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第179話 他人ごと効果

 京太郎が会社に戻ると、誰の姿もなかった。


「あー、……お疲れ様でぇーす……?」


 声をかけても、一人。

 鍵かけを確認すると、”WORLD0147”とは違った”ゲート・キー”がぶら下がっている。


――仕事中か。


 就業時間が終わっているとは言え、上司に一言も挨拶せずに帰るのも忍びない。

 念のため誰かいないか、社内をあちこち見て回ることに。

 結果、使ったことがない扉を四つほど見つけた他は、特別なものは何も見つからなかった。

 強いて”特別”を挙げるなら、グレモリーのデスクにおかれた、現代人には似合わない古びた革の鞄や巻物、ランプなどの小物類だろうか。

 恐らく京太郎の”スマホ”とか”鞄”と同じく、異世界で使うものだろう。

 京太郎はもう一度、社内に誰もいないことを確認してから、


「――ウェパル?」


 声をかける。彼女はここに住んでいると言っていた。


「もし聞こえていたら……返事をしてくれないか」


 だが、返答はない。


――ふっ。まあ無理もないか。


 誰もいないときだけ現れる妖精じゃあるまいし。

 自嘲気味に笑っていると、異世界に繋がる扉が、ガチャリと開いた。

 同時に、パーティ中の相手と通話が繋がった時のように、”向こう側”の喧騒が社内に響き渡る。


「あーもー、わかったから~。はい、はい。じゃ、甘いのはまた今度、ね?」


 誰かにそう話しながら、グレモリーはさっと事務扉を閉める。

 そのため、興味本位で向こう側を覗く時間もなかった。


「はぁ~。……ほんと、異世界人って、きかん坊が多いわね?」


 そして、ちょっといたずらっぽく「うきゃきゃきゃ」と笑う。


「お疲れ様です、グレモリー」

「うん。お疲れ様、京太郎ちゃん。……わざわざ待っててくれたのね? えらいえらい」


 そして彼女は今朝したようにちょっと背伸びして、京太郎の頭頂部をナデナデした。

 一瞬、懐から二万円ほど取り出そうとして、はっと正気を取り戻す。


「……いえ、一応、挨拶は必要かと思いまして」

「うん、わかるわ。でも、これからは黙って帰ってもいいからね」

「そういう訳には……」

「いいのよ。あなたはもう、立派な”金の盾”の一員なんだから。あなたの責任で退社してもいいの」

「そう……なんですか?」


 まだ一ヶ月目の新人に、そこまでとは。


「うん。”WORLD0147”はもう正式に、あなたの管理下になったんだからね。そーいうふうに考えてもいいと思うよ」

「なるほど」

「だから私のこと、上司みたいに扱わなくていいの。ただの先輩よ」

「わかりました」


 京太郎はそこで、かつての先輩、――ウェパルに聞けなかったことを聞こうと思う。


「ところで、一つお聞きしたいのですが」

「なあに?」

「この仕事の話って、周りの人に言いふらしたりしたらダメなんですかね?」

「別に問題ないけど?」

「あ、そうなんですか」


 京太郎は少し腕を組んで、


「でもこういうのって、みんなには内緒にしておくのが筋なんじゃあ」

「なんで?」

「なんでって、そのぉ」


 一瞬、反論に困る。

 もし異世界との行き来が一般に知れ渡ったら、世の中はどう変わるだろう?

 例えば、希少な鉱石や無限のエネルギー、食糧の類を向こう側から持ち込むことができれば、この世界の情勢は大きく変わる。飢えや土地の奪い合いはなくなって、世界は『スター・トレック』で描かれるような理想的な社会に生まれ変わるかも……。


「――なんででしょう? 世の中をいたずらに混乱させないため、とか?」

「あー、たしかに、それはあるかもね。……ソロモンによると、異世界同士でエネルギーの交換なんかが行われるようになっちゃうと、結局はよくない影響をもたらすって聞いたな」

「そうなんですか?」

「うん。許可のない異世界人をこっち側に住まわせたり、逆にこっち側の人間が向こうに定住するのって、わりと危険なんだ。――だからこの会社は、できるだけ残業禁止なの。あんまり向こうに長居しすぎると、こわぁいソロモンがやってきて、無理矢理こっち側に戻されちゃうから、注意ね」

「なるほど」


 そこで京太郎は、ちょっとだけ気遣わしげに、


「ちなみに、……ここでのこと、誰かに話したら罰則がある、なんてことって」

「ああ、それはだいじょーぶ。ソロモンだって、箝口令に意味がないことくらい、よく知ってる人だから」


 人の口に戸は立てられぬ、とはいうが。


「しかし、それでは結局、いずれ世間一般に知れ渡ってしまうのでは?」

「だいじょーぶだいじょーぶ」


 グレモリーは手をパタパタ振りながら、


「うちの会社、”他人ごと効果”っていう力場に守られてるからね」

「”他人ごと”……?」

「ミーム拡散の真逆をやるフィールドって言えばいいかな? ここでの出来事は、どんだけ広めようとしても、ある程度でストップが掛かるようになってるのさ」

「へえ……」


 よくわからんが。

 つまり。

 《《そういうもの》》だと納得するしかない、か。

 と、そこで京太郎は一瞬、はっとした。


「ちょっと待って下さい。つまりそれって、――この世界でもなんかそういう、不思議な力、というか……魔法みたいなものが使えるってことですか?」


 これは、この世界を正確に理解する上では、極めて重大な意味を持つ。

 《《もしこちら側でも魔法が使えるなら》》。

 それはあるいは、とてつもない意味を持つことにはならないだろうか。


 異世界における魔法の力は、こちらには持ち込めない。

 それがこの一ヶ月で京太郎が学んだ”常識”。

 つまりこれは、この世界にはそういう不可思議な力が存在しないという証左でもある。……そう思い込んでいたのだが。


 するとグレモリーは、仔犬が餌をねだる時のように、とびっきりの愛らしい顔で京太郎を見上げて、


「それはぁ、――ひみつ☆」


 と言った。


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