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第30話 シムの提案

 ライ麦のパンを口に含むと、ちゃんとしたパン屋さんの味がした。

 スープも一口。口の中で不思議なつぶつぶが弾ける。味はトマトスープとは似て非なるものであった。あれよりもうちょっと酸っぱい。


「あー、うん、うまいうまい」

『本当ですか? 良かったです!』


 シムがぱあっと微笑んだ。

 とはいえ、京太郎の食はそれほど進まない。うまく誤魔化しながら、適当にちょっとずつ摘まんでいるだけだ。

 正直に言うと京太郎は、この世界の食べ物全般に対して強い偏見を抱いていた。

 うまく言えないが、……全体的に不衛生な気がしているのだ。

 皿は洗剤で洗っているのだろうか、とか、洗剤を使っているとしてもメーカーはどこか、とか、この野菜、ちゃと水洗いしてる? とか。

 小学生の時、悪友にツナ缶と偽ってアブラゼミの肉を食わされたことがある。その時のことがトラウマになっているのかもしれない。


 そもそも京太郎は、食事に関しては極めて閉鎖的な考え方を持っていた。一時、グルメの兄に誘われてタイ料理やベトナム料理、フランス料理など色々食べた時期があるが、正直どの国の料理もピンと来ていない。本当に美味いものは近所のスーパーで買える範囲内にしかない、というのが彼の持論だ。


『……ふうん。”管理者”って、小食なのね?』


 対するステラは、うら若き乙女にあらざる食いっぷりだった。

 サラダ山盛り一杯を一瞬で平らげつつソーセージを噛みちぎり、隙あらばパンを口の中に放り込む。魅力的にくびれた腹部からは想像もできない量が、彼女の胃の中へと消えていく。


「っていうか、……君らが食べ過ぎなんだよ」


 それは、シムや”魔女”も似たようなものだった。なんでも”魔族”は魔法を使えば使うほど腹が減るものらしく、見た目以上に食べ物が入るようにできているらしい。

 甲斐甲斐しく働くシムが、何度も往復しておかわりを運んでくる。


「なんだ。……だったら”回復の泉”とか、もう少し大きめのデザインでも良かったんだな」

『い、いえいえ、あれで十分です。今みたいにものすごくお腹が空くのは、魔法を使った時に限られますので』

「そうなのか……」


 正方形のアボガドに似たものの欠片をフォークで刺し、医者が臓器を取り出すような手つきで口に運ぶ。

 それをごくりと呑み込んでから、


「ところで……やはり、気は変わりませんか?」

『ん? 何が?』

「私に手を貸すつもりはない、という一件ですよ。――本気で、座したまま世界の終わりと受け入れるつもりで?」

『そりゃね。昨日今日で出した結論じゃないから』

「ううむ……」


 京太郎は、野菜の苦みがいっそう増した気がして、


「……しかし困りました。今後は手探りで作業を進めなくてはならない」

『具体的に、どうする?』

「今のところ、友人が何案か。……だな、シム」


 ”亜人”の少年は耳をぴんと立てて、


『ハイ。……とりあえずぼくは、リカ・アームズマンと接触するのがいいと思います』

『ほう。”鉄腕の勇者”と?』

『ハ、ハイ。……り、リカが噂通りの”人族”ならば、……きっと我々の味方になってくれる、ん、じゃないかと』

『しかし、ヤツはフェルニゲシュを八つ裂きにしたよ』

『そ、そこなんです。……ぼく、どうしてもあの”鉄腕の勇者”がフェルおじさんを害するとは思えなくって……そもそもリカは”迷宮”攻略にはむ、無関心で、むしろぼくたち”魔族”を守ってくれているフシもあったのに……』

『ふむ』

『それで、ぼ、ぼく、フェルおじさんとあれから相談したんですけど、……どうにも……』

『……ン。ちょっとまて。フェルニゲシュはまだ生きてるのかい?』

『生きてる……と、言っていいのかどうか。とりあえず、お、おしゃべりはできます』

『どうやって?』

『京太郎さまが、……その、”魂運びの指輪”というのと出してくれて、……これです』


 シムは、キラリと輝く金色の指輪を見せる。新郎新婦が披露宴で記念写真を撮るときのポーズだ。なぜか京太郎はちょっとだけ死にたくなった。


『これを着けていると、フェルおじさんと色々……相談したりとか、できます、はい』 

『ほぉう……? 魂を指輪に定着させたのかい……? 旦那が聞いたらひっくり返るな』


 ”魔女”はかなり興味深そうに指輪とシムを見て、


『まあ、余談だね。話を戻そう。……フェルニゲシュは何て言ってる?』

『ひょっとすると、ふぇ、フェルおじさんを攻撃したのは、リカ・アームズマン本人では、……ないの、かも』

『なんだと?』

『あの、その……フェルおじさん、こう言ってるんです。「もしリカが本腰で“迷宮”攻略に乗り出したのなら、わざわざ己れを半死半生のまま放っておくような、そういうハンパな真似はしないだろう。それに、第三階層にリカの姿が現れていないのもおかしい」って』

『ふむ。そうかもね』

『使っている武器は、……た、確かに”鉄腕の勇者”の”マジック・アイテム”と近いもので、でした。こ、こ、効果も同じみたいで』

『なら、やっぱりリカ本人じゃないかい?』

『も、も、もう一つ、可能性が、あります。……ひょっとすると使われたのは、贋作の一種、だったのかも……』

『ほーう? ……噂の”贋作使い”、――”名無しの勇者”ってやつか』

『はい』


 実に面倒くさそうに、”魔女”は頭をぼりぼり掻きむしって、


『ここに来て、二人目の”勇者”が相手になる……? それがマジなら、世界の終わりがくる目算を、もう数十年は早めなくちゃいけないね』

『……はい』

『しかし、”勇者”には行動の制限があるはずだろ。確か連中、自分の領地を出られないことになってたはずだ』

『え、ええ……だから、何か仕掛けがあるんじゃ、ないかな、と』


 シムが、何故だか自分に責任があるみたいにしょげた。


『っていうか、頼りにならないねぇ? フェルニゲシュ。お前、リカに会ったことあるくせに、本人かどうかもわからなかったのかい?』

『え、……えーっと。……「うるさい、人の顔など見分けがつくか」……とのこと、です』

『図体がデカいだけで、知恵が回らないんだから』

『え、おじさん……さすがにそ、それは、言えない……いや、「年増女」とか、ちょっと……おじさん』

『ほほーう?』


 ”魔女”の眉がぴくりと跳ねる。

 常にお面を着けたような顔つきの”魔女”も、仔犬が噛み合う程度のやり取りには人並みの感情表現をするらしい。

 

『なあ、シムよ。その指輪を譲ってくれたら、自由に空を飛び回る籠を授けよう』

『え、ちょっとほしい……あ、でもダメです、ごめんなさいフェルおじさんが嫌がってます』

『ちっ』


 ”魔女”は吐き捨てるように言った。


 ちなみに京太郎は、そんな二人の様子を、どっしり構えながら見ている。

 実のところ、二人の話題にはあまり着いていけていない。


――誰? ”名無しの勇者”って。……新キャラ?


 しかしここはあえて、何もかもご存じです、という顔つきをしているのが正解だと思われた。


『あ、このクッキーおいしい。……あんたもひとつどう?』


 ステラだけが、京太郎に理解できる内容の話題を口にするのであった。


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