第93話 歓楽街の住人
アル、シム、そしてアル子飼いだという”探索者”たちが乗った馬車を見送って、京太郎はフリムたち歓楽街の住人と合流する。
「なあ、サイモン」
「あン?」
「この辺は”奴隷商”の縄張りだと聞いたが。――その辺、大丈夫かい」
「こちとら天下のルー・アームズマンの客分よ? 今更昔のこと蒸し返すような輩、この街にゃあいられねぇさ」
サイモンがどういう経緯で物書きのルーと知り合ったかについては、
「ルーの旦那、本にするつもりらしいから、ネタバレ禁止だとサ」
とのこと。
どうやら知らないところで、ちょっとしたドラマがあったようだ。
「お久しぶりね♪ 京太郎さん♪」
尻の辺りがゾワッとする男版ウィスパーボイスは、アンドレイである。
サイモン、アンドレイと純白の肌の二人が並び立つと、ここがファンタジックな世界だと強く実感できた。
二人は同郷であることについては特に触れるようなことなく、
「ええと、そちらの方は……?」
「俺はサイモンだ。旦那のダチだよ」
たまたま同行しているにすぎない乱暴者の挨拶に、
――あれ、いつ友だちになったっけ?
そう一瞬思ったが、コウちゃんと仲良くなった時もこんな感じだったしいいか、と、思い直す。コミュ力の高い相手にはとりあえず乗っかっておく。それが三十二年間で学んだ京太郎の処世術であった。
「前に会ったのは……一昨日の朝だっけか」
「ええ。黒ローブの子を追いかけて……あの後、大丈夫だった?」
「ああ、問題ないよ」
サイモンの手前、それ以上詳しく話すことはしない。
そこでアンドレイは、素早く京太郎の足下から頭のてっぺんまで、順番に視線を走らせた。
「あら? ゆうべはお楽しみ?」
「え?」
「でも、最後まではイケなかった。そういう感じでしょう」
京太郎はぎょっとして、
「なっ、……何で分かるんです?」
「寄りすぎてるズボンの皺、そり残しのある髯、寝ぼけ眼。……昨夜のあれこれを無理に洗い流して、心のもやもやだけ残ってる人。今の貴方はそういう感じ」
「マジすか」
「ええ。さっきから磁石に引かれてるみたいにウチの娘たちに眼が向いてるし」
女性は視線だけで男のスケベ心を見通すと言うが。
「この街の人の格好は、……ちょっと刺激が強すぎるんですよ」
アンドレイの店で見覚えがある四人の娼婦たちは、それぞれ「今から泳ぎに行く人?」って感じの攻めた格好でいる。それが異常に思えないのが、この街の奇妙なところだ。
京太郎は嘆息しながら、
「時間さえあったらお世話になっていたところだった」
これは半分本気である。最近なんだか欲求不満が続いているから、この機会に新たな世界の扉を開きたいとさえ思っていた。
女を金で買うような行為はあまり好かないが、この街の女性は……なんというか、そういう後ろめたさを感じない、不思議とさばさばした雰囲気が感じられる。男だけでなく女ですら、ちょっと散髪に行くような感覚でお店に立ち寄っている、というか……。
その点、”魔族”の方がよっぽど貞淑で、京太郎の感覚に近かった。これはこの世界特有の雰囲気なのかもしれない。
「あらあら♪ じゃあ、こんど時間ができたら……楽しみましょう?」
言って、アンドレイはにこやかに京太郎の手をにぎにぎする。
「あッ、いやッ、そっちがわの扉を開くつもりは……」
「堅いこと言わないの」
「堅……っ、いやそういう問題でなくて、自分、そういう趣味は……」
「知ってる? 私たちにかかれば見た目なんてどうとでもいじくれるのよ?」
「Oh……」
――じゃあなんで、筋肉もりもりのマッチョマンみたいな格好で口説いてくるの。
そこで咳払いが一つあって、フリムが二人を引き剥がした。
「遊びすぎだ、兄弟。……それよりこっちへ」
「立ち話じゃあダメなのかい」
「前に言ったろ、内緒話にゃあ娼館よ。うめーことアルを撒けたが、まだ安心はできねえ」
「ああ、……了解」
フリムが合図を送ると、四人の娼婦がぞろぞろ連れだって、近場にあったピンク色のどぎつい建物へと入っていく。
一行が入った店は、この辺で見るとかなりランク高めの飲み屋に見えた。店内はかなり広く、よく見ると”魔導線”があちこち張り巡らされていて、店内を妖しく照らしている。
店のシステムは、以前立ち寄ったアンドレイの店と大きく変わらないようだ。
一階の店で飲みながら遊び相手を探し、これだと決めた相手と泡沫の夢を見る。このとき、どうやらサービスを提供する側にも客を選ぶ権利があるらしい、というのが不思議なところだった。モテないからこういう店を利用するのに、よくこんなやり方で商売が成り立つな、と思う。
早朝であるというのに店はなかなかの賑わいで、なんだかお立ち台みたいなところで歌を披露している女の子グループもいた。
アイドルめいた扱いを受けている娼婦もいる、というのは伊達ではないらしく、彼女たちの周囲には目の色を変えたファンが詰めかけている。
「この時間帯はほとんど、歌を聴きに来てるか、宿を取るのに使ってる客しかいないんだ」
「へえ……」
ライブ会場の二階で眠るとか、よっぽど疲れ果ててないと無理じゃなかろうか……とも思ったが、どうやら娼館で使われている”盗聴防止”の術は防音の役割も果たすらしい。
フリムは忙しげに歩き回っている給仕の青年に片手をあげて挨拶した。
「六人連れの御大尽様のお通りだい」
世界で一番教育に悪そうな職場で働いている青年は、丁寧に頭を下げる。
「では、相手のご案内は不要で?」
「いい娘いる?」
「もちろん」
「じゃ、その娘も。――性豪なんだよ。このご主人は」
親指で刺されて、京太郎は唇を真一文字に結んだ。
――演技が過ぎるぞ。
フリムは軽薄に笑う。
「いいじゃん、金は持ってるんだろ」
「この野郎……」
そして、店の二階にあるアフリカゾウの寝床みたいに巨大なベッドのある部屋に案内されて、
――それでも、昨日のホテルに比べたらショボいな。
とか思っていると、アンドレイの店で働いてる娘たちがキャアキャアスゴーイオオキーイなどと笑いながらベッドの上で寝転んだ。
サイモンは鼻息荒く、
「なあ、旦那、一度に何人までなら相手ぇできる? 実は俺、さっきから目ェつけてるのが……」
「バカ言うな。仕事中だぞ」
「でもちょっとくらい」
「私が冷たい目で眺めている状況で勃っていられるなら、……交渉してみたらどうかな」
「むぐぐ」
そこでさすがに押し黙った。
「で? なんなんだ、ここまで厳重にやって。――情報は?」
フリムは一瞬だけサイモンを見て、「信用できるか?」と目配せした。
問われずとも、先んじてサイモンがそれに応える。
「旦那にゃあ潰れた目、治してもらった恩がある。街の”保護隊”全員を裏切ることになっても味方するぜ」
その設定、マジで数十分前まで忘れていたのだが。
気まぐれの善行というのもたまには良いもの……か?
「しかしなぁ……」
フリムがまだ迷っている。
確かに彼は、こちらを信頼しているようだ。
だが、――それが、”魔族”を裏切らないという保障にははならない。
やむなく、京太郎はこう言うしかなかった。
「サイモン。すまないが、少し席を外してもらえないかい」
「でも俺は……」
白髪に白肌の男はかなり不服そうだったが、
「じゃ、別室でちょっとだけサービスしてあげる♪」
というアンドレイのお誘いで光より早く折れた。
彼はアンドレイと四人の娘を連れて、今まで見たことないくらいニッコニコで隣の部屋へと向かっていく。
――おや? 女の子だけでなくアンドレイさんも一緒ということは、果たしてどういう意味だろう?
という疑問が脳裏によぎったが、さすがに今は些事に拘っている場合ではない。
妖しげな宿の広い部屋で二人きり。フリムは口を開いた。
『――ステラから連絡があった』
「ほう? シムでも私でもなく、君に?」
『ああ。何をどうやったか知らんが、こっちの寝床を把握しててな』
「無事、なのか?」
『ああ、かすり傷一つない。今は匿われてる』
「そうか……」
京太郎はほっと安堵する。
『っつっても、状況はあんまり良くないぜ。今朝の襲撃犯は間違いなくステラなんだからな。あの娘の《擬態》の腕じゃあ、近々、外も歩けなくなると思う』
「なんだって?」
そこで、こんこんこん、どん! と、少し強めに部屋の扉が叩かれる。
先ほどフリムが呼んだ店の娘だろうか。余計な真似を。……と思っていると、女衒の”人狼”は自ら進んで娘を招き入れた。
そして、――ぎょっとする。
そこにいたのは、「ちょっと今から海辺でぱちゃぱちゃします」って感じの格好に着替えたステラだったのだ。
「なんだ。……匿ってるって、ここに、か」
『おうよ。アンドレイさんのツテだ。”魔族”の居場所ってのは案外、はぐれ者の中にあるのさ』
「彼……いや彼女? に最大限の感謝を」
『何もかも済んだ後でいい』
彼女の下着めいた格好を目にしたのはその時が初めてではなかったが、こういう場でそういう姿をされると、さすがにヘンな気になる。
『あとのことは、本人から聞いた方が早い、な?』
ステラは、長い耳の先っぽまで朱に染めて、難しい顔でいた。
だがそれは、自分の今の格好を、というより、昨夜の自分の不徳を恥じているらしい。
『ごめん』
彼女は素直に頭を下げた。
京太郎はそんな彼女の頭をぽんと撫で、
「反省しているなら、全て許す。何があったか教えてくれ」




