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最強シスコン執事の化学実験室(ラボラトリー)  作者: リア
第一章 化学者が執事と呼ばれるまで
30/31

30話 準備完了

 翌日。帰宅すると、即座にお金が入った袋を抱え、家を飛び出した。昨日も同じ展開だったような気がする。


 それはともかくとして、やはり高価なものを購入するというのは緊張するものだ。大金を所持しているということにも緊張はあるのだが、それとは別種の、興奮に近いものである。


 前世では、常に節制を心がけるよう、母親によく言われていた。結婚してからは妻にも口煩く言われ続け、今に至るのだ。なるほど、言われ続けた所以もわかるというものである。


 浪費癖というのは通常忌むべきものである。が、それと同時に、大変な快楽をも内包する。


 これまで、己自身のために何か値の張るものを購入することは必要に応じてままあったが、他人のためにというのは、妻への結婚指輪以来ではなかろうか。


 自分自身のための浪費はさして快楽と捉えないのだが、どうも他人、それも好んだ人のためとなると、溢れんばかりの満足感、愉悦を感じるようになっているらしい。


 そうこう考えているうちに、数日ぶりの工房にたどり着いた。扉の文字は、相変わらずミスマッチなフォントである。


「ごめんください」

「いらっしゃい。待ってた」


 扉を開けると、熱気と共にクリエ氏が迎えてくれた。この熱気は、奥にある竈から放たれているらしい。今日は休日などではなく、工房はフル稼働している。


 僕なんかは入った瞬間から汗が吹き出し、顔をしかめるのだが、クリエ氏は変化の見えない無表情で、平然としている。工房の娘ということでそれは良いとしても、汗一つかかないのは慣れという次元を超えていると思うのだが。


 僕の姿を認めたクリエ氏は、ゆったりとした足取りで、現場監督風に若い衆を睥睨するスミス氏に近づき、その肩をトントンと叩いた。


 スミス氏は耳元でクラッカーでも鳴らされたように飛びはね、それからクリエ氏と一言二言言葉を交わすと、声を張り上げた。


「お前ら! 今日はここまでだ! 片付けを始めろ!」


 なるほど、こうしてみると、親方と呼ぶべき気迫である。すぐに野太い返事が飛び、槌を振るう音も次第に収まっていった。


 スミス氏は片付けを弟子らしき人たちに任せ、僕に接近してきた。


「待ってたぜ。商品はこっちだ。ついてきな」


 髭を蓄えた巨漢がニッと笑う。前世の街角で出会えば即座に逃げ出しただろうが、こちらでは慣れたものである。大人しく付き従っていくと、完成品とおぼしき品々が並ぶ長机の一番隅に、それはあった。


 ティア様の長く美しい銀の髪を彷彿とさせる、流線形が刻み込まれた、銀白色のブローチ。その型が置かれていた。窓から射し込む日の光に照らされ、宝石もかくやというほど輝いている。


「なんと美しい」

「へへ。さすが坊主。わかるか」

「はい」


 前世にだって、このような金属器はあった。機械により大量生産された、という形容詞が付いたものだが。


 それに比べ、これは一つ一つの形成作業が確かな意思を内包しているのだ。まさに、世界に一つだけの商品、否、作品である。


 芸術というものにはどうにも明るくない僕であるが、これははっきりと、美しいのだとわかる。僕の心に確かに迫ってくるものがあった。


「俺の最高傑作だ。特にこの曲線を出すのに、俺の長年培った技術をだな」

「パパ」


 この作品に含まれる技術について得々と語りだしそうだったスミス氏を、クリエ氏が一喝した。


「お金の話」

「お、おう。だがクリエ、もう少しくらい」

「だめ。商売だから」


 ブローチに負けないほど目を輝かせていたスミス氏だったが、娘に一蹴され、がくりと肩を落とした。


「悪いな坊主。うちも商売だからよ。利息はつけねえ。できるだけ払ってくれりゃいい」


 見かけに依らず、優しい男性である。前世の経験から、体の大きさと心の広さは比例するなんて考察をしていたものだが、強ち間違いでもないかもしれない。


「お金ですが、稼ぐことのできるだけは稼ぎました。それでも二万センドには届きませんでしたが」


 感動に浸るのもそこそこに、僕は抱えてきた袋を彼に差し出す。


「おうっ?!」


 軽い力で持ち上げようとしたスミス氏だったが、予想外の重量だったのだろう。アシカか何かのような声を上げ、バランスを崩しかけながらも、手元の袋を覗き込んだ。


「な、なんだこれ。本物か?」

「勿論です」

「ぼ、坊主、数えても良いか?」

「構いませんが、騙されていなければ、一万五千センドあるはずです」

「いちっ?!」


 彼は絶句した。おおよそ子供の小遣いに与えられる額ではない。


 正直な話、僕もうまくいきすぎて怖いくらいに感じている。一日の労力が、真っ当な仕事の一ヶ月分に相当するのだから。つくづく、能力というのは便利なものである。


「貴族様ってのは気前が良いんだな。子供の小遣いにこれだけくれてやるのか」

「パパ。私も」

「...勘弁してくれ」

「僕の場合は特別です。能力を使って手伝いをしていますから」


 あくまで手伝いの対価ということにしておく。この方たちは善人だと踏んでいるが、壁に耳あり障子に目ありとも言うように、誰が聞いているとも限らない。この世界で誘拐を体験した以上、自分の価値は低いままでいるのに越したことはないのだ。


「そうか。苦労したんだな。よしっ! こいつは今日からお前さんのもんだ。持っていきな! 残りはまたいつでも構わねえからよ」

「はいっ。ありがとうございます」


 恐る恐る、遂に我が物となったブローチの枠へ手を触れる。触れたら壊れてしまいそうなほど細やかな装飾だというのに、いざ実際に触れてみると、しっかりとした安定感がある。これぞプロの業というものだ。


「じゃあな、坊主。妹の誕生日、しっかり祝えよ」

「ありがとうございます」

「...またね」

「はい」


 営業スマイルと呼ぶには程遠いけれども、最後にはクリエ氏も、口角を上げてくれた。


 よし。これでティア様への誕生日プレゼント、その材料が全て揃った。あとは別の木枠か何かでいくつか試作を作り、構想を固めて本番だ。誕生日当日まで、残り一週間を切っている。急がなければ。


「お兄さまっ。おかえりなさい!」


 ポケットの中にあるそれの感触を確かめながら家に入ると、ティア様が眼前に迫っていた。ありふれた光景なのだが、今日の僕は、完全に浮かれていたのである。


 そこで不注意にも、僕は驚いて肩をビクリと震わせてしまったのだ。いつもと異なる反応に、ティア様は当然感づいてしまう。


「お兄さま、何か疚しいことでもあるんですか?」

「いえ。そのようなことは」


 また勘繰られてしまう。そして、僕は秘密を話す訳にいかず、終いには罰とばかりに何かと心労を抱えることになるのだ。あと一週間足らずの辛抱とはいえ、ティア様にとってもモヤモヤが残るだろう。


 どうやら僕のその予想は甘かったようだ。ティア様が僕を見る目は、だんだんクリエ氏がスミス氏を見る目のように冷めきってきた。


「お、に、い、さ、ま?」

「ひっ」


 今ここに、スミス氏への謝罪を書き連ねたいと思う。情けないなどと思って本当に申し訳ない。これにはどんな屈強な男でも勝てないだろう。それほどまでに、親しい少女、もとい幼女からの冷たい視線というのは心に来る。


「ティア様、もう少しだけ、もう少しだけ勘弁していただけませんか。明日からは帰宅時間も元に戻しますので」

「本当ですね」

「はいっ」

「じゃあ許してあげます。...でも、なるべく早く教えてください」


 到底嘘が吐けそうな雰囲気ではない。大人しく従おう。


「ではお兄さま、補講をお願いします」

「はい。畏まりました」


 幸い、残る作業は試作と本番のみ。家の中で十分完結する。どうにかティア様に知れないよう、気を配らねばなるまい。

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