらえないこと。
せいぜいが給料2,3か月分ってとこ。
あと、意外とみんな自分のことを見てくれていて、今後を心配してくれたこと。
これからは自分自身で次の食い扶持を探していくことになった。