赤き竜とある日のしつこい娘【ハイファンタジー】
【あらすじ】
勢いに負けて、“悪竜の生贄”から“押し掛け娘”へと転身した娘と暮らすことになった赤き竜。
生贄時代の娘の姿を思い出しつつ、次の生贄が運ばれてくる時期がきた。
『悪竜と論説乙女』の続編です。
【タグ】日常、ため息の尽きない竜、元生贄娘と竜のその後
赤き竜は、鼻から長く、長く息を吐く。
その風圧で、先刻生贄の乙女から押しかけ娘に転身した人間の娘がころころと地面を転がる。
いや、自ら受け身をとる要領で転がっている。そのままその勢いを利用して、くるりと起き上がった。
「やはりある程度、流れに身を任せるのが肝要ですね。へたに踏ん張っても転んで怪我をするだけだと実感しました」
服の汚れをぱたぱたと叩き落としながら、娘は何事もなかったかのような顔をしている。
「今からでも遅くはないぞ。家に帰ればいい」
「いえ、帰りません」
娘は今、生贄の乙女の上等な衣ではなく、食物や宝飾品などの貢物に紛れ込ませたという村娘の服を着ていた。
もしものために用意していたというが、他にも狩りに必要な弓矢や小刀などが出てきた。万が一生贄が生き残れた時のために村の人間たちが用意したものかもしれないが、目の前の娘に限ってはそうとも言い切れない。
改めて聞く気にもなれないが。
「今日のところは貢物の塩と胡椒で肉に味を付けましたが、明日から早速麓に物資を調達に行ったほうがよさそうですね。麻酔に使えそうな植物も見つけましたから、売ればそこそこになるでしょう」
この娘は先刻の宣言通り、見事な手際で兎を狩り肉と毛皮の処理をし、簡易ではあるが山から採取した香草とで手際よく食事を済ませていた。さらに、人里で売れそうなものの目星も付けたらしい。
「肉は本当は熟成させた方がいいのですけど、贅沢も言っていられません。さて。今日の腹ごしらえは終わりましたし、温泉の前に寝床の準備に取り掛かりますか」
娘は昼間目星をつけていた小さな岩の洞穴に、山から集めた葉を敷き詰めた。そして貢物の輿から大きな布と毛布を持ち出し、なかなか快適そうな寝床を作り上げた。
「近くにあなたがいることですし、あまり冷えることもないでしょう。我ながら上出来です」
両手を腰に当て、娘は満足そうに頷いた。
「逞しいことだな」
「いえいえ、それほどでは。他の人よりも必要に迫られることが多かっただけで」
謙遜などではないようで、こともなげに言う。娘にとっては今までの日常と大して変わらないのだろう。
本当に逞しくなったものだと、竜は過ぎ去った日に思いを馳せる。
二年前、生贄が運ばれてきた日のことだった。
いつものように、生贄の輿の一行に紛れて来た武装した男どもを竜が追い払った後、びくびくしながら輿から出てきたのがこの娘だった。
今年で十五になったと言っていたから、この時は十三だったはずだ。
悪竜と呼ばれている竜を目の前にして怯える生贄は珍しくないのだが、この娘は目に見えて怯えていながらも竜から視線を外さなかった。
いつもなら生贄とは簡単な会話をしてから忘却の魔法をかけるのだが、竜はこの娘に興味を持った。
何か言いたいことがあるなら言ってみろと促すと、娘は堪えていた涙をこぼし、しゃくりあげながら話し始めた。
「せ、先日……ひっく、おかあ……母が、病気で死ん、で、ひっく、しまっ、て……!」
そう言うと、娘は堰を切ったように大声を上げて泣き始めた。
生贄として連れてこられた娘たちが泣くことも珍しくはない。そして、それを竜がなだめることも。
竜は、娘が落ち着くまで何も言わずに待った。
泣き疲れて落ち着くと、娘は掠れた声でぽつりぽつりと身の上を話し始めた。
元々身体の丈夫でない母親だったこと。
母親の死は悲しかったが、娘は家族が多く、父親と兄や姉たちの働きだけでは生活が苦しいこと。
母親の死の悲しみから立ち直れず、生きているのも辛く、口減らしのために年に一度の悪竜の生贄に自ら志願したこと。
元々美しかった娘は、すぐに生贄に選ばれたこと。
ひと通り話し終える頃には、娘は気を張っていたのと泣き疲れたのとでぐったりしていた。
竜は娘が体を休められるような場所を見繕い、竜の高温の体表で火傷をさせぬように気を付けながら娘を横たえた。
少し離れたところで竜も座る。娘が冷えぬよう、赤き竜の体温で暖まるように。
「今は悲しいだろうが、自棄になるな、娘。お前が望むなら、記憶をいくらか消して別の村で暮らせるようにしてやろう」
娘は微笑みながら、ゆっくりと瞼を閉じて眠りについた。
翌朝、目を覚ました娘は幾分すっきりとした顔をしていた。
「私の話を聞いてくださって、ありがとうごさいました……。いくらか気持ちが軽くなりました」
「そうか」
「それで、あの……」
娘はもじもじと、上目使い気味に竜を見て、
「また来ても、いいですか……?」
竜は思わず絶句した。そんなことを言ってきた生贄は記憶にない。
「お前は何を言っているのだ」
竜は問答無用で魔法をかけ、いつも生贄たちにするように娘を自分の村に帰した。
悲しさを全て消化できたわけではないだろうが、あれだけ泣いたのだから、あの娘はちゃんと生きていけるだろう。
だというのに。
翌年、娘は再び竜の前に現れた。またしても生贄として。
しかし、それ自体は珍しいことではない。
生贄に選ばれるような麗しい娘は、村人ごと忘却の魔法をかけられているため、再び選ばれることも多いのだ。
一年前とは違い、娘には悲壮感はなかった。ただし、どこか倦み疲れた顔をしていた。
「父が死にまして……」
悪竜に臆することも忘れたと言った風で、娘は一年前と似たような話を始めた。
父親は食中毒で、娘が今年の生贄に選ばれた翌日のことだったと。
二年連続の親の不幸というわけだ。
そして呆然としている内に、今日この時を迎えたのだという。
「母親の時もかなり堪えたのですが、どうやってか立ち直って、私もいくらか仕事を手伝って生活をしていました……」
あのあと、どうやらそれなりにうまく生活していたのだなと、竜は話を聞きながら思っていた。
「ところで、あの」
娘はやや困惑した、不思議そうな面持ちで竜を見上げた。
「あなたとお話するのは初めての気がしません……。なぜでしょうか」
その言葉を聞いた瞬間、竜は反射的に魔法をかけた。何かとてもまずい予感がしたのだ。
娘は再び自分の村に帰された。
まさかみたび相見えることはあるまい。
竜は今までの生活に戻った。
一体何の因果なのか。
また翌年、生贄を見た竜は我が目を疑った。
「私はただ、あなたにもの申すために生贄に名乗り出たのです」
見間違いかと思ったが、堂々としてある種の貫禄を感じさせる生贄は、間違いなくあの娘だったのだ。
この一年で何があった?
少しばかり興味を引かれ、娘の話を聞いてしまったのがそもそもの間違いだったのだろうか。
「人里に戻らず、あなたと暮らすのって楽しそうじゃないですか?」
好奇心で目を輝かせる目の前の娘に、竜ははっきりとわが身に迫る危険を感じ取った。
慌てて話を切り上げ、魔法をかけようとした竜は、娘の次の言葉に戦慄した。
「私は何度でも生贄として来るでしょう」
すでに三度も相見えている娘だ。戯言として鼻で笑うことができなかった。
結局竜は娘のしつこさに折れ、こうして側で生きることを許してしまったのだ。
竜は深く、深くため息をつく。
炎混じりのその息を、連続後方倒立回転跳びで娘が避けていく。
一体、泣き虫なあの娘がどうしてここまで逞しくなったのかと、そんな面倒な跳び方よりも走って避けた方が速いのではないかと思って、やめた。
この娘に関しては考えるだけ無駄な気がしたのだ。
「ところで、生贄はふた月ごとでしたか?」
手に付いた土を払いながら娘が聞いてくる。
「そうだな。間が詰まっていても面倒だ」
「実際はいらないのですよね、生贄は。しかも、あなたを狙う男たちまでついてくる」
「何度も脅しているのだがな。忘却の魔法の弊害か。ある程度の立ち入りを許した方が楽なのかもしれんが」
「そうですか……」
娘は顎に手をやり、何やら思案していた。
それからふた月近くが経った。
娘は宣言通り、山を歩き狩りをして得た毛皮や肉に薬の原料となる植物、自分が生贄として運ばれてきた時の貢ぎ物の貴金属、村々の名産品などを人里で売り買いして生活していた。人間とやりとりする関係上、それなりに世情にも通じているようだ。
竜も娘との生活に慣れた頃のことだった。
「どうした、そんな格好をして」
娘は、自身が生贄として来た時に着ていた、紗を重ねた青い上質な衣を纏っていた。
その裾は、以前竜の呼吸とともに吐き出された小さな火で焦げた時のままであり、同じく端の焦げた半透明な薄絹を頭に被る姿はいっそ神秘的だった。
「ちょっと試したいことがありまして」
金細工の髪留めを飾った黒髪をさらりと払う。今は動きやすさを優先して、肩までの長さに切り揃えられている。
山暮らしでも、娘の美しさは損なわれなかった。
それどころか、精力的に動き回るせいで、精悍さを帯びたようにも見える。
にわかに、竜たちのいる山の頂付近が騒がしくなってきた。
人間の気配がするのだ。
「来ましたね」
「そんな時期か」
生贄を捧げに、村から人間たちがやってきたのだ。
生贄と貢物と運び手。そして今回も、隙をついて竜を討たんとする者たちがいるのだろう。
毎回のことながら面倒だと思いつつ、竜は娘に身を隠すように促す。
しかし、娘はその場から動かない。
「どうした。面倒なことになるぞ」
「いえ、このままで。記憶をいじる魔法をかけていただくかもしれませんが」
どういうことだと問おうとした時、生贄を乗せた輿の一行が現れた。
そして人間たちに背を向けて立っている娘に気付き、運び手たちがざわつき始める。
そら面倒なことになったと、竜がまとめて忘却の魔法をかけようとすると、娘が人間たちに見えないように小さく手で制した。
「少し見ていてください」
微笑むと、娘はどこか神性を帯びた表情で、優雅に振り返った。
「私は赤き竜の巫女です」
娘に何事かと問おうとしたのを竜は寸前で堪えたが、人間たちはそれを聞いて一瞬黙った後、ざわめきを大きくした。「本物か?」「噂じゃなかったのか」という声が聞こえる。
噂?
竜は娘を見やる。
「私は麓に下り、人間の暮らしぶりを見てきました。そして判断したのです。もはや生贄は不要、と」
どよっと、ひときわ大きな困惑の声が上がる。
今度こそ、どういうことだと声をあげそうになった。口を少し開けたところで呼気とともに小さな炎が出て、人間たちから大小様々な悲鳴があがる。
「落ち着いてください。何もしなければ、赤き竜はあなたたちを害しません」
泰然と、娘は一行に落ち着いた声をかける。竜も内心困惑しながらその後ろ姿を見つめた。
竜が何もしてこないのを見て、人間たちは徐々に落ち着き始めた。
竜と人間たち双方の視線を集めて、娘は口を開いた。
「あなたたちの中に、私に見覚えのある人はいますね?」
人間たちがまばらに頷く。娘が人里に下りた時、行き会ったことがあるのだろうと竜は推察した。
「あなたたちが生活するには、今のままでも足りなくはないけれど、山の恵みがあればもっと生活が潤う。そう思っている人は少なくない。そうですね?」
誰ともなく、肯定する声が上がる。
それはそうだろう。この山は魔物や魔獣などの人間にとっては危険な生物もいるが、人間がある程度安全に歩けるところには食肉に適した動物や温泉、薬草などがあるのだ。
それらを生活に取り入れることができたら、人間の暮らしは楽になる。
「しかし。この山には赤き竜との約束により、生贄を運ぶ時以外はほんとうに麓からすぐのところまでしか入れない」
たしかに。
言葉にしたことはないが、かつて竜を討とうとした者たちの亡骸をその辺りまで吹き飛ばして以来、人間たちの間で暗黙の了解のようになっているようだった。
それでも竜を狙う人間がいるというのが不思議なのだが、竜の命以外に、山の恵みを欲していたというのなら腑に落ちるものはある。
「ところで。人間が歩ける程度で、竜の棲家に届かない範囲の山の立ち入りを許すと言ったら、あなたたちはどうします?」
また何を言うつもりか。
竜は口を開きかけたが、またあがった小さな炎を見た人間たちが悲鳴をあげたのを見て口を閉じた。
いちいち騒がれては鬱陶しくてかなわない。
「そりゃあ……」
おずおずと、代表者らしき中年の男が口を開く。
仲間が固唾を飲んで男に注目する。
「そういうことになったら、オレらは助かるけれども……でもお嬢ちゃんが、“山の恵みをもたらす竜の巫女”だってか? 生贄はもういらないとか、どういうことなんだかさっぱり……」
それは竜も聞きたいところだった。
自分のことを巫女と言ったことといい、山への立ち入りを許可するといい、一体何がしたいのか。
そろそろ口を出すかどうか思案していると、娘が堂々と胸を張り、頭からかぶった薄絹の裾を払った。偶然に吹いた風がそれをはためかせ、娘を神秘的に見せる。
「赤き竜は人間とのやり取りを疎ましく思っています。年に一度の生贄の来訪ですら。理由はもちろん、」
娘はつかつかと輿の近くの茂みに近づき、密集した葉を両手で思い切り押し広げる。
そこにはいつものように、武装した男たちが隠れていた。ぎょっとした顔をした男たちが、娘につまみ出されて輿の後ろあたりに集められた。
「あなたたちのような方々にもあるわけですが」
娘はまた竜の側に戻った。
「安心してください。先程も言いましたが、何もしてこなければあなたたちは安全です」
「そう言われてもな……」
武装した男の一人が、必要以上に警戒しながら竜と娘を見やる。
それなりに屈強ではあるのだろうが、(自称)竜の巫女とはいえ、娘にいともたやすくつまみ出されたことで自尊心が傷つけられたようだ。
「せっかくお話ししようとしても、そんな姿勢では何も進まないではありませんか」
娘は両手を腰に当てて呆れたように言う。
「もう一度結論から言いましょう。今後は生贄は不要です。そして人間は、赤き竜の棲家に立ち入らないのならば山への出入りは自由です。それでもその領域を侵すというのなら……」
ここが頃合いだろう。竜は締めの一言を発するべく口を開ける。
「まず私がお相手します」
開いた口は、塞がらなかった。
生贄の一行も、武装した男たちも。
ただ間抜けに、口をあんぐりと開けたまま沈黙が流れた。
「や、あんた巫女さん、いくらなんでもそれはおい……」
「ナメてんのか!」
怒気をあらわに、血の気の多い男たちの数人が各々の得物に手をかけようとする。そして、そのまま両手をだらりと脱力させ、両膝を地面に着けた。
一拍置いて、かちゃかちゃと、小さな何かが落ちる音がする。
音の出所は娘の足元で、そこには今抜かれんとしたであろう武器の要となる部品が娘の手から無造作にこぼされ散らばっていた。
人間よりもはるかに高い位置から見下ろしていた竜には見えていたのだが、娘は茂みから武装した男たちを引きずり出した際に抜き取りの盗人もかくやという手際でそれらを奪っており、その上小さな針のようなものを手に持っていた。遅効性の痺れ薬でも塗っていたのだろう。そういえば最近、材料となる植物を人里に卸していると娘が言っていた覚えがある。
竜は改めて、深く深くため息をついた。
素早く受け身を取りながら避けた娘以外の人間がごろごろと転がったり、輿の薄絹がばたばたとはためいたのが落ち着くのを待って、竜は今度こそ口を開いた。
「よく考えろ。毎度このやり取りをするのか?」
娘以外の人間たちが、瞬時に眉間にしわを寄せたり頭を抱えたりし始めた。それは何よりも雄弁に、人間たちの出した結論を語っていた。
もうこれ以上の言葉はいらないだろう。
竜はそう思ったのだが、代表者の男が「それでも」と言葉を投げる。
「どうして生贄がいらないってことになったんだ……?」
再び、皆の視線が娘に集まる。
娘は一瞬きょとんとしたあと、至極真面目な顔で、
「私ほど可憐な巫女がいれば、他の生贄はいりませんよね?」
場は再び沈黙に包まれ、困惑と謎の納得感が漂った。
「何か勘違いしているようだが」
これだけは言っておくかと、竜は再び口を開いた。
今度は竜に注目が集まる。
「私は雌だ」
「あら、まあ」
娘は驚いたように、口に手を当てた。
竜は結局、その場の人間たちの記憶を操作する魔法をかけた。
一連の騒動からなるべく余計なものを抜いて、それらしく組み替えた記憶を人間たちに持ち帰らせた。
人間の相手をするのはもう面倒だということ。
赤き竜の巫女がいるので、生贄はもういらないこと。
山の頂付近の赤き竜の棲家に立ち入らなければ、人間たちは自由に山に出入りしていいこと。
代わりに、時々人里へ下りる赤き竜の巫女をそれなりにもてなすこと。
万が一、赤き竜の棲家に立ち入ろうとする者、竜や巫女を害そうとする者はその命を以て償いをする覚悟を持つこと。
それらをその場の人間たちに約束させ、村に帰した。
ということになっている。
そのやりとりをあと五回、残りの村の生贄の一行たちにも繰り返し、竜はようやく静かな日々を手に入れたのだった。
なお、一部の男たちは、ほとんど接触のないはずの赤き竜の巫女を必要以上に恐れているとかいないとか。
それこそ、竜の知ったことではない。
2014.12.24投稿
連載版はこちら
紅き竜と変わり者娘 〜ふたりが出会ってからのこと〜(完結済)
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