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保健管理室を出たサライス・ブラウンは、教室には戻らずにそのまま校舎の屋上へあがった。
きんと晴れた十二月の空には、雲一つなかった。
思い出すのは、幼いときのあの冬の日。
母を病院から連れて帰る道、ふと見上げたろくでなしの隣人一家の家の窓に、見知らぬ女の子の姿があった。
初めて見る子は、サライスと母親のタニアが通りの向こうから歩いてくる様子をじっと見ていたようだ。
女の子はサライスと目が合うと、姿を消した。
そして、一分もしないうちに、ろくでなし一家の玄関から飛び出してきた。
「はじめまして! 私、ルチア・アンダーソンです。母が亡くなり、伯父家族と暮らすことになりました」
銀色の長い髪をしたルチア・アンダーソンは、人懐っこい笑顔をサライスとタニアに向けると、サライスとは反対側のタニアの隣に立ち、母を支えるように歩き出した。
「ルチアさん、初めまして。私は、タニア。私はこの通り体が弱いの。今も病院に行って来たところ。この子は息子のサライス。とてもやさしい子なの。仲良くしてね」
母の言葉に「はい!」と答える迷いないルチアの声に、サライスは心を打たれた。
翌日、サライスとタニアが病院から帰ってくると、またもやルチアがろくでなし一家から飛び出してきた。
ただし、昨日とは違い、彼女の頭には赤いスカーフが巻かれていた。
「今日も寒いけどいいお天気ですね!」
そう言いいながら、タニアを支えたルチアのスカーフがはらりと落ちた。
「ルチアちゃん……。なんてこと!」
母が立ち止まり、ルチアを抱きしめる。
ルチアの美しい銀髪は、サライスよりも短くなっていた。
しかも、めちゃくちゃな切り方だ。
母はルチアを自分達の家に連れて行くと、ハサミで丁寧に髪を整えた。
しかし、それで終わらなかった。
ルチアの従妹は、タニアが整えた髪をさらに切ったのだ。
サライスは夜、母に頼んだ。
「ルチアを助けて」
「私もそう思っている。だから、お願い。あなたの魔法で、私をあの子の部屋に連れて行って」
「連れて行ってどうするの?」
「私の魔法の種をあの子に移すの。難しい魔法だけれど、あなたと私にならできるわよね」
この世界には、魔法を持つ者と持たない者がいる。
そして、魔法を持つ者の体には、魔法の種と呼ばれる魔法の源があるのだ。
「でも、そんなことしたら、母さんはどうなるの? 死んじゃうだろう?」
「あら、魔法の種がなくても生きていけるわよ。ただ、私は死が近いわ。そんな私の種だから、種自体しぼんでいるだろうけど、それでも種には違いない。種は、与える魔法使いが承知していれば取り出せるの。昔、私のお父様に聞いたわ。ブラウン家の血筋の者にしかできない秘密の魔法だそうよ。取り出す者に相当な魔法の力が必要だけど、あなたなら、できるわ。サライス」
「母さんの種を与えれば、ルチアを助けられるの?」
「その種にあなたの魔法を毎日注ぐの。魔法があるからって、あの子が助かるとは限らない。でも、魔法を持つことで彼女が生きのびる確率は高くなるわ」
母親がサライスを抱きしめる。
「俺、ルチアを助けたい」
「えぇ、彼女はきっと善き魔法使いになります。私の魔法の種も、会った時からあの子が大好きなのよ」
「俺も大好きだ」
その夜、サライスとタニアはルチアを魔法使いにした。
もちろん、種を移した記憶はルチアから抜き取った。
彼女の記憶も少しいじった。
それは、今までもこの先も、母と息子だけの秘密なのだ。
サライスの恋は前途多難だ。
先生と生徒といった立場もあるし、貴族と平民といった身分の違いもある。
祖父のダニエルだって黙ってないだろう。
それら全てを乗り越えたとしても、ルチアがサライスを好きになってくれるとは限らない。
「大好きだ、ルチア」
そんな微かな声は、十二月の清らかな空気に溶けて消えた。