悪竜と論説乙女【ハイファンタジー】
【あらすじ】
年に一度、生贄を差し出せ。さもなくば、村ともども焼き尽くしてくれる――
山の頂に棲む悪竜に降参した人間たちは、その条件を飲むしかなかった。
悪竜にはそれ以降、生贄として麗しい乙女が捧げられていた。
ある年のこと。
生贄として捧げられたのは、「悪竜に物申すために」その魅力を磨いたという、奇妙な乙女だった。
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【タグ】日常、ドラゴン、生贄の乙女
あるところに山があり、麓には人間たちの村があった。
山の頂付近には竜が棲んでいた。
大きく鋭い爪で大地を引き裂き、その牙で大型の魔獣の肉を食いちぎり、背中の大きな翼で空を飛びながら、鉄をも溶かすような炎を吐くという。
恐ろしい竜は、麓の村々にその悪名を轟かせていた。
人間は、この竜を打ち滅ぼすために幾度となく討伐隊を出した。しかし、竜の硬い鱗に阻まれて、ついに一度も手傷すら負わせることがでず、毎度多数の死傷者を出すばかりであった。
あるとき、人間たちは竜に使いを出した。
もう竜の棲家を荒らすことはしないから、人間を襲わないでくれという、嘆願のようなものだった。
竜はそれを飲んだが、条件を付けた。
人里を襲わぬ代わりに、毎年ひとり、うら若き乙女を生贄に出せと。さもなければ麓の村まで飛んで行って、すべてこの炎で焼き尽くしてくれる、と。
人間たちは震え上がり、村へ逃げ帰った。
それから毎年、村から美しい乙女が竜に捧げられている。
今年もその日が来た。
男たちが担く輿の上、薄絹の帳の中に座り、生贄の乙女は運ばれていた。
山も八合目まで来たところで、男たちは輿を降ろす。輿の乙女を見やるが、みな何も言えず、力なく山道を下りていく。
しばらくして、乙女以外の人の気配はなくなった。
生贄の乙女――十五歳の乙女はゆっくりと帳の合わせ目を開き、紗を幾重にも重ねた上質な衣の裾を少し持ち上げて輿を下りる。繊細な細工の金の髪留めでまとめた黒髪が、背中で揺れて艶やかに光る。
帳越しに見えていたのと変わらない、丈の短い草が生えた、岩や小石の転がった硬そうな大地だった。
乙女が辺りの観察を終える前に、地面に大きな影が現れた。
影は次第に大きく濃くなり、ついにその主が乙女の前に着地した。同時に風が巻き起こり、砂埃が吹きつけてきて乙女は思わず目を閉じた。
風が収まり、乙女はそっと目を開ける。
視界に、赤い鱗で覆われた太く大きな前足があった。鋭い鉤爪に一瞬目を奪われてから、ゆっくりと見上げてみる。
成人した男三人分くらいの背丈の、巨大な竜がそこにいた。
全身は硬そうな赤い鱗に覆われていて、大きな顎から鋭い牙がはみ出している。背中には大きな蝙蝠のような翼があり、体温が高いのか、そばにいるだけで熱が伝わってくる。
乙女は臆さず、竜に一歩近づいた。
「あなたが悪名高き竜ですか」
「人間たちはそう呼んでいるようだな」
竜の声は地響きを伴った。乙女は一瞬身をすくめたが、すぐまた眼前の竜を見上げる。
「ほう、大した度胸だ。私が恐ろしくはないのか、娘よ」
軽く息を吐くだけで、竜の口の端から小さな炎が上がる。
「あなたは強大な竜です。それは誰が疑うことでもありません」
ふっと乙女は息を吐いて、ゆっくりと深呼吸する。
「ただ私は、大きくて牙と爪がすごいなーとは思いますが、特に怖いとは思いません」
「ほう」
「私はただ、あなたに物申すために生贄に名乗り出たのです」
「ほう?」
竜は興味をひかれたようで、わずかに目を細める。
「おかしな娘だ。して、なにを言うために来た」
「もの申すというのはいささか誤解を招く表現だったことをまずお詫び申し上げます」
乙女はぺこりと頭を下げる。
「私はこの生贄制度について聞いてみたいことがあったのです」
竜は腹這いに座り、無言で乙女に続きを促す。乙女はこほんと咳払いをしてから、同じ目線まで下げられた竜の目を正面から見る。
乙女の背筋は美しく伸び、立ち姿は堂々としていた。
「ずっと疑問でした。まず、なぜ生贄は見目麗しいうら若き乙女に限るのかと。私は生贄になるための容姿を手に入れるのに、それはそれは涙ぐましい努力をする羽目になりました」
艶やかな黒髪、なめらかで透き通るような白い肌。顔立ちは端正で、その身体はほどよく引き締まりながらも女性らしい。
乙女は誰がどう見ても、竜の要求した見目麗しいうら若き乙女だった。
「酔狂な娘だな。戯言のやりとりをしたとして、最後は喰われるというのにか」
「そう、そこです!」
乙女は胸の前で、びしりと人差し指を立てた。
「年頃の娘というのは、そこまで肉付きがいいわけでもないでしょう。身体の大きなあなたからしたら、骨だらけの魚のようなものだと思います。食べるためなら、肥え太った人間や肉付きのいい大男の方がいいではないですか」
竜は長いため息をつく。人間で例えれば、呆れて言葉を失ったような仕草だろうか。
「娘よ、知っているか。男は筋張っているし、ただの肥満では肉の質がよくない。脂肪だらけで不味そうではないか。かといって子供では、肉は柔らかいがあまりにも腹にたまらぬ。わかるか?」
「そういう風に言われますと……そうなのかも、しれませんね」
私は人間を食べたことがありませんからと、人を食ったようにも取られかねない態度で乙女は返す。
「その点、年頃の娘は肉もほどほどに柔らかく腹持ちもする。人間が見た目のいい食糧を好むように、私もどうせなら麗しい娘の方がよいのだ」
竜の呼吸とともに小さく炎が噴き出す。衣の裾に小さな火が移った。乙女はさして表情も変えず、冷静に裾をはたいて消火した。
「悪いな」
「いえ、お気になさらず。そういう理屈があったのですか。しかし、一年に一度では、結局お腹はもたないのではないですか」
竜は首をゆっくりと振る。風圧で乙女は後ろに転びそうになった。
「この山の麓には、お前の村を含め六つの集落があるだろう。時期をずらして娘を差し出させているし、竜というのはそこまで頻繁な食事を必要としないのだ」
「あんなに遠い集落からもというのですか。古くからの約束で生贄を差し出しているのは私の村だけだと思っていたのに、なんて欲張りな」
「悪竜とはそういうものだ」
竜は目を眇め、鋭い視線で射抜くように乙女を見やる。
しかし、乙女も負けていない。竜から視線を外さず、逆に挑むような目をしている。
「そもそも、そんな頻度で“見目麗しいうら若き乙女”を差し出していたら、村から美人がいなくなってしまいます。子を産み育てる女も」
どうだと言わんばかりに、乙女は両手を腰に当てた。しかし竜は、ふん、と鼻を鳴らしただけだった。
「人間はすぐ増える。女が少ないなら少ないならで、お前たちは生む子供の数を増やすだろう」
「それではあぶれる男たちが哀れです」
「男は適度に減るだろう? 今でさえ、無謀にも私に挑む者が少なからずいるのだから」
ごうっ!
竜は頭を上げ、乙女が乗ってきた輿の近くの茂みに炎を吐いた。
熱風から顔をかばった乙女がそちらを見やると、燃え尽きた茂みの穴から、数人の武装した男たちが逃げていくのが見えた。
「懲りぬやつらよ」
そしてまた、目線を乙女に合わせて下げた。
「……それでは、勇敢で屈強な男と麗しの乙女という、上等なものから死に行くではありませんか」
「知らぬ。数が減れば別の土地に移るまでだ」
口の端から小さな炎を出しながら、竜は傲然と言い放つ。
「ところで娘よ、思い出せ。お前が言うほど、村から麗しき女は減っているのか?」
乙女は虚を突かれたような顔をした。頭で考えていただけで、今まであまり気にせずに生活していたことに思い至ったのだ。
「もういい。種明かしをしてやろう。よく聞け、娘よ」
「私は生贄の娘など喰らったことはないのだ」
数拍、沈黙が訪れた。
「では、生贄は……?」
「それぞれの集落に帰した。別のところに行った娘もいるが」
「帰ってきた人がいた覚えがありませんが……」
「麓の村々には忘却の魔法をかけてある。村人はおろか、本人も覚えていないだろう」
乙女は顎に手をやり、今までの生贄の乙女たちのことを思い出そうとする。しかしその記憶はひどく曖昧で、はっきりとした像を結ばない。
「別のところに行った、というのは?」
「本人が望んだのだ。ちょうど今のように話していた時にな。その上で魔法をかけた」
「なぜいつもそんなことを?」
「面倒だが、ここに棲む限り仕方がない。我が棲家の近くを鬱陶しくうろつかれるのと比べれば、この程度の煩わしさはまあ我慢してやる」
「もう生贄などいらない、と伝えればいいのでは?」
「そうしたこともあるが、山が騒がしくなっただけだった。ただ人間を喰わぬというだけで、甘く見られたものだ。思い出すだけでも腹立たしいことよ」
乙女は、自分がじわりと汗をかいていることに気がついた。竜の苛立ちで、その巨体の体温もろとも周囲の気温が上がったようだ。
「少し話しすぎたな」
竜は乙女の目線に合わせていた頭を上げた。ああ、本当に大きいなと、乙女は一緒になって顔を上げた。
「さて娘よ、もういいだろう。家に帰るのだ。別の土地に行きたいのなら、今のうちに言え」
「いえ。私、帰りません」
「な?」
赤き竜は、その威容に似合わない間の抜けた声を出した。
「お話ししていて思ったんですが、あなたといるのはおもしろそうです。人里に戻らずに、あなたと暮らすのって、けっこう楽しそうじゃないですか?」
「お前は一体、何を言っているのだ……?」
竜はわずかにうろたえていた。目の前の小さな人間の娘を、まるで正体不明の生き物であるかのように見ている。
「裏も何もなく、言葉のまま受け取ってくだされば」
乙女は微笑みながらけろりと言う。
「あ、日々の生活のことでしたらご心配なく。私は狩りも山歩きもそこそこできますし、このあたりは川も温泉もありますよね。時々毛皮などを売りに下りれば、お金も人間の品々も手に入るわけですし、ご迷惑をおかけすることはほとんどないと思います」
村々の名産品を売り歩くという手もありますよね!
これは妙案と、乙女はきらきらとした笑顔でぱんっと小気味よく手を合わせる。
竜はしばし細めた目で乙女を見つめた後、
「私が魔法をかけて送り返せば、お前は今のことを忘れる」
いつもの手順で乙女を追い返そうと、魔法を展開し始めた。しかし、乙女は、
「なら、私は何度でも生贄としてここに来るでしょう」
ちょっと隣の家に行ってきます。くらいの気軽さで、恐ろしいことを口にした。
竜は戦慄した。
「もともとあなたに聞きたいことがあって美容や肉付きなどに気を配ってきたのですから、生贄に選ばれるなど容易いことです。しつこいのは私の性分ですから、忘れた程度ではきっとあきらめません。断言します」
竜はうんざりしたように頭を垂れ、深い、深いため息をついた。その風で衣がバタバタとはためき、乙女はよろけてたたらを踏んだ。
「本当に、三度もやってきたのはお前くらいのものだ」
あるところに山があり、麓には人間たちの村があった。
山の頂には赤き竜が棲んでいた。
大きく鋭い爪で大地を引き裂き、その牙で大型の魔獣の肉を食いちぎり、背中の大きな翼で空を飛びながら、鉄をも溶かすような炎を吐く。
恐ろしい力を持つ竜は、麓の村々にその名を広く知らしめていた。
人間は、この竜を打ち滅ぼすために幾度となく討伐隊を出した。しかし竜の硬い鱗に阻まれて、ついに一度も手傷すら負わせることもできず、毎度赤子をあやすかのようにあしらわれるだけであった。
竜はあるとき、やってきた人間たちに提案をした。
もう人間の相手をするのは面倒だから、この竜の棲家には立ち入るな。そうすれば人間など構いもしないという、譲歩のようなものだった。
竜は戸惑う人間にそれを飲ませ、さらに条件を付けた。
人間が山に登るのを許す代わりに、時々山から巫女を遣わす。その巫女を適当にもてなせば、竜の棲家近く以外ならば自由に山に入ればいい、と。
人間たちは怪訝に思い、首をかしげながらも村に帰った。
それからは時々、竜の遣いとして美しい巫女が珍しい毛皮や肉、麓の村々の名産品を携えて人里に現れるようになった。
村人の何人かは巫女に見覚えがあるような気がしたが、その記憶は靄がかかったようにおぼろげで、誰も巫女の正体を知ることはできなかった。
巫女が没する頃には、竜と人間との関係は、つかず離れずのずいぶんと穏やかなものになったという。
2014.11.2投稿
連載版はこちら
紅き竜と変わり者娘 〜ふたりが出会ってからのこと〜(完結済)
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