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第104話 三献の儀

 リカ・アームズマンは、ヘイレーンの頭をそっと撫でてやり、


「一人で、母さんの元に戻れるか?」

「おまかせ! じゃーね、じーちゃん! またあそぼーね!」

「ウム」


 そして少女は、自らの足で庭園を去って行く。

 その、どこか夢見心地な足取りに、


「いいんですか?」

「ん?」

「まだ小さい子供だし、見送りした方がいいのでは」

「構わぬ。――あれも”勇者”の血を引いている」


 この人がそういうなら仕方ないが、今は一応、有事だ。

 一応、彼女が行く道に危険そうな気配がないことを確認しておく。――問題なさそうだ。

 リカは、そんな京太郎の心配を知ってか知らずか、


「そんじゃ、とりあえずこっちゃ来い」


 すたすたと庭園を進む。


「あの、とりあえずお話を……」

「わかっとる。だがその前に、――少々、気合いを入れる」

「え?」

「オ主、なんだか体調が悪いようじゃからの。いーもん飲ませたる」


 そして、リカは庭園の一角に在る、八角形の、屋根付き建物に入っていった。


「すいません、食事をごちそうになっている暇は……」

「そんなたいそうなモンじゃない。――ってか普通、”勇者”からの授かり物はもっとありがたがられるモンなんじゃがのー」


 とてもではないが、まともな差し入れをもらえるとは思えなかった。京太郎にはこの人が、暴力的なイタズラ爺に見えている。


「……かつて、”魔王”討伐の際に手に入れた、”エリクサー”と呼ばれる魔法薬じゃ」


 京太郎は脊髄反射的に震え上がる。


「自分、エリクサーはラスボス戦でも使わないことにしてるんです。ひょっとすると裏ボス戦に使うかも知れないので」


 そして真の裏ボスが控えているかも知れないので、結局最後まで使わない。


「……どうも、訳ワカランこと言う”管理者”の習い性だけは、代々受け継がれとるようじゃの」

「それじゃなくとも”エリクサー”って確か、不老不死の薬でしょう?」


 老人は建物の中にある”いかにも”な金箔が塗られた宝箱をポケットの鍵で開け、丁寧に仕舞われた、一本の酒瓶にしか見えないものを取りだす。


「そんなたいそうなモンじゃない。――”エリクサー”はただの、元気が出る薬酒じゃよ」

「酒……。いや酒でもちょっと……仕事中ですので」

「細かいこと気にするない」


 そして老人は、建物の中から簡易のテーブルを引っ張り出した。

 足の部分が杭のようになっているそれを豪快に地面に突き刺し、木皿を二枚、手裏剣のように投げて並べる。

 

「何を……」

「まあ、見とれ」

 

 そしてその上に、とん、とん、とん、と、三つの品を置いた。

 

 一つは、乾燥した鶏肉。

 一つは、干しぶどうの如きもの。

 一つは、たぶん昆布。

 それが各二つずつ。


「若い頃、とあるニホン人に聞いた出陣の儀式である」

「験担ぎ、ですか」

「さよう」


――打ち”鮑”、勝ち”栗”、よろ”昆布”だっけか。


 この世界のニホンと京太郎のいる日本との関係性は不明だが、ちゃんと伝わってるの昆布だけじゃないか。


――まあ恐らく、この国の言語的に韻を踏んでいる……と、思おう。


 ありがたみがないことには変わりないが。

 だが、少なくともこの状況では、わりと意味のある行動に思えた。

 この儀式を終えた瞬間、京太郎はこの老人と正式な友誼を結べるような気がしたためである。


 それに、――その時初めて、京太郎は自分の腹がとてつもなく減っていることに気付いた。

 そういえば朝から何も食べていない。こっち側で何か適当に摘まもうと思っていたのである。

 思えば、少し前まではこの世界の食べ物など得体が知れなくてとても食べられないと思っていたのに、成長したものだ。

 老人は、慣れた手つきで底の浅い椀に”エリクサー”をつぎ、京太郎の前に置く。


「では。――イタダキマス」


 老人の呪文に応えるように、京太郎も「イタダキマス」と言った。


「――リカ。ちなみに、街にワイバーンが襲来していることは」

「むろん、気付いておる」

「で、あれば……」

「急く必要はない。今は気力を蓄えよ。この瞬間が良かったと思う時がくる」


――本当だろうか?


 半信半疑のまま、京太郎はリカに習って”エリクサー”を口につける。

 効果は、――昨日飲んだ”活力剤(ポーション)”に似ていた。身体が緑色のオーラに包まれて……次の瞬間、気力体力ともに万全の状態になっている。


「どうじゃ?」

「……うん。ウマくは……ないですけど、元気になりました」

「よし、よし。――でなければ、判断を誤ることがあるからの。……前日の不調を引きずったせいで誤ると、一生後悔することにもなる」

「そう、――ですか」


――ぶっちゃけ、異世界のワケワカラン酒飲まされて腹壊したりすることのほうがよっぽど怖いお年頃なんだが……。


 とはいえ結局、京太郎は”鉄腕の勇者”の気遣いに感謝することになる。

 ”勇者狩り”の正体についてある種の確信を得られたのは、正直に言うとその瞬間であったためだ。



 京太郎とリカは揃って、不躾な男であった。

 ひょいぱくひょいぱくと、スナック菓子でもつまむみたいに三献の品を口へ放り込み、甘いのとしょっぱいのと酸っぱいのを噛み、二杯目と三杯目の”エリクサー”でそれを飲み込む。

 最終的にはそこそこの量を呑んだことになるが、これっぽっちも酔っ払っている感じはなかった。ただ、今からなら三徹できるくらいの力がみなぎっているのがわかる。


 出陣の儀は結局、三十秒もせずに完了した。


「では本題に入る……前に、一つ、解決しておきたい問題が」

「ふむ」

「”勇者狩り”についてです。――どうも今、ワイバーンが街を襲っているのも、街が模様替えされているのも奴の仕業らしく。……リカは何か、犯人に心当たりがありませんか?」

「まったくない……というと嘘になるが」

「というと?」

「これだけのことをやらかすなら、能力的にアルの奴めかと思ったが、――奴の仕業なら、ちょっと趣味が違うかのォ」

「ちょっと待ってください。アルならこれができるんですか?」

「まあ、の。アイツ、いずれ必ず、ワシに復讐するって約束しとるし……」


 なんだそれ。


「なんでそんなの、養子にしたんですか」

「まあ、いろいろ事情があっての」


 どんな事情だ。


「それに、奴なら仕事上、北の都ともツテがあるし。とはいえ”竜族”をけしかけるなど、やっぱ人間の手には余るがのォ」

「じゃあ、やっぱりこれは、人の手によるものではない?」

「まあ、そう考えるのが普通じゃ、の」

「リカは、――”魔女”とも面識がありましたよね」

「む。よく調べとる」

「本人から聞いたので」

「あー、そういうことかね」

「それで、……どうでしょう。”魔女”も一応、容疑者の一人なのですが」

「そりゃないな。世界で一番ない」

「……です、よね」

「うむ。あやつは根っからの平和主義者よ」

「しかし、敵軍の将を、信じられるものでしょうか?」

「この街が”魔族”の前線基地のくせに平和ボケしとるのには理由があるのさ。ワシはあの人と、隠れた盟約を結んでおる。そもそも”チレヂレの呪い”をかけてるのも、”探索者”の出入りを”魔族”が管理しとるのも、……全てワシが手配したことだからの」


 京太郎の頭に、ペーターと名乗った太めの門番の顔が浮かぶ。


――なるほど。ステラが信頼できると言ったのは、……つまり、リカ側の手引きがあったからか。


 ”人族”の街への出入り、”魔族”だけが一方的に自由なのも妙な話だとは思っていた。


「ちなみにこれ、トップシークレット。ワシとオ主だけの秘密じゃゾ」


 老人は、人差し指を口に当てて、「しーっ」というポーズ。

 京太郎は胸に手を当てて、


「墓まで持って行きます」


 そして、大きく息を吸って、――気のせいか苦味のある息を吐いた。


「情報提供、ありがとうございます。……助かりました」

「なあ、オ主」

「なんです?」

「本当は、とっくに気付いとるんじゃないか? ”勇者狩り”が誰か」


 京太郎は渋い顔を作る。


――ソフィアではない。

――アル・アームズマンでもない。

――”魔女”の線もなし。

――もちろん、リカ・アームズマン本人の自作自演の可能性もないだろう。


 そして遂に、……観念したように、言った。


「…………はい」


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