第101話 リカ・アームズマン
「――”鉄腕の勇者”、リカ・アームズマンですよね」
「いかにも」
京太郎は、からからになった喉で、絞り出すように言う。
「おくちゅっ」
そして、噛んだ。
「――は? 何いっとる?」
なかったことにして。気を取り直して。
「……おくつろぎのところ、大変失礼します。火急の用件でして」
「それが、――護衛を叩きのめした理由になるかね?」
老人は、すぐそばで気を失っている黒ローブの女性に視線を向ける。
「はい。十分に」
ここで気弱な姿勢はかえって悪印象だ。
まず、軽く聞き流されるような立場でないことを印象づけなければ。
「貴方は、――彼女の力を必要としていた訳ではない。そうでしょう?」
「まあ、の」
老人は、綺麗に刈り揃えられた白髯を撫でて、
「いっつも金魚のフンみたいにくっついてくるから、正直邪魔だと思ってた」
「じゃ、邪魔、ですか」
まさかそこまで言い切るとは。
どことなく子供が我が儘を言っているような口ぶりだ。
とはいえ、リカがそういうのも無理はなかった。”勇者”が世界の支配者として君臨するようになってから二百年間、かつての栄華を忘れられない”王族”はあの手この手で親切の押し売りをしている。この黒ローブの女もそうした連中の手の者であるためだ。
京太郎はそこで、卑屈に見えない程度に頭を下げ、
「私は管理者です。金の盾異界サービスから来ました」
「ほう?」
リカは興味深そうにこちらを見る。ちなみに彼の尻の下には、相変わらずシムが座布団のように敷かれたままだ。
「そりゃあ危険なカミングアウトじゃのォ。主、それがどういう意味かわかっとるのか?」
「はい。……ただ、あなたは信頼できるという噂を耳にしましたので」
まだだ。
まだ、致命的な情報は口にしていない。
今後、最も危険な瞬間は、――古来より敵対していた”魔族”との和解の提案をした時だ。
「とりあえず、証を立てィ」
「……は。証、ですか?」
「無論じゃ。ワシくらいになると、どこでどういう情報を得たかわからん山師の類がアホほど現れる。そういうのは一世一代の法螺を吹くためにゃあ、どういうことだってやってのけるからの。確実な証を見せてもらう」
「なるほど。――では」
京太郎は”冒険用の鞄”から『ルールブック』を取りだす。
老人は片足だけでひょいっと跳び、ほとんど座ったままの姿勢で京太郎の真横に移動した。
「おおっ!」
「そうびくびくするない。――なんじゃ主、肉体の改造も済ませとらんのか。変わった管理者じゃのォ?」
「そ……そういう拘り、といいますか。信念なのです」
「あるいは、そう言い張っているだけの偽物かも、な?」
リカはあっさりと『ルールブック』を取り上げて、その中身をぱらぱらとめくる。
「そちらは、……どうやら影武者の類ではないようで」
「んー? どうしてそう思う?」
「『ルールブック』は、私以外が触れるとしびれてしまう。それが平気ということは……」
「まあ、ライカの術が未だ効いとるってことだわな」
そして老人は、実につまらなそうに『ルールブック』の表紙を持って、
「びりびりびりばりー!」
とか言いながら両腕に力を込める振りをした。
京太郎は、かつて務めていた会社で新進気鋭の若手社長を相手にしていた時のことを思い出しなら、「ちょっと勘弁してくださいよぉー」的なことを言って笑う。
老人はいたずらっぽく口髭を歪めて、それを投げ返した。
「ワシにゃわからん。真偽つかん。中央府で使っとる文字によぉ似とるが。よくみりゃ全く違うの」
「まあ、その方がいろいろと都合が良いのでしょう」
「オ主をここで殺して、御用達の学者連中に翻訳させてみりゃあ、世界の本質に近づけるかもわからんのォ」
「ホントまじ勘弁してくださいよぉー」
京太郎が困ったように笑っていると、足下にぺたりと少女がくっついていることに気付く。確か名前はヘイレーンと言ったか。
「あ、どうもですー」
取引相手の子供ほど厄介なものはない。子供はほとんど脈絡なく好き嫌いを決定するが、親はそれを真に受ける傾向にあるためだ。
「おじさんいま、お仕事中だからねー。ちょっと向こう行ってくれるかなー?」
少女はそれを無視して、
「おまえ、なんかすっきりする匂いがするな?」
「すっきり……? ああ、ミント味のタブレットを食べたんですゾー」
「なにそれ! なにそれ! 聞いたことがない! ください!」
一瞬、リカに視線だけで許可を求めたが、老人は完全に孫を依怙贔屓するお年寄りのそれとなっている。
内ポケットからタブレットを取りだし、ヘイレーンの小さな手のひらに二粒。
少女はそれをぱくっと口に含み、
「ほほぉ……」
と、口の中に広がるシュワッとした爽快感を楽しんだ。
「おもれぇ」
「そりゃよかった」
京太郎は少しのぞき込むようにして”勇者”を見上げる。老人は親指を立ててくれていた。どうやら良い判断だったらしい。
……と、思っていると、
「でも、あんまりうまくはないな?」
その一言で、あっさり老人の親指は引っ込んだ。
「いい加減、話を戻していいかのォ? ワシ忙しいんじゃが」
京太郎は眉間を揉んで、話の腰を折ったのはこの娘なんだけど、と思う。
「それで、……ワシにゃあまだ、お主が本物かどうかの判断つかん訳、だが」
「では、何か『ルールブック』で出して見ましょうか。それで証明にはなるでしょう」
「ふーむ。……それも悪くないが、何らかの”マジック・アイテム”で代用しとらん保障にはならんの」
「では、どうすれば………?」
老人はうんともすんとも言わず、すたすたと背を向けた。
そして、先ほどぺしゃんこにしたシムの首根っこを引っつかんで、
「主ら、”魔族”の手の者、じゃろ?」
「え、……?」
「隠し立てせんでもわかる。《擬態》の見破り方にはコツがあっての。――まあ、秘術中の秘術なんじゃが。今朝現れた娘も、お主の手の者じゃろ?」
「それは……はい。その通りです」
京太郎は、強いて老人から目を離さないようにして、事実のみ口にする。
この老人の真実を見抜く力を信じることにしたのだ。
「となると、オ主の最終目的は、ワシの命、ということになるが」
「それなんですが、どうにもすれ違いがあったようでして」
「すれ違い?」
「と、いうか、――何者かに嵌められた、というか」
「ほー、そうかね」
「どうも”勇者狩り”は、我々の邪魔をしたいようなのです。ステラ、――というのが今朝の少女の名前ですが――彼女は、誤った指令を元に貴方を襲ったようで」
「それを、真に受けろと?」
「しかし、それが真実です。もし必要なら、彼女をここに呼んで頭を下げさせますが」
「ふーむ」
リカはしばし考え込んでいたが、やがて嘆息して、シムをこちらに投げてよこした。
京太郎はそれを受け取って、苦悶の表情を向けるシムに「――治れ」と言ってやる。
シムは即座に体調を復活させて、よろめく足取りで、それでも京太郎を庇うように立った。
「ま。ええわい。――とりあえずそんじゃあ、喧嘩で決めるか」
「は?」
「だから、喧嘩じゃよ、喧嘩。勝った方が全てを決める。それが一番手っ取り早い」
「何を、野蛮な……」
バトル系少年漫画じゃあるまいし。
「だが、結局そういうのが一番、単純ではないかの? ――安心しろ。二対一でも構わん。それにこちらも、命まではとらんよう手加減してやる」
「そういう問題では」
そこでシムが口を挟んだ。
「京太郎さま。ぼくにやらせてください」
いつの間にか《擬態》を解いている。
「しかし……」
「リカは試しているのです。――ぼくたちを。それに応えなければ」
論理的でない、と思う。
これが最も「話しやすい”勇者”」とは信じられない。
だが、
「前任の管理者ともヤったことあるが、そいつは簡単にワシを打ち負かしたが、のォ?」
その一言で、京太郎にも火が点く。
「いいでしょう」
京太郎は『ルールブック』を左手に、百均で買ったボールペンを右手に持つ。
「もし負けても、――恨まないでいただけるのであれば」
老人は、ニイと笑った。
「”勇者”を前にしてその態度、か。……いいぞ。少しだけ、オ主たちを信じていい気がしてきた」




