嘘つきリンゴと真実のカレー
「冬の童話祭2018」の短編作品になります。
リンゴ嫌いなのに、笑顔で受け取りこっそり捨てる白雪姫。
どうにかして毒入りリンゴを白雪姫に食べさせる王妃の奮闘劇を描きました。
IF白雪姫
あるところにそれはそれは美しい女子、白雪姫がいました。
白雪姫と一緒に住む王妃は、自分こそが世界で一番美しいと信じていましたが、
日に日に美しくなる白雪姫に焦っておりました。
ついに、この世の全てを見通す鏡から、
白雪姫こそが世界で一番美しいと告げられてしまい、
王妃は白雪姫をお城から追放し、狩人に殺すよう言いつけました。
この物語はその翌日から始まります。
「鏡よ鏡よ鏡さん、世界で一番美しい人は誰でしょう?」
「はい。世界で一番お美しいお人は、目の前の王妃様でございます」
それを聞いて、王妃は満足そうに頷きました。
「ありがとう。あなたもどれだけ立派な王宮に飾られた豪華な鏡よりも
輝いている、世界で一番の鏡さんよ」
王妃はそっと鏡に口づけします。
はたから見れば、鏡の自分と口づけをしている王妃ですが、
特に気にも留めていません。
「はぁん、こんなに顔が近いのに、私ったら美しいわ」
王妃は熱いため息をついてうっとりします。
自分が世界で一番美しくて、その他は自分よりも醜い顔であると
信じて疑わない、傲慢な性格をしていたのでした。
「……ですが、果ての森に七人の小人と住む白雪姫は、
王妃様の何千倍も麗しゅうでございます」
「はい?」
耳を疑います。
鏡の中の王妃が見る見る青くなっていきました。
「冗談はよしなさいよ。ねえ、世界で一番、一番に正直者で艶やかな鏡さん、
真に、まことに美しい人はだあれ?」
取り乱しながらも、甘い猫撫で声で王妃は再び尋ねます。
「はい。白雪姫でございます」
「どうしてよ! あの子は狩人に殺されたはずでしょう?」
ドンッ、と王妃が壁を殴りつけます。
壁掛けの鏡がぐらりと揺れました。
「その証拠に、昨日の晩餐はあの子の肺と肝臓をリンゴと和えたり、
レバニラで炒めたり、ソテーにしたり、私自らの手で料理して
色々にして食べてあげたでしょうが!」
王妃は殺した証拠として、白雪姫の肺と肝臓を持ち帰るよう
狩人に言いつけていたのでした。
「どうやらあの肺と肝臓は、狩人が白雪姫を逃がすために
便宜を図って変わりに捕まえたイノシシのモノだったんですね。これ」
「かああああああ、どうりで汚らわしい獣の味がしたと思っていたわ!」
王妃は地団太を踏みました。
「昨晩の王妃様は世界で一番の晩餐であったと、たいそうご満悦でありましたが」
「だまらっしゃい! 薄汚れた醜い鏡め。
こうなれば何としても、白雪姫を殺さなければ」
王妃の憎しみは相当なものでした。
自分よりも美しい存在は悪であり、存在してはならなかったのです。
殺したい欲望が渦巻く中で、
ふと、バスケットいっぱいに入ったリンゴに目が留まりました。
王妃はリンゴが大好物で、いつでも食べられるように
いつでも目に留まる場所にリンゴが置いてあるのです。
そのバスケットの中から、ひときわ真っ赤で
切れば果汁が飛び出しそうなリンゴを手に取ります。
「そうだわ。良いことを思いついちゃった。
このリンゴを使って、白雪姫を殺しましょう」
王妃は怒りに任せて、そのリンゴに呪いの魔法を注入しました。
あくる日。雲ひとつ無い青空の下を、王妃は魔女に化けて歩いていました。
そうして白雪姫の住む、七人の小人の家の前に着きました。
「安いよー、赤くて美味しいリンゴが安いよー」
こんな辺鄙な森の奥に何者かと、家の中から白雪姫が出てきました。
「あらお婆さん、一体どうしたのかしら」
「あたしゃあ近くの畑でこさえた物を売っているんだがねえ、
どうにも痛まないうちに売ってしまいたくって、こうして出歩いているのさ。
ほれこのリンゴをごらんなさい。
お天道さんにこんなに光って、真っ赤で美味しそうだろう?」
王妃は一気にまくしたて、毒入りリンゴを白雪姫に握らせました。
「で、でも私、持ち合わせがなくって」
「いいからいいから、今日は挨拶代わりに持っていってよ。今後のごひいきに」
王妃は無理矢理に押し付けます。
心なしか白雪姫は顔を引きつらせていますが、
せっかくのお婆さんのご好意を無下にはできないと頷きます。
「わかりました。ありがたく頂戴いたします」
「ほれ、リンゴは新鮮なうちが一番。太陽の前でがぶりとやっちゃいな」
今度は目の前で死ぬのを見届けなければと、王妃はもう一押しします。
しかし、白雪姫は手を前に出しました。
「いえ、私はここに住まわせて貰っていますので、
小人さん達と一緒に、このリンゴはいただきたく思います」
「そんなかしこまらずに、さあさあ」
「いえいえ、本当に」
「遠慮せずに」
「大丈夫ですから!」
押し問答を続けていると、白雪姫が強い口調で最後に言いました。
これには王妃も驚き、これ以上粘れば逆に怪しまれそうだと
一言挨拶を言ってからその場を去りました。
翌日。そろそろ頃合いかと、王妃は今一度鏡に尋ねてみると、
再び白雪姫の名前を告げたではありませんか。
鏡に罵詈雑言を浴びせた後、どういうことかと王妃は森の小人の家を訪ねます。
「あら、昨日のお婆さん」
家の前まで来ると、今日は白雪姫の方から話しかけてきました。
「ほれ、昨日のリンゴがお口にあったか、気になってな」
「ええ、随分と美味しいリンゴでしたわ。
一口かじれば蜜が溢れて、よっぽど大切に育てられたリンゴでしたのね。
お婆さんの愛情が伝わってきて、
こんな寂しい場所でも元気に生きていこう、なんて希望が湧いてきました」
白雪姫は優しい微笑を浮かべて、そうまくしたてるではありませんか。
これには王妃も仰天して、口をぱくつかせます。
「ほ、本当に、美味しかったんかえ?」
「はい。真に、まことに美味しかったです」
そう言う白雪姫の表情は晴れやかなものでした。
嘘をついてはいないかと、そんな白雪姫の表情を王妃はじっと見つめますが
あまりに美しくて少し見るだけで憎たらしい気持ちが湧いてくるので、
慌てて視線を逸らしました。
「わ、わかった。それならええ」
王妃は何とか取り繕いながら一旦、小人の家から離れます。
実は呪いの魔法が効いていなかったのか、
いや、自分に限ってそんなことはありえない。
しかし、白雪姫の清水の流れるような清らかな感想。
あれが果たして嘘をついている人間の言葉だろうか。
王妃は疑念に駆られながらも時間を置いてから
小人の家の周囲を歩き回ってみました。
すると、裏庭の小さな畑の肥溜めに、
太陽の下、真っ赤に光るものが目に留まります。
間違いありません。
昨日、白雪姫に渡したリンゴでした。
王妃は鼻をつまみながら、真っ赤なリンゴをつまみあげます。
「嗚呼、私のリンゴを、どうして」
「すみません、昨日果物を分けて下さったお婆さんですか?」
嘆いている王妃の背中で、突然声が聞こえました。
思わずリンゴを落としてしまいます。
「すみません。僕はここに住んでいる小人の一人です」
「あっ、ああ、そうかえ。お前さんが白雪姫を住まわせている」
王妃は目の前に居る小さな青い服を着た人間を見ます。
こいつさえ居なければ、白雪姫はのたれ死んでいたのに、
という憎しみの気持ちが湧いてきました。
しかし、まずはこのリンゴがここにある理由を聞かなければなりません。
「小人さんや、どうしてリンゴがここにあるんじゃ。まだすっかり綺麗なままで」
すると青い小人は申し訳なさそうに縮こまります。
「その、僕らも尋ねてみたのですが、どうやら姫様はリンゴがお嫌いなようで。
せっかくの貰い物だからと説得もしたのですが、
リンゴを食べるぐらいなら、森の中へ入ってイノシシの餌になる方がマシだと
そう言われてしまいまして」
王妃は耳を疑いました。
まさか、白雪姫がリンゴ嫌いだったなんて。
幼い頃は何度も料理を作ってやったのに気が付かなかった。
それに、先ほどあんなにも美味しいと言っていたのは、
真っ赤な嘘の言葉だったのだ。
せっかく一番美味しそうなリンゴを選んでやったのに、
魔法を込めている時に何度も何度もよだれを飲み込んだのに、
それをあろうことか、畑の肥溜めの中に捨てるだなんて!
「残念じゃが、わしも気がつかなくてすまなかったのお」
「いえ、すみません、せっかくのご好意を」
「気にすることはない。また来ても良いかの?」
「はい。是非、いらして下さい!」
王妃は青い小人に見送られながら、帰路に着きました。
自室に戻って来た王妃は、鏡の前で腕組みをします。
「白雪姫はリンゴが世界で一番、死ぬほど嫌いなんだと。
どうして今まで気づけなんだ!」
「なんと、リンゴ嫌いだなんて珍しい」
鏡は王妃の報告に驚いてみせます。
「では、リンゴ以外の果物に呪いをかけて、渡すのはいかがでしょうか?」
もっともな提案を鏡がしますが、王妃は難しい顔で横に振ります。
「それはできないわ。
私はリンゴにしか呪い殺す魔法をかけられないの」
「なんとご不便な」
「悪かったわね」
ギロリと鏡を睨みつけます。
「しかし、どうしてリンゴにしか呪いをかけられないのでしょう」
「そんなの、リンゴが世界で一番、美味しい果物だからに決まっているわ」
「なるほど」
「嗚呼、リンゴ嫌いの白雪姫をますます殺したくなってきた」
高まる殺意を押し殺して、王妃は考えます。
ふと、バスケットいっぱいに入ったリンゴに目が留まりました。
そのバスケットの中から、ひときわ真っ赤で
切れば果汁が飛び出しそうなリンゴを手に取ります。
「そうだわ。良いことを思いついちゃった。
このリンゴを使って、白雪姫を殺しましょう」
「同じことを昨日もお聞きしましたが」
「本当、あなたは見たまま聞いたままを口にするしか能の無いお馬鹿さんね」
王妃は愉快に鏡をののしります。
「いいこと?
このリンゴをそのまま出すから白雪姫に警戒されてしまうんだわ。
要するに、美味しく料理してあげればあの子もきっと」
くっくく、と悪い笑みが王妃から零れました。
さてその翌日。本日も晴天の中を王妃は魔女に化けて歩いていきます。
「おーい、白雪姫さんやー」
王妃は小人の家の前で白雪姫を呼びます。
「あらあら、今日も来てくださったのね」
白雪姫は目を輝かせて王妃を歓迎します。
今となってはそんな顔も、王妃は信じられません。
糞尿の中に新鮮なリンゴを捨てたくせに、
ぬけぬけと平気な顔して美味しかったと言えたもんだ!
こみ上げてくる怒りをどうにか自制して、王妃は尋ねます。
「昨日はたいそうわしの作ったリンゴのことを気に入ってくれたそうで」
「いえいえ、本心を口にしたまでですわ。お婆さんには感謝しています。
こうして会って話すだけでもリンゴの味を思い出しちゃいますよ」
そう言いながら照れて笑う白雪姫。
王妃は今すぐにでも絞め殺したい衝動に駆られますが、
ぐっと堪えて、代わりに平たくて丸い包みを取り出しました。
「わしもそう言って貰えて嬉しくてなあ。
ほれ、こいつはアップルパイなんじゃが、良い匂いじゃろう?」
包みを開くと、甘くて香ばしい匂いが辺りに漂いました。
「まあ、本当に美味しそうですわ」
ぴくりと眉が動きましたが、すぐに満面の笑みになる白雪姫。
「わしの家に伝わる秘伝のレシピで作ったアップルパイじゃ。
白雪姫さんのお口に合えばと思ってな」
「お婆さんお手製のアップルパイなんですね! 嬉しい!」
抱きつかんばかりに白雪姫ははしゃいで、アップルパイを受け取りました。
「どれ、ここで一口食べてみてはくれんかのお」
「はい。そうしたいのは山々なのですが、
私はここに住まわせて貰っている身です。
小人さんに黙って食べるわけにはいきません」
「そうじゃが、アップルパイは時間が経つほど味もおっちまう。
どうかここで食べてくれんかのお」
「いえいえ、そうは言っても私の身分があります」
「そこをなんとかして、固いことを言わずに」
「いいから、平気ですから!」
押し問答の末、最後はやっぱり白雪姫が大きな声を出しました。
これには王妃も口出しできず、
しかし、かつてないほど手間暇かけて作った至高のアップルパイを
まさか一口も味わわずに捨てるなんてことはないだろう、と引き下がりました。
はてさて翌日。そろそろ頃合いかと、王妃は今一度鏡に尋ねてみると、
三度白雪姫の名前を告げたではありませんか。
鏡に肥溜めの中に埋めてやろうかと脅して
どういうことかと王妃は森の小人の家を訪ねます。
「おーい、お婆さん、ごきげんよう!」
家の近くまで来ると、ご機嫌な白雪姫に出迎えられました。
「これ、元気そうじゃな」
「はい! あのアップルパイのおかげですよ!
もう、一口食べただけで頬っぺたが落っこちそうで、
お腹も早くよこせとぐうぐう鳴っちゃって、仕方の無いアップルパイですねー」
ふざけながらも、その実、美味しくてたまらなかったと
無邪気に笑いかけてくる白雪姫。
王妃は人間不信に陥りそうになりながらも、どうにか踏みとどまります。
「そ、そうじゃったか。何よりじゃ」
かろうじてそれだけ言うと、王妃はその場を後にします。
あっさり帰る王妃に、白雪姫は不思議そうに見送りました。
時間を置いて、王妃は小人の畑に向かいます。
もし昨日と同じであられもないアップルパイの姿があったら。
そう思うと、王妃の足取りも自然と速くなりました。
真っ直ぐ肥溜めの場所まで行くと、
そこにアップルパイは、ありませんでした。
「な、なんじゃ。今度は捨ててなかったのか」
王妃は胸を撫で下ろしました。
そして、気が付きます。
自分は白雪姫を呪い殺せなかったことよりも、
お手製のアップルパイを食べて貰えない方が
ショックだったのではないかと。
「冗談じゃないわ」
本末転倒も良いところです。
自分よりも美しい存在、白雪姫が生きている限り私は輝けない。
私は満足できない、生きる意味もない、と王妃は決意を固めました。
しかし、だとしたらどうして、アップルパイを食べて死んでいないのだろうか。
もしかして、毒リンゴを料理しては効き目がなくなって。
「あのお。もしかして、アップルパイをくださったお婆さんですか?」
考えていると背中から、のんびりした声で話しかけられます。
振り返ると昨日と違う、赤い服を着た小人がそこに立っていました。
「そうじゃよ。白雪姫さんは、
今度のアップルパイはきちんと食べてくれたのじゃな」
演技でない本心からの満足顔で王妃は受け答えをします。
「えーと、それが。リンゴを入れたパイなんて言語道断?
なんて白雪姫が言っていましたよー」
「へ?」
「だからアップルパイが丸まる残っちゃってー。
にわとりの餌にしたら、今朝、みーんな倒れちゃって」
「に、にわとりのえさあ?」
王妃は卒倒しそうになりました。
実際、片膝をつきました。
赤い小人は慌てて王妃の肩を支えました。
「だ、大丈夫ですか?」
「へ、平気じゃよ」
「安心してください。丁度、絞め頃だったので、
今夜はチキンパーティを開く予定なんです。
そうだ、良かったらお婆さんも一緒にどうですか?」
それを聞いて、王妃は慌てて立ち上がりました。
「いい、わしは歳じゃから、肉はあまり好かない」
「そっかー」
赤い小人は残念そうです。
白雪姫と顔を突き合わせてチキンパーティなんて、
それこそ死んだ方がマシだと王妃は身震いします。
常に目の前には自分よりも美しい顔があって、
チキンも喉を通らない。
たとえ胃の中に押し込んだとして、
あの欺まんに満ちた笑顔で料理の感想を言われた日にゃあ、
お腹の底から捻り出されて、チキンを吐き出すに違いない。
王妃はそそくさとその場を後にしました。
自室に戻って来た王妃は、鏡の前で床に手を付いて跪きました。
「どど、どうされましたか、王妃様」
王妃のやつれた姿に、鏡は慌てふためきます。
「白雪姫が、私の特製アップルパイを食べてくれず、
あろうことか、にわとりの餌にされていたわ」
「なんと、あれほど美味しそうなアップルパイを」
世の中不思議なこともあるものだ、と鏡が呑気に言います。
王妃は白雪姫の分とは別に、自分用に作ったアップルパイを持ってきました。
もちろん毒入りリンゴは使っていません。
「こんなに美味しそうな見た目なのにね」
鏡に映るキツネ色の生地、ピーナッツと絶妙にふやけたリンゴ。
そして切なく拗ねた顔も美しい自分。
何もかもが輝いて見えた。
「ん~美味しい」
一口かじっただけで、口の中に広がるリンゴの園。
「はあん、美味しい。美味しい。美味しすぎるわ!」
鏡の前で王妃は夢中になって食べました。
「……白雪姫の方が料理の感想は上手ですね」
「だまらっしゃい! あの子は何も食べやしないんだよ。
こんなに美味しいアップルパイを、にわとりの餌なんかにしちゃって」
口の周りにパイのカスが付いても王妃は気にしません。
何故なら愛しいアップルパイだから。
「許せない。私のお婆さんの代から伝わる、
秘伝のアップルパイのレシピを使って、丹精込めて作ったのに」
「しかし、リンゴが死ぬほど嫌いでは、
リンゴの形が残っているだけで警戒されてしまうのでは」
もっともな指摘を鏡はします。
頭の中を真っ赤に染める殺気を鎮め、王妃は考えます。
ふと、バスケットいっぱいに入ったリンゴに目が留まりました。
そのバスケットの中から、ひときわ真っ赤で
切れば果汁が飛び出しそうなリンゴを手に取ります。
「そうだわ。良いことを思いついちゃった。
このリンゴを使って、白雪姫を殺しましょう」
「同じことを昨日も一昨日もお聞きしましたが」
「よく聞きなさいな、耳障りなことばかり言う鏡さん」
王妃はお茶目に人差し指で鏡をつつきます。
「このリンゴを形あるまま出すから白雪姫に警戒されてしまうんだわ」
「さっき同じことを自分が言いましたよ」
「要するに、全く形を残さずに美味しく料理してあげれば、あの子もきっと」
くっくく、けけけと今にも壊れそうな笑みが王妃から零れました。
果たして翌日。魔女に化けるのも手馴れた様子で、
王妃は小人の家を訪ねました。
「おーい、白雪姫さんやー」
「わあ、今日も来てくださったんですね!」
溢れんばかりの嬉しさをぶつけてくる白雪姫。
その笑顔の真偽は読み取れません。
王妃はなるべく白雪姫と視線を合わせないようにしながら、
底の深いずん胴なべを取り出しました。
「ほれ、うちで作りすぎちゃってのお。おすそ分けじゃ」
「これは何ですか?」
白雪姫が興味津々にずん胴なべの中を覗きこみました。
中には濃い茶色にジャガイモ、ニンジン、たまねぎなどの具が浮かんでいます。
すん、と鼻を刺激する香辛料の匂いもします。
「カレーじゃよ。白雪姫さんはカレーは好きじゃったかのお?」
「はい! 私、カレーが大好物なんですよ!」
白雪姫の目が輝いています。それもそのはず。
幼い頃にカレーを作って白雪姫に食べさせたのは
紛れも無い王妃だったのです。
思えばあの頃は毎日が幸せだった。
世界で一番美しい人は、と鏡に聞けばいつだって私が一番だと言って貰えた。
心の余裕か、気まぐれか。
遠いアジアなる地域から来た行商人より買い付けたカレー粉を使い、
幼い白雪姫にも料理を振る舞ったのだ。
とってもとっても美味しいよ!
なんて純粋に笑ってはしゃいでくれたのは今でも思い出せる。
目の前で目を輝かせている白雪姫は、確かにあの頃の面影はあるが、
やっぱり信じられない。
笑顔でリンゴを捨てる、鬼畜生であることを忘れてはならない
と王妃の懐かしさに浸る柔らかな眼差しが、再び鋭くなりました。
「良かったら今日の晩御飯に、みんなで食べてくれんかのお」
「はい! 喜び勇んで頂きます!」
白雪姫は高らかに言いながら、ずん胴なべを抱えました。
王妃はそれを確認して、背を向けて帰ろうとします。
「あっ、また来てくれますか?」
白雪姫が王妃の背中に声をかけました。
できれば顔も見たくないのですが、来ると言うほかありません。
「そうじゃの」
「ちゃんとカレーの感想をお婆さんに伝えたいので」
王妃が目を見開いて振り返ると、屈託無く白雪姫が笑いかけました。
それは遠いあの日の笑顔と重なり、王妃の中に暖かな何かが漂いましたが、
すぐに整い過ぎている顔立ちに苛立ちを覚えます。
「今度も楽しみにしておるからの」
「はい!」
そうして王妃は帰路に着きました。
その今度が無いことを祈って。
満を持して翌日。王妃にしては珍しく、
優柔不断に鏡の前を行ったり来たりしています。
「王妃様、先ほどからどうなされましたか?」
「わかっている癖に、聞くんじゃないよ」
王妃は苛立たしげに言います。
今回は白雪姫の大好物であるカレーを渡しました。
もちろん、すり下ろした毒リンゴを混ぜてあります。
見た目や匂いでリンゴが入っていることはわかりません。
王妃は確かな手ごたえを感じています。
だからこそ、もし白雪姫が生きていたら。
それは渡したカレーを食べずに捨てたことを意味します。
昨日のお見送りの時に見せた笑顔も嘘で、
下手したら幼いあの日の笑顔も嘘ということに。
計り知れないショックを受けることは簡単に想像できます。
では成功していたら。白雪姫がちゃんとカレーを食べて死んでいたら。
嬉しい。計り知れないほど歓喜しそうです。
しかし、何かわだかまりのようなモノも残しそうな予感はあります。
どちらの結果にしても、感情を大きく揺さぶられそうなので、
王妃は日課の問いかけを鏡にできずにいたのでした。
「王妃様、一つ提案があります」
そんな王妃を見かねたのか、鏡が口出ししました。
「言ってみな」
「私を金輪際見ないというのは、いかがでしょうか」
「なんだって?」
王妃はギロリと鏡を睨みつけます。
「あんたの役割は見られることでしょうが。
自分で何を言っているのかわかっているのかい?」
「真実というのは、時として残酷なモノです。
良いことも悪いことも否応なしに自分は突きつけます」
王妃はガンッと壁を蹴飛ばしました。
壁掛けの鏡がぐらりと揺れます。
「だまらっしゃい!
私はね、真実から目を背けることが大嫌いなんだ!
嘘をついて平気な顔で生きるなんて、まっぴらご免だよ!
そう、そうだ。あの白雪姫の嘘だらけの顔」
憎憎しげに王妃は拳を握ります。
鏡には憤怒で顔を真っ赤にした王妃がいました。
「私はね、あんな顔を作れる白雪姫が世界で一番嫌いだし、
真実をしっかり突きつけてくれるあんたが世界で一番好きなんだ。
さあ、答えておくれよ鏡さん。世界で一番美しい人は誰?」
「はい。世界で一番お美しいお人は、目の前の王妃様でございます」
それを聞いて、王妃は鏡にすがります。
「ほ、本当かい?」
「はい。王妃様以上に、美しい人はこの世におりません」
王妃は膝から崩れ落ちます。
やった、と涙ぐんで歓喜します。
「私が世界で一番、美しいんだわ!」
今度は急に立ち上がって、拳を天高々に突き上げました。
次から次へと溢れ出てくる熱に、いても立ってもいられません。
「あっはっはっはっはっは。こんなにめでたいことはない!
嬉しい。嬉しいわ! この世に私より美しい人はいない!
私が一番、一番なんだ!
死んでしまいたい。死んでしまいたい!
嬉しくて死んでしまいたい!」
希望の光に照らされて、天使にでもなったような居心地です。
大きな口を開けて、だらしなくげらげらと笑う王妃が鏡に映っています。
「今の王妃様は、かろうじて世界で一番美しいですよ」
そんな鏡の一声に、王妃は我に返りました。
「あら、嫌だわ私ったら。当然のことなのに、喜び勇んでしまって。
しかし、白雪姫も気の毒に思うわ。
ちょっと美しく生まれてしまったばかりに、死んでしまうなんて。
真実は時として残酷なモノね」
「仰るとおりです、王妃様」
心の余裕からか、王妃はあんなに憎かった白雪姫に同情します。
そうして、その日の晩は久しぶりに料理を全てたいらげ、
夜はぐっすりと眠ることができました。
それからしばらくは、平穏な日々を送っていました。
しかし、それも長くは続かなかったのです。
「なんだって? もう一度言ってごらんなさい!」
「はい。白雪姫が世界で一番美しいです」
「馬鹿を言っちゃいけないよ。あの子はこの間、
私の作った毒リンゴ入りのカレーを食べて死んだはずじゃないか!」
両腕を広げて王妃は鏡の前で必死に訴えます。
「それでも、白雪姫の方が王妃様よりも何千倍も美しいのです」
鏡に、にわとり小屋の中に掛けてやろうかと脅して、
どういうことかと森の小人の家を訪ねます。
「あっ、お久しぶりですお婆さん!」
家の前まで来ると、白雪姫が元気そうに両腕を広げて抱きついてきました。
「ちょいと苦しいよ」
「ご、ごめんなさい。また会えて、あまりにも嬉しくて」
白雪姫の表情は、笑っているのに今にも泣きそうにも見えました。
もう二度と見たくもない顔でしたが、
王妃はあれからのことについて聞かなければなりません。
「ほれ、カレーはどうじゃったかのお?」
「はい! それはもう、美味しかったんです。
柔らかなパンですくって口に入れた瞬間、
天にも昇るような幸せな気持ちになりました」
そのまま天に昇って欲しかったわ、と喉まで言葉が出掛かりましたが、
王妃は堪えます。
「でも、その後に私、死んだように眠ってしまったみたいで。
小人さんの中にはカレーを疑う人もいたんですけど、
でもでも、私はあんなに美味しいカレーの中に毒が入っているなんて思えなくて。
きっと天罰がくだったんですね」
白雪姫は一気に悲壮に満ちた表情になります。
「天罰?」
「そう。私、お婆さんに謝らなければいけないことがあります」
「なんのことじゃ」
そう言うと白雪姫は地面に両膝をついて、
両手を組んで哀願するように王妃を見つめます。
「実は、私リンゴが食べられなくて。
今まで頂いていたリンゴとアップルパイは捨てていたんです。
そうして、お婆さんに嘘の言葉を伝えておりました。
どうかお許しください」
潤んだ瞳で訴えかける白雪姫の表情が、またひときわ美しく、
憎らしいを通り越して、諦めに近い自傷願望が湧いてきます。
王妃は生命の危機を感じ、急いで顔を背けて手で追い払いました。
「わかったわかった、許すから。そんな目でわしを見んでくれ」
「本当ですか! ありがとうございます!
ああ、こんなにも気持ちが晴れやかな日があったでしょうか!
愚かで嘘つきな私を許してくださって、感謝の気持ちでいっぱいです!」
王妃は手を握られて、ぶんぶん勢いよく振られます。
こうなったら一刻も早くこの場を立ち去りたい王妃でしたが、
まだ白雪姫が死の淵から戻って来た理由を聞いていません。
「おおー可愛い姫様。こんなところに居ましたか」
家の中から、今度は高貴な衣服を身につけた青年が現れたではありませんか。
「王子様! 丁度良いところに来てくださいました。
この方が、カレーを作ってくださったお婆さんです」
「なんと、それは本当か!」
ぱあっと喜び、王子様は王妃に駆け寄ります。
そうして王妃の両手を包んだ白雪姫の両手を、さらに包むように握りました。
「お婆さん、あのカレーなる料理、是非とも作っていただきたい」
「どういうことじゃ」
「私は死んだように眠っている姫様があまりにも美しくてキスをしました。
おかげで、姫様は眠りから覚めましたが、
私も眠りから覚めたような衝撃を受けたのです!
あのキスの味。今までに味わったことの無い、とろけるような味!」
「惚気なら他でやってくれないか」
王妃の本心からの言葉が漏れます。
「いえいえ滅相もございません!
最初は確かに、こんなにも可愛い姫様との接吻だからとも思いましたが」
王子様が白雪姫の肩に手を回すと、照れたようにうつむきます。
引っ叩いてやりたい衝動を抑えるのも恒例になってきました。
「しかし、聞けば直前にカレーなる未知で最高級の料理を食されていたとか。
どうりでとろける味わいの中にぴりりと辛い刺激があったと。
唇を離して美味しさのあまり、一瞬くらりときたのも頷けます!」
王子様は熱く語ります。
くらりときたのは恐らく呪いのせいだと王妃は思いますが、
そんなことはどうだって良くなっていました。
「そんなに、白雪姫の美しさが霞むほど、カレーは美味しかったのか?」
「はい! 今度、結婚式を開くので、
どうかお婆さんに振る舞っていただきたく思っています!」
「ほおお」
王妃は笑顔になります。
そうか、重要な結婚式の場で振る舞えるのか。
特製のリンゴカレーを。
「わかった、引き受けようかの」
「ありがとうございます!」
「ありがとうございます! お婆さん」
王子様と白雪姫にそれぞれ手を握られて、感謝の言葉を受けました。
二人とも幸せそうで、頬を真っ赤にさせて笑っています。
王妃は暖かい何かを自分の中で感じながら帰路に着きました。
それから半年の月日が流れました。
王妃は外出の準備をしながら鏡に尋ねます。
「鏡よ鏡よ鏡さん、世界で一番美しい人は誰でしょう?」
「はい。世界で一番お美しいお人は、白雪姫でございます」
王妃は手馴れた様子で魔女に化けて、
王子様と白雪姫の住む城へ行く準備をしていました。
「相変わらずか。ならば今日こそ殺してやろうかしら。
毒リンゴ入りカレーで」
「良い考えかと思います、王妃様」
鏡は王妃の意見に同調します。
「でしたら、持っていく真っ赤なリンゴに
呪いをかけておくというのは、いかがでしょうか」
「良い考えね。でも、そうだわ。
あの白雪姫も王子も、私の料理を喜んで食べてくれるのよ。
それで私ったら、気を良くしてしまっているんだわ」
「なるほど」
「あの子達の胃袋は私が握っているの。ねえ聞いて。
この前なんてうちの専属の料理人にならないか、なんて誘われちゃったわ。
本当にお馬鹿さん達ね」
王妃は愉快に鏡をつつきます。
「殺そうと思えば、いつだって殺せるの。
少しでも苦い顔を作ってみなさいな。あの真っ赤なリンゴを使ってあげるわ」
バスケットに入ったひときわ真っ赤なリンゴを目に留めて
王妃は不敵に笑いました。
「しかし、美味しそうな様子が嘘だったら、お困りになりますよ」
「良いのよ。そういうことは、あなただけが知っていれば」
「なるほど」
「また気が向いたら聞いてあげるわ。鏡よ鏡よ鏡さん、ってね」
王妃は颯爽と去っていきます。
そのあまりにも華麗な姿は、鏡によく映っていましたとさ。
FIN