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無題原稿  作者: 人生依存
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2015年8月某日

 昔からよく、生きるとは何だろうと考えることがあった。

 きっとほとんどの人間が経験したことがあるだろう。

 生きる意味を考え、どうして最後には死んでしまうのかと恐怖で眠れない夜を過ごす。

 これはあくまでも自覚的な問題だけれど、僕はその時間が多かった。


 一番最初は小学校の三年生か四年生のあたりだったと思う。

 毎日学校に通い、退屈な授業を聞き流し、そうして放課後に友人たちと近所の公園に集まって隠れ鬼をする。

 そんな日常がどうしようもなく楽しくて、楽しくて楽しくて、僕はいつまでもこんな日々が続けばいいと思った。

 そして、ふと思ってしまった。

 いつまでもこの友人たちと、ずっとずっと同じ時間を共有していたいと。

 やけに短く感じられる橙色の時間に、いつまでもいつまでも閉じこもっていたいと。


 けれど、歳を重ねて思考が成熟していくにつれ、それが無理な願いなのだと理解して行ってしまった。

 だからこそ、僕は生きるとは何だろうと考えるようになった。


 生きることとは約八十年もの時間を積み重ね、移ろう世界の様相を呆然と眺め続けることなのだろうか。

 それとも、誰か特別な人間と出会い、愛を育んでいくことなのだろうか。

 もしかしたら自分が生きた証明を作り上げていく事なのかもしれない。

 だけれど、どこかの偉い人は生きる事は最後に生きた意味を見出すために時間と経験を積み重ねる事だと言った。

 僕にはそれがピンとこなかった。


 結局、生きた意味を最後に見出したところで、そこで人生は終了なのだから意味なんてないじゃあないか。

 そう思ってしまった。

 どれだけ頑張ったところで、人生には終わりが来る。

 悠久と錯覚してしまう美しく儚い幻影は霧のようにふっと散っていってしまう。

 その様を、僕たち人間は自覚する事ができない。


 意地になり、ムキになり、絶対に何かをしなければならないのだという焦りのようなものを感じながら、空回りをしながらも人生を全うした先で、僕たちはその終わりを感じる事ができない。

 気付けば終わっていて、気付けば消えている。

 それが人生だ。


 結局、人生なんてものはなんの意味もなく、最後には自分が死んだ事を理解する事もできないまま終わりを迎える非情な物語だ。

 つまり、人生とは地球というシステムが稼働するための歯車の一個。

 いや、もしくはその歯車を構成する元素の一つでしかないわけで、だからこそ、誰が死のうと誰が生きようと、世界は変わる事なく変わり続けていく。


 当然のように景色は移ろい、地球は回る。

 僕たち人間に生きる意味なんてない。

 最終的にはそんな思考に行き着いてしまう。


 きっと、ここから先は僕たち人間なんていう小さな存在には思考する事ができないはずだ。

 人間は見た事ないものを想像する事ができるが、その範囲には限りがある。

 見た事のあるものたちの組み合わせでようやくできるのがその拡大した思考なわけなのだから、人間はつまり、見た事あるものしか想像できないという事だ。

 だから、見た事もない死後の話だとか、正解を知らない生きる事の意味だとか、そんなものは想像できない。


 この僕の悩みというか、思考の答えを知るのは、それこそ神などという胡散臭く、存在するはずもない曖昧な存在だけなのかもしれない。

 考えれば考えるほど答えが見えず、鬱になる。

 思わずため息がこぼれてしまう。

 ほとんど無意識のうちにこぼれたため息は、眼前に広がる山風景へと吸い込まれていく。

 その代わりとして、あたりからは喧しいほどの蝉しぐれが響いてくる。

 夏だからか、着慣れない喪服のせいなのか、今日はやけに暑い。


 昨日、祖母が死んだ。

 寝て起きての感覚で言うのならば一昨日なのだが、正確な日付上はつい昨日で間違いない。

 享年は六十ぐらいだったと思う。

 正確な年齢は知らない。


 死因は膵臓癌だと医者は言っていたが、癌が発覚した時には肝臓やら胃やらに転移していて、腹水の症状なども出ていたものだから、正直なところ本当の死因はわからない。

 ただ、健康に寿命を全うしたわけではなく、癌による病死であることは間違いがなかった。

 喫煙をしていた祖父にあれだけ早死にするぞと言っていた祖母が、まさか祖父よりも先に他界するだなんて誰も思っていなかった。

 きっと、祖母も同じだろう。

 

 祖母はついひと月前までは何の病状もなく、元気そのものだった。

 毎日のように母と一緒にご飯を作ってくれて、美容師の仕事を週に六回こなしていて、家の畑も毎日耕していた。

 嫌なことがあった時には僕の愚痴も聞いてくれた。


 けれど、今からひと月前に不自然にお腹が出て体重が増えたのを気にかけ、近所の診療所に行ったところで肝臓癌の疑いがあると言われた。

 そして、紹介状を書かれて大病院で検査をしたら膵臓癌であることが判明した。

 その時にはすでに胃にも肝臓にも転移していた。

 それ故の腹水だった。


 癌だと判明してから祖母は一気に衰えていった。

 体重が増え続けて痩せられないと悩んでいた祖母は、異常な速度で痩せ細っていった。

 何をどれだけ食べても体重が減少してしまい、仕舞いには粥すら食べるのが辛いと言うようになっていった。

 僕は、気丈で穏やかであった祖母が見るに堪えない姿になっていくのが耐えられなくて、目を逸らし続けた。


 祖母が亡くなる数日前にふと、もう祖母に会えないかもしれないと思った。

 僕の何も否定せずにいてくれた、僕の唯一の味方の命がもう長くないのだと、会ってもいないのに悟ってしまった。

 だから、僕は本当に久方ぶりに祖母に会いに行くことにした。

 入院中の祖母に大学に合格したよと伝え、もう何も心配する必要はないのだと言うつもりだった。


 けれど、祖母に会いに行く予定日の当日、祖母はなんだか体調が良くないから会いに来るのはまた別日にして欲しいと、母を通して僕に伝えてきた。

 電話番号もメールアドレスも知っているのにどうして僕に直接言ってくれなかったのかはわからない。

 何か、堪えたい気持ちがあったのかもしれないし、もしかしたら電話をする元気もメールを打つ気力もなかったのかもしれない。


 そして、その日のうちに祖母は息を引き取った。

 その日は夏休みの真っ只中だったが、以前から日程の決まっていた進路面談の日だった。

 進路面談に顔を出し、進路指導の先生と大学受験を他の生徒よりも一足先に終了する旨の話し合いをした。


 それから、祖母との面会が無しになったからと友人と買い物に行き、家に帰った。

 母も祖父も叔母も居らず、父と妹と弟と四人でコンビニの弁当を食べたのを覚えている。

 食事を終えて風呂に入り、それから僕らは祖母の命が危ないという恐怖を紛らわせるために、夏休み特番の心霊番組を見ていた。

 そんな中で、母からの電話があった。


「死んだ。もうだめ。死んじゃった」


 電話に出ると、酷く混乱した様子で母はそう言った。

 母親の背後では、祖母の心肺が停止したことを告げる淡々としたブザーが疳高く鳴っていて、それよりも大きな声で、医者と思しき男性の声が祖母に大丈夫ですかとひたすらに問いかけ続けていた。

 混濁する母を宥め、父と弟と妹と、四人で祖母の入院していた市民病院へ行った。

 父の運転だった。

 いつもは止まることなく話し続ける弟もこの時ばかりは静かで、小学三年生という若さにして、これから待ち受けるものの全てを悟っているようだった。


 車で三〇分の道のりを走り病院に着くと、祖母は正式に臨終だと伝えられてから既に十数分が経過していた。

 結局、その死に際に立ち会うことも言葉を手向けることもできなかった。


毒親に育てられた僕の唯一の味方であった祖母に、叶うことならもう一度会いたい。

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