15話 教職への思慕
屋敷までやっとの思いでたどり着き、門をくぐると、庭に見慣れた銀の流れがあった。
「あっ、お兄さま。おかえりなさい」
「ただいま戻りました。何をなさっているので?」
ティア様は花畑の前で腰かけ、何やら紙と鉛筆を携えている。その側には使用人が控えていた。
「お花の写生です。これも立派な勉強なんですよ」
「なるほど。確かに、植物の構造を知るのは大切なことです」
ソリューシャ家の教育の一貫である。僕もちょうど一年前、同じことをしたものだ。スケッチではなく、分解して張り付けた方が良いのではないかと思っていたが。純真なティア様は疑問を抱くことなく、お絵描きを楽しんでいる。
「できました。お兄さま、見てください」
自慢げに画板を掲げたティア様。子供らしい、輪郭がはっきりとして、かつ色ののっぺりした絵である。しかし、特徴はよく捉えていた。それにこれは。
「僕にくださった花と同じ花ですね。お上手です」
「えへへ。ありがとうございます」
あなたの笑顔は花より綺麗です、なんてキザな台詞が浮かんだが、絶対に口にはしない。羞恥で発火する。
代わりと言ってはなんだが、ティア様の学習に口添えするとしよう。
「そうですね。ティア様、こちらの花も見てみてください。先程の花とは違う特徴があります。さあ、それはどこでしょう」
「花の色が違います」
「そうですね。色も違います。ですが、植物の構造に関わる部分で、大きな違いがあるんです。葉の部分を見てください」
「はい」
「どこか違いはありませんか?」
「んー、あ。筋の広がり方が違います」
「その通りです。筋、つまり葉脈が真っ直ぐ平行なものを平行脈、網の目状に広がっているものを網状脈と呼ぶのです。これらの違いがある植物は、地面から出てくる芽の葉の数で区別することができるのです」
僕の記憶に辛うじて残っていた、子供の頃の学習の記憶を呼び起こしながら話す。
ティア様は、僕の講釈を真摯に聞いてくれていた。時に相槌を打ち、わからないところは逐次質問を飛ばす。生徒の模範となる授業態度である。
やはり教育は良い。知らなかった知識に目を輝かせ、貪欲に僕の言葉を吸収していく様は、いつ見ても快感である。
「すごいです。全然気づきませんでした。お兄さまは、お花さんたちをよく観察していたんですね」
「まあ...はい、そうですね」
前世がどうのというのは、話しても構わないが、正気を疑われるだろう。僕を全肯定してくれるティア様はともかく、今彼女の傍で目を見開いている使用人には。むやみやたらと言い触らすことではあるまい。
「私、お兄さまから色々と教えてもらいたいです」
「え」
「嫌、ですか?」
嫌ではない。教育に携わるのは楽しい。心からそう思えるのだが、何しろ僕にも学校がある。正直なところ必要とは思えないが。
それに、そこで微妙そうな顔をしている使用人の仕事を奪ってしまうことになるのだ。
仕事が減って楽になるではないか、というのは浅はかな考えである。我が家は成果主義の職場なのだ。業績によって給与が変動する、いわゆる歩合制を導入している。
彼女の給料を下げることなく、かつティア様の更なる教育を図る、最高の一手を考えた。
「ティア様、僕にも学校があるので、お教えすることはできかねます」
「そうですか...」
みるみるうちに、ティア様の表情が萎んでいく。
「ですが、日々の授業の補足として、毎晩僕が何か話して差し上げます。それでよろしいですか?」
ぱあっと音を立てそうな勢いで、ティア様に笑顔が戻った。
「それとティア様、このことは、この三人以外には秘密です」
「どうしてですか?」
「僕が教えることには、少々過激なことも混ざるかもしれませんから、お父様に聞かれては、止められるかもしれません」
「過激?」
「少々危険なことをお教えするかもしれないということです」
間違ったことは言っていない。多少危険な思想を例として示したり、毒物についての話をすることもある、ということだ。
「それでもよろしければ、是非とも僕に講師を務めさせていただきたいと思いますが」
「わかりました。絶対に言いません。だから、お願いします。サーヴァンさんも、それで良いですよね」
「は、はい」
サーヴァンさん、先程からティア様の隣で立っている女性の使用人だが、彼女も頷いた。それはそうだ。彼女にとっては得しかない。元締めである父に内緒で、自分の業績である、ティア様の学力が伸びるのだから。
「それではお兄さま、今晩から、よろしくお願いしますね?」
「はい。お任せください」
恭しく頷く。兄というより使用人の気分だ。
だが、彼女に仕えるというのも、案外悪くない洗濯かもしれない。
その晩。僕はティア様の前で、教鞭を執っていた。範囲は、今日指導が行われていた、植物の話である。
図を用いて、双子葉類と単子葉類の違い、その前段階である植物の構造を説明していく。たしか中学生の内容だったと思うが、さすがはティア様、きちんとついてこれている。
「今日はこのくらいにしておきましょうか」
「ありがとうございました、お兄さま」
もう夜も遅い。といっても、小学生の価値観でだが。早めに眠らなければ、明日に響く。というのだが。
「お兄さま、最後に一つお願いがあるんです」
「何でしょう?」
「能力の練習に付き合って欲しいんです」
「構いませんが、僕にお手伝いできることがあるでしょうか」
そもそも、能力というのは、練習次第で上手く使えるようになったりするのだろうか。消耗も何もない能力の持ち主であるので、僕にはまったくわからないが、彼女が必要だと言うのであれば従おう。
「えっと、私が倒れた後のことを頼みたくてですね」
「...ティア様、練習熱心なのは良いことですが、倒れるまでというのは感心しません」
「でも、練習あるのみだと思うんです。折角凄い能力を手に入れたんですから、使いこなせるようになりたくて」
「...はぁ。わかりました。看病はお任せください。倒れようが吐こうが好きにしてくださって構いません」
「は、吐きはしませんっ」
もう好きにしてもらおう。いざというときだけ止めに入る。
結局、吐きはしなかったものの、ティア様はまたベッドに倒れこむこととなった。
「うう、気持ち悪いです」
「だから言ったのですが」
「お兄さま、昨日のしゅわしゅわをください」
「わかりました。どうぞ」
歯に悪いので、砂糖は抜いてあるが、炭酸水を差し出す。
「お兄さま、手を繋いでいてください」
「はい。仰せのままに」
もうなげやりである。生まれ変わってから健康的な生活しかしていなかったせいか、随分と眠い。
「おやすみなさい、お兄さま」
「はい。おやすみなさい、ティア様」
こうして僕は、またも自分のベッドを使わずに夜を過ごすこととなった。




