20話 目下の悩みごと
それからの毎日、目下の目標は、一月後に迫ったティア様の誕生日にどんなお返しをするかということになった。
走って学校に行った後、どこで制服に着替えるかなんて問題も、魔法を使えるようになるかという問題も、一先ずは後回しだ。
どんなプレゼントをあげれば彼女は喜んでくれるだろうか。どんなものが、僕の感動を少しでも彼女に伝えられるだろうか。
「アクオス。アクオス・ソリューシャ!」
「っ、はい」
「またボーッとしていたのか。この問題を解いてみろ」
授業中、こうして悩んでしまうこともしばしば。ただ、そういうときはつまらない算学の時間なので、困ることはないのだが。
「よろしい。正解だ」
微かに悔しそうな感情が籠った声音で、クタール先生が言う。少し申し訳ない。いくら既知の内容とはいえ、授業を聞かれないというのは、教師として悲しいものだ。
同情はするが、行動を改めるかと言われれば、答えに渋る。少なくとも今は、算学よりティア様の方が大切だ。
そうして、いつの間にか、今日の授業が終わっていた。我ながら器用なもので、算学以外、ノートはきちんと取ってあるし、話の内容も思い出せる。ただ、ティア様の誕生日プレゼントについては、進展が無かったわけだが。
「どうしましょうか」
独りごちて、胸ポケットの生徒証を取り出す。そこに挟まった白い押し花を見つめ、思案を巡らせていた。
「おっと」
そこで、クラスメイトの一人にぶつかられ、生徒証を取り落とした。押し花がふわりと舞い、一拍遅れて、僕の真横へ落ちた。
背後から、およそ貴族とは思えない、下卑た笑い声が耳に入る。
「悪いねアクオス君。わざとじゃないんだ」
そう僕に言葉をかけたのは、赤毛に細長い目のクラスメイト、バリー少年である。
僕は彼と向かい合うべく、振り返った。
「いえ。バリー様。お気になさらず」
「ほら、落としたよ。拾ってあげよう」
そう言って、少年は僕の後ろに落ちたままの生徒証を拾い上げようと、一歩踏み出しかけた。しかし、そこには、僕がティア様から貰った、大切な大切な白い花がある。
このままでは踏まれてしまう。そう思った瞬間に、体が熱くなった。何かが体から漏れでそうなほど、体温が上がっていくような感覚。
すると、次の一瞬には、バリー少年の体は動きを止めていた。
押し花を囲うように、半透明な半球が形成されている。
「ざまあみ...ろっ?!」
バリー少年が足を思いきり振り下ろすが、その足が押し花に届くことはない。
しかし、その代わりに、彼の足がその半透明な何かに触れる度、僕の上がった体温が持っていかれる感覚があった。
そこで思い当たった。これが魔法というものなのかもしれない。
空間として運動を止めている。それが、今僕が発動している魔法の正体ではないか。
そうこうしているうちにも、僕の体温はみるみる奪われていく。というより、どうして彼はそこまで押し花を踏もうとするのか。
まあ、理由は察しがつくが。
こういうものは、焦れば焦るほど相手の嗜虐心をを助長してしまう。極めて冷静に語りかけてやるのだ。
「申し訳ありません、バリー様。少し退いていただけますか。大切なものですので、踏まれては困ります」
バリー少年は渋々といった様子で、舌打ちをしつつ仲間のもとへ去っていった。彼の蛮行には困ったものである。
ともかく、落ちてしまった押し花を拾う。ついでに生徒証も。
またこのようなことが無いとも限らない。押し花の保護についても考える必要があるだろう。
悩みごとが一つ増えた代わりに、懸念が一つ消えた。魔法についてである。
先程の、咄嗟の魔法行使で、魔法を放つ感覚をようやく掴むことができた。
重要なのはイメージだ。どんな現象を起こしたいか、それに合わせて、自分の内のエネルギーを変換するイメージ。今のは突発的であったため、エネルギーの有らん限りを使いそうになったが、本当はもっと省エネを図れるはずなのだ。
早速、帰り次第、屋敷で試行錯誤を繰り返そう。これでようやく、僕もこの世界の一員として、一般レベルに立つことができるのだ。
今ならわかる。あれだけ酷評した母の講釈だが、あれはあれで間違っていなかった。文句を言ってすまなかったと、一言謝っておこう。




