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最強シスコン執事の化学実験室(ラボラトリー)  作者: リア
第一章 化学者が執事と呼ばれるまで
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7話 義妹を救うため

 その部屋は、随分と素っ気ないものだった。もとは客室だったのだろう。装飾と呼べる装飾は、壁にかけられた絵画のみ。あとはベッドがあるだけ。


 そんな殺風景を形にしたような部屋のベッドで、窓の外を眺める少女がいた。


 その銀の長い髪は月明かりに照らされ、まるで空に架かる天の川のようである。


 その少女は、突然入ってきた僕たちに驚き、こちらを向こうとして、すぐにそれをやめた。


「パパ、誰をつれてきたの?」

「やはりわからないか。無理もない。この子、アクオスは、お前の義理の兄だ。3年ほど前は共に過ごしていたのだがな」

「お兄、ちゃん?」


 息を飲んだ。数年前、最後に会ったときは、言葉というよりも鳴き声で、いまいち意識したことはなかったのだが、年月を経て言葉を紡ぐようになった彼女の声は、なんとも美しく、かつて母が聞かせてくれた楽器の音色にも劣らないほどだ。


「お久しぶりです、ティア様」

「...ごめんなさい。覚えていなくって」

「お気になさらず」


 今はただ、その声が聞けただけで十分である。


「それで、ティアーユ。今日はお前の病気に薬を持ってきた」

「パパ、本当?」

「ああ。しかも、これを作ったのはこのアクオスなんだ」

「へ?」


 疑問の声も可愛らしいことだ。そして父よ、それを突然言っては首をかしげられるのも当然だと思うのだが。


「今日が授職の儀というのは知っているだろう」

「うん」

「そこで得た能力で生み出したものだ」

「そうなんだ。能力って凄いんだね」


 顔を背けたまま、明るい声を出すティア様。


「ティア様、それに先んじて、あなたの病状を診せていただきたいのですが」

「い、いやっ」


 速答で断られてしまった。まあそうだろう。これはそういう病気だ。顔に発疹が現れた場合は、可愛らしい顔立ちであったティア様であれば尚更、心に受けた傷が大きいはずである。


「ティアーユ、我が儘を言うものじゃない。この子に診せないと、お前は治らないかもしれないんだ」

「...」

「わかってくれるな」


 ティア様はこくりと頷き、ようやく、その顔を僕に見せてくれた。


 現段階では、お世辞にも綺麗とは言えない。彼女が人と会いたがらないのも納得である。だが、元の素材が良いことは、じっくり見ればわかる。


 僕はおもむろにベッドへ近づき、彼女の頬に手を触れる。見た目通り腫れているわけだが、発疹の数は少ない。良かった。まだ初期段階だ。


「お兄ちゃん、もっと大きいと思ったら、意外とちっちゃいね」

「身長はティア様と変わらないと思いますが」

「そうなんだけど、そうじゃなくて」


 いまいち要領を得ない。難しいお年頃である。


「言葉遣いも綺麗で、お薬も作れて、もっと大人かと思ってたの」

「あぁ、そういうことですか」


 用は、年齢的にも身体的にも大人だと思っていたというわけだ。身体的な部分はともかく、年齢的には彼女の想像していた通りなのだが。


「ティア様、今どこを触られているかわかりますか」

「ほっぺた?」


 敢えて、腫れていない方の頬に触れる。プニプニの感触を楽しみたいとかそういうわけではなく、あくまで対照実験のためだ。


「そうです。ではここの感覚はありますか?」

「ん、わかんない」


 腫れている部分は麻痺している、と。父の言う通りの症状である。加えて、少しだけ汗ばんでいるのだが、それに自覚症状はないらしい。


「結構です。僕の予想通りの症状でした」

「なら、これを飲ませても良いのだな?」

「はい」


 父はティア様に近づき、口元へお猪口を差し出した。


 あれの中身はジアフェニルスルホン。一般にサルファ剤とも呼ばれる薬の一種であり、ティア様が患っている病、ハンセン病の治療薬としても知られる薬品である。


「不味いでしょうが、我慢して飲んでください」


 ただ、これを飲んですぐに治るというわけではない。長引く場合もあれば、治らない場合だってある。だが、少なくとも何もしないより何倍もマシだ。


「アクオス、これでどうするんだ」

「これを毎日続けます。そうですね、半年くらいでしょうか」

「だそうだが、ティアーユ。治療を受け続けるか?」


 医薬品の不味さに悶絶していたティア様は、涙目になりながらも頷いた。


「私がここにいた時間より何年も短いんだよね。だったら大丈夫。我慢できる」

「そうか。よし。ちゃんと治してもう一度外に出よう。な」


 賢い少女である。きちんと、メリットとデメリットを天秤にかけ、メリットを選択したのだ。


 彼女の期待に沿えるよう、僕も精一杯を尽くすつもりである。


 ところで。


「それなのですが、お父様。ティア様の授職の儀を今日中に済ませてしまってはいかがでしょうか」

「ああ。それもそうだな。そうでなければ、折角治っても学校に通えない」


 補足しておこう。この国の学習制度は、授職の儀を終えた一年後から始まるのである。それまでは各々の家庭で基礎知識を身につけるのだそうだ。


 これは当然、貴族世界だけの話である。平民にそのような機会はない。


「い、いやっ」


 僕と父の意見は合致したものの、ティア様から反対意見が飛んだ。


「こんな顔で、お外に出たくない」


 治療の一環ということで、僕には顔を見せてくれたわけだが、彼女にとってそのコンプレックスは、外に出るには厳しいものであるらしい。


 今ここを発てばギリギリ今日に間に合うのだが、こうも頑なに拒まれては、僕も父も口出しできない。


「そうか。わかった。また来年にしよう」


 あわよくば、ティア様と一緒に学校へ通うことができると打算的に考えていたのだが、甘かったらしい。


 ただ、今の時点で僕がすることは変わらない。ティア様の病を癒し、外出できるくらいに自尊心を取り戻してやることだ。

今週の化学用語

 サルファ剤(スルファミン剤)

 スルファニルアミドの部分構造を持つ抗菌物質。細菌が体内で増殖するために必要な葉酸を作る酵素の働きを疎外する。ヒトにはその酵素がないため、選択毒性を示す。つまり、細菌にのみ毒性を示す。

 ただし、今回紹介したジアフェニルスルホンにはスルファニルアミドの構造は含まれない。

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