トロッコ問題の『勘違い』
『線路を走っていたトロッコの制御が不能になった。このままでは前方で作業中だった5人が猛スピードのトロッコに避ける間もなく轢き殺されてしまう。
この時たまたまあなたは線路の分岐器のすぐ側にいた。あなたがトロッコの進路を切り替えれば5人は確実に助かる。しかしその別路線でもB氏が1人で作業しており、5人の代わりにB氏がトロッコに轢かれて確実に死ぬ。
さてあなたはどうするか』
この文章をネットで見た方は結構いるのではないでしょうか。
有名な思考問題【トロッコ問題】です。
この質問に対して多くの答えが生み出されました。
「切り替えない」
「切り替える」という基本的な答えから、
「自分が飛び込み、ブレーキになることで全員を助ける」
「石などを用いて脱線させる」
「分離機には脱線させる機能がある。だから脱線させることで両者を助ける」
「これはどっちを選んでも不利益しかないので、干渉しない」
などなど。
まるで一種の大喜利のようです。
まぁ、このようにいろんな答えが出るのは当然ではあります。この二択だったらどっちも選びたくない。第三の選択肢を考えるのは当然だからです。
しかし、実は上の問題は正しい【トロッコ問題】の文章ではありません。
なので、上で述べられた答えは、正しい【トロッコ問題】の答えではないのです。
こちらが、正しい【トロッコ問題】です。
『線路を走っていたトロッコの制御が不能になった。このままでは前方で作業中だった5人が猛スピードのトロッコに避ける間もなく轢き殺されてしまう。
この時たまたまA氏は線路の分岐器のすぐ側にいた。A氏がトロッコの進路を切り替えれば5人は確実に助かる。しかしその別路線でもB氏が1人で作業しており、5人の代わりにB氏がトロッコに轢かれて確実に死ぬ。
A氏はトロッコを別路線に引き込むべきか?』
まず、あなたが分岐器にいるわけではないのです。ここが最も大きな違いでしょう。
A氏が選んだ判断(ここでは別路線に引き込むかどうか、つまり、5人を見捨てるか、5人の代わりに1人を犠牲にするか)があなたは道徳的に見て「許される」あるいは「許されない」で答えよ。
というのが【トロッコ問題】です。
そうなってくると答えは変わりますね。
誰もが助かる方法を考えたりするような第三の選択肢を考えるのはここでは不適切な答えなのです。
Aさんがどっちを選んだか、そしてそれがあなたとして「適切な判断」だったと思うかが大事なのです。
1人でも犠牲者を少なくするために路線を切り替えるというのは功利主義に基づけば正しくなりますし。
誰かを他の目的のために利用すべきではなく、何もするべきではない。ってのは義務論として正解になります。
さらに言えば【トロッコ問題】はこのような問題をいくつも繰り返します。
本来であればそれはどの質問にも一貫して合理的な判断を下すのなら、同じ回答が導きだせるはずだからです。
では最初の『トロッコ問題』を①として次らの問題も考えてみてください。
②
『A氏は線路の上にある橋に立っており、A氏の横にC氏がいる。
C氏はかなり体重があり、もし彼を線路上につき落として障害物にすればトロッコは確実に止まり5人は助かる。だがそうするとC氏がトロッコに轢かれて死ぬのも確実である。
C氏は状況に気づいておらず自らは何も行動しないが、A氏に対し警戒もしていないので突き落とすのに失敗するおそれは無い。
C氏をつき落とすべきか?』
③
『①の場合と同様、A氏はトロッコを別路線に引き込むことができるが、この別路線は5人の手前で再び本線に合流している。
この別路線にはC氏がおり、トロッコを別路線に引き込めば、トロッコはC氏にぶつかって止まるので、5人は確実に助かる。ただしその結果としてC氏は確実に死ぬ。
トロッコを別路線に引き込むべきか?』
④
『①の場合と同様にA氏はトロッコを別路線に引き込むことができるが、この別路線は5人の手前で再び本線に合流している。
別路線には大きな鉄の塊があるため、トロッコを別路線に引き込めば、トロッコはその鉄の塊にぶつかって止まるので、5人は確実に助かる。
しかし、鉄の塊の手前にはB氏がいて、B氏は確実に死ぬ。
トロッコを別路線に引き込むべきか?』
これらは内容が少し違いますが本質は一緒です。
【5人の代わりに1人を犠牲にする】判断が許されるかどうかだけです。
さらに言えば、②と③はC氏を犠牲にすることで5人を生かすというほぼ同じことを言っています。突き落とすか分岐器を使うかの差だけです。
④は①とほぼ同じですね。
ですが、全部の問題で①より【5人の代わりに1人を犠牲にする】ことは許されないという人の割合は増え、結果としては②>③>④>①の順で【5人の代わりに1人を犠牲にする】ことは許されない人の数が多いことが統計データとして出てたりします。
この矛盾を今の所論理学上では合理的に証明できてはいないそうですが。
リアルでも、このトロッコ問題をより複雑にしたものが多くはびこってますね。
オリンピックの開催の是非なんかもいい例になると思います。
アスリート、経済、医療等のありとあらゆるものがその一つのジャッジで天秤にかけられてて、残念ながらどれかが犠牲になってしまいます。
その時の政府や関係者の判断を許せるかどうかって話です。
そういえば【トロッコ問題】に登場する「トロッコ」は私達が想像する某探検家や○○○ーコングが操作するようなやつではなく、本来路面電車を指しているそうです。
さて、それを踏まえて私も一つ【トロッコ問題】を作ってみました。
皆さんも考えてみてください。
『線路を走っていたトロッコの制御が不能になった。このままでは前方で作業中だった5人が猛スピードのトロッコに避ける間もなく轢き殺されてしまう。
この時たまたまA氏は線路の分岐器のすぐ側にいた。A氏がトロッコの進路を切り替えれば5人は確実に助かる。しかしその別路線でもB氏が1人で作業しており、5人の代わりにB氏がトロッコに轢かれて確実に死ぬ。
A氏はトロッコを脱線させることもできる。ただし、トロッコの中に何人乗っているかはA氏にはわからず、脱線した場合乗客の何人かが亡くなるものとする。(誰も亡くならない可能性もある)
なお脱線させなければ線路上の人を轢いてもトロッコ内の人は亡くならないものとする。
A氏はトロッコを操作するべきか? 操作するのであればどう操作するべきか?』