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16歳はお子ちゃまです!

作者: よこすかなみ

第一話


「魔法学校……ですか」

 真っ昼間。屋敷の執務室でこもって仕事をしていたわたしは、唐突にお父様の部屋まで呼び出された。

 そして伝えられたのは、魔法学校へ赴けという指令。

「それは、講演会の依頼ですか?」

 魔法学校という言葉を聞いて、真っ先に思い浮かんだのは仕事の依頼。これまでに何度か学校で講演会を行ったことがあるからだ。

 わたしの職業は研究職兼ライター。それも、魔法について。色々な雑誌にコラムや記事を書いてお金を稼いでいる──本来、貴族のわたしが働く必要はないのだけれど、魔法を知りたいという知的好奇心が高じて仕事になってしまったのだ。お金になるより何より、楽しい。

 しかし、父の話はわたしの予想をはるかに上回っていた。

「いや、生徒として、入学する」

 生徒って……、

「わたし二十六歳ですよ!?」

 魔法学校とは、十六歳から十八歳の魔力に目覚めた子供が通う、三年制の教育機関だ。二十歳過ぎのいい大人が生徒として入学するような場所ではない。

 お父様は、わたしの言い分が聞こえていないのか、何かを思い出すように宙を見た。

「……お前が十代の頃、病気のせいで、学校に通わせてやれなかった」

「だから、家庭教師を雇って勉強して、今では元気になって、職に就いているじゃないですか」

「違う。お前が学んでいないのは社会性だ。友達もいない。表面上の喋り方こそ覚えたが、家族や使用人が大好き過ぎる……『子ども大人』に育ってしまった」

「『子ども大人』って……」

 なんだ、その不名誉すぎるあだ名は。

「学校の理事長には話をつけてある。入学式は明日だ」

 あ、明日!?

「外の人間に触れてこい。学校は寮生活だ。家に呼べるような友達が三人出来るまで、帰って来なくて良いからな」

 驚くわたしを置いてきぼりに、お父様はわたしから目線を逸らしたまま、言い放った。

 その態度も、魔法学校への入学も、突然で、ついていけなくて、横柄で──腹が立った。

「嫌ですよ!!」

 わたしは叫んだ。思いがけなかったのか、大声の拒絶にお父様は目を見開く。困惑した様子のお父様は、わたしを宥めるようなジェスチャーをしつつ、

「わたしはお前を心配して……」

「嫌なものは嫌です!」

 お父様の言葉を遮って、わたしは怒鳴り続けた。

「二十歳も過ぎたいい大人が、十個も年下の子どもたちに混ざって学校に通うなんて……ましてや友達になるなんて、絶対に無理です!」

「アン!」

 静止の声を振り切り、わたしはお父様の部屋を飛び出した。




第二話


 それから、わたしは自室に引きこもった──布団にくるまって膝を抱え、どうやってお父様を説得しようかと思案する。

「社会性って、何なのよ……!」

 そんな曖昧でふわふわした、形がなくて、示し方の分からないもの……!

 わたしだって、雑誌に寄稿する際には編集の人間とやりとりだってする。いわゆる『働く大人』であるはずだ──どうして、お父様はわたしのことを『子ども大人』だと、思い込んでしまっているのだろう。

 お父様の提案する『学校に通う』、なんて方法は極論に過ぎない。きっと、他にもっと社会性の向上、またはわたしに社会性があると認めさせる方法があるはずだ。

 ──布団に潜っていても始まらない。

 とにかく、調べなければ……!

 そうと決まれば。

 わたしは布団から飛び出して、自分専用の書斎を目指すべく、ドアを勢いよく開けた。

「あだぁっ!」

「え?」

 開けたドアに強い手応えがあった。

 ドアの向こう側を覗くと、黒の燕尾服に身を包んだ小柄な黒髪の少年──コリンが額を押さえて転がっている。

 どうやら、勢いよく開いたドアに正面からぶつかったようだ。

「ちょ、え!? 大丈夫!?」

 慌ててコリンに駆け寄る。コリンはその大きな両目に涙をうっすら浮かべながらも、ゆっくりと上体を起こした。

「大丈夫です……、すみません、僕の不注意で……」

「突然ドアを開けたわたしが悪いから、謝らないで……ごめんね」

 彼の黒い前髪をかき分けて、赤くなっている額にハンカチを当てる。

「いえ……僕も扉の前で考え込んでしまって……」

 コリンはわたしの手を押しのけて、ぺこりと頭を下げた──わたしは彼の言葉に疑問を持つ。

 ……考え込んでいた?

「どうしたの? 何か悩み事?」

「…………」

 コリンはしばらく視線を漂わせたが、意を決したようにわたしを見た。

「お嬢様は、魔法学校に通われないんですか?」

「え?」

「魔法学校に、お嬢様と一緒に通いたいです」

 ……そうか。

 コリンの力強い瞳を見て、わたしは思い出す。

 コリンは今年で十六歳。魔法学校に入学する年齢だ──確か、庭師のジョンさんと仲が良くて、土いじりをしている間に土属性の魔法に目覚めたんだっけ。

 正直、魔力はお世辞にも強いとは言えないけれど、学校で学べばそれなりに使いこなせるようにはなるかもしれない。

「僕、お嬢様と一緒に通えると知って、すごく嬉しかったんです。僕がお付きのものになるって……。でも、お嬢様は学校には行きたくないと……。身勝手なのは承知の上で、お願いにきました」

「コリン……」

 コリンはわたしにとても懐いてくれている男の子だ。コリンが幼い頃、何かと抜けているが一生懸命な彼が放っておけなくて、よく遊んでいたからかもしれない──二十六歳のわたしから見れば、今でも十分幼いが。

 わたしは純粋なコリンを諭すように、柔らかく微笑んだ。

「あのね、コリン。わたしはもう、いい大人なの。だから十代の子どもたちに紛れて、しかも友達を三人作るなんて、無理なのよ。ね──」

「友達に、子どもとか大人とか関係ないです!」

 大人しい性格のコリンには珍しく、ちょっとだけ声を荒げたが──わたしにその言葉は響かない。

 そう言えるのは、コリンが子どもだからだ。でもきっと、今のコリンにはどれだけ説明したところで伝わらないだろう。

 わたしの思いを知らず、コリンは続けた。

「お嬢様はご自身の魅力に気づいていらっしゃらないだけです。子どもでも、年齢なんて外側じゃなくてお嬢様の中身を見て、お友達になる方は絶対います。それとも──」

 コリンはぐっと拳を握る。

「やっぱり、お付きのものが、僕じゃなくて兄の方が……、良かったですか……?」

 不安に揺れるコリンの瞳。

 突拍子もなく話題に上がったコリンの兄の存在に、わたしは首を傾げた。

「兄って……カリン? どうしてカリンが出てくるの?」

「……お嬢様は、カリンの方が、僕より仲が良さそうなので……」

「あぁ……」

 コリンには六つ年上の兄、カリンがいる──カリンもまた使用人で、ティータイムによく、わたしのお喋りに付き合ってもらっているのだ。わたしと年齢がまぁまぁ近く、彼自身が聞き上手。喋るのが大好きなわたしと相性がいい。

「お付きのものが誰かは関係ないわよ。カリンは完全に別件。今回、魔法学校に通うのはコリンでしょ。コリンにはコリンの良いところがあるって、ちゃんと知ってるから──比べなくていいのよ」

「…………はい」

 しょぼくれるコリンの頭をよしよしと撫でる。彼はくすぐったそうに笑った。

「じゃあ、わたしは書斎で調べ物をするから」

 話題が逸れて、魔法学校入学うんぬんの件は終わった。わたしは立ち上がって当初の目的通り、書斎を目指そうとしたが──コリンに腕を掴まれてしまった。

 ……やっぱり誤魔化されてはくれないか。

「なら、なおさらお願いします、お嬢様。僕、お嬢様と一緒に魔法学校に通いたいです」

「う…………」

「お嬢様が不安なのは分かりました。でも、そのために僕がいるんです。何があっても、僕がお嬢様をお守りします」

 守るって言ったって、別に戦うわけじゃあるまいし……。

 何ならわたしの方が、魔力が強い。魔法研究に明け暮れていた分、普通の人は自身に適正ある一つの属性の魔法しか扱えないところ、わたしは四属性全ての魔法を使いこなせる、が──つぶらな瞳が真っ直ぐにわたしを捉えて離さない。

 渋るわたしと引き下がらないコリン──目を合わせたままの硬直状態を破ったのはコリンだった。

「じゃ、じゃあ一回、制服だけでも着てみませんか!?」

「え?」

「お嬢様、制服を着たことがありませんよね? 魔法学校は、今年から有名デザイナーを採用して、制服デザインが一新されたそうですよ! ね? 興味ないですか?」

 あまりにも必死なコリンに、罪悪感すら抱いてしまう。

「せ、制服だけなら……」

 わたしはコリンの説得に、ようやく頷いた。

 子どものお願いを無下にするのは、大人のすることではないと思ったから。




第三話


「か、可愛い……!」

 既に通学の話が通っているメイドに持ってきてもらった制服は、あまりにも可愛らしすぎて──二十歳を過ぎて諦めたわたし好みのデザインそのものだった。

 セーラー襟に、大きなリボン。フリルのついた膝上のスカート。スカート丈は短いけれどペチコートを履くので、下着が見える心配はない。紺色の生地に襟やプリーツに沿ってあしらわれている白のストライプが映えている。おまけに指定の靴はニーハイブーツ。

 つまり、おおよそ十代の女子にしか着用が許されないデザインなのである。

 なぜ世間知らずのわたしが服装の適齢を知っているかと言うと──わたしが二十歳の時に遡る。

 魔法の研究に明け暮れる傍ら、間違えて購入してしまった流行の服飾雑誌を手に入れた。そこに書かれていた『二十代が着ると痛々しく見える服十選』という記事──それらは、まさにわたしが好んで着ていた服のデザインたちだったのである。

 わたしは慌てて、それらの服に別れを告げた。もしかしたら大好きな使用人たちにも「痛い」と思われていたのではないかと怖くなったのだ。

 短い丈のプリーツスカート、膝上のロングブーツ、大きなリボンやフリル──わたしが大好きで、それでも諦めた「可愛い」が、魔法学校の制服には詰め込まれていた。

「お嬢様、お似合いですよ!」

 姿見の前で感動するわたしの隣に、コリンが駆け寄ってくる。その反対側で、制服を持ってきてくれたメイドがニコニコと頷く。

「ほ、本当? 痛くない? 似合ってる?」

「イタイ……? 意味はよく分かりませんが、本当に似合ってます!」

 素敵ですよ、とダメ押しにコリンが笑う。

 わたしはコリンから全身鏡に映る自分に視線を移す。

 本来十代が着用する制服でも、見た目に違和感がないのは、わたしの病気も理由の一つだ。

 わたしが学校に通えなかった理由でもある先天性の病、『成長止め』──年齢に対して見た目と体力の成長が恐ろしく遅いのだ。二十六歳のわたしだが、見た目は十六歳ほど。体力に至っては十歳程度だ、と医者から診断を受けている。

 見た目が若いのは不幸中の幸いと言えるだろうが──問題は体力だ。それをカバーするためのお付きのもののコリンなんだろう。わたしが限度を超えた無茶や無理をしないように、見張るため。

 もう戻れないと思った「可愛い」に再び触れることができ、さらに持病をフォローしてくれるコリンもいる……。

 ……ほんの三年間だけ、なら……。

「……コリン」

「はい、お嬢様」

「……わたし、魔法学校に入学するわ」

「……! はい!」

 花が咲いたように、心底嬉しそうに返事をするコリン。

 コリンの、こういう喜怒哀楽を素直に表現できるところが、わたしは好きなのだと再確認した。




第四話


 高速で荷造りを終えた翌日、初めての登校。わたしとコリンは並んで学校を目指していた。

「お嬢様、顔色が悪いようですが、お荷物お持ちしましょうか……?」

 普段の執事用の燕尾服から、男子用のブレザーに制服が変わったコリンが覗き込んでくる。わたしの持病を心配しているんだろう。

「荷物なんて持たなくていいわよ。それに外でお嬢様はやめて。平民のフリをして学校に通いたいから」

 せっかく見た目は誤魔化せるのに、二十六歳だとおおっぴらにして通学したくはない。個人情報は可能な限り隠しておきたかった。

「え、ですが、お嬢様はお嬢様ですし……」

 使用人かつ子供の立場から、わたしの要求に困り果てるコリン。

「アンでいいわよ」

「あ、アン様……」

「様も禁止」

「アン、さん……」

「そう、それでいいの」

「は、はい……」

 コリンは少し頬を赤らめた。慣れない呼び方に照れているのだろう。

 そんなコリンを横目に、わたしは少しばかりの罪悪感を抱く──というのも、お父様から、『家に友人を三人招くことができたら、途中退学してもいい』と言質を取ってあるのだ。

 それをコリンは知らない。可愛い制服を着ることができるのは嬉しいが、それとこれとは話が別だ。

 コリンがわたしと通学できることに喜びを見出しているところ悪いが、わたしには計画がある──性格の良さそうなクラスメイトを騙くらかして家に呼び、お父様の前で友達を名乗ってもらい、とっとと退学する、というものだ。

 そんなことはつゆ知らず、コリンは笑顔で話し続ける。

「アンさんと同じクラスに手配したって、旦那様も仰っていたので、楽しみです!」

「あ、コリン、前……」

 どんっ。

 わたしばかりを見て喋っていたコリンは、前を歩く人の背中にぶつかってしまった。

「す、すみません!」

 慌てて頭を下げるコリンだったが──ぶつかった相手は振り向いて、しかめっ面でコリンを睨みつけた。

 金髪で高身長。整った顔立ちに綺麗な碧眼を持っていたが、性格の悪さが目つきに滲み出ている──彼は、コリンと同じ制服を身に纏っていた。おそらく、この人もわたしたちと同じ魔法学校の新入生だろう。

 同じ新入生同士、コリンのドジをきっと許してくれ──

「前見て歩けねぇなら、外出るんじゃねぇよ」

 ……なんだって?

 わたしはその男を二度見した。

「す、すみませんでした……」

 ひたすら頭を下げて謝り続けるコリンを、背の高さも相まって高圧的に見下す男。

 わたしの身内を無碍に扱われて、黙っていられるはずもなかった。

「ちょっと、あんた」

 わたしはコリンとその男の間に割って入った。

「あ、アンさん……! 僕は大丈夫ですから……!」

 コリンがわたしの肩を掴むが、わたしはそれを無視する。

「謝ってるじゃないの。ちょっとぶつかったくらいで、言い過ぎじゃないの」

「はぁ? ぶつかってきたのはそっちだろ」

「謝罪と怒りが釣り合わないって言ってんのよ」

「なんだと」

 火花が散りそうな勢いで睨み合うのも束の間、その目つきの悪い男がわたしの全身を見て、ふっと鼻で笑った。

「その制服、お前も新入生だろ。俺に逆らわない方がいいぜ」

「どういう意味よ、クソガキ」

「クソガキって、同い年だろうが」

 やば。ムカつきすぎて口が滑った。

「あああアンさん! 入学式遅れますよ、行きましょう!」

 ずっと横であわあわしていたコリンがわたしの背中を押してくれたおかげで、その場から早急に立ち去ることに成功した。




第五話


「元男子校なんて、聞いてないわ……!」

 入学式前に、指定されたクラスに入ってわたしは驚愕した──わたし以外、全員男子生徒だったのだ。なんと、あのクソガキも同じクラス。席が離れているのが不幸中の幸いである。

 同性なら楽勝で家に連れて行けると思ったのに……!

 歳の離れた異性との接し方なんて知らない。コリンのように幼少期からの付き合いがあり、身分関係がはっきりしている人間としか触れ合ってこなかった。

 十も年下の男の子と、どうやって友達になれって言うのよ……!?

 愕然としつつも、黒板に示されていた自分の座席に座る──すぐに担任教諭が入ってきた。

 担任による軽い挨拶が行われた後に、入学式が行われるホールに向かう。ホールは見渡す限り、ほぼ男子生徒だ。女子生徒は数えられるほどしかいない──元男子校だけあって、さすがの男女比だ。絶望する。

 ふわふわした座席に座って、退屈な入学式を眺める──新入生代表挨拶のアナウンスと共に、今朝のクソガキが登壇した。

「あっ」

 思わず声を上げてしまった。それを隣に座っていたクラスメイトの男子が聞きつけたのか、

「どうしたの? 知り合い?」

 優しい声色。ふわふわした髪と、その髪色と同じ明るい茶色の瞳。少しダボッとした制服。コリンほど幼い雰囲気はないが、人懐っこそうで中性的な男子が、こちらを不思議そうに見ていた。

「ちょっと朝、彼とバトって……」

 わたしはひそひそ声で事情を説明する。可愛らしい外見のクラスメイトは、ぷっと小さく吹き出した。吹き出し方も可愛らしい。

「バトったの? あの人、理事長の息子だよ、すごいね〜」

 それを聞いて、クソガキの横柄な態度に納得がいった。

 ……だから「俺に逆らわない方がいい」とか言ってたのか。

 親の権力で、お前なんてどうとでもできるんだぞ、という脅しのつもりで。

 ──くだらない。

「……理事長の息子って言っても、ただ親が権力を持ってるだけの子どもでしょ」

 ──自分でお金を稼いだこともないくせに。

 わたしの呟きに、クラスメイトは、そのくりりとした目をさらに大きくした後、

「……へぇ〜。随分、大人びたこと言うね。本当に同い年?」

 興味深そうに聞いてきた──またやっちゃった、とわたしは脳内で自分を叱る。

「や、やだな〜、同い年に決まってるじゃない」

「ふーん……」

 彼はそれ以上追求してこなかった。その代わり、右手が差し出される。

「ボクの名前はノア。キミ、クラスで唯一の女子だよね? よろしく」

「……アンよ。こちらこそ、よろしく」

 握手をしながら見つめてくるノアの視線は、秘密を見透かされそうで、どことなく居心地が悪かった。




第六話


 入学式後は、各自、寮の自室で荷物の整理……なんだけど。

「どこよ、ここ……!」

 広すぎる敷地内であっという間に迷ってしまった。校舎から出て、木々の中整備された道を歩くが、一向に女子寮が見当たらない──建物どころか、自然が色濃くなっている気さえする。

「こんなことなら、途中までコリンについてきてもらえばよかった……」

 さすがに十六歳の男の子を、女子寮まで付き添わせるのは気が引けたのだ。とはいえ、まさか二十六にもなって迷子だなんて。

 校内地図を持ってくるくる回る──魔法を研究しても、方向音痴は治らないんだなぁと痛いくらい身に染みた。

 いっそ風で舞い上がる風属性魔法【ウィンド・パージ】で空高く飛んで、寮の場所を上から見つけようか──いや、誰かに見られて、変な噂になったら嫌だな。目立ちたくないし。

 うんうん唸って、途方にくれていると──

「おい、持ってきたぞ、早く燃やそうぜ」

「これで偉そうにしてるあいつも困るだろ」

 遠くから男の子の声が聞こえてきた。

 ──人だ!

 これで道が聞ける!

「あの、すいませーん……」

 ガサガサと草の間を縫って、話し声のする方へ意気揚々と進んでいく──二人の男子生徒が数枚の布切れを、手のひらから火の玉を出す火属性魔法【ファイア・ウィスパー】で燃やそうとしていた。

「ちょっと、なにやってるの!?」

 あまりに予想外の光景で、思わず叫んでしまった。

 こんな森の中で火属性魔法なんて、一歩間違えれば大火事だ。

「ヤベッ、見つかった」

「逃げろ!」

 わたしの大声に驚いた二人は、全速力で走り去ってしまった──残されたのは、わたしと布切れたち。

「一体何を燃やそうとしていたの……?」

地面に放置された布の一つを手に取る──それは、男性用のパンツだった。割と奇怪な模様をしていらっしゃる。男性用パンツ界隈に明るくはないが、この世に二つとなさそうな不思議な模様だった。

どうして男の子たちがパンツを……?

なぜ【ファイア・ウィスパー】を……?

「ま、まさか……!?」

 ピーン! と、彼らがしようとしていたことを思い当たる。

──この寮生活で、気に入らない人間のパンツを燃やす嫌がらせ!?

「とんでもないわね、最近の十六歳は……!」

 驚きのあまり、ついつい年寄りじみたセリフを吐いてしまう。

 とにかく、持ち主に返してあげないと……!

 誰のものか分からないけれど、コリンに頼んで、男子寮の先生に渡してもらおう。

 腰をかがめて、放り投げられたパンツたちをかき集めている時──

「おい、お前なにしてんだ」

 嫌な声が、背中に降り注いだ。

 ゆっくり振り返る。


 ──クソガキが、驚愕した表情でわたしを真っ直ぐ見ていた。


 正確には──わたしの手元を。

「それ……、俺のパンツ……」

 …………おや?

……これって、ひょっとして、まずいのでは?

 彼の中で、わたしが下着泥棒になっているのでは?

「違う違う違う!!」

「なにが違うんだ、どうやって盗んだ?」

 ずんずんとクソガキが近づいてくる。

「わたしが盗んだんじゃないの! 盗んだ人から取り返したのよ!」

「取り返した……?」

 パンツ欲しいから取り返したみたいになってる!

「と、とにかく、返すから! 持ち主が見つかってよかったわ、それじゃ、わたしはこれで。おほほほほほ」

 パンツをクソガキに押し付ける──慣れないお上品な笑い声で誤魔化しながら、とにかく逃げようとするが、

「待て」

 普通に捕まった。そりゃそうだ。

「お前、怪しいんだよ。なにか隠してるな? 出せ」

 隠してるのは年齢だけだって。お前のパンツはもう全部出したって。

 黙りこんだわたしの胸ぐらが、クソガキの手によってつかみ上げられる。力じゃ勝てない。もちろん魔法なら勝てる。竜巻を起こす風属性魔法【ストーム】で吹き飛ばしてもいいし、土属性魔法【サモン・アースゴーレム】で土ゴーレムを召喚してぶっ飛ばしてもいい──しかし、子ども相手に魔法を使うのは、いささか憚られる。

 このままじゃ白状するまで解放してくれなさそう……!

 いったい、どうしたら──


「アンさん!」


 どこからか、コリンが現れた──胸ぐらをつかむクソガキの手を手刀で弾き飛ばして、守るようにわたしを背にする。

「アンさんに、なにしてるんですか! アンさん、大丈夫ですか!?」

「こ、コリン……!」

 すごい。この子、お目付役だと思っていたけれど、本当は用心棒だったのか。

「あ? なんだよ、お前」

 クソガキがコリンを睨み返す──体術の心得があるコリンに感心してる場合じゃなかった。コリンとクソガキが一色触発の空気だ。

 ──まずい、入学早々喧嘩なんて……!

 問題騒動で退学になれば──わたしはラッキーだが、コリンまで巻き込むわけにはいかない……!

「コリン、待っ……」

「あ、いたいた〜、デリックく〜ん、パンツ盗まれてたよ〜!」

 なんの事情も知らないノアが、手を振りながら和やかに駆け寄ってきた。デリックと呼ばれたクソガキが振り返る。

 わたしたちの視線を一斉に受けたノアは、キョトンとわざとらしく首を傾げた。

「おやおや? もしかして、変なタイミングに来ちゃったのかな?」




第七話


 ノアは男子生徒たちがパンツを盗む瞬間を、遠くから偶然、目撃していたらしい。彼らは先生にコッテリ絞られたようだ。

 初日から波乱万丈だったが、翌日には無事に一件落着。

 朝のホームルーム前に、わたしは自分の席で、はぁと一息ついていた。

 今後の学園生活の身の振り方を考える前に、とんだ災難に巻き込まれてしまったものだ。十個年下の男の子とどうやったら友達になれるのか、作戦を練る暇もなかった。

 とにかく、今日から授業が始まるわけだし、これでようやく、スタートラインに……

「……おい」

 昨日の疲れが取れず、朝からすでに無気力になっているわたしに、クソガキ……じゃなかった、デリックが話しかけてきた。

「なによ」

 そうだ、昨日はわたしに何か隠し事があるって疑われたところで話が終わったんだった──それを蒸し返しに来たのだろうか。それとも、まだ何か言い争おうって言うんじゃないでしょうね……。

 好戦的な目を向けるわたしとは裏腹に、

「その……昨日は、悪かったな」

 ぺこり、と長身の彼が、丁寧に腰を折った──一瞬、何が起こったのか、理解できなかった。

 デリックが、謝った。

 理事長の息子だから、と誰でも彼でもに威張り散らしていたデリックが。

「……いいわよ、別に」

 調子が狂う──なんだ、案外可愛いところもあるじゃないの。

 わたしは彼を許してあげた。なぜなら、わたしは大人だから。

 これからクラスメイトとして良好な関係が築けると言うのなら、昨日までの無礼やら非礼やらは水に流そうじゃないの。

 しかし、そんなわたしの思惑は外れた──デリックは、謝罪を受け入れられたと判断するや否や、顔を上げて、

「だが、俺はお前をまだ怪しいと思っているからな。いつか、お前が隠しているものを暴いてやる!」

 人差し指をわたしの鼻先に突きつけて、そう宣言した──用は済んだとばかりに、彼は背を向けて自席に戻って行く。

 ぽかんとしたまま、わたしはその後ろ姿を見つめることしかできなかった。

 ……前言撤回。

 あいつはクソガキだ。

「アンちゃん、聞いたよ〜! アンちゃんが、デリックくんのパンツ、取り返してあげたんだって〜?」

 あまり大声で広めてほしくない内容を口にしながら、入れ替わるように、賑やかなノアが手を振ってやってきた──わたしの席の前で足を止めて、にこりと微笑む。

「アンちゃんって、男兄弟とかいるの?」

「え? いないわ、一人っ子よ」

「へぇ〜! じゃあ、すごいね!」

「な、何が……?」

 唐突なノアの質問に、しどろもどろになってしまう。ノアの意図がつかめない。

「同級生の男の下着を触るのに、躊躇いとかないの?」

 ぎくりとした。そうか。この年代の子は、ちょうど思春期なんだっけ。

 二十六歳のわたしからすれば、十個も年下の少年の下着を触るのに、躊躇いなんかあるわけない──それは、十六歳の少女のすることではなかった。

「え、えぇ……、まぁね」

「ふ〜ん」

 たまたま男の下着がどうとか気にしないタイプの少女なんだ、という風を装ったが──彼はわたしの耳元に口を寄せてきて、

「まさか、大人じゃあるまいし」

 と、囁いた。

 わたしは囁かれた耳を手で押さえ、びっくりしたまま彼を見上げる──ノアは笑顔を崩さないまま、

「ボク、年上のお姉さんって好きだな〜」

 あざとく、人差し指を口元に当てた。

 ……この子、どこまで分かってるんだ?

「……アンさん、何かあったら、いつでもお守りしますからね!」

 会話を聞いていたのか、隣の席のコリンが拳を握って見せてくる。


 ──かくして、十年越しの学園生活が幕を開けたのだった。




第八話



 入学して早々、試験がやってくる。

 生徒の魔力がどれくらいのものか、教師陣が把握するための試験なんだそう。

 当然、わたしの魔力はクラスどころか学校内でもずば抜けているはずだ──十代のお子ちゃまたちに劣るような研究や鍛錬を積んできたつもりはない。

 しかし、それで目立って家柄や年齢がバレるような事態はまっぴらごめんである──理想は、悪くも良くもない、平均的な成績を残すこと。

 教壇に立つ先生が、試験の説明を淡々と進める。

「二人一組。くじ引きで決めます。各自、用意されたステージで先生たちの召喚したゴーレムを倒すことが課題です──それでは、前に来て、箱の中から一枚、くじを引いてください」

 前の席から順々に先生が用意したボックスから、くじを引いていく。教室内で同じ番号を持つ生徒を呼ぶ声が交差した。わたしもそれに倣って、相方を探し始める。

「十番、十番の人、いませんか〜?」

 男子たちの低い声色の中に、女の声は覆い被さるように響いた。何人かがわたしに振り返るが、手の中にあるくじの番号と見比べては、視線を逸らして行く。

「十番の人〜?」

「…………十番」

 低い声が、わたしの背中を撫でた。

 嫌な予感を押し殺して振り返る──椅子にふんぞりかえっているクソガキが、わたしの方を薄目で見ながら、小さく手を挙げていた。

 ……やる気あんのか、お前。

 ぶん殴ってやろうか、という考えが一瞬頭をよぎったが、

「へ、へぇ〜! よろしくね!」

 そこは大人。たとえ相手がイケすかない小僧でも、笑顔を顔面に貼り付けて対応するのである。

 クソガキは、わたしの引き攣った愛想笑いを一瞥して、

「……せいぜい、俺の足を引っ張らないようにするんだな」

 と、鼻で笑った。

 ……わたしは大人、わたしは大人。こいつは子ども、こいつは子ども。

 長ったらしい呪文を唱えるがごとく、心の中で自分に言い聞かせた。

「……あんまり自意識過剰でいると、いつか足元すくわれるわよ」

 大人の余裕、年上の助言。

 そんな軽い気持ちでアドバイスしたつもりだったのに──なぜかクソガキは、理解できないものを目の当たりにしたかのように、眉をしかめた。

「……誰に向かって言ってんだ?」

 まるで平民が貴族に逆らったかのような反応じゃない。少なくとも、クラスメイトに放つセリフではない。

「あんた以外に誰がいんのよ」

 と、わたしはクソガキの鼻先を指差した。クソガキの眉がピクリと動く。

「無駄に調子乗ってるから、親切心で忠告してあげてんでしょ。お礼を言われてもいいくらいだわ」

「はぁ? 大人だって、俺にそんなこと言うやついねぇぞ」

 心の底から、なぜ自分が忠告されているのか理解できないようだった。本当に、今の今まで全肯定されて生きてきたし、それが許されてきたんだろう。

「……かわいそう」

 溢れるように、口から漏れていた。

「……なんだと?」

 親が権力者なばかりに、誰にも躾けてもらえなかったのか──なんて、お嬢様育ちのわたしが言えることじゃないんだけど。

「かわいそうって言ったの。今の今まで、誰にも悪いところを改善する機会を与えてもらえなかったなんて」

 クソガキはガタンと立ち上がった。

「……なんなんだ? お前」

 物理的に見下しにきたクソガキの視線を、真正面から受けて立つ──たとえ見上げる形になろうとも、わたしはクソガキを強い気持ちで睨み返した。

 そんなわたしに、クソガキは舌打ちを一つして、

「……いいか、試験は俺一人でやる──絶対に余計な真似すんなよ」

「……あっそ。勝手にすれば」

 高圧的な態度に、わたしは鼻で笑って返す。

 その言い草からして、よっぽど魔法の腕前に自信があるのだろう。

 ま、わたしには到底及ばないだろうけどね。

 ──こうして、わたしたちの壊滅的なバディが組まれたのだった。




第九話


 試験当日。

 わたしたちに用意されたステージは、植物園。

 広い園内で、人が歩くための道も舗装されているが、至る所にある大型の植物や花壇が障害物になっている。壁や屋根は全てガラス製で、太陽の光がさんさんと園内に注ぎ込まれる仕様だ。

 先生の用意したゴーレムが、いったいどんなものなのかは知らされていない。未知なるものとの対面時の判断力も、試験の一部なのだろう。

「行くわよ」

「俺に指図すんな」

 わたしとクソガキが植物園に足を踏み入れた瞬間──天井の方からアナウンスが流れた。

『アン・デリックチームの試験を開始します。ゴーレムを討伐できれば試験合格です。二人が戦闘不能、またはどちらかが降参と叫べば、試験は強制終了になります。その場合、成績は付与されず、後日、補習を受けてもらいます。それでは──』

 わたしたちは身構える。

『試験、開始!』

 ズオォォォォォッ!!

 目の前で一輪だけ咲き誇っていた立派な赤い薔薇が、あっという間に巨大化した。植物園のドーム型天井スレスレまで大きくなる。土の中からボコンと音を立てて、足となった二本の根っこが現れた。

「植物由来のゴーレム!?」

 かれこれ十年以上魔法の研究に明け暮れていたけれど、植物由来のゴーレムは初めて見た──ほぼ引きこもりだった生活が悪かったのか、文献の外の世界ではこんなに進んでいる研究があったなんて……!

 普通、ゴーレムと言えば土か石から生成する──土属性魔法を応用して植物を源とするなんて、そんな珍しいゴーレムを生成できる魔法使いが、この学校にいるっていうの!?

 研究者の血が騒ぐ──今すぐこのゴーレムを魔法解体して術式を調べたい。そして、魔法使いにインタビューしたい。それだけで記事が一本書けるだろう。

 試験が終わったら先生に質問……いや、そんなことしたら他の生徒に不審がられるか……。特にノアに。いやでも。

「土属性魔法を植物に応用するには……水属性魔法を加えれば可能なのかしら……だとしたら最も効率的に複合できる魔法は……」

「おい、何ぶつぶつ言ってんだ! くるぞ!」

 薔薇の中心が口のようにがぱりと、大きく開いた。

「ギャオオオオオオオ!!」

 薔薇が吠えた。

 薔薇の咆哮に、わたしたちは思わず耳を押さえる。

「……っ!」

 シュルルルル!!

 わたしたちが耳を塞いだ隙をついた薔薇の蔓が、クソガキの足をつかもうと猛スピードで伸びてきた。

「【ウォーター・ソード】!」

 クソガキは一瞬で水属性魔法【ウォーター・ソード】を発動し、水で生成された剣を振る。

 迫り来る蔓は一刀両断された──千切れた蔓はまだ生命があるかのように、ビチビチと床を這いずっている。イキがいい蔓だ。気持ち悪い。

「おぉ……!」

 クソガキの反応速度に、わたしは彼の評価を改めた。咄嗟の対応にしては、目を見張るものがある。齢十六にして魔力を大量に消費する【ウォーター・ソード】を使いこなせる者も、滅多にいないだろう。

 なるほど、生意気な口も頷けるだけの魔法の才能がある。しかし──こいつ、水属性の魔法使いか。

 ……だとしたら、大分まずいことになった。

「ねぇ、ちょっと……」

「ウルセェ! 俺に指図すんなって言ってんだろ!」

 わたしの呼びかけは、クソガキには届かなかった──クソガキは怒鳴り捨てて、水の剣を構えて薔薇ゴーレムへと突っ込んでいく。

 その様子だと、おそらく不利状況を自覚しているんだろうな──植物と水の相性はすこぶる悪い、と。

 彼のどんな攻撃も、水属性魔法である以上、あのゴーレムには大したダメージにはならない。そして──彼は水属性魔法しか使えない。

 ……あーあ。

「知ーらない、っと」

 わたしは薔薇ゴーレムを視界に入れて警戒を怠らないまま、距離をとって身を隠せる場所を探した──ちょうど、大きな葉をたくさん実らせている植物でひしめいたコーナーがある。そこにしゃがみこんで植物たちの隙間から、クソガキの戦闘の様子を伺うことにした。

 わたしにとっても、植物由来のゴーレムは未知数。討伐の基本は観察から。無闇に突っ込んでも自滅するだけ──今回は無闇に突っ込む馬鹿がいるおかげで、攻撃パターンも把握できる。

 迫り来る何本もの蔓を、握った剣でバッタバッタと薙ぎ倒していくクソガキ。魔力だけでなく、剣術の心得もあるようだ──とはいえ、蔓は切っても切っても自己再生し、再び襲いかかってくる。致命傷にならない限り、薔薇ゴーレムが倒れるよりも、クソガキの体力魔力が尽きる方が早そうだ。

 植物に有効なのは、もちろん火属性魔法──だが、単純に炎を浴びせただけでくたばるようなゴーレムとの試験なのだろうか。

 そんな攻略方法が明快な試験なのに、わざわざ植物由来なんて珍しいゴーレムを使うだろうか?

 きっと何か別の、炎以外の弱点があるはずだ。

 探せ。探せ。探せ。

 どこかに、何か、違和感が──。

「──ぐわぁっ!!」

 クソガキの呻き声が、植物園のドームの中に響き渡った。

 さっきまで振り回していた武器は消え失せ、蔓に体を巻かれていた。今にも潰されそうだ──なのに、彼は苦しそうに体をよじらせるだけで、そこから脱出するための魔法を使う気配がない。

 おかしい……あれだけの魔法が使えるなら、蔓から抜け出すなんて簡単にできそうなものなのに──と、ここまで怪しんでから分かった。

 ……もしかして、【ウォーター・ソード】を発動したせいで、魔力を使い切ったの!?

「文字通り、諸刃の剣じゃない!」

 そして、今や完全な諸刃と成り果てている。

 わたしは確信した──クソガキは、本物の馬鹿だ、と。

 ……でも、しょうがない。

 だって、まだ十六歳なんだから。

 生意気なことも言われたけれど、ここは助けに行くのが大人の役目──などと、自分に言い聞かせる。

 やれやれ。

 薔薇ゴーレムの前に躍り出ようした、その時だった。

「……あれ?」

 ──あの薔薇、棘がない。

 ……つまり──。

「なぁんだ……」

 わたしはクソガキを捕らえる薔薇ゴーレムの前に、ゆったり堂々と現れる。

 クソガキはわたしの姿を瞳に捉えると、蔓にぐるぐる巻かれた情けない格好のまま、怒鳴り散らした。

「おい! 何しにきた!」

「…………」

「余計なことすんなって言っただろ!」

「【アーチェリー】」

 クソガキの怒鳴り声を無視して、わたしは静かに、風属性魔法【アーチェリー】を発動した──緑色の光を纏う細い竜巻が、弓と矢の形になっていく。

 おもむろに、弓矢を構えた。

 薔薇ゴーレムに向けて──ではなく。


 クソガキに向けて。


「え」

 クソガキが、目を見開いて、自分を狙うわたしを凝視した。

 わたしは矢から手を離す。

 矢は真っ直ぐにクソガキ目掛けて飛んでいき──。

「うおおぉぉぉ!?」

 クソガキが避けたせいで、鏃が彼の頬をかするだけで終わった──クソガキの頬から、血がわずかに噴き出る。

「ちっ、外したか」

 おっと、思わず本音が。

「イッテェな! 何すん……え?」

 文句を言おうとしたクソガキの口が止まる。

 なぜなら、薔薇ゴーレムによる拘束がなくなって、普通に地に足つけて立っていたからだ──というより、薔薇ゴーレムが、ただの薔薇に戻っていたからだ。

「ど、どういうことだ?」

「あれは、ゴーレムじゃなくて、幻覚」

 わたしは地面にぽとりと倒れる薔薇を拾い上げて、近くの花壇に、簡単に埋め直した。

「水属性魔法【イリュージョン】。虹の原理を応用した魔法ね。錯覚に近いから、痛みとか気づきとかで、効果を失うのよ」

 棘のない薔薇はない。「弱点のないものは存在しない」という意味だ──つまり、あの薔薇は存在しない薔薇=幻覚ということである。

 わたしの説明に、クソガキは素直に感心した様子だった。

「……よく知ってんな、お前」

「ま、まあね……」

 十六歳でも、これくらいの魔法知識ならセーフだろう。

 クソガキは、頬に流れる血を手の甲で拭った。小さなかすり傷だ。血はもう止まっている。

「……じゃあ、この試験の課題って、ゴーレムが幻覚だって気づくことだったのか……」

「そう……ね……?」

 クソガキに同意しつつも、わたしの違和感は消えないままだった。

 ……何か、おかしい。

 だったら、試験開始直前のアナウンスで「討伐」なんて言い方するだろうか。

 それ自体がミスディレクション? いや、試験の説明でそんなことするか?

「……ふん、試験と言うには、随分呆気ないな」

 クソガキの言う通り──言う通りどころか、あまりに呆気なさすぎる。

 疑問が晴れないまま首を傾げるわたしを置いて、クソガキは出口へと足を向けた。

 その背後にあった花壇の土が、ボコッと盛り上がる。

 ──ボコボコボコボコッ!!

 土はどんどん盛り上がる。

 一瞬にして、三メートルほどの土ゴーレムが現れた。

「土ゴーレム!?」

 先生の用意したゴーレムは二体いたってこと!?

「え?」

 クソガキが土ゴーレムの気配に気づいて、振り返ったが──もう遅い。

 既に土ゴーレムは、クソガキの頭を目掛けて拳を振り下ろすモーションに入っていた。

「【サイクロン】!」

 わたしは咄嗟に、風属性魔法【サイクロン】を発動──鋭い旋風が刃のごとく駆け抜け、土ゴーレムの腕を切り落とした。

 クソガキに土ゴーレムの拳が叩き込まれるまさに寸前、土ゴーレムの腕がズドンと土煙をあげて地に落ちる。

「この馬鹿! なに油断してんの!」

 尻餅をついたクソガキの手を引いて、わたしたちは走り出した。




第十話


 上手く土ゴーレムを撒くことに成功したわたしたちは、先ほどわたしが身を隠していた、大きな葉が生い茂るコーナーにしゃがみ込んでいた。

 ひとまず、ここで落ち着いて、作戦を練らないと。

「いい? 土ゴーレムの弱点は水。あんたの水魔法で、どうとでもなるわ」

「それくらい、知ってる……」

「じゃあ、さっさと……」

 言いかけて、はた、と気づく。

 こいつ、さっき、後先考えずに魔力を大量消費して、苦戦を強いられていたんだった。

 正直、わたしが水魔法を使って倒してもいい──けれど、さっき風魔法を使ってしまった。風属性も水属性も使いこなせることがバレたら、悪目立ちしてしまう。それは避けたい。

 なんとしても、クソガキに倒してもらいたいのだ。

「……俺は絶対、勝たなきゃなんねーんだ」

 クソガキが、眉間に皺を寄せたまま、呟いた。

 クソガキの魔力不足にわたしが気づいたことを、彼も察したようだ。

「理事長の息子で、でかい態度取ってるのに……! 魔力切れで試験に落ちたなんて、醜態晒すわけにいかねーんだよ……! 魔力がなくたって、俺がやんなきゃダメなんだ……!」

 消耗しきった魔力。ノープランで土ゴーレムに向かっていく無鉄砲な姿勢──それでも、決して諦めようとはしない、意地。

 生意気な態度の裏には、彼なりに背負いこんでいたものがあった。たとえ不器用にしか活躍できなくても、やらなきゃいけない場面で諦めるという選択肢は、絶対にない。

「あんた、やっぱり馬鹿ね」

「はぁ!? 喧嘩売ってんのか!?」

 クソガキの両手を、わたしは掴んだ。

「なんだよ、離せ……!」

「……わたしの魔力を、分けてあげる」

「え」

 クソガキの指に、指を絡めて、強く握った。

「お、おい、ちょっ……」

「黙って」

 目を瞑る。わたしの魔力が手を通じて、クソガキへと伝っていく感覚がした。半分くらい与えれば大丈夫だろう──持病の『成長止め』は、見た目と体力に影響を与える病だが、魔力には作用しない。趣味と実益を兼ねた日々の鍛錬の甲斐あり、わたしは人並み以上の魔力を持っている。

 予定した量の魔力を与え終わり、わたしは目を開けた。

 ──そこには、真っ赤な顔をして固まっているクソガキがいた。

「お前……っ」

「どう? これで魔法は使えそう?」

「えっ、あっ……」

 握っていた手を離す──自由になった両手を見つめ、握ったり広げたりするクソガキ。復活した魔力を実感して、不思議そうな顔をしている。

「すげぇ量の魔力……」

「そう? 半分あげただけよ」

「これで半分……!? ほんとにお前、なんなんだよ……!?」

 ズドォン! ズドォン!

「もう、ここもすぐ見つかるわね」

 土ゴーレムの足音が近づいてきた。動きは遅いものの歩幅が広いので、逃げてもすぐに追いつかれてしまうだろう。

「なんでもいいわ。水魔法をあのゴーレムに食らわせてちょうだい」

 わたしの言葉にクソガキが頷く──もう「指図すんな」とは言ってこないようだ。

「!」

 黒い影がわたしたちに覆い被さった──振り返れば、土ゴーレムが、上からわたしたちを覗き込んでいる。

 土で生成された拳がゆっくりと重い動作で、振り上げられた。

「【ウォーター・フォール】!!」

 クソガキが唱える──土ゴーレムの頭上から、大量の水が出現した。

 バッシャアアアア──!!

 雪崩のように、水が土ゴーレムを叩きつけた。

 土ゴーレムはドロドロとただの土に戻っていき──上から下に落ちる水はそのまま波となって、地の上を勢いよく這っていく。

「【ウィンド・パージ】」

 洪水に巻き込まれる前に、わたしは風属性魔法【ウィンド・パージ】を唱えて、クソガキもろとも浮遊する。

「やったか……?」

 クソガキが呟く。天井に頭がつかないギリギリの高さまで浮く──土ゴーレムのいた場所に大きな土の塊ができているのが見えた。そこを中心として円状に、水源を失った水がだんだんと失速しながら流れていく。

『──アン・デリックチーム、試験合格です。教室に戻ってください』

 試験終了のアナウンスに、ほっと胸を撫で下ろす。

 クソガキを見やると、力の抜けた子どもらしい表情をしていた。

 ……とにかく、第一関門突破かな。




第十一話


「……お前、俺のこと、馬鹿って言っただろ」

「え」

 植物園から校舎に戻り、昇降口から教室まで向かっている途中。ずっと静かだったクソガキが口を開いた。しかも妬み口。

「い、言ったかなぁ? そんなこと」

「言った」

 少しも覚えていない。心の中でクソガキと呼んでいるので、「馬鹿」と実際に言ってしまったところで、言いそうな自分も否定できないのが悲しいところだ。

「……初めて、言われた」

 ……マジか。

 思わず、ぽかんとしたアホ面を晒してしまう。幸い、クソガキはこちらを見ていなかったので、アホ面には気づかれることはなかった。

 薔薇ゴーレムの幻覚を解いた後の油断はともかく。先手必勝狙いで魔力を使い果たし、まんまとピンチに陥っていたクソガキの、どこをどう見たら馬鹿じゃないんだ。

「……俺の親父は、ここの学校の理事長で──簡単に言えば権力者だ。俺も生まれつき魔力が強かった」

 俯きがちのクソガキが、降り出した雨みたいな勢いで何か喋り始めた。つまらなさそうな話だ。

「……だから、同世代も大人も、俺に逆らってくるやつはいなかった。大人は親父の権力に怯えて、同世代で俺に勝てる魔力を持ったやつはいなかったからな」

 ふーん。

 先を歩いていたクソガキがふと足を止めて、わたしに振り返る──青い瞳が、わたしを真っ直ぐに見つめてきた。

「……お前が初めてなんだよ、俺に真正面から向き合って、怒って、叱ってきたやつは」

 ……あぁ、なるほど。

 退学が怖くないどころかむしろ望んでいるし、わたしの父は、ここの理事長と肩を並べる権力者。おまけに魔力も魔法の使い方もわたしはこいつより格上だ──要は、今まで出会ったことのない、自分より格上のタイプだったってことか。

「……俺は自分の魔力に自信があった。……でも、今回の試験はお前がいないと、何もできない、ただの子どもだった。──お前が、ペアでよかった」

 そう言って、クソガキは右手をわたしに差し出して、


「ありがとう、アン」


 ふわりと、優しく微笑んだ。

 初めて見たクソガキの笑顔──よく見れば案外、整った顔立ちをしている。いや、初対面の時も整った顔をしているとは思ったな。

「……どういたしまして」

 わたしはその手を握った。

 十六歳の少年との握手は、なんだか少し照れ臭かった。

 後日、試験の合格者とその点数が廊下に張り出された。

 一位はクソガキだった。わたしは狙い通り、合格者の中でも真ん中ぐらいの順位。狙い通り。こっそりとガッツポーズをする。

「何でその順位で嬉しそうにしてんだよ」

 後ろからクソガキの声が降ってきた。ガッツポーズを見られたらしい。

 クソガキはわたしの隣に立ち、順位表をまじまじと睨みつける。

「っつーか、俺の順位、不当だろ。お前の魔力貰って一位獲れても、気分良くねぇ」

 そう。クソガキが一位なのは、目立っていたからだ。不利状況でも果敢に薔薇ゴーレムに挑み、しかも土ゴーレムまで倒した──だが、クソガキは全てわたしのお陰だと思っているようで、とても厄介である。そのままわたしが目立たないように、目立っていて欲しい。

「先生に抗議してくる」

「あ、ちょっ、馬鹿! やめなさい!」

 くるりと踵を返し、職員室に向かおうとするクソガキの襟を掴んで引き留める──眉間に皺を寄せた端正な顔が振り向いた。

「……また馬鹿って言ったな」

「言ってない」

「言った」

「言ってない」

 ばちばちと火花が飛びそうなほど睨み合う──初対面の再現のように。

 わたしはアホらしくなって、ため息をついた。

「試験に受かったのは、あんたの実力でしょ。わたしはちょっと手伝っただけなんだから、これは妥当な順位よ」

「……アンタって言うな」

「は?」

 さっきまでの睨んできた目つきはどこへやら。クソガキは視線を逸らして、口を尖らせていた。

 まるで、拗ねた子どもみたいに──いや、「まるで」じゃない。ただの拗ねた子どもが、そこにいた。

「……俺は、デリックだ」

「…………え」

 なぜ、今、名乗る?

 思考を巡らせて、一つの回答に辿り着いた。

 ──まさか、名前で呼んで欲しいってこと?

「わ、悪かったわよ。……デリック」

 恐る恐る、呼んでみる──陰でクソガキと呼んでいた、罪悪感を乗せて。

「…………ん」

 デリックは頬を僅かに赤く染め、満足そうに口角を少しだけ上げてから、去って行った。

 名前で呼んだから、なんだって言うんだ。

 一体、何が嬉しいんだ。

 デリックの背中を見送ってから、わたしは頭を抱える。


 ……十六歳、わっかんない!!




第十二話


「ねぇ、アンちゃん。今度の休み、僕とデートしない?」

「ゲホッ! ゲホッ!」

 食べていたサンドウィッチが気管に入った。

 昼休みの学食。ノアに誘われて、わたしたちは二人でランチをしていた。コリンもついてこようとしたが、ノアに「二人きりがいい」と押し切られてしまったのだ。

「わわ、大丈夫〜?」

「だ、だい……っ」

 ノアが水の入ったコップを渡してくれる。わたしはそれをありがたく受け取って、喉に流し込んだ。

 ……で、なんだって?

 ──十六歳と、デート?

「そうそう。今度、試験休みで連休があるでしょ? 一緒にお出かけしない?」

 ……それは、デートじゃなくて、子守りではないだろうか。

 せめて二十歳を超えてから、デートと言って欲しい。エスコートも期待できないし、何より、十六歳にお金を出させるわけにはいかないのだから。

 少なくとも、お父様からは、そう教わって生きてきた。子どもや自分より身分の低い者には、お金を出させるものではない、と。

「えーっと……」

「だめ〜?」

 断ろうと思った。休みの日は、一日寝るか、趣味の魔法研究に没頭するかの二択だ。何より、ただでさえ、学校で十代に囲まれて居心地の悪さを感じているのに、休みの日まで相手をするのは面倒だ。

「や、休みの日は……」

「えー? ボク、アンちゃんともっと仲良くなりたいな〜」

 …………ん?

 ……もっと、仲良く?

 わたしは当初の目的を思い出す──そうだ、さっさと友達を三人作って、ここを退学するんだ。

 記憶を辿れば、ノアは初対面からわたしに対して好意的な態度をとってくれている──もしかしたら、友達第一号になってくれるかもしれない。

 わたしは考えを改めた。

「……いいわよ、お出かけしましょう」

「ほんとに? やった、デートだ」

 無邪気にノアが笑う。柔らかそうな明るい茶色の髪が、ふわりと揺れた。

「じゃあ、ノアのご両親に挨拶した方がいいわよね」

「挨拶? なんて?」

「息子さんをお預かりしますって」

 ノアが、ぷはっと吹き出した。

「誘拐犯かよ。アンちゃんってば、面白いこと言うよね」

 友達と遊ぶのに親の承諾はいらないよ、とノアは付け足した。

 ノアに笑われて、途端にわたしは恥ずかしくなる。

「そ、そっか……」

 年齢を意識しすぎてしまっていた──ノアの前では、わたしは二十六歳じゃなくて、十六歳の少女なのだ。

「それじゃ、次の休みね。正午に街の噴水広場で待ち合わせしよ」

「校門じゃなくて?」

「クラスの人に見られると、面倒かもだからね。逆にアンちゃんは、あの二人付き合ってるって、騒がれたい?」

 ……確かに。変な噂が立って欲しくはない。理由がなんであれ、目立ちたくはないのだから。

 わたしとの約束を取り付けたノアは、立ち上がる。

「ボク、図書室に用があるから、またあとでね」

「は〜い」

 トレーを片付け、図書室へ向かうノアに手を振った。

 …………ん?

 よく考えたら、家族や使用人以外の人と出かけるのって、初めてかもしれない。

 しかも相手は子ども…………。

 …………。

 うーん……。

「いくら持って行けばいいんだろう……?」




第十三話


 ノアと約束の日。

 デートの話を聞いたコリンもついてこようとしたが──彼は生憎、先日の試験に落ちたせいで、今日は補習だった。

 私服を着て、待ち合わせ場所の噴水広場を目指す。

 学校近くにある街は、学生が賑わう立地なだけあり、高価なお店は多くない。相手の金銭感覚が分からないけれど、男の子は買い物があまり得意ではないらしい──頭を悩ませた結果、良いレストランで三食奢れるだけのお金を持ってきた。

 これなら、ノアが何を買おうとしても大丈夫だろう。

 レンガ調の街を闊歩しているうちに、白い噴水が見えてきた──待ち合わせスポットのそこは、誰かを待っているような人で溢れている。正午の鐘が鳴り、噴水の水がいっそう高く舞い上がった。

 待ち合わせ時間ぴったり。わたしは噴水の周りにいる人たちの中からノアの姿を探す。

 キョロキョロしながら歩き回るが、一向にノアの姿が見えない──

「だから、お金は持ち合わせてないってば」

 どこからかノアの声がした。声のする方へ歩を進め、広場から外れた小道を覗く。

 二人組の男たちに、ノアが囲まれていた──見た感じ、まだ十代。男っていうより、少年と言う方がしっくりくる二人組だった。

「ノア!?」

 わたしの呼びかけにノアが振り返る──一瞬ほっとした表情をしたが、すぐに険しくなった。

「アンちゃん、ごめん。ちょっと待ってて」

 ノアの静止を聞かず、わたしはズカズカと三人に詰め寄る。

 ノアに絡んでいた二人は、わたしを舐めるようにジロジロと全身を見てきた。

「何? こいつの彼女? こいつがぶつかってきたのに、謝ってくんねーんだけど、代わりにアンタが謝ってくれんの?」

「女なら、金じゃなくてもいーぜ」

 ギャハハ、と下品に笑う二人。

 おおかた、偶然ぶつかったノアにいちゃもんをつけて、金を巻き上げようとしているんだろう。

「アンちゃんは関係ないだろ!」

 ノアがわたしを庇うように、一歩前に出た──中性的な見た目とは裏腹に、かっこいいことをしてくれるじゃない。

 ──でもね、ノア。

 子どもを守るのは、大人の役目なのよ。

「あんたたち、ダサいことしてんのね。カッコ悪いわ」

「あぁ!?」

 この年代の男の子って、「ダサい」とか「カッコ悪い」って言葉が、本当に嫌いよね。

 使用人にも、幼い頃はそうやって親と言い合いしていた子がいたし、とわたしはしみじみ幼かったコリンの兄、カリンを思い出す。

「テメェ、言わせておけば……!」

 額に青筋を浮かべた少年たちが、わたしに掴み掛かろうとしてきた。

「【スコール】」

 風属性魔法【スコール】。彼らに向かって突風が吹き荒れ──二人は抵抗する術もなく吹き飛ばされた。

「うわあああああ!!」

 鈍い音がして、少年たちが動かなくなる。レンガの地面に頭をぶつけた彼らは目を回していた。

「行きましょう、ノア」

「う、うん……」

 ノアの手を引いて、わたしたちはその場を後にした。




第十四話


 オススメのお店があるんだ、とノアはわたしをカジュアルなレストランに連れて行った。

 綺麗な内装とクラシックな雰囲気で、メニューに載っているご飯も美味しそう──学生は安くて良いお店を知ってるんだなぁ。

 わたしがお店を気に入っている一方で、ノアは、お店に向かって歩いている時も、オーダーを頼み終えた後も、どことなく元気がなかった。

 やっぱり、さっき絡まれたのを気にしているんだろうか。

「……ノア、さっきの人たちのことなら、気にしなくていいわ。ただの災難だもの、事故よ、事故」

「…………いや、ボク、アンちゃんに助けられて、情けないなって……」

 情けない?

 わたしはノアが何を気に病んでいるのか、さっぱり分からなかった。

「どこが情けないの? ノアはわたしのことを守ろうとしてくれたじゃない。簡単にできることじゃないわ」

 わたしのフォローにも、ノアの苦い表情は変化せず、小さく首を横に振った。

「……でも、結局あの場をなんとかしてくれたのは、アンちゃんじゃないか」

「別に誰が解決したっていいじゃない。それとも、ノアがどうにかしなきゃいけない理由でもあるの?」

 お冷に口をつけながら問いかける。

「あるよ! だって……」

 ノアはテーブルの上に置いていた拳を、ぎゅっと握りしめた。

「ボク、男なのに……!」

「…………は?」

 ──男なのに?

 男だから、女に守られるのは情けないって?

 そんなことで落ち込んでいるのか、この子は。

 わたしは呆れたため息が出るのを必死で抑え込んだ。

 …………しょーもない。

 心底、どうでもいい。

 やっぱり、十六歳は理解できないことだらけだ。

「あのね、ノア」

 静かに口を開く。ノアの肩がびくりと震えた。

「困っている人を助けるのに、性別は関係ないでしょ」

「…………っ!」

 ノアはハッとしたようにわたしを顔を上げた──明るい茶色の瞳が、小さく揺れている。

「それとも、ノアは、困っている人が男の人だったら、助けないのかしら?」

「そんなことない!」

 ノアが大きな声を出し、店内の視線が一瞬わたしたちに集まる。ノアはそれに気づいて、小声で「ご、ごめん……」と謝りながら縮こまった。

「……ね? わたしも一緒」

 わたしはにこりと微笑んだ。ノアがそう答えることは予想していたから──わたしを守ってくれようとしたノアなら、きっと誰だって助けるはずだ。

 気を取り直そうとしてか、ノアはお冷を一口飲んで、

「…………昔、言われたんだ。男なのに頼りないって」

 ぽそぽそと、遠慮がちに語り始めた。わたしは頬杖をついて、その話に耳を傾ける。

「女の子二人とボクの三人で、木登りして遊んでたんだ。そしたら、一人の女の子が木から足を滑らせて落ちたんだ。ボクは何もできなくて……。結局、近くで遊んでいた別の女の子が手当てや大人を呼んだりしてくれて、なんとかなったんだけど……」

 ……で、一緒に遊んでいた女の子に「男のくせに頼りない」って言われた、と。

 それが、ノアのトラウマになっているのか……。

「頼りないって言われて、何よりボク自身がそう思った。今も思ってる。身長も高くないし、筋肉もつかないし。せめて魔法だけは、って頑張ってはいるんだけど……はは」

 力なく、ノアが笑う。

 そうか、ノアもあの試験に合格した組か。そりゃそうだ、落ちていたら今日補習なんだから。

 子どもは子どもなりに、考えて努力しているんだな……。

 わたしは頬杖を解いて、ノアと目を合わせた。

「男とか女とかの前に、ノアはノアでしょ。絡まれても一人でなんとかしようとしてたし、わたしのこと守ってくれたし……」

 冷水の入ったコップを持つノアの手に、そっと手を重ねる。

「とてもカッコよかったわよ」

「…………!」

 カッとノアの頬に朱色が差す。ノアは小さく頷いて、重なっていた手を、自身の方へ引いた。

「あ、ありがとう……」

 照れ臭そうに笑うノアに、わたしも笑い返す。元気が出たようでよかった。

「お待たせいたしました」

 ちょうどウェイターが、注文した料理を運んできてくれた。テーブルの上に二種類のパスタが並べられる。

「いただきます」

 ノアはフォークだけで、わたしはフォークとスプーンを使って、パスタを食べる──メニュー表では美味しそうに見えたが、実際に口に運んでみると、値段通りの味がした。

「それで、本題なんだけど……」

 食べ終わったお皿も下げてもらって、優雅に食後の紅茶を楽しんでいる時、ノアが切り出した。

 彼の鞄から取り出されたのは、一冊の魔法専門雑誌──嫌な予感がする。

 ノアの手によってペラペラとページが捲られ、あるページを見開きにした状態でストップされた。

「これ、アンちゃん?」

 ノアが指差す先には、わたしが半年前に寄稿した記事があった。寄稿したライターの名前は、「アン」。

「アンちゃんと同じ名前だよね?」

「さ、さあ? たまたま同じ名前の別人じゃない?」

「ふ〜ん」

 わたしの下手くそな誤魔化しに、ノアは納得したような、してないような曖昧な相槌を返して、また別のページを捲り始める。

 次はなんだ……?

「ここに、そのアンって人の著者近影も載ってるみたいだよ」

 ノアの人差し指が示すのは、似顔絵師によって描かれたわたしの顔。そして、その下にアンという文字。

 逃れられない証拠に、わたしは右手で額を押さえた。

 すっかり忘れてた……!

 この雑誌、最終ページにライターまとめるって言って、この回に寄稿したライター全員の顔と名前を載せられたんだった……!

 そもそも魔法専門誌は対象読者がほぼ学者……! そんな難しい本、十代の学生が手に取ると思わないじゃない……!

「どこでこれを……?」

「図書室。ほら、デートの約束した後、ボク図書室に行ったじゃない。魔法の勉強している時に、偶然」

 雑誌の裏表紙には、魔法学校の校章の印が捺されていた。学校の図書室のものである証だ。

「元々アンちゃんって、年齢不相応に大人っぽいから、おかしいなとは思ってたんだけどね」

「な、何が望み……?」

「待って、待って。そんなエッチな小説に出てくる屈服した女騎士みたいなこと言わないで」

 ノアの例えが全く伝わらない。

「違うんだよ。アンちゃんは、年齢や家柄を偽ってまで、どうして魔法学校に入学したのかなって。何か事情があるなら、協力させてよ」

 困り眉のノアが、上目遣いでわたしを見つめる。垂れた犬耳が生えているみたいだ──わたしはそのあまりのピュアさに目が眩んだ。

「……な……な……!」

 ──なんて、良い子なの……!

 わたしは観念して、がっくりと力を抜いた。

「……わたし、十代の頃に、訳あって学校に通えなかったの……」

 今度はわたしが過去を話す番だった──ノアは雑誌をカバンにしまって、前のめりの姿勢になる。

「だから、お父様から『社会性を身につけるために学校に入学しろ』って言われて……。十代の中に二十六として入りたくないし、貴族だって目立ちたくなかったから、隠していたの」

「その社会性って、どうしたら身につけたって証明できるの? 目に見えるものじゃないよね?」

 鋭い。

「うん、友達を三人作るっていう指標があるわ。でも……クラスメイトが男子しかいないから、もう困っちゃって、困っちゃって」

 ただでさえ、友達と呼べる人間がいないっていうのに。いきなり十個下の異性の友達を作れというのは、いささかハードモードすぎると思う。

「…………それさ、ボクをその一人にしてよ!」

「え?」

「ボク、アンちゃんと友達になりたい!」

 思わぬノアの提案に、わたしは瞬きを繰り返すことしかできない。

「…………本当に、いいの?」

「あ、アンちゃんさえよければ、だけど……!」

 ノアが慌てて言い直すが、わたしが気にしているのはそんなところではない。

「……だって、わたし……」

 二十六歳だよ?

 年齢を再度聞いても、ノアの意思は変わらなかった。

「さっきアンちゃんが言ってくれたよね? ノアはノアだって。ボクにとっても同じ。アンちゃんは、アンちゃんなんだよ。ボク、別にアンちゃんが同い年だと思ったから、友達になりたいわけじゃないよ?」

 ついさっき放ったわたしのセリフをそっくりそのまま返されて、言葉に詰まってしまう。

「十六歳と二十六歳は友達になれないなんて、誰が決めたの?」

「そ……れは」

 ──わたしの負い目。

 年齢を偽ってないと、学校で友達なんて、できっこないって。

 ノアは微笑んで、右手を差し出した。

「アンちゃん。……ボクと、友達になってください」

「……はい」

 わたしはその手を取った。

 子どもなのに、わたしより大きな男の子の手が、温かい。

 十六歳と握手するのは、これで二回目だ。

 ──それでも、やっぱり恥じらいは捨てきれなかった。




第十五話


 ランチを済ませた後。

「アンちゃんの私服は大人っぽすぎる! 同い年とは思えないよ!」

 というノアの提案で、今後プライベートで誰に会っても怪しまれないように、十代っぽい服を数着調達することになった。

 とうの昔に捨ててしまったブランドのお店に入り、心躍る服を手に取って、ノアに見せる──「似合ってるよ」とノアは微笑んだ。

 本当にいいのだろうか……? この年齢で、またあの時と同じ服を着て。

 不安は未だ拭えない。戸惑いつつも、しかし、試着室に入った時、胸の高鳴りを抑えきれない自分に気がついた。

 今は十代のフリをしているのだから、仕方なく、仕方なくよ……!

 当たり障りない言い訳を盾にして、二十代には許されないと思い込んでいたデザインの服を購入した──ミニスカートや、フリルのついたカットソーなど。

 やっぱり、どうしても、自分好みのファッションというものは、テンションが上がらざるを得ない。

 可愛らしいデザインの洋服入れたショッパーを持って、最終的にご機嫌な休日の帰り道だった。

「ボクの家って、全員男兄弟なんだよね〜。男四兄弟」

「よ、四……!」

 兄弟が四人もいて、しかもみんな男の子ってどういう感じなんだろう。

 一人っ子で、蝶よ花よと育てられたわたしには到底想像もつかない。

「ボクはその長男でさ〜」

「え、長男……!?」

 見えない……! こんなに人懐っこい笑顔が似合うノアが、一番上……!?

「てっきり末っ子かと思った……」

「あは、よく言われる〜」

 ノアは地面の小石をコロンと軽く蹴飛ばした。

「ずっと弟たちの面倒見て育ってきたからね、年上の女の人にすんごく憧れがあったんだ。甘やかしてもらえるんじゃないかって。だからアンちゃんが年上だって知った時、すごく嬉しかったんだよ?」

「十個も上でも?」

 優しいノアに、つい意地悪を言ってしまう。

「あはは、それは流石に卑下しすぎ。大人っぽい女の人が好きって話じゃん」

 それは『子ども大人』でも適用されるのかな……。

「じゃあ、ノアはわたしに甘やかして欲しいってこと?」

「望んではいないよ。甘やかされたら、好きになっちゃう」

 ……好きに……なっちゃう……?

 姉や母のような癒し的な意味で、だろうか──それとも、友達として?

 頭を回転させるわたしを見て、ノアはクスッと意味ありげに笑った。

「アンちゃんの社会性のなさって、恋愛経験のなさでもあるよね」

「え、急に貶してくるわね、受けて立つわよ」

「喧嘩売ってないよ。そういうところも、可愛いねって」

 …………可愛い?

 十六歳が、二十六歳に可愛いだって?

 基準がおかしいんじゃないのか? それこそ恋愛経験がないのは、ノアの方だろう。

「……ノア、あんまり大人を揶揄うものじゃないわよ。わたしからすれば、ノアの方がよっぽど可愛いわ」

「えー、じゃあボク、アンちゃんにカッコいいって言われるように、頑張ろっ」

 そう言って、力こぶを出して見せるノア。ぺったんこな二の腕がそこにあった。

「わたしじゃなくて、好きな子に言われるように頑張りなさいよ……」

「同じ意味じゃん」

 ノアは、にぱっと、相変わらず害のなさそうな笑顔を向けてくる。

 人懐っこいと思っていた笑顔も、今となっては何を考えているのか分からないものになっていた。

 ──もしかして、わたし、ノアに口説かれてる……?

 ははっ。

 そんなまさか。

 一瞬、よぎった馬鹿な考えを捨てるために、わたしはぶんぶんと頭を左右に振った。

 十六歳が二十六歳を口説いて何になるって言うのよ! 非生産的極まりないわ! 自惚れちゃダメ! 勘違いしちゃダメ!

「……ノア」

「んー?」

 魔法学校の寮に向かって、先を歩くノアの背中に声を掛ける。

「この学校はほとんど男子ばかりだけど、好きな子ができたら教えてね。応援するから。ほら、女の協力者がいた方が、色々とやりやすいでしょ?」

 そう、これが大人。子どもの恋を応援してあげる──ノアくらいの年代の子たちがする恋を「青春」って呼ぶのよね。確か、ロマンス小説で読んだわ。

「…………」

 自信満々のわたしとは裏腹に、さっきまで浮かべていた笑みが一気に消え失せ、半目のノアがじっとりとわたしを見据えていた。居心地の悪い視線だ。

 な、何か悪いことを言っただろうか……?

「アンちゃん、ぜーんぜん分かってない!」

「え? えぇ?」

 突然の否定に困惑するわたしを置いて、ノアは頭の後ろで手を組んだ。

「じゃあ、アンちゃんも、好きな人できたら教えてよ?」

「好きな人なんて、この学校で、できるわけないじゃない!」

 クラスメイトは十個下、教師は十個より上の人しかいないんだから! 誰も恋愛対象じゃない!

「わっかんないよ〜?」

 ノアはそう言って、わたしに近寄ってきた。腰をかがめて、わたしの顔を覗き込む姿勢で上目遣いをしてくる。

「……案外、ボクのこと、好きになっちゃったりしてね?」

 なーんちゃって、とノアは悪戯っ子みたいにぺろりと舌を出した。

 再び歩き始める鼻歌まじりのノアの背中を、呆然と見つめるわたし。


 ……あー、やっぱり十六歳って、分かんない!




第十六話


 試験休みの連休が明けた。

 入学早々の試験の後は、演劇祭がやってくる──入学したばかりの一年生や、クラスが変わったばかりの二、三年生たちの懇親会も兼ねているらしい。

 劇の内容は先生たちによってクラス毎に指定されている。生徒たちに選ぶ権利はない。

 わたしのクラスの劇は、『林檎姫』──ストーリーはこうだ。

 林檎のように赤い珍しい髪を持つ林檎姫は、継母の意地悪で家から追い出され、森の中でひっそりと過ごしていた。しかし、誤って野生の毒林檎を食し、永遠の眠りについてしまう。森の中で倒れている林檎姫を、通りがかりの王子が見つけ、その美しさに思わず髪にキスを落とし、林檎姫は眠りから目覚めるのだ。

 ……昔からある童話の一つだが、どうして髪の毛へのキスで毒林檎の解毒ができるのか、と何度読んでも首を捻らせてしまう。解毒ができる魔法といえば水属性魔法だが、王子が水属性魔法の使い手だったのだろうか──いや、そんな夢のない話はよそう。大人になってから、こういうロマンチックな話にいちゃもんを付けるようになった。わたしの良くないところだ。

「──それでは、役をくじ引きで決めるので、順番に前へ出て、くじを引いてください」

 どうやら、この学校は平等を保つためにくじを多用する傾向があるようで、今回の演劇祭も例に漏れず、役をくじ引きで決めることになった──このクラスの女子生徒はわたししかいないのに、姫役を充てがわれる確率は男子生徒も平等らしい。

 元男子校でプリンセスが登場する童話をやらせるのは、先生たちの軽い嫌がらせじゃなかろうか──とも思ったが、女装する生徒が出ることで、打ち解けやすくなることもあるのだろう。

 わたしは前の席の生徒がくじを引き終わったのを確認して、教壇へ歩いていく。

 くじが入ったボックスに手を突っ込み、適当に一枚取り出した。

 自席に向かって足を進めつつ、折り畳まれた小さな紙を開く──『林檎姫』の文字が踊っていた。

 …………マジか。

「アンちゃん、なんだった〜? ボク、小道具になっちゃった〜」

 裏方〜、とくじの紙をひらひらさせながら、ノアがやってきた。明るい茶色の癖毛がふわふわと揺れている。

 答えたくなかったが、今答えなかったところで意味はない。

「…………林檎姫」

「えっ!? アンちゃん林檎姫役になったの!?」

 ノアの大声にクラス中の視線を集める。

「ぐぅっ、アンさん、姫なんですか……!」

 隣の席のコリンが引き攣った顔で呻いた。コリンの手中にある紙に書かれた文字は『背景』。コリンも裏方か。

「王子役の人、いいなぁ〜! アンちゃんの王子様、誰〜?」

 ノアが教室中を見回して、声を掛ける。

 誤解を招く言い方をしないでほしい。

「……オレだ」

 すっ、と静かに手を挙げたのは──前の席の男子だった。

 確か名前は──マーク。

 プリントが配られた際に、いちいち振り返りながら手渡してくれる、ちょっと丁寧な男子だ。喋った回数は数える程度。正直、仲良くはない。

「マーク、よね? よろしく」

 透き通るような青い髪と真っ黒な瞳。ノアとは違った意味で、何を考えているのか読めない男の子だ。

「……あぁ」

 素っ気ない。他のクラスメイトとは仲良くしているようだから、仲良くしていない人との態度の差が激しいタイプなのかもしれない。

「……アン、林檎姫なのか」

「うわ、びっくりした」

 いつの間にかデリックが後ろに立っていた。眉を顰めている。せっかく整った顔をしているのに、勿体ない。

「デリックは何役になったの?」

「…………木」

 いらないだろ、その役。

 役割配分をしたのは先生だ。生徒の人数に対して、役の数が足りなかったのかもしれないが、それにしても苦肉の策すぎる。

「……木以外にも、自然全般、やるらしい」

「そ、そう……、大変ね……」

 自然て。

「それじゃあ、今日の授業はここまで。放課後は、裏方組と役者組に分かれて、それぞれ準備を開始してください」

 台本を配り終えた先生は、解散、とだけ言い残して、教室を出て行ってしまった。

 あとは生徒たちが自主的に行動する時間らしい。

 ……なんとも、奔放主義な学校だ。




第十七話


 準備期間が始まって、改めて、運が悪かったと思い知った。

 林檎姫、覚えなきゃいけない台詞が多すぎる。加えて、絡む相手も多すぎる。ほぼ全員の役者と会話があるのだ──さすがに、自然との会話はないけれど。

「あなたみたいな薄汚い娘は、この家に似つかわしくないわ!」

 継母役のクラスメイトの男子が、裏声でわたしを叱りつける。わたしは床に座り込んで泣き真似。

「そんな、お母様……!」

「この家から、出ていきなさい!」

「…………っ!」

 継母の台詞を受けて、わたしは立ち上がり、教室の端へと走って行く。

「……はい、オッケーです」

 スケジュール管理及び監督役の男子生徒が、シーンを区切る。

 配役が決まった翌日の放課後。役者になってしまった生徒たちは、各々台本を読み込んできて、早速対面での練習となった。裏方のみんなは教室の隅で作業をしている。

「じゃあ次、家から追い出された林檎姫が王子と出会うシーン」

 ずっと教室の隅っこで膝を抱えていたマークが、台本片手に立ち上がった。わたしもその向かい側に移動する。

「はい、スタート!」

 監督役の生徒の掛け声を合図に、わたしたちは教室の真ん中に移動して──ぶつかる。

「きゃっ」

「あ、大丈夫ですか」

 お忍びで城から出かけていた王子様と、家から追い出された林檎姫がぶつかり、運命的な出会いを果たす。

 そこで、林檎姫はハンカチを落とすのだ。

「だ、大丈夫です、すみません、失礼しました」

 林檎姫がその場から立ち去った後、王子様はハンカチが落ちていることに気づく──それを拾い上げ、林檎姫が去った方向を見つめ、

「あの人は……いったい……」

 林檎姫に一目惚れをしたような、そんな色っぽいため息を漏らすのだ。

「……はい、オッケーです。じゃあ、次、森の場面に移って、鳥たちの会話」

 これでわたしの出番はしばらく来ない。ふぅ、と胸を撫で下ろした。

「マーク、演技上手いのね。最後のセリフ、本当に恋をしているみたいだったわ」

「……別に」

 主役同士、仲良くなろうと話しかけてみたが──依然、マークは素っ気ない。

 ……まぁ、いっか。無理に会話しなくても。ちゃんと演技してくれるんだから。

 わたしはマークに背を向け、背景を担当しているコリンの元へ駆け寄った。

「コリンー、どう? 順調?」

「あ、アンさん!」

 コリンは床に座り込み、大きな板の上半分に空の絵を描いていた。下書きの線をはみ出さないように、水色の染料をひたすら塗っている。

 ……なんだか、地味な作業だ。

「まぁ、順調と言えば順調です。特にアクシデントもありませんし」

「何か手伝えることある?」

「え、そんな! アンさんのお手を煩わせるわけには……!」

「そういうのいいから。今出番じゃなくて、暇なのよ。何か手伝わせて。クラスメイトでしょ?」

「うぇ……うーん……」

 両手を胸の前でブンブンと振って拒絶するコリンに圧をかける。

 コリンはしばらく目を瞑って悩んでから、

「じゃ、じゃあ、あの棚にある染料を取ってきてもらってもいいですか……」

「分かったわ!」

 任務をもらえて、にぱっと笑い、るんるんで教室の隅にある棚を目指す。

 棚の上から二段目が、染料が置かれている段だが──全く手が届かない。わたしは近くの椅子を引っ張ってきて、その上に乗る。それでも届くかギリギリだ。

 椅子の上で背伸びをして、腕を最大限まで伸ばす──あとちょっとで手が届きそう……!

「おい!!」

「ぇうわっ!?」

 後ろから大声を浴びせられ、びっくりしてバランスを崩した。

「アンさん!?」

 コリンの悲鳴が聞こえた。

 頭から落ち──る、すんでのところで、誰かの腕の中に収まった。

「わ、悪い……。驚かすつもりはなかったんだ」

 至近距離に、バツの悪そうな顔をしたマークがいた。

 大声の犯人で、受け止めてくれた恩人の両面を持つマークにわたしは尋ねる。

「びっくりしたわよ……。一体何なの?」

 キャッチしてくれたマークの腕から脱出する。

 意図を掴めないわたしに、

「何っていうか……、お前さぁ……、はぁ……」

 マークは呆れを隠さずに、大きく息を吐いた。

 ……は?

 わたしはその態度にカチンときた──十個も年下のガキンチョに呆れられる筋合いはないんだが?

 しかし、わたしの怒りがマークに伝わることはなく、なぜか手首を掴まれる。

「ちょっと来い」

「えっ、あっ、なに? なに?」

 ずるずると引きずられるわたし。コリンが割って入ろうとしたが、マークは「ちょっと話すだけだ」と一蹴。教室の外に連れ出されてしまった。




第十八話


「本当に何なのよ……」

 コリンが心配してるし、早く教室に戻りたい。

 廊下で向かい合うマークは、自身の口の横に手を当て、

「…………てる」

「え? 聞こえないんだけど」

「……スカート、捲れてる」

 小声で教えてくれた。お尻の方に目をやれば、確かにスカートの端っこが、ほんの少し捲れていた。

 …………え? それだけ?

 あんな大声出して、危うく頭から落下しそうになったのに、スカートがちょっと捲れてるだけ? 何ならペチコートを履いているから、下着は見えないのに?

 ……いや、こういう、はしたないなところがお父様の言う「社会性のなさ」に繋がっているのかもしれない。きちんと社会経験を積んできた同い年は、スカートが捲れるなんてドジすらしないのだろう。

 わたしはスカートを軽くはたいて、整えてから、

「お見苦しいものを……」

 と、マークに軽く謝罪した。

 これでマークも「分かったなら、いい」とかなんとか言って納得してくれて、教室に戻れるだろう──

「そうじゃない!!」

 なんて、わたしの予想は大幅に外れた。

 また大声を出された。

 何なんだ、本当に。

「……女子がそんな短いスカート履いて、しかも捲れてたら、良くないだろ」

「誰に、何が良くないのよ。だから、見苦しいもの見せて悪かったって、言ってるじゃない。謝罪が足りないって言いたいの?」

「見苦しくねーよ! 目のやり場に困るんだよ!」

 はぁ?

 別に下着が見えてるわけでもないのに、目のやり場に困るぅ?

「……本気で言ってるの? 女子に慣れてなさすぎじゃない?」

「…………っ!」

 ぐぬぬ、と声が聞こえてきそうなほど、マークの声が詰まった。

 ……図星だったらしい。

「……そうだよ、男だらけの環境で育ったから、女子とどう接していいか、わかんねーんだよ……!」

 殺人事件の自白をする犯人並みのテンションで告白される、彼の過去。

 クラスメイトの割に、素っ気なさすぎる態度にも合点が入った。男同士で会話している時は普通に話している様子だったし。

「……オレは母さんから、『女の子はみんなお姫様だ』と教わっているんだ」

 まぁ、お洒落な例えをするお母様だわ。

 ──なんて、少年の可愛らしい一面を垣間見て、微笑ましくなっているわたしに突きつけられたのは、

「だから、お前も女らしく、姫らしくしろ」

 ──クソガキ命令だった。

 思わず眉間に皺が寄る。

 ……こいつは馬鹿なのか?

「……女らしくとか姫らしくって、何?」

「え」

 女の子はお姫様──それは、「女の子とは、姫らしくお淑やかな生き物である」という意味じゃなくて、「女の子と接する時は、お姫様だと思って扱いなさい」という処世術の教訓だろう。どうしたらそう曲解して、姫らしさを女側に押し付ける発想になるんだ。

「わたしはわたし。アンよ。それが認められないなら、わたしを女として扱わなくて結構よ」

「…………」

 マークは何も言い返してこない。口を半開きにして、言葉を失ったようだった。

 ──わたしという個性を消して、女らしく、だって?

 たまったもんじゃない。しかも、人に命令されて、なんてもってのほか。

 呆然と立ち尽くすマークを無視して、わたしはスカートを翻す。

「そうもいかないだろ……」

 教室のドアを開ける音に混じって、マークのため息が耳に届いた気がした。



 その日から、マークは何故か、わたしの世話を焼くようになった。

「スカート、短くないか?」

「飯、ちゃんと食ってんのか?」

「なんか肌荒れてね? 寝れてねぇんじゃねぇか?」

 ──正直、ウザい。

 身だしなみから健康まで管理されている気分だ──そんなのは、家にいた頃の専属メイドだけで十分だったのに。

 ……まさか、姫らしくならないなら、姫のように教育しようってこと?

 わたしの世話を焼くことで、わたしが姫のように女らしくなるとでも思ってるかしら。

 我が家もこの学校に負けず劣らずの奔放主義だったから、所作の振る舞いとか教わってこなかったのよね……。それが今ここで響いてくるなんて。

 もうちょっと上品な立ち振る舞いをしていれば、マークに目を付けられることもなかったのに……!

 ……いや、そんなことを今更悔やんだところでどうしようもない。

 とにかく、今はただこの状況を受け入れる他ないのだから。

 昼休みになって、わたしは席を立つ。すかさず、マークが近寄ってきた。

「おい、アン、どこ行くんだ」

「学食よ。お昼食べに行くの」

「オレも行く」

 ……このように、トイレ以外はお供のようについてくる。

「あのねぇ、なんでついてくるのよ」

「……放っておけないだろ、女らしく扱うな、なんて言ってるやつ」

 どうして? 放っておいてくれていいのよ?

 だって、わたしはもう立派な大人なんだから!

 ……と、声を大にして言えたらどれだけいいことか。

「じゃあ、ボクも行く〜」

「ぼ、僕もご一緒します!」

「……俺も」

 ノアとコリンとデリックもついてくることになった。

 四人の十六歳を連れて食堂に向かう図は、何だか乳母になった気分で、あまり心地の良いものではなかった。




第十九話


「アン、昼飯それだけで足りるのか? オレのも食うか?」

 五人で食堂の一角を陣取り、やっと落ち着けると思いきや、マークはわたしの食事内容を見て自身のソーセージをわたしの皿に移動させる。

 パン二枚と山盛りサラダの何が不満なんだ。十代男子の胃袋とは容量が違うんだぞ。

「あっ、アンさん、それなら僕のスクランブルエッグも……!」

「ボクのヨーグルトもあげるよ〜」

「俺のパンもやる」

 マークに続いて、他の子どもたちまで、わたしの皿に盛り付けていく始末。

 あっという間に、わたしの食事は豪華なものになってしまった。

「あのねぇ……、わたしは君たちほど多くは食べられないの。それに、みんなのご飯が減っちゃうでしょ?」

「別に、これくらい大丈夫だ」

 わたしの優しい指摘を、即答して切り捨てるマーク。

 マークなりの気遣いなんだろうか、しかし、親切の方向性がいかんせんズレている気がしてならない。しかもマークはそれに気づいていない。

 ……厄介だ。

「あのさ〜、ずっと気になってたんだけど、マークくんはなんでアンちゃんについて回るようになったの? 演劇祭の準備が始まるまで、別に仲良くなかったよね?」

 唐突に、ノアが核心をついた。全員の視線がマークに集中する。

 視線の先にいる青髪の男は、咀嚼していたものをゆっくり飲み込んでから、口を開いた。

「女の子はお姫様なんだよ。でも、こいつは、『自分は姫じゃないから、女として扱わなくていい』とまで言った──だから、放っておけなくなった」

「…………」

 先ほどわたしにした説明と同じことを言うマーク。それに対して、みんなうんともすんとも返さない。一方で、マークは説明終わり、とでも言いたげに食事を再開した。

 ……いや、分からん。

 どうして女扱いしなくていいと断ったら、放っておけなくなるんだ。

 ていうか、十六歳に放っておけないと思われているのか……。

 ショックだ……。

「……女の子はお姫様って意見には賛成」

 沈黙を破ったのは、質問主のノアだった。

「……でも、アンちゃんが心配なら、ボクが代わりにお世話する。マークくんは安心してボクに任せてくれていいよ?」

 お役御免だね? と、ノアはにっこりとマークに笑いかける。マークはその笑顔に鋭い目つきで応戦した。

 ……お世話て。

 わたしの年齢を知っているはずのノアにすら、お世話すると宣言されてしまった。『子ども大人』とお父様に揶揄されるのも、納得の有様だ。

「アンさんのお世話でしたら、僕の方が適任です! ノアくんもマークくんも、お手数かけなくて結構ですよ!」

 コリンが挙手をして、参戦した──そりゃそうだ、彼はわたしのお目付役兼ボディーガードとしての役目も担っているんだから。

 ……お世話係は、仕事内容に含まれていないけど。

「どうしてコリンくんが、アンちゃんのお世話をするのに適任なの? アンちゃんと、どういう関係?」

 ノアがコリンに振り向いた。

「それは……!」

 そうだった、とわたしはハッとする。ノアに事情はあらかた説明したものの、コリンが使用人だとは話していないんだった。

 ノアだけにこっそり伝える分には構わないが、デリックやマークがいる場で使用人だと明かされるのはあまりよろしくない。

 コリンが困ったようにわたしに目で訴えてくる。わたしはぶんぶんと首を左右に振った。

「ぼ、僕とアンさんは……! その、えっと……!」

 頑張れ、コリン……! なんか、いい感じのでっち上げを思いつくのよ……!

 わたしは手に汗握って、コリンを見守る。彼は悩んだ末に、

「主従関係なんです!」

 と、宣言した。

「…………え?」

 みんなの目が丸くなる。わたしは頭を抱えた。

 そのまんまじゃない。

「……アンちゃんは、コリンくんのご主人様ってこと?」

「え、あ、えーと……」

 ノアがコリンに追及する。正確には、わたしの父がコリンの主人に当たるが、まあ、大体合ってる──とはいえ、それを認めるわけにはいかない。

「そ、そうよ! わたし、コリンと主従関係ごっこして遊んでるの! わたしが女王様で、コリンは、その……えっと……、そう、犬よ!」

 十六歳たちが、ぽかんとした顔でわたしを見つめる。冷や汗が流れた。

 何を言ってるんだろう……わたし……。

 コリンを犬呼ばわりして申し訳ない──後できちんと謝ろう。

「……わん」

 唖然とした空気の中、コリンが小さく鳴いた。わたしも泣きたい気分になった。

 何が主従関係ごっこだ。ただコリンをいじめているだけじゃないか。

「……お前、女王様だったのか……」

 ずっと無言だったデリックがボソリと呟いた──本気のトーンが心に突き刺さる。

「犬がいるなら、ボク、アンちゃんの猫になる〜! にゃんにゃん!」

 ノアが両手で猫の耳を作るポーズをとった──明るくふざけてくれたお陰で、凍った場が解凍されていく。

 何かを失った気がするが、なんとか乗り切った──

「いや、犬も猫も世話される側だろ」

 デリックがまともな突っ込みを入れてくる。

 やめろって。そういうの、求めてないから。ごっこ遊びだから。ごっこ遊びすら、嘘だから。

「……俺もやってやるよ、主従関係ごっこ。女王様なら、側近が必要だよな?」

 デリックがニヤリとして、わたしの側近に立候補してきた。側近の分際で、謎の上から目線。

 いいえ、募集しておりません。

「じゃあ、オレも執事で」

 マークも静かに、テキトーすぎるポジションで参加してきた。

 待って、待って。わたしは十六歳と主従関係を築きたいわけじゃない。

「従者がいっぱいできちゃったね、アンちゃん?」

 わたしが貴族であると知っているノアが、意味ありげに首を傾けて可愛らしい仕草をする。

 どうにか、このアホなグループを解散させなければ……!

「四人にお世話なんてされなくても、一人で大丈夫だから……!」

「一人ずつ交代制ってこと?」

 違う! 『一人で』っていうのは、『わたし一人で』って意味!

 都合よく解釈したノアが、十六歳四人の中でルールを決め始めた。

「これからは、アンちゃんのお世話は一日交代制だからね! マークくんから時計回りで、デリックくん、ボク、コリンくんの順番でルーティーンしていくこと! オッケー?」

 他の三人が「おー」と軽く了解の意を示す──唯一本物の従者であるコリンは不服そうだったが、これ以上意見するとボロが出そうなのか、大人しく従っていた。

 ──当の本人であるわたしを放ったらかしのまま、わたしのお世話係同盟が結ばれてしまった。

 

 十六歳って、本当に分からない……!




第二十話


 二十六歳の女のお世話係に、十六歳の男の子が就任して、早二週間。

「はぁ……」

「なんだよ、朝から元気ねーな」

「デリック……」

 女子寮から教室へ登校中、いつの間にかデリックが隣に並んでいた──今日のお世話係はデリックのようだ。

「ほら、貸せ」

「あっ」

 お世話と言っても、女子寮に入ってくることはできないし、ただ休み時間にやたら話しかけてくるだけの存在になっていた──従者っぽい行動と言えば、荷物を持ってくれることくらいだ。

「やめてよ。荷物持ちさせて、いじめてるみたいじゃない」

「俺が好きで持ってんだからいーだろ」

 まさか荷物を奪い取られているとは、誰が想像できようか。

「おい……、あの女子、デリックに荷物持ちさせてるぞ……」

「理事長の息子を尻に敷くなんて、どんだけヤバいやつなんだ……?」

 廊下をすれ違う男子生徒たちのひそひそ声が耳に届く。周囲を見渡せば、あからさまにわたしと目を合わせないように、顔を不自然な方向に背けた生徒たちが通り過ぎていく。その中にはクラスメイトも混じっていて──わたしはクラスから孤立し始めていた。

 三人の友人を家に招くという目標が遠のいていくのを、ひしひしと感じる。

「……はぁ」

「……お前、本当に大丈夫か? 保健室行くか?」

「大丈夫よ、ちょっと疲れてるだけだから」

 疲れというか、気疲れだし。

 最近、ちょっとばかり予定外の出来事が多すぎた。本来なら、女の子とサクッと仲良くなって家に招待し、「アンちゃんの友達です」とお父様の前で宣言してもらって、さっさと退学する予定だったのだから。

 ──まさか、クラスメイト全員男子で、他クラスとの交流もないまま、ノアに年齢がバレた上に従者が四人できるとは思わないじゃない……。

 問題はそれだけじゃない。

 何よりわたしの負担になっているのは、演劇祭だった。

 暗記は得意だったので、すぐにセリフは覚えられたのだが──王子役のマークの演技が上手すぎて、姫であるわたしの演技が浮いてしまっているのだ。

 クラスメイトがそう指摘したわけではない。四人の男子を従えているわたしに意見するような人間はいない──他人から言われなくても自覚するくらい、浮いているのだ。

 結果、わたしはここ二週間毎日、放課後行われる演劇祭準備の後はコリンに演技の練習に付き合ってもらい、夜は女子寮の自室で自主練に励んでいるのだ。

 ……ちょっとだけ、眠い。

「……やっぱり具合悪そうだぞ」

 あくびを噛み殺すわたしを、デリックが覗き込む。

 ……いやいや、大人たるもの、疲れを顔に出しているようでは、まだまだだ。これでは『子ども大人』の称号が外れてはくれない。

 わたしは気合を入れるために、自分の両頬を軽く叩いた。

「デリックに心配されるようじゃ、わたしもダメね」

 そう言って、背の高いデリックに笑いかけた。わたしは元気、と目で訴えたが、デリックは眉間に皺を寄せた。

「何と戦ってんだよ」

「何って、自分よ、自分! いつでも最大の敵は己自身ってね!」

 わたしは何も持っていない両手で拳を作り、前に突き出す──甘ったれた自分にパンチ、パンチ。

「……自滅すんなよ」

「なんか言った?」

「何も」

 わたしとデリックが教室に入ると、ノアが大きく「おはよう」と声をかけてくれた。

 演劇祭まで、あと一週間。

「アンちゃん、調子はどう〜?」

 放課後の演劇祭準備中。手が空いたらしいノアが、役者の練習ゾーンにやってきた。

 ちょうど休憩時間だったわたしは、ノアに台本を手渡す。

「全然ダメ。セリフは完璧なんだけど、演技力が足りない気がするの。ちょっとノア見ててよ」

「いいよ〜。この、『わたしも、もう一度お会いしたかったです、王子様』ってとこからかな? いつでもどうぞ〜」

 見て欲しいと頼んだのは、林檎姫が王子様のキスによって目覚めた後、王子様と両思いになるという、劇の最後のシーン。

 終わりよければすべてよし。クライマックスだけでも、完成度を高めようという作戦だ。

「わたしも、もう一度お会いしたかったです、王子様」

「……うーん」

「どう?」

 ノアは台本を持ったまま、首を捻らせていた。

「アンちゃん……恋したことないでしょ?」

「えっ」

 図星だ。

 図星だけど──

「それとこれとは関係ないでしょ」

 ムッとして言い返すが、ノアは「え〜」と苦笑いした。

「だって、この話、冒頭で出会って一目惚れしていた同士が、偶然再会して運命を感じるシーンでしょ? たまたまぶつかった時から気になってた人に、もう一度会えたんだから、もっと溢れ出る感情がありそうなものじゃない?」

「う……」

 確かに、ノアの言うことは正しい。反論する余地がないくらい。

「アンちゃんは、大切な人に『もう一度会いたい』って気持ちが必要かもね」

 それが嘘でもさ、とノアは笑った。

「おーい、ノア! さっきお前が作ってたやつどこー?」

「あ、今行く〜! じゃあ、頑張ってね、アンちゃん」

 ノアは同じ裏方のクラスメイトに呼ばれて去ってしまった。残されたわたしは、ノアに言われたことを口の中で繰り返す。

 大切な人にもう一度会いたいって気持ち、ねぇ……。

 演劇祭まで、あと三日。

「アンさん、今日はこのくらいにしておきましょうか」

「えっ」

 誰もいなくなった教室で、わたしの演技練習に付き合ってくれていたコリンが、終了を宣言した。まだ満足しきれていないわたしは、びっくりして窓の外を見る。とっぷり日が暮れていた。

「そろそろ寮に戻らないと、見回りの先生に怒られてしまいますよ」

「そ、そうね……。この辺にしておきましょうか……」

 焦っているのが、自分でも嫌なくらい分かる。どれだけ時間をかけて練習しても、寝ずに頑張っても、クラスメイトからの評価は変わらず、マークとの差ばかりが強調されてしまっている有り様だ。

 このままじゃ、醜態を晒す羽目になってしまう。何より、クラスのみんなに迷惑をかけてしまう。それだけは避けたい。

 裏方のみんなも、役者のみんなも、演劇祭のために一生懸命頑張っている。その努力を、わたしの下手くそな演技一つで、観客から低く評価されるのだけは嫌だ。

 わたしは台本を机に置いてあるカバンにしまい、女子寮に帰るべく、カバンを持った──

「──っ?」

 ぐらり、と視界が揺れた。景色が反転する。

「お嬢様!?」

 床に倒れる寸前、コリンがわたしを抱き止めてくれた。心臓がバクバクしている。荒くなった息が整わない。手足は震えて力が入らず、起き上がれない。

 ──苦しい。

「はっ、はっ、はっ、はっ!」

 ──怖い。

「お嬢様、落ち着いて、ゆっくり息を吐いてください」

 コリンは幼い子どもに言い聞かせるように、優しい声音でわたしの背中をさすった。

 息が上手にできず、とてつもない不安に襲われたわたしは、年甲斐もなく、彼の背中に腕を回して抱きついた。涙が止まらない。彼の肩に顎を乗せ、言われた通りにゆっくり息を吐こうと心がける。

「そう、そうです、上手……」

「はっ……、はぁっ……!」

 段々息が整ってきた。涙が頬を伝う。体を離してコリンの顔を覗き込む。彼はわたしを安心させるように微笑んでから、ズボンのポケットからポーションの入った小瓶を取り出した。

「これ、飲んでください。お嬢様の主治医の先生から渡された、落ち着かせる効果のあるものです」

「は、ん、んくっ……」

 それを受け取って、喉に流し込む。激しかった動悸が、徐々にだが、収まっていく。手足の震えも止まり、恐怖心も消えていった。

 ──しばらくして、ようやく完全に呼吸が通常通りに戻った。

「ありがとう、コリン……」

 わたしは立ち上がって、再びカバンを持つ。なんともない。

「……もう大丈夫よ、帰りましょうか」

「お嬢様、女子寮までお送りします」

「平気、一人で帰れるわ」

「お嬢様」

 いつもはわたしの言うことを二つ返事で了承するコリンだったが、絶対に引かないという固い意思に負けて、女子寮まで送ってもらうことになった。




第二十一話


「アンさんは、頑張りすぎです」

 有無を言わさず荷物を奪われた女子寮までの道のり。コリンはわたしを叱った。

「寝る間も惜しんで練習していますよね? 隈、すごいですよ」

「だ、だって……、クラスのみんなが頑張ってるのに、主役のわたしが大根役者なんて……」

「アンさんは大根じゃありませんよ。マークくんが上手すぎるだけです」

 暗くなった自然の中、寮へと続く舗装された道を歩く。わたしより歩幅の大きいはずのコリンが、わたしを置いて先を進むことはない。

「でも……」

「でもじゃないです。それで、『成長止め』の症状がぶり返していますよね? さっきの過呼吸を忘れたんですか。今日はもう練習しないで、さっさと寝てくださいね」

 どっちが大人なんだか分からない。わたしは蚊の鳴くような声で返事をした。コリンに聞こえているかは定かではない。

 女子寮に到着して、コリンは荷物をやっと返してくれた。コリンは何度も振り返りながら、男子寮へと帰って行った。

 ……情けない。

 マークに差をつけられて、デリックに心配されて、ノアにダメ出しされて、コリンに助けられて。

 本当にわたしは二十六歳なんだろうか──『大人』なんだろうか。

「【リカバリー】」

 水属性魔法【リカバリー】を唱えた。回復魔法だ。これで、多少は目の下の隈も薄くなっただろう。もっとも、『成長止め』は魔法では治らないが。

 ……こんなんじゃ、ダメだ。

 爪が手のひらに食い込むほど、強く拳を握りしめる。

 わたしはもっともっと、頑張らないと、いけないんだ。

 だって、わたしは──立派な大人なんだもの。

 演劇祭、当日。

 演劇祭は保護者など学外の人間に見せる催しではなく、あくまで学内で、生徒たち同士で観覧する催事。そのため、特に彩飾などはなく、学校はいつもと変わらぬ風景だった。

 いつもと違うのは、わたしの体調だけ。

 体調はすこぶる悪かった──【リカバリー】でも誤魔化せないくらいに。

 発熱や咳の症状があるわけではないが、体がすこぶる重くてだるい。歩くどころか、立っているので精一杯だ。

 それでも気合いで女子寮から教室まで登校した。演劇祭当日は、役者は着替えたり、裏方は小道具を揃えたり、それぞれ事前準備があるからお世話係はお休みだ。それが救いだった──「大丈夫か?」なんて聞かれたら、「大丈夫じゃない」と泣いてしまいそうで。

 教室に辿り着くと、ノアとコリンが小道具の詰まった箱を持って歩く後ろ姿が見えた。恐らくホールへ運んでいるんだろう。演劇祭は、入学式が行われた大ホールで開催され、わたしたち一年生は午前の部だから、演劇で使用する物を朝から移動させなければならない。

「アン、おはよう」

「マーク、早いわね」

 教室の出入り口の近くに、既に王子様の衣装に着替え終わったマークが立っていた。青髪に青い衣装が似合っている。

「林檎姫の衣装はあそこだ。女子更衣室で着替えて来い」

 マークが窓際の席を指す。ドレスが机の上に寝かされていた。

 わたしはマークにお礼を言って、ドレスを手に取る。

 女子更衣室で着替えて、教室に戻ってきたら、みんなとホールに移動して、それから──

「あっ」

「えっ」

 トン、とクラスメイトと軽く肩がぶつかった。足がもつれる。今のわたしに踏ん張る力はなく、そのまま床に座り込んでしまった。

「ご、ごめん! 大丈夫?」

「全然、平気よ……」

 ぶつかったクラスメイトが、へたり込んだわたしに、焦って手を伸ばす。わたしはその手を取ろうとしたが──腕が上がらない。

 頭が、ぼーっとする……。

「アン? どうした?」

 マークが、手を差し伸べてくれているクラスメイトの横から顔を出した。

 何か言わなきゃ、笑わなきゃ──大丈夫だよって。

 動かない体、働かない頭──出てきた言葉は、

「【リカバリー】」

「は? お前、風魔法使いだろ」

 風魔法使いとしてクラスに周知されているのも忘れ、わたしは必死で水属性魔法を唱えていた。

「【リカバリー】! 【リカバリー】!」

 何度回復魔法を唱えても、体は強い倦怠感から逃れられない。

 クラスメイトたちは、使えないはずの属性の魔法を一心不乱に唱えるわたしにざわつき始めた。

「……お前、体調悪いのか?」

 一人冷静なマークの言葉に、わたしの肩がびくりと震える。

「ま、まさか! わたしは大丈夫よ! できるわ! いま、今、着替えてくるから……!」

 立って、わたし! 立って……!

 女子寮からここまで気合いで歩けたじゃない!

 後は着替えて、演技したら、いくらでもぶっ倒れられるんだから……!

「…………アン」

「お、おかしいわね、今、立つから。ほ、本当に大丈夫なのよ、何ともないんだから」

「【スリープ】」

「え……」

 マークが唱えたのは、水属性魔法【スリープ】──相手を眠らせる魔法。

 なんで、それを今、わたしに……。

 効果を打ち消す魔法も知ってはいたが、不意打ちでかけられた魔法を咄嗟に打ち消す余力なんてものはなく──わたしは呆気なく意識を手放した。




第二十二話


 目が覚めた。視界に広がるのは、白い天井。

 ここは……?

 わたし、一体……?

「っ、劇!!」

 ガバッと起き上がった。白いシーツ。ベッドで寝ていたようだ。あたりを見渡す。わたしが寝ていたものと同じベッドが横に二つ並んでいた。正面は長椅子が壁に沿って設置され、その横には薬瓶が収納された棚がある。

 ──ここは、保健室? わたし、どれくらい寝てたんだろう?

 混乱しながらも、ベッド横に揃えてあるニーハイブーツに足を通した。

「あら、起きたの?」

 大人の女性の声がした。顔を上げると、近くの机で作業していた先生らしき人が、こちらを見ていた。保健室の先生だろうか。

「王子様みたいな格好した男の子がね、あなたのこと抱えてやってきたのよ」

 ……マークだ。わたしをここまで運んできてくれたのか。

 壁にかけてある時計は、まだわたしたちのクラスの劇がやっている時間を示していた。そんなに長い時間、意識を失っていたわけではなさそうだ。

「……わたし、行かなきゃ」

 ベッドから立ち上がって、保健室のドアへ歩もうとするわたしの手首を、先生が掴んだ。

「まだ寝ていなさい。寝不足ね。演劇祭に向けて、無理をしていたんでしょう」

「無理なんかじゃないです。みんなが頑張ってるのに、わたしだけ寝てるなんて、できないです」

「……そう」

 わたしの言葉を聞いた先生は、強く引き止めはしなかった。

 わたしは先生にお礼を言ってから、保健室から飛び出した。

 主役がいない劇を、クラスのみんなはどうやって乗り切っているんだろう。

 わたしが目覚めるまで、他のクラスと順番を変更してもらう? 他クラスの女子が台本片手に代役?

 ──それとも、棄権?

 みんなに迷惑をかけたくない一心でしていた努力が、みんなに迷惑をかける結果になってしまった。最悪の失態だ。

 もう一人ずつぶん殴ってもらうしか、クラスメイトたちの腹の虫をおさめる方法はないかもしれない。

 頬がパンパンに腫れ上がった未来の自分を想像して寒気がしたが、それくらいは覚悟しておこう。それだけのことをやらかしたんだから。

 わたしはホールの裏側へ周り、舞台袖に足を踏み入れた。

「あ!」

 クラスの一人がわたしに気づき、すぐに口を押さえた。周りも「静かに!」と怒りながらも、みんなわたしを見て驚いている。

「監督! アンさん来ました!」

 誰かが小声で、監督係を勤めてくれている生徒を呼んできてくれた。監督はわたしの元へ近寄ると、

「もう体調は大丈夫?」

「うん、ごめんなさい」

「いや。それより、舞台見てよ」

 促されて、舞台袖から舞台を覗き込む。


「わあぁ! 綺麗な林檎ぉ!」


 林檎姫の衣装を着て、赤い髪のウィッグを被ったコリンが、わたしの代役を務めていた──とんでもない棒読みで。

「コリンくんが立候補してくれたんだ。自分は林檎姫のセリフを全部覚えてるって。衣装は先生に頼んで、コリンくんが着られそうな別のドレスを引っ張り出してもらった」

 元男子校だから、男子サイズのドレスも過去のものがあったんだろう。

「あぁ、林檎姫。その林檎は猛毒を持っています。食べてはいけません」

 木が喋った──デリックだ。相変わらず下手くそな演技だ。木のセリフは下手くそでも気にならないから、いいんだけどね。

「……アンさん、主役だから、練習を頑張ってくれてたんだってね」

「え」

 演劇祭準備以外の練習は誰にも言っていないはず──あ、コリンか。そうだ、林檎姫のセリフを覚えているということは、わたしの練習に付き合っていたことと同義だもんな。

「確かに、マークくんの演技は上手かったけど、アンさんは下手じゃなかったよ。練習の度に演技力が上がっていて、みんな毎回びっくりしてた──クラスのために頑張ってくれて、ありがとう」

 監督が、ペコリと頭を下げた。

「いや、そんな、わたしは……」

 目頭が熱くなる──怒られる未来を想像していたのに、努力を認められて。十六歳の少年たちに迷惑をかけたのに、逆にお礼を言われて、大人として情けないはずなのに──。

 この込み上げてくる熱い気持ちは、なんなんだろう。

「もし、元気があるなら、今からでもコリンくんと交代してもらえないかな? 見た通り、セリフは完璧だけど、演技は酷いからさ」

 クライマックスだけでも、と監督は苦笑する。それは嫌そうなものじゃなかった。代役を引き受けてくれたコリンに感謝しつつも、わたしが交代しやすいように向けられた笑いだった。

 わたしは目尻に溢れた涙をぐい、と拳で拭う。

「……任せて」

 舞台上では、毒林檎を食べたコリンが倒れ、暗転していた。

「なんと言うことでしょう。林檎姫は、毒林檎を食べ、永遠の眠りについてしまったのです」

 ナレーションが入り、コリンが舞台袖にやってくる。

「え、え、アンさん!? もう体は大丈夫なんですか!?」

「大丈夫よ。だからコリン──脱ぎなさい」

「え、え、うぇぇ!?」

 コリンの身ぐるみを剥がし、ドレスを持って舞台袖の奥の方、人目のつかないところで着替える──正直周りにいるのはどうせ十六歳だけなので、見られても問題ないんだけど。

「え、あ、アンちゃん!? 戻ったの? ってか、服!」

「あ、ノア! コリンに何か着るもの持っていってあげて! わたし、着ていた衣装全部奪っちゃったから!」

 制服を思いっきり脱いでいる場面に、裏方のノアと鉢合わせた。ノアは目を両手で覆いながら「分かった!」と答えてどこかへ向かっていった。コリンの制服を取りに行ってくれたのかもしれない。

 ドレスに袖を通し、赤髪のウィッグを被り、完成。

 わたしは暗転中の真っ暗な舞台へと足を踏み入れた。

 林檎姫が毒林檎を食べて倒れているシーンからだ。暗闇の舞台の真ん中に寝そべる。準備が整うと、一気に瞼に光を感じた。

「……おや、あれは……」

 王子様が通りかかる。倒れている林檎姫を見つけ、立ち止まる。

「一度お会いした、赤髪の美しい方……。また会えるなんて……!」

 倒れている林檎姫の髪を手に取り、キスを落とす──それを合図に、わたしは目を覚ますのだ。

「……あれ、わたし……」

 上半身を起こす。王子のマークが片膝をついた姿勢で、わたしを見つめていた。

「お目覚めになりましたか? 前に一度会った者です──覚えてはいませんか?」

「あ、あなたは……、王子様……?」

「はい。もう一度出会えて、嬉しいです」

 マークの笑顔──彼がわたしを保健室まで運んでくれたのよね……。

 一生懸命、裏方作業をしてくれたノア。

 木の役でもちゃんと演じていたデリック。

 そして──わたしの代役を務めてくれたコリン。

 ──たくさん迷惑も心配もかけてきたみんなと、また馬鹿なことでも言い合いながら、学校生活を送りたい。


「わたしも……、わたしも、もう一度お会いしたかったです──王子様」


 マークの手を両手で握り、微笑みかける。

 マークは目を見開いた──壊れものを扱うかのように、ゆっくり力強くわたしを抱きしめる。

 エンディングの音楽が流れ、幕が閉じていった。

 観客席からは大きな拍手が上がった。

 劇が大盛況で幕を閉じた後。

「最後のハグは台本にねーけど?」

「いや……」

 デリックの問いに、マークが言葉を濁す。

 自分たちの劇が終わったので、みんな制服に着替えてから、一列になって観覧席に座っていた。

 舞台上は、前のクラスと次のクラスの入れ替わりの最中だ。

「そうだよ、なんでアンちゃんにハグしたのさ〜?」

「だって……しょうがなかったんだって……」

「何が〜?」

 デリックに次いでノアもマークを問い詰める。尋問みたいだ。

「アンが……本当にオレのこと好きみたいな顔するから……」

「はあ〜?」

 デリックとノアが揃って怒りの声をあげた。ポカポカとマークの頭を殴り散らす。

「いて、いてて、やめろって」

「気のせいですぅ〜。アンちゃんはお前なんか好きじゃありません〜」

「そうだ、勘違いは恥ずかしいぞ」

 ひとしきり殴って満足したのか、二人はようやく手を下ろした。

「アンさん、僕、どうでしたか?」

 隣に座っていたコリンが、わたしの顔を覗き込む。

「そうね……、酷い演技だったわ……」

「えっ」

 ガーンと効果音が聞こえてきそうなほど、コリンの眉がハの字に下がる。それを見て、思わず笑みが溢れた。

「──でも、最高だったわ。今回、コリンがお付きのもので、本当によかった。ありがとう、コリン」

 頭をぽんぽんと撫でる。コリンは照れ臭そうに笑った。

 他の三人も、主役不在の状況ながら劇を成立させようと努力していた──何より、こんな失敗をしでかしたわたしに、優しく接してくれた。

 この三人なら、もしかしたら、なってくれるかもしれない。


 ──わたしの、お友達に。




第二十三話


 二十六歳にもなれば、緊張する場面というものにあまり遭遇しなくなると思っていた。

 わたしは今、とても緊張している。

 ティーカップを持つ手が震え、紅茶が上手く口に運べない。

 現在のわたしは、来客対応用のドレスに身を包み、お茶会の準備が整った応接室で、ソファに腰掛けている状態だ。横には、いつもの執事用の燕尾服を着用したコリンが、姿勢正しく立っている。

 コンコン、とノックの音。

「お嬢様。デリック様、ノア様、マーク様がいらっしゃいました」

 ドアの向こうから、聞き慣れたメイドの声がする。

「…………ありがとう、通してちょうだい」

 わたしは唾を飲み込んでから、メイドに返事をした。

 ──遂にきたか。

 わたしは覚悟を決めた。

 そう、わたしはあの三人を、自宅のお茶会に招待したのだった──。

 時を遡ること、演劇祭直後。

 演劇祭が行われたホールから、五人で教室へぞろぞろと戻っている時──わたしは切り出した。

「ねぇ。今度の休み、わたしの家でお茶会するから、よかったら来てくれない?」

「あ、アンさん!?」

 なんの相談もされていない身内は、わたしの突然の申し出に驚きを隠せないようだった。

 他の三人はキョトンとしてから、

「いいね〜! アンちゃんのお家、行ってみたい!」

 ノアが明るく承諾してくれた──この子は本当に、話が早くて助かる。

「まぁ、どうしてもと言うなら、行ってやらないこともない」

 デリックが腕を組んで、チラチラとこちらを見てくる。「どうしても」と言った方がいいのだろうか。

「オレも行く」

 そんなデリックを尻目に、マークは短く答えた。それに反応して、デリックも慌てて「行かないとは言ってない!」と捲し立てた。

 よかった。みんな来てくれるみたいだ。

「じゃあ、後で招待状を送るわね。美味しい紅茶とお茶菓子を揃えて待ってるから、楽しみにしてて」

 胸を撫で下ろすわたしに、十六歳たちは首を傾けた。

「招待状……?」

 慌てた様子のコリンがこっそり耳打ちしてくる。

「アンさん! 貴族じゃない人は、普段から招待状を送ったり受け取ったりはしないんですよ!」

「え、そうなの!?」

 知らなかった。まさか、招待状が一般的なものじゃないとは。

「え、えっと、招待状っていうのは……そ、そう! 女子の間で、家に招く時は招待状を送り合うのが流行ってるのよ!」

「へぇ。女子って、めんどくさいのが好きなんだな」

 わたしの言い訳に、マークがデリカシーゼロの返答をする。誤魔化されてくれたようだが、一発引っ叩きたくなる。

「とにかく、時間と場所を書いた手紙を送るから! 首洗って待ってなさい!」

「決闘かよ」

 デリックのツッコミはあながち間違いではない。だから、特に訂正はしなかった。

 ──わたしにとっては、決闘のようなものだ。

 家に招くということは、身分を明かすと同時に──年齢も明かすということ。

 成功すれば、年齢にそぐわない学園生活からおさらばできるが──失敗すれば、三人と気まずい雰囲気のまま、学園生活が続行になる。

 わたしの正体を──年齢を知ってもなお、三人は友達でいてくれるのだろうか……。




最終話


 応接室に通された三人の表情は、少しばかし面白かった。家の外観から内装まで全てに驚いてくれたのか。おそらく、入り口からずっと口を開けたままだったのだろう。

 そして、追い討ちのようなわたしの正装とコリンの執事姿に、さらに目を丸くしていた。

「ようこそ、いらっしゃいました」

 恭しく一礼する。三人は釣られたように、お辞儀を返してくれた。

「どうぞ、おかけになってください」

 ローテーブルを挟んだソファに座るよう促す──三人はぎこちない動きでソファに腰を下ろした。平民のノアとマークはともかく、デリックは多少場慣れしていてもいいと思ったが、そこはまだ子ども、ということかしら。

 メイドが紅茶とお茶菓子を持ってきてくれる。

「……アンって、貴族だったんだな」

 デリックが、淹れられる紅茶を眺めながら、ボソリと呟いた。

「そうよ。デリックのお父様とわたしのお父様は仲がいいの」

「……だから、俺にクソガキって言ったのか」

 初対面の時のことをよく覚えているものだ。忘れていて欲しい出来事だ。

「コリンくんは、アンちゃんの執事だったの?」

 ノアが横で立っているコリンに話を向けた。

「そうです。幼い頃から、お嬢様の身の回りのお手伝いをしていました」

「本物のお世話係じゃん……」

 いや、本物のお世話係はメイドなんだけど……。

 修正する気にもならず、ノアには微妙に勘違いさせたままでいることにした。

「……お姫様じゃなくて、お嬢様だったのか」

「だからって、お嬢様扱いしろってわけじゃないからね?」

 女の子は姫だと教わってきたマークに注意する。

 人数分の紅茶が淹れられ、お茶菓子も整った。メイドが礼をしてから、その場を去る。

 この部屋にいるのは、わたしと四人の十六歳だけ。

 ──遂に、この時がきてしまった。

 言おう、この子たちに。

 わたしが、二十六歳だって。

「今日はね、本当は、話したいことがあって呼んだの」

 三人は紅茶やお茶菓子に、思い思いに伸ばしていた手を止めて──わたしを見やる。

 心臓がどくどくうるさい。

 手の汗が気持ち悪い。

 ──でも、言わなきゃ。


「わたしね……、十六歳じゃないの」


「…………は?」

 デリックとマークは固まった。ノアだけがいつもと変わらない微笑を浮かべたままだった。

「ちょっと長くなるけど……わたしの話、聞いてくれるかしら」

 三人はコクリと頷いた。その様子をコリンが見守ってくれているのが分かる。

「わたしが十代の頃は病弱で、学校に通えなかったの。家庭教師を雇って魔法を学び、今は全ての属性魔法を使いこなせるようになったわ。魔法研究の趣味が高じて、ライターの仕事もやってて、病気の症状も良くなった──でも、お父様から『お前には社会性が足りないから学び直してこい』って、この学校に入学させられたの。だから、わたし、本当は……」

 膝の上で、両手をぎゅっと握りしめる。


「二十六歳なの……」


 しん……と、応接室が静まり返った。

 二度目の説明となるノアだけが、呑気に紅茶をすすっていた。

 デリックとマークは、理解が追いついていないようだった。

 同い年のクラスメイトだと思っていた人物が、本当は十個も年上だったなんて。ただでさえ貴族という身分で驚かせてしまっているのに。

 俺たちを騙していたのか、と怒鳴られたとしても、わたしは全身全霊で謝罪をするほかないのだ。

「アン……」

 デリックがわたしの名前を口にした時──

 コンコン。

「アン、今いいか? お客人が来ているのか?」

 ドアの外からお父様の声がした。

「はい、お父様──お友達を、連れて参りました」

「そうか。ぜひ、挨拶をさせてくれ」

 ドアが開いて、お父様が入室してくる。途端に三人の背筋が伸びた。

 お父様はわたしの隣まで歩いてきて、三人に向かって会釈する。

「初めまして。アンの父です」

 にっこりと紳士の振る舞いをするお父様に、三人は高速で頭を下げた。

「デリックです」

「ノアと言います」

「……マークです」

 三人の十代らしい挨拶を微笑ましく見てから、お父様は尋ねた。


「君たちは、アンのお友達かね?」


 ──それを、今、聞くのか。

 背中に冷や汗が流れるのを感じた。歯の奥に嫌な味が広がる。

 お父様の前でだけは友達のふりをしてくれ、なんて図々しいことを頼める雰囲気でもなかった。

 友達にしてくれ、と自ら志願してくれたノアはともかく──ここで他の二人が「友達ではないです」と宣言してしまえば、退学の許可は降りないだろう。

 デリックは──クソガキと呼んでしまった過去がある。一緒に試験を乗り越えた仲ではあるものの、友達と定義してしまっていい関係なのか、わたしには見当もつかない。

 マークは──演劇祭で共に主役を演じたけれど、ほぼ足を引っ張った形になっている。それに女として扱わなくていい、なんて口喧嘩まがいなやりとりもしてしまった。

 二人は、わたしのことを友達と思ってくれているのだろうか……。

 父の問いに、真っ先に返事をしたのは、やはりというか、ノアだった。

「はい。ボクはアンさんのお友達です。休日に二人で遊んだこともあります」

「そうか、二人で……か」

 お父様の声が少し低くなった──ま、まさか、娘のデートを気にしてるの!? 相手、十六歳よ!? こんなところで面倒な父親ヅラ出さないで!

「お前、いつの間に……!」

「この前の試験休みに、ちょっとね〜」

 デリックに睨まれ、ノアは悪気なく「えへへ〜」と頭を掻いた。

「そっちの二人は、アンのお友達なのか?」

 ノアの回答を皮切りに、お父様はデリックとマークに視線をやった。

 わたしは祈るような思いで、返事を待つ。

 やっぱり……、男四人兄弟だったノアが特殊だっただけ……。

 ……普通、二十六歳の女と十六歳の男の子は、友達にはなれないわよね……。

 半ば諦めかけたわたしの肩を、コリンがポンと叩いた。

「大丈夫ですよ、お嬢様」

 口パクだけで、そう告げる──わたしはデリックとマークに視線を戻した。

 二人は顔を見合わせてから──


「はい、友達です」

 

 と、声を揃えた。

 わたしは目を見開く。

 父は「そうか」と薄く笑い、上品な動作で立ち上がる。

「これからも、娘と仲良くしてやってくれ」

 それだけ言い残して、応接室から出て行ってしまった。

 ドッと全身の力が抜ける。

「ノア……、デリック……、マーク……。ありがとう……、本当にありがとう……。こんなわたしと、友達になってくれて……」

「何もしてねーよ、俺ら」

 ずっと姿勢良くしていたデリックが、ようやく紅茶に口をつけた。

「そ〜そ〜。アンちゃんは歳の差と友達を気にしすぎ!」

「同い年だからじゃなくて、お前だから、オレたちは一緒にいるんだ」

 ノアとマークもお茶菓子のクッキーを頬張り始めた。

 三人の言葉が胸に沁みる。

「ね、大丈夫だったでしょう?」

 立っているコリンが、上から微笑みかけてくれる。

 緊張も変な汗もなくなって、美味しい紅茶がわたしの門出を祝福してくれているようだ。

「ううん、本当にありがとう……、これで魔法学校を退学できるわ!」

 ガッツポーズを決めるわたしだったが──さっきまで和やかだったムードの三人の空気が、一気に不穏になった気配がした。

「…………退学?」

「そう! あれ、言ってなかったっけ? わたし、『家に招待できるくらいの友達を三人作ったら途中で退学してもいい』って条件で、魔法学校通ってたの! これで十六歳に囲まれて劣等感に苛まれる日々も終わりだわ〜」

「聞いてない!」

 ガタン! と、三人がローテーブルに身を乗り出した──その表情は、察するにあまりあるほど、不満をたたえていた。

「な、何……? 怒ってるの……?」

「怒ってるよ! なにその条件!? 友達になったら、アンちゃんが学校からいなくなっちゃうってことだよね!? だったら、ボク、今からでもお父さんに友達じゃなかったって言ってくる!」

「ま、待って! ノア! やめて!」

 お父様を追いかけようと応接室を出ようとするノアを必死で止める。

「俺も『脅されて友達のふりしてた』って言ってこようかな」

「デリックまで……!」

 助けを乞うようにマークの方を見るが、

「いやだって、話が違うだろ。家に招いてくれたと思ったら、絶交突きつけられたようなもんだぞ」

「べ、別に絶交とは言ってないでしょ……!?」

 ノアを引き止めても、デリックとマークがわたしを責め立てる。

「コリン〜……」

 コリンに助け舟を求めたが──彼は小さく首を横に振るだけだった。

「……正直に申し上げますと、僕もお嬢様には退学してほしくないので、他の三人の意見に賛同します」

「そんなぁ……!」

 気づいたら、三対一どころか、四対一の図式になっていた。

 まずい……! このままだと、本当に今から、お父様に『友達じゃなかった』と暴露されてしまう。

 わたしは友達になれたと思ったのに……! 

「ど、どうしたらお父様に告げ口しないでもらえる……?」

 半べそになりながら、十個年下の少年たちにお願いする。なんて哀れな二十六歳。しかし、ここでなりふり構っている場合ではないのだ。

 わたしの懇願にノアは考える素振りをして、

「う〜ん、じゃあさ、退学するなら、ボクの恋人になってよ!」

 と、高らかに告げた。

 え……?

 こ、恋人……?

「じょ、冗談よね……? わたし、あなたより十個も年上なのよ……?」

「うん。知ってるよ」

 何を今更当たり前のことを、と言わんばかりの表情だ。

「それ、いいな。退学するなら、俺のもんになれよ」

「何よ、俺のもんって。奴隷にするつもり?」

「なんでこの流れで奴隷なんだよ」

 デリックまで、ノアの悪ノリに乗ってくるなんて……!

 どんどん味方がいなくなっていく状況で、わたしは最後の綱とばかりにマークを見た。

 マークはわたしと目が合うとニヤリと口角を上げて、

「退学するなら、オレと付き合うっていうのもあるぞ」

「選択肢変わってないわよ!」

 仮に付き合うとしても三人いっぺんは無理だし、そもそも十六歳の子どもは恋愛対象外だ。せめて二十代になってから出直してきて欲しい。

「付き合うなんて無理よ! だってあなたたち、まだ子どもじゃない!」

 わたしが叫ぶと、三人は声を揃えた。

「じゃあ、退学しないで!」

 こ、これが目的かぁ〜!!

 三人とも、本気で付き合おうなんて思っているわけじゃなくて、わたしが拒否すると分かりきっている無理な条件を出すことで、退学させまいという作戦……!

 友達という弱みを握られているわたしには、対抗できうる手段がない……!

 わたしは観念した。

 ──わたしの負けだ。

「わ……分かったわ。……退学、しないから……」

「ほんとに!? やったぁ〜」

 ノアがぴょんぴょんと飛び跳ねて喜ぶ。デリックとマークはハイタッチしていた。コリンも「しょうがない」というふうにため息をつく。

 ……まぁ、いっか。

 もうちょっと、この子たちと年齢にそぐわない学園生活を送るのも。

 思っているほど、悪いものでもないのかもしれない。

「アンちゃん」

 ノアに呼ばれて、わたしは彼らと視線を交えた。

「ボクたち、本気だから、覚悟しててね」

 ノアも、デリックも、マークも、不敵に微笑んでいた。

 ──本気って、何が?

 言葉の意味を理解できないわたしと三人の間に、コリンが割って入ってきた。

「それ以上はダメです。お嬢様は将来的に、僕がお嫁さんにするので」

「え……? コリン……?」

 わたし、コリンのお嫁さんになるの?

 初耳なんだけど……。

「うっわ! 静かだと思ったら、やっぱりそうだ! コリンくんもアンちゃんのこと好きだと思った!」

 ノアがコリンを指さして、頭を抱えた。

「ライバル増やすなよ」

「面倒なことになったな」

 デリックとマークがやれやれと肩をすくめる。

 何、何、何……?

 なんでわたしだけ置いてけぼりなの……?

「だからぁ! ボクたち全員アンちゃんの恋人になりたいってこと!」

 ノアが痺れを切らして説明してくれるが──だからも何も、それが理解できないんだって。

 どうしたら十六歳が二十六歳と恋人になりたくなるのよ。

 お互い、恋愛対象外のはずでしょう。

 十六歳は大人しく十六歳同士で恋愛していなさいって。

「そんなこと言われても、好きになっちゃたものは、仕方ないよね」

 ノアのセリフに、他の三人がうんうんと首を縦に振る。コリンまで。

「十個下だの、二十六だの、数字ばっかりうるせーんだよ」

 デリックが吐き捨てるように言った。

「オレたち、数字と恋愛してねーから」

 マークも苦虫を噛み潰したような顔をしている。

「ほら、お嬢様はご自身の魅力に気づいてないだけって言ったでしょう?」

 コリンが微笑む。

 恋愛対象じゃないって告白を断ってるはずなのに、全然引く気がない十六歳たち。

 ──かくして、わたしの十年越しの学園生活は、続行する羽目になったのだった。


 ……あー、十六歳って、わっかんない!


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