第6話 探索者
あの奇妙な男が去ってから、二、三時間ほど歩いた頃だろうか。
迷宮都市を抜け、第二階層にある”奈落の水源”と呼ばれる闇色の湖のそばの休憩所を見つけたソフィアたちは、そこでしばしの小休止をとることになる。
休憩所は探索者のために聖者が祝福を施したもので、魔物に襲われる心配もない。
緊張から解き放たれ、仲間たちは思い思いの方法で心と身体を休めていた。
ジョニーは革の鎧を脱ぎ、彼の故郷に伝わる不思議な体操を踊りながら。
ロアは、先ほど手に入れたナイフを丹念に磨いている。
ラットマンは今回の探索で得たものをチェック中。
ディードリッドは、はしたなくも上着を脱ぎ、さきほど切り裂かれた自分の腹部を、丹念に火にかざして確認していた。
そこで、
「なあ、ソフィア」
もうそろそろいいだろう、とばかりに、長身のアクシズが口を開く。
「なんです?」
その押し殺した口調はどこか、まだあの男がこちらを見張っていることを懸念しているかのようだ。
「あいつ……結局何者だったと思う」
「さあ」
ソフィアは、長いブロンド髪を手櫛でかき上げて、
「ただ、尋常の者でないことは間違いありませんワね」
「きっと、良い奴さ!」
ロアが、白い歯を見せながら口を挟む。
「見ろよ、この短剣。……すげえ上物だぜ。こんなのをタダで譲ってくれるんだからさ」
「まったく。あなた、危険な橋を渡ったんですワよ。……なんですか、北のワイバーンって」
「でも、俺だってそういう触れ込みで買わされたものなんだ」
「馬鹿ねえ。そういう話をしているのでは……」
「それに、マジック・アイテム云々は嘘だとしても、あれは俺の宝物だったんだ。思い入れ込みでトントンさ」
「やれやれ……」
数年前、薄汚れた酒場の隅で虐待されていたロアと出会ってから、彼のこそ泥めいた性格を変えようと幾度も努力してきた。
だが、カンテラの底にこびりついた油のように、彼の性質も度し難いものであるらしい。
「何にせよ、あれも迷宮の伝説の一つってところか」
確かにこの迷宮では、人智を超えたことがしょっちゅう起こる。
それも無理はない。
ここは、”魔族”が棲まう最後の土地なのだ。
「あの、――アームズマン家の次男が喜びそうな土産話ができたってとこだな。そうだろ?」
「あの夢想家の坊や、ですか」
ソフィアの口調に苦いものが混ざる。彼とは幼なじみで、同じ学校に通っていた時期もあるのだ。
金髪のリーダーは、話題を変えるつもりで、
「ところで、ディードリッドは、もう万全でして?」
数刻前に致命傷を負った仲間に声をかける。
「……うん。……っていうかたぶん今、絶好調。迷宮に潜る前よりも元気かも。それが逆に不気味」
「ふむ」
「その、……”正義の魔法使い”だっけ? そいつ、どういう格好のやつだったの?」
「あら。見てなかったので?」
「うん。どうせ死ぬと思ったから、自分から意識を失うことにしていたのさ」
「……そりゃまた、器用な真似を」
「死ぬ瞬間が一番嫌な感じするからね。……で?」
「え?」
「どういうやつだったの? その魔法使い」
ソフィアは少し迷ってから、”彼”の外見を簡単に説明する。
東方系の人種。黒髪。ぼさぼさ頭に、健康的な肌。死んだ魚のように気力の欠けた眼。
そして、――上等な革の鞄と靴、銀縁の眼鏡に、貴族がダンス・パーティに着ていくような、しっかりとした布地で作られたネクタイとスーツ。
「……何それ。ネクタイ? 迷宮探索に?」
「ええ」
「ちょっと信じられないなぁ」
「実際に目の当たりにした我々もそうなのですから、無理もないですね」
「”魔族”の線は?」
「それはないでしょう。本型のマジック・アイテムを使っていましたから」
魔法は、古来から”魔族”が操るものだ。
”人族”である限り、マジック・アイテムの助けなしに術を行使することはできない。
「あるいは、怪しまれないためにそう見せかけてるだけかも」
ディードリッドは、その口調に若干の不安を滲ませている。
無理もない。
ここ最近も、夢魔に妙な術をかけられ、魂が汚染してしまった探索者が出たと聞いたことがある。
”勇者”の祝福を受けたソフィアたちの肉体は基本的に不死だが、決して無敵ではない。
堕落し、生きる価値を見失ってしまったものの蘇生は教会も嫌がるし、仲間も費用を払いたがらないだろう。
一般に、探索者は情が深く、仲間想いの連中だと思われているが、それは単に仲間に良く思われていないと蘇生費用をケチられる可能性があるために過ぎないのだ。
「大丈夫ですよ。……少なくとも彼に悪意は感じられませんでしたし」
「悪意の隠し方が巧いのが、”魔族”ってやつでしょ」
「ふむ……」
「まあ、リーダーがそういうなら、……あたしは信じるしかないけど」
ソフィアは内心、自分の軽率な行動を悔やむ。
探索者たちは時に、妙な術をかけられるくらいなら、さっさと自分で命を絶った方がマシ……という状況に出くわすことがある。
もちろん、そういうのはとてつもなく気の滅入る行為であるし、できることなら五体満足で街に戻るのがベストなのだが。
「……わかりました。ディードリッドは戻り次第、懇意にしている解呪師に看てもらうことにしましょう」
「ん。なら安心ね」
旅の仲間は、それでようやく納得してくれたようだ。
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ソフィアたち公式に認められた探索者は、その地方を守護する”勇者”と会い、彼らの許可を得ることで魔物狩りを行う。
この迷宮を仕切っているのは、”鉄腕の勇者”として名高いリカ・アームズマンという老齢の戦士であった。
ソフィアがリカと出会ったのは、今から二年ほど前のこと。
彼との出会いは、未だに忘れられぬ、色鮮やかな印象を放っている。
あれは、――探索者向けの訓練学校の卒業式。
“勇者の仲間”であることを示す“紋章”を左手に受けることが決まった日。
かの老人は、齢にして200を超えるにも関わらず、矍鑠とした歩みでリカたち探索者の前に現れた。
そして、暗い、古ぼけた教壇の上に立ち、こう言ったものだ。
――気高くありなさい。探索者は常にそうあらねばならない。
その時、白く、堅そうな髭の生えた口元がにやりと歪められたのを覚えている。
――君たちは“人族”の守護者であることを忘れてはならぬ。いま、この瞬間から皆は、“魔族”を除く全ての知性ある生き物を虐待する権利を失ったのだ。
それが、勇者の”紋章”をその身に受けたものの宿命である、と。
「でも、少し気になる言葉を使っていましたね。……”友好的な魔族”はいないか、と」
「そんなの、実在するのか?」
「さあ」
「しかし、――その、”友好的な魔族”ってのを見つけて、そいつはどうするつもりなんだろうな?」
「わかりませんが、ああいうタイプの人には覚えがあります」
「へえ……どういう?」
「本人は善行を働いているつもりでいて、周囲にとんでもないはた迷惑をもたらすんですよ」
「ああ。……なんとなく、誰のことを言ってるか、わかる気がするぜ」
アクシズは、酸っぱくなったミルクを口に含んだかのようにロアを見る。
ロアはというと、素知らぬ顔で口笛を吹いているだけだ。
ソフィアはやれやれと肩をすくめて、
「何にせよこの一件、――リカに報告すべき案件かもしれません」
仲間たちも、それには異存なさそうだ。
”鉄腕の勇者”ならば、どんな問題も解決に導いてくれるに違いない。
彼らの間には、そういう共通の認識があった。
もちろん、――放浪癖のある彼とうまくコンタクトがとれれば……の話ではあるが。