第103話 蜻蛉の夢
【名称:蜻蛉の夢
番号:SK-17
説明:管理者が勇者クラスと敵対した際に起こる特殊な現象。周囲百メートルに敵対者にとって、もっとも心安らぐ心象風景を投影する。
なお、この現象には強力なリラクゼーション効果がある。】
気をつけなければならなかった条件は、たった一つ。
――”反魂の勇者”の守護効果の影響を受けないこと。
それだけである。
かつてシムが書いてくれた”勇者”メモには、
【”反魂の勇者” ライカ・デッドマン
不死を司る”勇者”にして、博愛の人とされる。
役目は”奇跡使い”。
先の”魔王”討伐の際は仲間の回復役であった。彼女が未だに力を分け与えているお陰で”勇者”たちは悪意ある呪いや魔法の影響を受けず、不調とは無縁の肉体を得ている。】
とあった。
――”勇者”は悪意ある呪いや魔法の影響を受けない。
なるほどその影響は絶大で、『ルールブック』による探知も受け付けなかったし、どうやらシムとフェルニゲシュの攻撃にも防御効果が働いていたらしい。
しかし、と、京太郎は思ったのである。
もし、受ける影響がその者にとって不都合なものではなかったら。
例えば、治癒系の術には守護の力が働かないのではないか、――。
「――何をするつもりであっても、この”鉄の手袋”の前には、……」
「その前に、聞かせてくれ。……シムは、死んでしまったか」
「だとしたらどうする?」
「ルール違反を犯した貴方は……私に大きな借りを作ったことになるでしょう」
「そうか。それも面白かろう」
老人は、またあのいたずらっ子みたいな顔で笑って、
「……が。まあ、はっきり言っとく。ワシは約束を破るような男ではない。あの子は気を失っとるだけじゃよ」
「なら、安心しました」
今のシムにはフェルニゲシュが着いている。彼に任せておけばいいだろう。
ほっと安堵しながら、京太郎は一歩、前へ出た。
「……………ぬ?」
また、一歩。
彼が歩を進めるごとに、周囲の風景が変貌していく。
「幻覚かッ。……しかし……、ワシの得物は、それさえ破壊するぞ」
リカは、瞬間的に京太郎に肉薄、軽く小突いて気絶を狙う……が、京太郎の視点ではまるで見当違いのところに飛びかかっているようにしか見えない。どうやらこちらの姿を見失っているようだ。
それでも、闇雲に暴れられればひとたまりもなかったが、――
「これは…………ッ! 馬鹿な!」
その動きが、ピタリと止まる。
その理由は明白だ。
京太郎にも、彼と同じものが見えている。
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そこは、見事な紅葉と夕暮れに朱く彩られた、この世界のどこかの山腹。
勾配がなだらかなところで休憩することにしたのか、即席の寝床を用意している”探索者”と思しき人々。
落ち葉が舞う中、とある女性が《火系魔法》で薪を作っている。
そんな彼女に、手桶に汲んてきた水をぶっかける……フリをして笑う青年。
一行は、――八人の男女から成るパーティであった。
一人は、見るもの全てを魅了してしまいそうな、栗色の髪の美女。
一人は、十代後半くらいに見える、侍めいた格好の若者。
一人は、堕落した愛玩猫を思わせる、眠そうな顔つきの金髪娘。
一人は、落ちくぼんだ目が特徴的な、昏い感じの男。
一人は、黒いフードを目深に被った、謎な雰囲気の少女。
一人は、懐中時計をぼんやり眺めながら横になっている少年。
一人は、その少年に何やら話しかけている、水着みたいな格好をしたハーフリングの乙女。
そしてもう一人は、――今よりも長旅用の装いで仲間たちを見守る、リカ・アームズマンの姿である。
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――これは、ひょっとすると……。
京太郎は彼らの顔をもう一度確認して、可能な限り記憶しておく。
恐らく彼らは、――かつて八人いたという”勇者”たちだ。
そして次の瞬間、京太郎にとって想定外の出来事が起こった。
――あれ? こんな効果、『ルールブック』に書き込んだっけ。
当たりに、耳慣れぬ男女の声が聞こえてきたのだ。
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――『勇者、勇者よ、目覚めなさい。今日はあなたが十六歳になる誕生日』、……なーんてね? おはよう、リカ。
――もう遅いんだぞ。オメーら、もう少し静かにできんのか。
――まだねむいよぉ。ねえねえ、リカぁ。今日はずっとおぶっててくんない?
――ダメよ、リカ。ユーシャを甘やかしたら、いくらだってラクしようとするんだから。
――今日こそはどっちが最強か! 白黒つけようぜぇ!
――ねえ、リカ。あなたには夢がある?
――あたし、ずっと独りぼっちだったから。ともだちに、なってくれないかな?
――どろぼうだーれだ? ……じゃーん! あたしでした!
――知ってるか、リカ。……”造物主”は我々を愛してなどいない。彼らにとって我々は、取り替えのきく玩具の駒にすぎないのだよ。
――仲間の中に裏切り者がいる。……なあ兄弟。お前、ひょっとすると心当たりあるんじゃないか?
――な、な、なあリカ。お、俺、ぱふぱふ屋さんって初めて入るんだけどさ。……けっこーキンチョーするな? ぐへへ。
――もーっ、歩くのやだぁ! リカがいれてくれた豆茶が飲みたぁい! あのドロドロっとした砂糖いっぱいのやつ!
――あのぉ……リカさん? ワタクシその、実はさいきんそのぉ、……ちょっとダイエットしなきゃって思ってて……朝から身体を動かしたいなって思ってるんだけど。ご一緒しません?
――お前らのお友達ごっこには…………っ! ずっと虫唾が走ってたんだ!
――痛い痛い痛い痛い! は、は、腹壊した! ちょっと便所、行ってくる!
――『そうして、二度とアキラの姿を見たものはいないのであった』……なーんてね?
――私たち、お友達、でしょ?
――ねえ、リカ。”魔族”と”人族”って、本当に違いがあるのかな?
――”魔王”を殺さなければ、……こんな哀しみは、永遠になくならない。
――殺してくれ、リカ。きみの”鉄の手袋”で、ぼくを殺して。
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誰しも、他人に優しくしたくなるような、――そういう心の風景を持つと思う。
自分にとって、それはなんだったろうか。
大学時代の仲間と過ごした、部室でのひとときであろうか。
ただ一度だけ家族一丸となって出かけた、京都旅行の街並みだろうか。
突如として頭に響き渡った男女の声に、京太郎は首を傾げていた。
聞こえてきたのは恐らく、まったく脈絡のない言葉の羅列。
ランダムに並べられた記憶の断片だ。
だからこそ、だろうか。
かつての友人たちとの想い出が、自分の心にも蘇った気がして。
京太郎の胸の奥深くに、その言葉は痛いほど響いていた。
「う………む………」
目尻が少し濡れていることに気付いて、我ながら驚く。
他人の過去を垣間見た程度で泣くほど、感受性が豊かなつもりはなかった。これが歳を取るということだろうか。
その時の京太郎の心に在ったのは、――今はもう亡くなってしまった人の夢を見たときのような、そんな憧憬に近い衝動である。
”蜻蛉の夢”は、効果てきめんだった。
リカ・アームズマンに対してではない。
あろうことかそれは、坂本京太郎自身に。
とてもではないがもはや、この老人と戦う気にはなれなかった。
突発的に始まったメモリアル上映会は、煙が溶けるように消えてしまう。
残ったのは、ぽかーんとした表情のヘイレーン、涙目の新米管理者、――そして、しかめ面のリカ・アームズマンである。
「なぜ。…………なぜ、オ主がこの風景、この言葉を……知っておる」
「私は知りません。ただ、『ルールブック』を使ったまでです」
「そうか」
老人は”鉄の手袋”をまとった腕を引っ込めて、嘆息する。
「久々に――連中の顔を見たな」
老人は嘆息して、
「なーんであんな、興が削がれるようなもん見せたのよ」
「痛みを与えるのも与えられるのも苦手なので。平和主義に目覚めてもらいたく」
「あっそう」
「でも、うまくいったでしょう?」
「びみょうなとこ、かの。――ただ少なくとも、オ主が”管理者”であるという確信は得た。例の一件に関しては、この世界のどの文献にものっかっとらんはずじゃからのぉー」
毒気を抜かれたらしく、男は髯をぼりぼり掻きむしった。
「しかし、解法それだけじゃなかろーに。オ主、無理矢理ワシを捕まえるやり方も心得ておったな?」
「ええ、まあ」
前任者は、「いとも簡単に」リカを倒したらしい。
確かに『ルールブック』の力があれば、それも全く不可能ではない。
だが京太郎が導き出した解はこれだった。
――肉体にも、精神にもダメージを与えられないなら、良心に訴えかける。
「できれば、今の見世物で手打ちにしていただきたいのですが」
「まあ、よかろ」
老人は、白髭をニィ、と歪めて、
「赤子のようにべそをかく男を殴る趣味は、持ち合わせておらんからの?」
京太郎は、ネクタイの先っぽでちょっと目元を拭って、「そんなに泣いてるかな?」と思った。




