19話 甘いお菓子
屋敷へ帰ると、僕の姿を認めたティア様がとてとてと寄ってきた。
その彼女が身につけているのは、白いエプロンである。使用人たちのような無愛想なものではなく、可愛らしいフリルも添えられている。
「お兄さま。お帰りなさい」
「ただいま戻りました、ティア様。本日はどうなされたのですか?」
「今日は、お菓子の作り方を学びました」
「そうなのですか」
そこで僕は、少し驚いた。というのも、僕の教育過程に料理は含まれなかったからだ。ソリューシャ家の教育方針が、性別によって異なるとは知らなかった。
ティア様は、今日習ったことを列挙した後、もじもじと何か言いたそうな様子でこちらをじっと見つめている。
「その調理実習は上手くいったのですか?」
「う。それが、その。失敗、でした」
しょんぼりと肩を落とすティア様。しかし、言えずにいたのはそのことでないらしく、いまだしきりにこちらの顔色を窺っている。
「どうかなさいましたか?」
「え、えと。もし良かったら、お兄さまと一緒に、もう一回挑戦してみたいなぁ、なんて」
なんとも可愛らしいお誘いである。もちろん僕は、即座に首肯を返した。
「やったっ。ありがとうございます、お兄さま」
おっかなびっくりという様子だったのが一転、背景に花畑が浮かび上がりそうなほどの笑顔で、僕の手を引くティア様。
それにしても、なぜティア様は提案を躊躇っていたのだろう。僕が断るようなことはあるはずがないというのに。
「クッキーですか」
「はい。お兄さま、レシピはこちらです」
「ありがとうございます」
黒板に書いてあるレシピにざっと目を通す。なるほど、一般的なレシピとさほど変わりない。
ちなみに、視界の隅には、サーヴァンさんが控えていた。
「では、始めましょうか」
「はいっ。今度は失敗しません」
こう見えても、僕は料理が得意だ。料理は化学とよく聞くが、まったくもってその通りである。実験方法さえ間違えなければ、結果は自ずと得られるはずなのだ。
「あっと。ティア様、砂糖を入れすぎてはいけません」
「どうしてですか? もっと甘くなるのでは?」
「あまり多いと甘くなりすぎますし、相対的につなぎの分量が減ってしまうので、焼き上がりで崩れてしまうかもしれません」
「通りでボロボロになったんですね」
「はい。料理はあくまでレシピ通りが基本ですから」
ティア様の失敗した原因はそこだったらしい。もっと甘くしたいというのは、小さな女の子にありがちな願いである。それは微笑ましいものなのだが、いかんせん、僕は甘すぎるものが苦手だ。
「ティア様、代わりと言ってはなんですが、生地を混ぜ終える前に、少し手を加えさせていただけませんか?」
「良いです。何をするつもりなんですか?」
「香り付けです。数滴なので、危険はありません」
能力を使い、加えるのは、バニラエッセンスの原料となっている有機化合物、バニリンである。これにより、バニラ特有の香りを追加するのだ。
「混ぜる度に甘い香りがします。この匂い、好きかもしれません」
「それは良かったです。と、ティア様、ここで一つ、遊びの要素を加えませんか?」
やはり、折角二人で料理をするのだ。ただレシピ通りに作るのでは面白くない。幸いにも、これに娯楽性をプラスするレシピを、僕は知っている。
「どうするんですか?」
「ティア様、お好きな色は何ですか?」
「え? えと、桃色です」
「承りました」
僕は生地の一部を切り取り、そこへ、再び能力を用いて、食紅を適量加える。
「桃色クッキーの出来上がりです」
「わっ。すごいです。これでお菓子で絵が描けるようになりますね」
「はい。行儀は悪いかもしれませんが、これで楽しくなるでしょう」
本来、食べ物で遊ぶのは良くないこととされているが、子供の調理だ。とやかくは言うまい。
「お兄さま。二人で別々の絵を描いて、焼き上がりを見せ合いませんか?」
「構いませんよ。色が必要であれば仰ってください」
「はいっ。お兄さま、焼き上がるまで、見てはいけませんからね」
「わかっております」
苦笑混じりに、自分のクッキーを形作る。そうか、兄妹というのはこういうものか。そう実感する。
前世の僕は兄こそいたものの、年が離れていて、こうして一緒に何かをするということも少なかった。だからだろうか、こうして二人で喋りながら、料理を作るということに、どうしようもなく、心がワクワクしている。
「できました! サーヴァンさん、おねがいします」
「はい。かしこまりました」
ティア様は早速出来上がったようだ。
焼きの工程は、竈の温度調整のため、火を扱う必要があり、子供には任せられないということらしい。万が一、ティア様の肌に火傷跡がついてしまっては一大事なので、とても良い判断である。
「僕の方も出来上がりました。サーヴァンさん、よろしくお願いいたします」
「はい。お任せください」
一瞬、火の番を替わろうかと思ったが、竈の火の扱いに関する経験が皆無なので、やめておいた。万が一にも焦がすことは出来ない。また今度、練習させてもらおう。
それに、ふとした拍子にティア様のクッキーが焼き上がり前に見えてしまうかもしれない。それは無粋が過ぎるというものだ。
「さあ、お二人とも。焼き上がりです」
サーヴァンさんが黒い鉄板を二つ持ってきて、並んだ僕たちの目の前に差し出す。
「わぁ。お兄さまの、可愛いです」
僕が作ったのは、様々な花を描いたクッキー。実験でスケッチを必要とする場合もあったため、それなりに絵は描ける方だ。それを活かしたというわけである。
普段の生活を見るに、ティア様は花が好きだ。僕が帰ってくると、半分くらいの割合で花畑にいる。
加えて、ティア様から貰ったあの白い花を、僕はいたく気に入っている。入学してからは、常に生徒証に挟んで持ち歩いているほどだ。
そういうわけで、どうせ作るのなら、花をモチーフにしようと思ったのである。
「ティア様、このクッキーはティア様に差し上げます」
「良いんですか?」
「はい。元々そのつもりで作りましたから」
そのために、二人で作った生地の分量よりも、少しだけ砂糖を追加してある。
「えへへ。私と同じですね」
「そうなのですか?」
「はいっ。私も、お兄さまのために作りました」
じゃーん、という言葉が聞こえてきそうな勢いで彼女が手を差し向けた、彼女作のクッキーたち。
濃いピンク色の生地は大きなハート型に整形されている。少し凸凹があったり、彼女の小さい手の跡が残っていたりと、健気な努力の跡が窺える。
「お上手です」
「ふふふ。これだけじゃないんです。サーヴァンさん」
「はい。かしこまりました」
ティア様に呼ばれたサーヴァンさんは、なにやら筒のようなものと、それから文字の形に切り抜かれた型紙を持ってきた。
「今から仕上げをします。見ていてください、お兄さま」
焼き上がったクッキーの上に、型紙を並べていく。そして、その上で筒の蓋を外し、シャカシャカと筒を振り始めた。
雪のように、白い粉が舞い落ちる。
筒を置いたティア様が型紙を取り去ると、そこには、「お兄さま、誕生日おめでとう」の文字列が浮かんでいた。
「これは」
「お兄さま、お誕生日、おめでとうございます!」
思わず息を飲んだ。共にクッキーを作るというこの行動自体が、僕への誕生日プレゼントであったのである。今日の日付は、確かに4月10日。すっかり忘れていた。
「本当は、一人で作ってお兄さまを驚かせたかったんですけど、でも私、お兄さまと一緒に作れて楽しかったんです。...お兄さま?」
気づいたときには、僕の目からは涙が溢れ落ちていた。
「お、お兄さま? わ、私、何かしてしまったでしょうか」
「いいえ。違うのです」
涙を拭き、感極まった勢いのままに、ティア様を抱き締めた。
「ありがとうございます、ティア様。僕はこの誕生日のことを、一生忘れません」
もしかすると、僕は疲れていたのかもしれない。90年の人生を終えて、直ぐ様次の人生、それも前世の常識とはかけ離れた時代を生きて、知らず知らずのうちに、心が疲労していたのかも。
だから、僕は今、こんなにも感動していて、こんなにも嬉しい気持ちで一杯なのだろう。
「喜んでもらえて嬉しいです、お兄さま。...生まれてきてくれて、私を救ってくれて、ありがとうございます」
「はい...はいっ。こちらこそ、ありがとうございます。僕も、ティア様と出会えて本当に良かったです」
夕暮れが迫る部屋の中で、僕たちはしばらく、お互いにお礼を言い合いながら、抱き合っていた。




