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ルピアと死神の騎士  作者: 工藤 湧
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その7 夢で囁く者

 事件の明くる朝、幼子は分厚い木の扉の前へやって来た。生まれ育った我が家の居間。一昨日の夜まで家族と団欒した部屋の前に。震える小さな手で扉を開き、中へ入ると室内は異様に暗かった。全ての窓のカーテンが閉められていたのだ。戸の隙間から差し込んだ光が、内部を仄かに照らし出した。

 覚束ない足取りで幼子は奥へ向かった。一歩、二歩と。しかし三歩目は踏み出せなかった。足が竦んで動けなくなり、その場に蹲ってしまったのだ。大粒の涙が頬を伝い、幼子は火がついたように泣き出した。今まで堪えてきた悲しみを一気に吹き出すかのように。

 居間には上品な薄緑色の絨毯が敷き詰められていた。だがそこかしこが別の色に染まっていたのだ。どす黒い赤茶色に……。


「!……」

 ベッドに横たわる男は意識を取り戻し、ハッと目を見開いた。

『あ、気が付きました?』

 ルピアは嬉しそうに尾羽を上下に振った。男はここ――ホーガニー宅の屋根部屋へ担ぎ込まれてから二時間ばかり、昏々と眠り続けていたのだ。ベッドの柱に留まり、ルピアはずっと男を見守っていたのである。

「夢、か……」

『凄い汗ですね。何かうなされていましたけど……悪い夢だったんですか?』

「い、いや……。ここは何処だ……? 私は一体……」

 男はベッドから半身を起こし、辺りを見渡した。一つだけある窓の戸はきっちり閉じられ、暗い室内には魔術の灯が灯されている。が、後ろを見ようと腰を捻った瞬間、男は身体をふらつかせ、肘をついてしまった。

『未だ薬が効いているんですよ。マイアムへ入る際、衛兵と一悶着起こして、二の腕を傷付けられたんでしょう? ここの衛兵は剣に痺れ薬を塗っているんです。あ、申し遅れましたが、私はルピアと申します。魔術師に作り出された召使い鳥です』

 自己紹介を済ますとルピアは床にある出入口まで飛んで行き、嘴で扉を二、三回つついた。扉が押し上がり、ホーガニーが一礼して屋根裏部屋へ入ってきた。

「お初にお目にかかります、アルドモンド卿。儂はブラス男爵の相談役を務める魔術師、ホーガニーという者ですじゃ」

 貴族の相談役と聞き、男――アルドモンド卿の眉尻がピクリと動いた。だが逃げる素振りも、凶行に及ぶ気配も見せない。潔く覚悟を決めたようだ。これを見てまずいと思ったのか、相手の警戒心を解こうと、ホーガニーは首をぶんぶん横へ振った。

「いやいや、御心配は無用。通報してはおりません。その……カレンとの約束でして。あなた様がマイアムへ来たら、協力して欲しいと」

「叔母上との……? あなたは叔母上を御存じなのですか?」

「知っているも何も……。あの……儂はカレンの元亭主で御座います」

 ホーガニーははにかんで白い眉尻を下げた。離婚している都合上、カレンとの関係を打ち明けることに対し、少なからぬ抵抗があるようだ。だがアルドモンド卿は大層驚いたようで、床から出ると片膝をつき、ホーガニーへ向かって深々と頭を下げた。

「叔父上とは存じ上げず、大変失礼いたしました。更に危ないところを助けて頂き、感謝の言葉も御座いません」

「あ、どうぞ楽になさって下さい。カレンとは二十年以上前に別れたので、今はただのじじいですじゃ。それにあなた様をここへお連れしたのは、このルピアとジェスタです」

「ジェスタ……。ジェスタがここにいるのですか!」

「はい。おーい、ジェスタ。アルドモンド卿がお目覚めじゃ。ご挨拶せい」

 下の部屋にジェスタはいるはずだが、返事すらしない。アルドモンド卿はベッドに腰を下ろすと、優しい声色で呼びかけた。

「ジェスタ、私は昔のことは気にしていない。頼むからここへ来て顔を見せてくれ」

 アルドモンド卿に促され、ジェスタはようやく屋根裏部屋へ上がってきた。が、まともに顔を合わせられるはずもなく、相手の姿を一目見るなりばっとひれ伏した。

「すいません、卿! 勝手に逃げ出したりして……申し訳ありません!」

「ジェスタ、もういい。もう済んだことだ。顔を上げてくれ」

 恐る恐る面を上げたものの、チラッと見ただけで、ジェスタはアルドモンド卿から目をそらしてしまった。ジェスタへ向けられるアルドモンド卿の眼光は、異様なまでに鋭かったのだ。まるで獲物に狙いを定める鷹のように。

「卿、やっぱり怒っているんじゃ……。目が怖いですよ」

「そうか、すまなかった。お前達が私をここまで運んでくれたと聞いたが……」

 アルドモンド卿の目からは、既にきついものは消えている。それを見て安心したのか、ジェスタは膝をついたまま照れくさそうに語った。

 木箱の山の裏で発見したアルドモンド卿を、ジェスタとルピアはホーガニーの家まで連れて行き、匿うことにした。しかし運んでいる途中で衛兵に見つかっては厄介だ。そこでジェスタはルピアに命じて、アルドモンド卿に幻影の魔術をかけさせた。こうして老婆に見せかけたアルドモンド卿を、ジェスタは背負っていったのだ。

「そうだったのか……。心から礼を言う、ジェスタ、ルピア。ところでジェスタ、あそこにかかっている、私のマントをここまで持ってきてくれないか?」

 アルドモンド卿が示す先、梁には愛用のマントが引っかかっていた。ジェスタは言われるがままにマントをとってくると、アルドモンド卿へ差し出した。

「はい、どうぞ。あの……どうしました?」 

 ジェスタは困惑した表情を見せ、一歩後退した。アルドモンド卿はマントを受け取ろうともせず、ひたすらジェスタを見入るだけなのだ。

 と、突然アルドモンド卿はマントをひったくり、マント留をジェスタの胸へ押し当てた。うわっと腰をつくジェスタ。しかし戸惑いを覚えたのは、ジェスタだけではなかった。

「そんな馬鹿な……。お前ではないのか……。ああ、何と言うことだ! やっと『あやつ』を追い詰めたと思ったのに!」

 拳を一発枕へ叩き込み、アルドモンド卿は一人悔しがった。ジェスタは立ち上がろうともせず、唖然するばかりだ。アルドモンド卿は常に冷静沈着。荒れ狂う竜に立ち向かう時でさえ、顔色一つ変えない――そんな勇姿を目の当たりにしているだけに、ジェスタの驚きも一際だったようだ。アルドモンド卿が取り乱すところなど、初めて目にしたに違いない。

 未だ気がおさまらないのか、アルドモンド卿は壁へ拳を振るおうとした。見るに見かねてホーガニーがその肩に手をかけ、止めに入った。

「アルドモンド卿、一体どうなされました? 『あやつ』とは誰です?」

「こ、これは失礼……。見苦しいところをお見せしてしまいました」

 アルドモンド卿は拳を解き、己の胸へ当てた。何度か胸をさするうちに興奮もおさまったのだろう。アルドモンド卿の目つきは一気に真剣なものとなった。

「これから私が申し上げること、心して聞いて頂きたい。私は先月末、王都で国内を荒らしている怪人、ヴィラ・ハーと出くわしました。その時信じられないことに、ヴィラ・ハーは私の目の前で兜を脱ぎ、素顔を晒したのです。そしてその素顔こそ……」

 一呼吸をおいた後、アルドモンド卿はジェスタへ視線を向けた。

「ジェスタ、見紛う事なきお前の顔だったのだ」

 あまりに衝撃的な発言に、ルピアは時が止まったかのような感覚に襲われた。ホーガニーも完全に固まり、声すら出ない。しかし誰よりもショックを受けたのは、当のジェスタだった。半泣き状態でアルドモンド卿の膝に縋り付いてきたのだ。

「わ、わ、わ、卿! 俺はヴィラ・ハーなんかじゃないですよ! 信じて下さい!」

「落ち着け、ジェスタ。誰もお前がヴィラ・ハーとは言っていない」

「でも卿はヴィラ・ハーが俺の顔だって……」

 狼狽えるジェスタの背を叩きながら、アルドモンド卿は瞼を下ろした。

「最初から説明した方が良さそうだな。少々長話になりますが、宜しいでしょうか?」

「勿論ですじゃ。是非ともお聞かせ下さい」

 ホーガニーに続き、ルピアも承知した。これよりアルドモンド卿の口から語られる話は、恐らくヴィラ・ハーの謎に迫る重大なこと。一言たりとも聞き逃すまいとルピアは大きく息を吸い込み、全身に気合いを込めた。

 ジェスタが何とか落ち着いたところで、アルドモンド卿は話し始めた。

「私は師の許を発って以来、ある謎を解くため各地を旅してきました。幼き日より、心の中にずっと抱いていた不可解な謎。それはある事件が原因だったのです……」


 随分昔のことになるが、リーベンゲルに一人のパン職人の男が住んでいた。男は毎日、得意先の商人の屋敷へパンを届けていた。商人の豪邸に来る度、男はしみじみ思った。自分は朝から晩まで働きずくめなのに、暮らしはさして楽にならない。少しでもいいから、この屋敷にある金を手に出来たら、どんなに素晴らしいことか……と。

 そしてある夜、自宅で眠っていた男は不思議な夢を見た。深夜、盗賊装束を纏い、腰に長剣を下げた自分が、青白い裸馬に跨って例の商人邸の前にいたのだ。

 ――さあ、これからこの屋敷に忍び込んで、好きなだけ金を奪ってこよう……。

 夢の中にいる男の心に、奇妙な囁きが響いた。耳の中へ解けて流れ込むような甘美な声。胸の内にじんわりと染みいるような魅惑的な声。そんな声に唆され、男の心はグラリと傾きかけたが、良心が警笛を鳴らした。夜盗など出来るはずがない。人の道に外れた悪事は……。男がそう答えると、再び声がした。

 ――何を言っている。これは夢なんだ。だから何をしてもいいんだよ……。

 そうか……と、男は思い直した。良心の呵責に苦しむようなあくどいことも、夢の中なら何ら問題はない。目覚めてしまえば「ああ、夢だったのか」で済まされるのだ。男は以前から抱いてきた強い願望を叶えるべく、馬に乗って屋敷へ忍び込んだ。

 屋敷の中は驚くほど静かだった。警備兵は皆眠りこけていたのだ。おかげで男は難なく窓から居間へ侵入することが出来た。が、金をかき集めて袋へ詰め込んでいる最中、急に扉が開いてランプの灯が男を照らした。見れば寝間着姿の家主がいるではないか。物音がするので不審に思い、様子を見に来たのである。男は慌てて逃げようとしたが――

 ――顔を見られたぞ。厄介なことにならぬよう、始末しろ!

 またしてもあの声がした。盗みならまだしも、殺人とは惨すぎる。男が拒絶すると、声は苛立ったような叫びへ変わった。

  ――わかっているだろう? これは夢なんだから、何をしてもいいんだよ。殺せ!

 夢なら許される――何をしても。男の最後の理性は吹き飛んだ。腰の得物を引き抜き、青ざめる家主へ切っ先を向けたのだ。胸を貫かれ、家主は血に身を染めて息絶えた。

 しかし惨劇はこれで終わらなかった。男が剣を収めぬうちに、今度は家主の妻がやって来たのだ。躊躇うことなく男は妻にも刃を振り下ろした。さらに異変に気付き、駆けつけた二人の子供までもその手にかけたのである。

 四人を惨殺した男は金袋を担ぐと、青白き馬に跨って屋敷を離れた。自宅へ戻って裏庭の物置に金袋を隠し後、思案した。さて、これからこの金を持って何処へ高飛びしようか、と……。

 ここで男は夢から覚め、現へと戻った。夢とはいえ、殺人を犯したとあっては、気分がいいはずもない。でもあれは全て夢の出来事だったのだ。寝直せばすっきりするだろうと、男は再び布団へ潜り込んだ。

 翌早朝、男は騒々しい音で目が覚めた。扉を蹴破り、数人の衛兵が家に踏み込んできたのだ。驚く男に衛兵は言った。昨夜とある商人の屋敷へ強盗が押入り、家主一家を皆殺しにした。そして屋敷から馬に乗って立ち去る男の姿が目撃されたというのである。

 自分が見た夢と全く同じ事件が現実に起こった……。ショックで青ざめつつも、男は主張した。自分は昨夜、家で熟睡していた。目撃証言だけで犯人にされては堪らないと。ところがその矢先、物置から血塗れの金袋が発見されたのだ。もはや男の話に耳を貸す者はいない。男は強盗殺人の罪で逮捕され、投獄された。

 翌日、獄中で項垂れる男の前に、一人の少年が連れてこられた。殺害された商人の末息子だった。あの夜、偶然にも屋敷にいなかったので難を逃れたのだ。

 男へ注がれる少年の眼差しは冷たい。当然だろう。少年は男に家族を殺されたと思っているのだ。それでも男は牢の格子を掴み、涙ながらに懸命に叫んだ。

 ――坊ちゃん、俺はやっていません! 変な夢を見ただけなんです!

 男はあの夜に起こった全てを少年につぶさに語った。無実を訴える、男の必死の形相……。少年には男が嘘をついているようには見えなかった。第一、嘘をつくのなら夢を見たなどと、突飛な発言をするはずがない。それに毎日美味しいパンを届けてくれた男が、あんな残酷な行いをするとも思えなかったのである。

 残念なことに少年が次に男と会ったのは、事件の二十日後のことだった。場所はリーベンゲルの中央広場、処刑台の前。裁判の結果男は有罪となり、断首刑に処されることとなったのである。男は泣き叫んでもがいたが、強引に処刑台へと上げられた。

 ――違う、俺はやっていない! 無実なんだ! 助けてくれ!

 見物人の中から罵声と一緒に石が男へ向かって投げ付けられた。誰一人として疑わなかったのだ。この男が強盗殺人犯であると。証拠はある、目撃者もいるのだから。

 されど少年は違った。子供の純粋な心は察知していたのだ。何かおかしい。これには何かある――と。そして男の頭上に斧が振り上げられた時、少年は付き添っていた叔母の手を振り解き、走り出した。

 ――止めて! その人、犯人じゃない!

 少年の声は死刑執行人の耳へは届かなかった。少年の顔にピッと赤いものが二、三飛んできて、あれ程騒がしかった処刑台は静まりかえった。

 その場に呆然と立ち尽くし、少年は思った。どうしてこんなことになったのか。あの男がやったのでなければ、一体誰が両親と兄達を殺したのか。この事件の真相とは……。

 そこへ不意に肩を叩かれ、少年は我へ返った。いつの間に品の良さそうな、がっちりとした体格の老人が隣に立っていたのだ。老人は何故処刑を止めようとしたのかと、少年に尋ねた。そこで少年が今までの経緯を話すと、老人はいたく関心を示した。老人は隠居した貴族であり、祖父の代に領内で起きたある事件について少年に話してくれた。

 領内に住む若者が些細なことから近所の者と口論となり、その夜相手の家に放火する夢を見た。が、目を覚ますと、本当にその家が燃えていた。人々の疑いの目は若者へ向けられたが、事件発生時に在宅していたことが証明され、事なきを得たという。

 夢の中の出来事がそっくりそのまま現実となる。こんな信じられないような現象が、実際に起こっているのだ。更に老人はこう付け足した。

 ――若者も夢の中で最初は火を着けることを躊躇った。しかし、心の中に不思議な声が響いたそうだ。これは夢なんだから、家が焼けようと構わないではないか、と。

 夢の中で謎の声が悪事を働けと唆す……パン職人の男と共通する部分だ。少年は確信を得た。似たような話はケルン国内にまだあるに違いない。こうした事件を調べていけば、きっと何かが見えてくるはずだ……と。

 だが謎解きをしようにも、今の貧弱な自分では何一つわからないし、調べられない。頭は勿論、心や身体も鍛えなければ真実は見えてこない――そう感じた少年は、世話をしてくれるという叔母の申し出を断り、老人の許で騎士修行を積むことにした。強くなり、必ずや真相を解き明かしてみせると心に誓って。


 「ある事件」について語り終えたアルドモンド卿は、静かに三人を見渡した。

「もうおわかりでしょう。その少年こそ、二十五年前の私です。そして老貴族こそ、我が師レイン卿その人なのです」

 十年の騎士修行の後、アルドモンド卿はレイン卿の許を去った。そして「謎」の答えを求めて、国内を放浪したのだ。とはいえ、真犯人が何処に潜んでいるのかわからず、調査は内密に行う必要があった。故にアルドモンド卿は、謎解きのことを誰にも打ち明けようとはしなかった。勿論、ジェスタにも。

「成程。卿が方々で熱心に調べていたのは、子供時代からの謎だったんですね」

 ジェスタは胸を撫で下ろした。従卒時代に目撃したアルドモンド卿の不思議な行動。その理由が怪しげなものではないと知ったからだろう。

「それで真相はわかったんですか?」

「わかった。だからこそ私はお前の所へやって来たのだ」

「卿がこの町へ来た目的は、俺だったんですか? でも何で俺がここにいることが……」

 呆気にとられるジェスタに、アルドモンド卿は小さな紙の包みを見せた。

「これはお前の櫛に残っていた髪の毛だ。これを使い、叔母上に探索の魔術で調べて頂いた。気配が薄れていたのでヴィード山脈にいる、ぐらいしかわからなかったが」

 ははん、そういうことだったのね――と、ルピアは納得した。アルドモンド卿がカレンの許を訪れた本当の理由は、ジェスタの居場所を調べてもらうためだったのだ。アルドモンド卿がマイアムへ来たら……などとカレンが言っていたことも、これで頷ける。

「田舎暮らしに飽きていたお前のことだから、山村で慎ましく暮らしているとは思えなかった。故にマイアムにいるであろうと推察出来たのだ」

『流石はアルドモンド卿、旦那の性格をよく御存じ――』

 いきなり身体を後ろへ引っ張られ、ルピアは慌てて笑いを飲み込んだ。ジェスタが尾羽を掴み、睨みをきかせている。これ以上余計なことを喋ったら、羽を抜かれかねない。

 アルドモンド卿は各地を転々としながら、同様の事件の有無について調べて回った。昔話、伝説、民話、故事……。可能な限り文献にも目を通した。結果、国内で類似した話が数話あることが判明したのだ。夢の中で悪事を唆す声が聞こえ、その悪夢が現実となるという話が。

 しかし各話に共通する部分は、他にもあった。夢の中に当人が現れる際、必ずといっていいほど裸馬に乗っているのだ。青白い燐光を発する不気味な馬に。青白く光る馬など、自然界には存在しない。どう考えても魔物の類だ。この馬が一連の事件の鍵を握っているのではないかと、アルドモンド卿は疑念を抱いたのである。

 だが、ここまでがアルドモンド卿の調査の限界だった。ケルン一の蔵書量を誇る王立図書館まで足を運んでも、青白き馬について記した文献は見当たらなかった。ただ、かの馬に関する知識を持っていそうな人物の情報は得られた。隣国のメサ神聖国には、魔物や超常現象に造詣が深い大賢者が住んでいるというのである。

 アルドモンド卿は大賢者に会うため、昨年の春メサ神聖国へ渡った。ところが大賢者の捜索は困難を極めた。メサ国民は大賢者の所在はおろか、その存在すらろくに知らなかったのだ。様々な噂を元に居場所を突き止めた時には、一年以上の歳月が経過していた。

 大賢者の住まいはメサ神聖国の西の果て、険しい岩山にあった。そこの洞窟で大賢者は人目を避け、隠者のような生活をしていたのだ。アルドモンド卿が洞窟を訪れると、腰は曲り、髭は地に着くほど長い老人がよたよたと出てきた。百数十年の齢を重ねているという噂は真のようだったが、目だけは老人のものとは思えぬほど強い輝きを放っていた。

 大賢者は久方ぶりの客人を快く迎え入れ、洞窟内で話を一通り聞くとこう答えた。

 ――あなたがおっしゃっている馬は、ナイトスタリオンに相違御座いませんな……。

 ナイトスタリオン――アルドモンド卿にとって、それは初めて聞く名だった。されどナイトメアなら耳にしたことがある。ナイトメアとは夢の世界に住む、漆黒の雌馬の姿をした魔物だ。夢の中に現れ、悪夢をもたらして人を苦しめるという。

 大賢者曰く、ナイトスタリオンはナイトメアの上位種で、親玉のような存在だという。その姿は見事なまでに逞しい雄馬で、全身青白い燐光に包まれ、目は血のような深紅だ。

 ナイトスタリオンの姿形は、体色を除けば下位種と大差はない。が、その能力は雲泥の差。ナイトメアは夢の世界にのみ出現するが、ナイトスタリオンは現の世界でも実体化出来るのだ。つまり、現実世界に直接影響を及ぼすことが出来るのである。

 ナイトメアもナイトスタリオンも、人の持つ強い思念――願望や邪念に惹かれる。ナイトメアの場合、その人間を悪夢で苦しませてお終い。対するナイトスタリオンは取り憑いた人間――犠牲者に恐るべき罠を仕掛ける。「現実」を「夢」として見させるのだ。

 その手口はこうだ。深夜、現実の世界へ実体化したナイトスタリオンは、寝入っている人間に憑依する。そして犠牲者の思念を元に、本人そっくりの「人形」を作り上げ、体外へ出て再度実体化。人形を己の背に乗せるのだ。人形はナイトスタリオンの傀儡ではなく、己の意思がある。人形の意思は就寝中の犠牲者の意思と繋がっており、犠牲者はあたかも分身の如く、人形を無意識のうちに操作出来るのである。ただし、この人形は犠牲者が眠っている間でしか作れない。犠牲者が目覚めた途端、人形は消滅してしまう。

 何も知らない犠牲者は、不思議な夢を見る。自分が青白き馬に乗り、悪事を働こうとする夢を。しかし、犠牲者の多くは悪事は良くないと躊躇する。そこへ跨っている馬――ナイトスタリオンが人形の意思へ囁くのだ。これは夢だから、何をしてもいいのだと。

 こう言われれば、大抵の者はその気になる。憎いこいつを殺したかった。金が欲しくてたまらなかった……。普段は理性の鎖に縛られている欲望を解放させ、心赴くままに悪行に手を染める。無論犠牲者はこの間、ベッドの中。現実の世界で行動したのは人形だ。

 一暴れしたナイトスタリオンは人形を消し、夢の世界へと戻って行く。残された犠牲者は哀れである。濡れ衣を着せられ、悲惨な思いを味わうだけだ。

 この後、ナイトスタリオンは若干のインターバル――ほとぼりが冷めるまでとも言うが――をおき、再び新たな犠牲者を求め、現実の世界へ出現するという。こうしてナイトスタリオンは人の世に幾つもの悲劇をもたらしてきたのだ。

 ――で、では……。あのパン職人も……。

 ――左様。金欲しさからナイトスタリオンを招き寄せ、憑依された犠牲者です。悪事を働けば、実行犯である人の方へ目が向けられます。馬が黒幕とは誰も思いますまい……。

 この盲点のおかげで、ナイトスタリオンの存在は長年明るみに出ることはなかった。百年以上生きている大賢者ですら、ナイトスタリオンのことを知ったのは、ほんの数ヶ月前のことだったのだ。夢の中でナイトメアを束縛し、詰問して情報を得たのだという。

 アルドモンド卿は事件の真犯人を知り、打ち震えた。必ずやナイトスタリオンを倒し、家族や気の毒なパン職人の仇をとらねばなるまい。更なる悲劇を生み出さないためにも。だが相手は魔物、如何なる手段で仕留めればいいのか。その方法も大賢者は心得ていた。

 ナイトスタリオンは人間界を徘徊する魔物など足元へも寄りつけない、恐ろしい化け物だ。多種多様の強力な魔法を駆使してくるので、人間では到底太刀打ち出来ない。真正面からぶつかろうものなら、剣を抜く前に攻撃魔法をくらい、一巻の終わりである。

 けれどもナイトスタリオンにも弱点はある。陽光だ。陽光を浴びると魔力が奪われ、体力も極端に落ちて普通の馬に成り下がってしまう。とはいえ、ナイトスタリオンも馬鹿ではない。日中は夢の世界に留まり、決して現実の世界へ出てくることはない。ナイトスタリオンが夜に人形を伴って現れるのは、犠牲者が就寝中ということもあるが、陽光の脅威に怯えずにすむからなのだ。

 アルドモンド卿は激しく落胆した。ナイトスタリオンはいつ現実の世界へ現れるかわからない。出現したとしても一夜限り、相対することが出来るかどうか……。

 すると大賢者は言った。ケルンでは昨年から、同じ人形を伴ったナイトスタリオンが断続的に出現していると。これはナイトスタリオンが、同じ犠牲者を長く利用している証拠だ。その犠牲者を割り出せば、おのずと敵と対決出来る……。

 しかし首尾よく犠牲者を発見出来たとしても、問題はまだ残っていた。如何に強力な魔物とはいえ、短期間に夢の世界と現実の世界を何度も往復することはしんどい。よって敵は日中、犠牲者の身体に潜んでいるものと思われる。つまり、昼に潜伏先より追い出さねばならないのだ。日の出ている時に対決しなければ、人間に勝ち目はないのだから。

 では、どうすれば敵を白日の下へ晒せるのか。犠牲者を殺害するのが一番手っ取り早い方法だが、こんな乱暴で惨い振る舞い、アルドモンド卿に出来る道理がない。

 大賢者はアルドモンド卿のマント留を指差し、言った。この石――群青石を用いればよいと。群青石は悪夢を防ぐ守りになる。理由は不明だが、ナイトメアは群青石を酷く嫌い、近寄ることすら出来ない。この点は上位種であるナイトスタリオンも同じだ。犠牲者の身体に群青石を押し当てれば、潜む魔物を引きずり出すことが出来るのである。

 もっとも敵も己の弱点はよく心している。群青石を持った者が近寄れば、犠牲者の心に働きかけるだろう。犠牲者は理解不能な感情に駆られ、逃げだそうとするに違いない。自分が魔物に取り憑かれているなど、露程も知らないのだから。

 ――お気をつけて。ナイトスタリオンと夜間戦おうとは、努々思ってはなりません。

 大賢者の忠告を心に刻みつけ、アルドモンド卿はメサ神聖国より帰国した。そして物議を醸しているナイトスタリオンと、その人形の情報を密かに集めて回ったのだ。

「ヴィラ・ハーと名乗る『死神の騎士』は、ナイトスタリオンが犠牲者の思念を元に作り出した人形に過ぎません。スルシスこそ、全ての事件の黒幕だったのです」

「ううむ、迂闊でしたな。我々は完全に勘違いをしておりました。魔性の存在はヴィラ・ハーであり、スルシスは単なる乗馬でしかないと。スルシスは黙ってヴィラ・ハーの指示に従っているようにしか見えなかったのですから。しかしこれで全てつじつまが合います」

 ホーガニーは額を指でかきつつ、今までに起こった事件の経緯と、それに纏わる数々の謎についてアルドモンド卿に説明した。

 ヴィラ・ハーは常に夜、しかも午後九時以降にしか現れない。これはナイトスタリオンの特質からすれば当然のことだし、犠牲者が熟睡しないと人形が作れないためでもある。

 ブラス男爵邸での攻防戦の謎も解けた。ナイトスタリオンが作り出した物とは言え、人形には実体がある。魔力の矢が刺さればダメージも受けるのだ。

 問題はその後である。人形に矢が命中するという衝撃的な出来ことを、就寝中の犠牲者も感知しているはずだ。その際のショックで犠牲者が目を覚ます危険性は高い。焦ったナイトスタリオンは、人形に湖へ逃げろと指示を出した。この状態で人形が消えれば矢だけ残り、怪しまれる。ヴィラ・ハーは幽霊か何かの類ではないかと。結果、自分へ疑惑が向けられる恐れが出てくるのだ。

 ヴィラ・ハーへ迫ろうとするブラス男爵にナイトスタリオンは襲いかかり、人形が逃げる時間を稼いだ。そして人形が湖へ落ちた後、自分も飛び込んで姿を眩ましたのだ。墜落した衝撃で犠牲者は覚醒、人形は消滅して矢のみが湖に残った。この矢を用いてホーガニーが探索の魔術をかけても、人形は既に消えているのだから、反応がないのも当然だろう。

 されど人形も所詮は作り物。傷付いても、次の夜にまた作り直せばよい。かくしてヴィラ・ハーは無傷の状態で復活、再びヴァドラー大公の前へ姿を現わしたのである。

 ヴィラ・ハーの魔術も、ナイトスタリオンの魔力が源なのだろう。ナイトスタリオンが己の魔力を付与したからこそ、ヴィラ・ハーは呪文を唱えずして魔術を行使出来たのだ。

「しかし、儂等でさえ骨の折れる瞬間移動の魔術を、こうも易々とやってのけるとは……。スルシスの魔力はまこと恐ろしいものですじゃ」

「御心配には及びません。犠牲者を発見出来れば、勝算は十分にあります」

 アルドモンド卿は力強く胸を張った。アルドモンド卿は数々の魔物を倒してきた歴戦の勇士。敵を陽の下へさらすことに成功すれば、勝ったも同然なのだ。

「それで卿はヴィラ・ハーの顔が俺の顔だったんで、俺がその犠牲者じゃないかと……」

 ジェスタがそろそろと口を挟むと、アルドモンド卿はこくりと頷いた。

「そう言うことだ。しかし結果は見ての通りだ。お前は私をここまで運んだばかりか、私のマントも平然と持ってきた。念のため群青石を押しつけてはみたが……」

 アルドモンド卿の推理は完全に空振りに終わった。ジェスタはナイトスタリオンの犠牲者ではなかったのだ。アルドモンド卿が我を失い、取り乱すのも無理はなかった。

「一刻も早く犠牲者を発見しなければ、被害は拡大する一方です。何処にいるのか……」

「ヴィラ・ハーの目的が読めれば、犠牲者を見つけ出す手掛かりとなりましょう。人形の行動は、犠牲者の願いや欲望を具現化したものなのですから」

 そう断言したものの、ホーガニーにもヴィラ・ハーの目的はわからない。つい一月程前までは民を苦しめる悪人を狩る「正義の味方」であったのが、急に悪の手先へと化している。何を考えているのか、皆目見当もつかない。

『ねえ……まさか旦那には、双子の兄弟なんていませんよね?』

 念のため……と、思ってルピアが尋ねると、ジェスタは目を三角にして息巻いた。

「馬鹿言え、いる訳ないだろう! 俺の兄弟はレイだけだ!」

『じゃあ、どうしてヴィラ・ハーは旦那の顔をしていたんですか?』

「知るか、そんなこと! ヴィラ・ハーに訊いてみろ! 俺だって凄い迷惑しているんだぞ。こんなことが世間にばれてみろ。俺は打ち首――」

 顔を真っ赤にさせて憤るジェスタ。そこへ――

「何やってんだい、この子は!」

 木製戸を突き抜け、屋外から年配女性の怒鳴り声が飛び込んできたのだ。ジェスタが窓を開けると、ルピアは窓枠まで飛んで行き、一緒に顔を出した。屋根裏部屋の窓は家の裏側に面している。声は裏隣の家から聞こえてきたのである。

 隣家の庭にはその家の七歳になる息子と母親がいた。母親は自宅の壁の前で、息子を猛烈な勢いで叱りつけていたのだ。

「あーあ、白い壁にこんなもの描いて……。男爵様にお叱りを受けるじゃないの! とっとと消しなさい! 綺麗に消すまで中には入れないからね!」

 子供が泣きべそをかいて謝っても、母親は許す気は毛頭ないようだ。布と水が入ったバケツを強引に子供に押しつけ、さっさと家の中へ姿を消してしまった。

『あら、また隣の悪戯坊主が何かしでかしたわね。今度は壁に落書きよ。それにしても下手くそな絵。あれって騎士のつもりかしら?』

 確かに隣家の白壁には滑稽な絵が――馬に乗る人と思しき落書きがあった。しかしルピアが嘲笑しても、ジェスタは笑い声一つ漏らさない。瞬きもせず、絵を凝視するだけで。心配になったルピアが声をかけようとした時、ジェスタの身体が戦慄き出した。

「ルピア……俺、前に言ったよな。ヴィラ・ハーの名前初めて聞いた時、全然違和感がなかったって。そりゃそうだよな。俺、ずっと以前にその名、聞いたことがあったんだ……」

『それ本当ですか? でもいつ何処で聞いたんです?』

「俺の故郷でだ。あれは六年前、レイが事故に遭う直前のことだ……」

 畑仕事を終えて帰宅したジェスタは、家の裏手にレイの姿を見付けた。ジェスタが側まで行ってみると、レイは切り株に座ったまま手にした棒切れで、嬉しそうに足下の地面を差した。そこにはレイが棒切れで描いた騎士の絵があった。

 ――また騎士の絵を描いていたのか。お前、本当に騎士が好きなんだな。

 ――うん! 僕大きくなったら、絶対に騎士になるから!

 ――ハハハ。そうしたらもうレイ何て呼べないな。騎士ならレイ卿って呼ばないと。

 ――違うよ、兄ちゃん。僕、騎士になったらレイなんて名前にしない。格好悪いもん。

 ――ほー、違う名を名乗るのか。なら、何て名前にするんだ?

 するとレイは切り株の上に立ち、ジェスタの耳元へ口を近付けた。

 ――じゃあ、兄ちゃんだけに教えてあげる。お父さんやお母さんにも内緒だよ。

 そしてレイは囁いた。自分が騎士になった時に名乗ろうと思っている名前を。

「その名前がヴィラ・ハーだったんだ……」

『え……。ってことはもしかして……』

「そうだ。ナイトスタリオンに取り憑かれたのはレイだ。レイは自分が憧れる理想の騎士の名、ヴィラ・ハーというその名前を人形に付したんだ――間違いなく……」

 ジェスタの身体の震えは止まる気配はない。それどころか酷くなる一方だ。とうとう立っていられなくなり、ジェスタはがっくりと膝をついた。そして頭を抱え、嗚咽し始めたのだ――狂ったように。

「俺のせいだ! 俺がレイとの約束を……約束を果たさなかったから、レイはあんな化け物を招き寄せたんだ! 俺は……俺はどうすれば……!」

 激しい自責の念に打ちのめされ、のたうち回るジェスタ。主のあまりに悲しげな姿に、ルピアは慰めの言葉すらかけられなかった。

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