マイライフ1 加須芳樹
結婚できた。変な時期だ。
実母が危機的のタイミング、世間一般がパンデミック収束間際にだ。
実姉が手伝ってくれたから母親の容態は大体よくなっていた。
僕は、パンデミック騒動で共同支援補助に参加中に、野次飛ばされた補助活動者の女性をかばい、それがきっかけに不定期に顔を合わせてるうち、互いが引き合って結婚に至った。
補助事業で普段の給料より4割減だが、パンデミック収束後には、普通職で何とか収入率が上がり、子作りできた。
だが一子が出来る間でもなく実母が他界。孫の顔も見せずに亡くなり、僕は嫌気刺した。
「芳樹さん、思い詰めないで相談して?」
「アヤカ、子供育てる金、工面するのが厳しくて」
「私、今臨月だけど、産後に働くから」
「その頃になったら子供の世話、大丈夫?」
「義姉さん、お忙しいですよね」
「姉ちゃんは旦那の方で農業全般で多忙だよ。とても頼れない」
実母の葬儀関連の手続きがその死後よりかかり過ぎて、金さえ不足気味。家族葬なのに貯金使って精一杯。
僕が実母の生前に浪費ばかりしていてちゃんと貯めなかったツケが回ったのだ。
「大丈夫、大丈夫だって。割とタフなのよ。これぐらいでへこたれないわ」
何とか峠を乗り越え、第二子も設けた後、義兄が来て真剣な会議に見合った。
「生活の経済が安全に継続できない、保証もない状態と聞いて飛んできた。この意味判りませんですよね?」
「面目ございません」
「妹のアヤカは俺が面倒見ます。子供はあなたが育てる形で別れてください」
「協議離婚ですか?」
「勿論、後でアヤカにも話します。経済能力があやふやな家庭では荷が重すぎます。あなたは40後半ですね。もう耐えられないでしょう? 俺が銀行員で良かったよ。これで二人の養育費の足しにしてください」
「義兄さん、そういう事おやめください」
「飽くまでも義理を果たせるまでです。後はあなたが民生なりと手続きなされば良いんですから」
「協議離婚のうえに養育費なんて」
「あなたがアヤカを幸せにすると思えば経済不審と知り、いてもたってもいられませんでした。だから宮城から飛んだんですよ。よく考えてください」
養育費の銀行口座と通帳と印鑑を置いて義兄は去った。
それから何年経ったか。民生申請通過で得た給付金や助成の施しが生活を緩和させた。義兄からの養育助成も不定期だが振り込まれて何とか二人はすくすくと育っていった。
言い忘れたが、僕は加須芳樹。そろそろ66歳になる。