31話 嫌な予感
5月10日。ティア様の誕生日。その前々日になって、ようやく納得のいくものが出来上がった。試作を繰り返すこと、実に33回。本番のブローチも抜かりなく完璧に仕上げた。きっとティア様も喜んでくれることだろう。
さて、この連日は、時間の許す限りを試作に費やした。ティア様が寝静まった後でさえ、こっそりとベッドを抜け出し、もはや私室と化した四階の隅の部屋で、作業を繰り返していたのである。
そして前日となった今日。この日ばかりはゆっくりと過ごしても、誰も文句は言わないだろう。生憎と、学校には通わねばならないが。
「お兄さま、お寝坊さんです」
僕がもぞもぞとベッドから這い出ると、珍しくティア様が先に目覚めており、僕の顔を覗き込んでいた。
少しばかり驚いた表情の僕を見て、悪戯っぽく微笑んだティア様は、僕の手を取り、ベッドから引き下ろした。
「焦らなくても大丈夫です。いつも起きるより五分遅いだけですから」
「そうでしたか」
ほっと胸を撫で下ろした。ただでさえ授業態度が悪いというのに、遅刻まで重なっては目も当てられない。
ティア様は既に寝間着から着替えており、ずっとニコニコとこちらを見つめている。何か顔についているだろうか。
「どうかなさいましたか?」
「なんでもありません」
「そうですか」
やはりニコニコ。可愛らしいご尊顔を拝見できて大変眼福ではあるのだが、気恥ずかしい。
「そう見つめられると着替えにくいのですが」
「あ。すみませんっ」
少し頬を赤らめたティア様は、「先に食堂に行きますっ」とトテトテと駆けていってしまった。一緒にお風呂、なんて言い出す癖に、こちらから指摘すると照れるというのは、謎である。
「眠そうね、アクオス。昨日は眠れなかったかしら」
「そうですね。目が冴えてしまって」
食後、欠伸をしているところを母に見られてしまった。幸いにも、ティア様は廊下に飾ったドライフラワーを鑑賞に行っており、この食堂にはいない。それ故、理由を問い詰められるようなこともない。
丁度良い機会だ。登校する前に、母には話しておこうか。
「お母様、明日はティア様の誕生日ですが、どのような予定でしょうか」
「そうね。去年は何も出来なかったもの。退院祝いも兼ねて、入念に準備しておくわ。お父様も、明日は早く帰ってくるそうよ」
「よろしければ、僕もささやかながらプレゼントを用意しましたので、渡すタイミングを作ってはいただけませんか」
「プレゼント。...まぁ、アクオスだものね。わかったわ。私も何か用意しておくから、一緒に渡しましょう」
「はい」
これで当日の段取りも決まった。ティア様の喜ぶ顔が今から楽しみである。
本日も遅れることなく、学校へ到着し、授業が始まった。この貴族学校のカリキュラムの中で、魔学に次いで興味をそそられる、力学の授業である。
僕は、当然ながら、この世界について知らないことが多い。食品や気候などは前世と変わりがないものの、能力などというトンデモ現象については、ほぼ無知なのである。
「今日の力学は生成系統の能力についてだ」
生成系統。そう聞くと、Aクラスのクラスメイトたちは、露骨に気だるそうな空気感を出す。勿論、態度に出すわけではない。どことなく、緊張感が弱まるのだ。
それもそのはず、僕のような生成系の能力というのは、基本的にランクが低い。高く見積もってもCランクが限度だ。
何の因果かは知らないが、このクラスの中で、Cランク以下は僕だけである。つまり、生成系の能力というのは、このクラスにとって疎遠なものなのである。
そもそも、生成、生産というのは庶民の成すことであり、公務に勤しむ貴族としては、そのような能力を貶める傾向があるのだ。
しかし、僕にとっては、まさに自分の知らない自分を発見するような、夢のような時間なのである。
「生成系統の能力は、その名の通り、生成することを主とする能力だ。能力を使い始めた頃は、自分の素肌からしか生成できないのだが、成長し、能力を使い続けるにつれて、それ以外の場所にも生成が可能になる」
この通り、自分の更なる可能性を提示してくれるのだ。こんなに楽しい授業が他にあるだろうか。
さて、能力についてだが、これまで学んだことで、ここに記していないことがある。僕の復習代わりと言ってはなんだが、知らせておこう。
能力というのは、知っての通り様々な種類がある。それこそ千差万別と評して差し支えない程だ。
しかし、カテゴリーに関して言えば、それほど種類があるわけでもない。生成系統、強化系統、概念系統。大きく分けて、この三つである。
もっとも珍しく、かつ強力なのが、概念系である。ティア様の能力、切断と結束を操る能力などが、その最たる例であろう。概念系に関しては、実例が非常に少ない。そのため、共通した性質などはあまり解明されていないのだという。
このカテゴリーに加えてもう一つ述べておこう。
あくまで一般的にだが、能力というのは、使えば使うほど、あるいは身体的に成長するほど拡張されるらしい。それこそ概念系に関しては例外的なこともあるかもしれないが、生成系や強化系について言えば、ほぼ確実に同じ傾向が見られるのだとか。
何にせよ、時間をかければ大抵の能力は成長していくということだ。
そういったことを鑑みるに、僕が毎日付き合わされているティア様の能力鍛練も、無駄ではないのかもしれない。
もっとも、僕の能力、とりわけ使用回数に関しては、最初から無制限のようなものだが。
「何度も何度も能力を使っていれば、このように、視界の中ならどこへでも、自在に形を変えて物質を生み出すことができるようになる。それにより、今まで出来なかった加工などが可能になった」
例えば、これまで鉄塊しか作ることの出来なかった能力が、鉄製の道具を生み出す能力に変わるということだ。
精度の程は不明だが、鍛冶という職が残っている以上、さほど良いものでもないのだろう。
こうして有用な情報ばかりが、クタール先生の口から流れてくる。
丁度ティア様のことも頭の片隅まで追いやった、そんなときだった。
今まで感じたこともないような、鋭い気配が背後にぶつけられたのである。
「アクオス?」
僕はガタリと音をたてて立ち上がり、クタール先生の動揺も気にせず背後を振り返った。僕は一番前の席なので、丁度クラス全体を見渡す形になる。
真面目に授業を受けていた生徒たちが、大抵は呆けたような顔で僕に視線を向けている。その彼らの一人一人にこちらからも視線を向ける。
バリー少年はいかにも迷惑そうな顔でこちらを睨んでいる。いつもの狐っぽい目が、さらに細くなっていた。
インジュさんはいつものように微笑んで、それでも少し疑問を孕んだ様子である。急に立ち上がったのだから、そういった反応も然るべきだろう。
そして、ボースト少年。小太りな彼は先生に聞こえないように舌打ちをして、窓の外を向いていた。僕とは目も合わせたくないらしい。
誰の目線も、先程の一瞬に感じたナイフのような冷えきった鋭さはない。
今までだって、授業中、鋭い視線を身に浴びることはあった。けれども、先程のものはそれらと一線を画すほどに凶悪だった。
あれは何だったのか。それを立ったまま考えていると、僕の後頭部を先生が叩いた。
「アクオス。授業中に何をしている」
「...すみません」
嫌な気配がしたと言っても、先生にとっては意味不明だろう。素直に着席し、授業を続けてもらった。
今まで感じたこともないような、嫌な気配。そう形容したが、それは正しくない。僕は一度、この気配に出会っている。
この気配の名は、殺気。一度殺されかけたのだから、よく覚えている。
もう七十年も前のことだ。僕は研究発表の場で賞を獲得し、当時所属していた研究室の名声を高めた。そして、その研究室の同僚に殺されかけた。
随分と突飛な話のようだが、後の事情聴取で彼女はこう語ったという。研究を盗まれたのだ、と。
実際、僕と彼女の研究はよく似ていた。題材はほぼ同じで、ほんの少し方向性が違うだけだった。そして、発表内容までも。
しかし、彼女の言い分は勘違いも甚だしいもので、僕の研究は、僕自身が一から組み上げたものだった。実験だって、似ていると言っても、半ば定石と化したような実験である。それに盗作だと言われても当惑するしかない。
そもそも、研究室というのは互いに意見を交換し、切磋琢磨し合うためのものである。そこで研究方法が似ている人間を盗作だと謗るくらいならば研究室になど入る必要などない。他人の研究を貶めるようなことは研究者として恥じるべきだ。
僕は被害者であり、真っ当に努力を重ねてきたので、そのように説教臭く語ることもできるが。同時に、もし容疑者の立場であったなら、僕はどのような行動に出るのか。
ともあれ、回想はこのくらいにしておいて、たった今感じた殺意に関してだ。正直な話、妬み嫉みでよければ、それらを買う要素はいくらでもある。
授業態度が悪く、それでいて成績は優秀。時折ではあるが、クラスの人気者らしいインジュさんとも言葉を交わす。極めつけは肌の色だ。反感のデパートである。
かといって、それが殺意にまで発展するかというと、首を傾げざるをえない。勿論、これは年を食った老人の心理であり、感情に左右されやすい若者がどうなのかは、今となってはわからないが。
授業は続行されている。殺気も嘘のように霧散してしまった。時折授業妨害に対する非難の視線が突き刺さる程度である。
殺意の源泉が誰かはともかくとして、身の安全には気を付けた方が良いだろう。




