その6 再会
『そ、それって、つまり……。ヴィラ・ハー様はアルドモンド卿って……こと……?』
ルピアはホーガニーを見上げたまま、声を震わせた。
「ま、ま、とにかく、詳しい話は中でしよう。ここは暑いし、人に聞かれてはまずい」
ホーガニーはルピアを寝室へ連れて行った。簡易の防音魔術を施してあるので、ジェスタが帰宅しても盗聴される恐れがないからだ。
愛用の安楽椅子に座り、汗を拭うと、ホーガニーはことの詳細を語った。
八月三十日の夜。炎上するファーラン公爵邸に背を向け、ヴィラ・ハーは鐘突棟のバルコニーからスルシスに乗ったまま、路上へ飛び降りた。そこへファーラン公爵の護衛が駆け付け、斬りかかろうとするも一歩及ばず、目前でヴィラ・ハーは忽然と消え失せた――
『瞬間移動の魔術で逃げたのね。でもさっき、袋小路に追い詰めたって……』
「護衛が右往左往していると、馬の嘶きが聞こえたそうじゃ。しかも異様に大きな声で二度三度と。スルシスのものに間違いなかった」
嘶き声から護衛は、ヴィラ・ハーの居場所を教会横の袋小路と割り出した。袋小路といっても教会が馬車の停め置き場として使用していた場所なので、馬車数台が停められる広さがあった。
が、袋小路へ雪崩れ込んだ護衛が発見したのは、ヴィラ・ハーではなかった。馬車の前で立ち尽くす旅装束姿の男だったのだ。護衛の目は男の腰に釘付けになった。左右の腰にはそれぞれ大振りの三日月刀が下がっていたのである。
『その装備を見て護衛は、男がアルドモンド卿だってわかったのね』
「そうじゃ。護衛の中にはアルドモンド卿の顔を知っている者もおった。公爵邸を包む炎の明かりで、はっきり顔が確認出来たとか」
『アルドモンド卿は護衛に捕まったの?』
「いやいや、そこであっさり捕まるアルドモンド卿ではない。護衛に得意の当て身をくらわせて、鮮やかにその場から逃げ去ったそうじゃ」
ルピアはホッと息をついた。アルドモンド卿が逮捕されていないと知って安心したのは勿論、やはり彼がヴィラ・ハーではないという確信も持てたからだ。
『やっぱりアルドモンド卿は絶対にヴィラ・ハー様じゃないわよ。ヴィラ・ハー様は護衛を気絶させるような手ぬるい真似はしないわ。行く手を阻む者は容赦なく叩き斬るはずよ。それでアルドモンド卿はその後どうなったの?』
「アルドモンド卿は未だ行方不明じゃ。王都では警邏を強化すると同時に、町を出る者に対し、厳重な取り調べを課しているそうじゃが、何せヴィラ・ハーは瞬間移動能力の持主。いつ何処に現れるかわからん。故に一層の警戒をせよと国王のお達しじゃ」
『この袋小路での事件って、もう王都中に知れ渡っているのかしら?』
「多分。王都の住民は耳敏い。もうみんな知っているんじゃないかのう」
『なら、カレンも当然知っているわよね。カレンが四日前、私達に話したがらなかったことって、もしかしてこれじゃない?』
ルピアの指摘にホーガニーはポンと手を打った。
「なーるほど。お前さんが言うように、カレンがアルドモンド卿のファンなら、隠そうとするのも納得が行く。アルドモンド卿に関する悪い話は、人に知られたくはないからのう」
『うーん、そうかしら?』
「と、言うと?」
『アルドモンド卿のファンだからって理由で、隠すかってこと。私もヴィラ・ハー様のファンだからわかるけど、その人の噂は善し悪しに拘わらず知りたいし、他人に話したくなるものなのよ。それがファン心理だから。カレンがうちの旦那の過去――アルドモンド卿の従卒だったってことを知っていれば、気を遣って黙っていたとも考えられるけど……。あんたはカレンに旦那を紹介すらしていないじゃないの』
「つまり、カレンは他に理由があるから隠した……と、お前さんは言いたいのじゃな?」
『その通り。あとは直接カレンに訊くしかないわね』
と、言ってルピアはホーガニーの顔をまじまじと見詰めた。
「……やっぱり儂が訊くのかのう、カレンに」
ホーガニーは明らかに尻込みしている。機嫌を損ねたカレンがドカーンと大爆発するのでは……と、思うと気が気でないようだ。
『当然でしょう。私の声はカレンには届かないんだから』
「別に無理矢理聞き出さなくても……」
『訊きなさい! アルドモンド卿のことは、少しでも情報を集めておきたいのよ。それが旦那のためでもあるんだから! それともまた円形禿を拵えたいの?』
嘴をカチカチ鳴らして脅すルピアに、ホーガニーは消え入るような声で言った。
「お前さんはカレンよりおっかない奴じゃ……。わかった、やろう。ただし今はまずい。カレンも営業中は連絡用の水晶球の側には近付けないからのう。今夜にでも……」
『必ずよ。いいわね』
ホーガニーにきつい一瞥をくれてルピアは寝室を出た。玄関で物音がしたのだ。行ってみると案の定、買い物袋を手にしたジェスタが、汗だくで玄関に立っていた。
「全く、こんなガキの使いまがいのことやらせやがって。爺さんは戻ってきたのか?」
『はい、先程』
「何か卿のことでわかったことはあったか?」
『ありません。カレンが教えてくれた事件以外は』
ルピアはすました顔で答えると、買い物袋をジェスタから受け取った。袋の中味はロイン亭の蜜菓子、ホーガニーが楽しみに待っている「おやつ」だ。ところが袋をくわえて飛び立った途端、ジェスタの声が追ってきた。
「おい、ルピア。お前、ヴィラ・ハーの名前を初めて聞いた時、どう思った?」
思いがけない質問にルピアは翼を休めて下へおり、ジェスタへ頭を向けた。
『どうって……別に』
「変な名前だって思わなかったか?」
『そう言われてみれば確かに……。ケルンでは耳にしないような名前ですね』
「だろうな。最初にヴィラ・ハーの名を聞いた時、大抵の奴はこう言うだろう。『何だその変ちくりんな名前は! 外国人か?』ってな。実際、酒場でそんなことを叩いている連中を俺は何人も見てきた。でも俺は変だとは思わなかった。何て言うか、そう――」
ジェスタはうーんと唸り、頭をかきむしった。
「全然違和感がなかったんだ。すっと頭の中に入ってきて、ああ、そう言う名前なのかって。ただそれだけだった。他の連中が変だ、おかしな名前だって口々に言っているのを知って、初めて気が付いたんだよな」
『どうして違和感がなかったんですか?』
「わからん、その理由がさっぱり。このことが心に引っかかり出したんだよ、最近妙に」
『あんまり気にしない方がいいですよ。旦那はただでさえ頭の容量が少ないんですから。これ以上変な悩み事を抱えたら、脳みそが破裂します。パチーンって』
ルピアは敢えてきつい嫌みをジェスタにぶつけた。一度頭へ血を上らせ、その勢いで些細な悩みなど吹き飛ばしてやろうという「思いやりの策略」だったのだ。単純な性格の持主であるジェスタは、まんまとこれに引っかかった。
「こっちが真剣に悩んでいるって言うのに……。おらぁ、焼き鳥だ、焼き鳥!」
拳を振り回すジェスタから、ルピアは猛スピードで飛び去っていった。この様子なら心配は無用。直に詰まらない悩みなど忘れてしまうだろう――と、ほくそ笑みながら。
夜になり、ジェスタが就寝したのを見計らって、ルピアはホーガニーを屋根裏部屋の下へ呼び出した。カレンとの連絡中、もしジェスタが目を覚ますようなことがあれば、些か面倒なことになる。そこでジェスタに熟睡の魔術をかけることにしたのだ。
ジェスタに感付かれぬよう、ホーガニーはベッドの真下から術を施した。その後ルピアが部屋へ入って効き具合を確認。耳元で鳴いても揺すってもジェスタは起きず、これでもう大丈夫と二人は地下書斎へ降りていった。
ホーガニーはルピアを肩に乗せ、水晶球に手をかざして呪文を唱えた。水晶球は煙がかかったように白濁し、それが晴れると目を擦るカレンの顔が浮かび上がった。
「……どうしたのよ、もう。こんな夜遅くに」
瞼は半開きでもカレンの表情は険しい。ご機嫌斜めと言ったところか。ホーガニーにしてみれば腫れ物に触る様なもの、口調も決して滑らかではなかった。
「夜分遅く申し訳ないのう、カレン。で、話なんじゃが……」
ホーガニーは国王の急使がもたらした、王都の袋小路で起きた事件に関する情報をカレンに伝えた。
「それでお前さんは先日儂に連絡をくれた時には、この事を知っておったのかのう」
「ええ、まあ……」
「なら、どうして教えてくれなかったのかのう。儂がアルドモンド卿の情報を欲していたことは、お前さんもわかっていたはずじゃ」
「それは……」
カレンは口籠もった。眼をあちこちへやり、唇をもそもそ動かしている。どう返答すればよいか、困惑しているようだ。だが急に口元が引き締まり、カレンはホーガニーとルピアへしっかりと目を据え、迫ってきた。
「二人共約束して。これから話すこと、その胸の内に留めて他言しないと」
ホーガニーは勿論、ルピアも即座に了解した。カレンの瞳の奥に並々ならぬ思いを感じ取ったのだ。二人の様子に安堵したのか、カレンは僅かに相好を崩した。
「なら話すわね。ホーガニー、あんたには、いや誰にもずっと黙っていたことなんだけど……。実はアルドモンド卿――アルは私の甥っ子なの。死んだ私の姉さんの子よ」
「にゃに? アルドモンド卿がお前さんの甥?」
ホーガニーもルピアも目を白黒させた。天涯孤独と思われたアルドモンド卿に身内がおり、しかもそれが自分の知人と知れば驚かない方がどうかしている。
「でも、どうして教えてくれなかったのじゃ?」
「言える訳がないでしょう。こんな場末で占いやっているような、愚かな叔母がいるなんてことが世間に知れたら、アルの名に傷が付くじゃない。だから黙っていたのよ」
恥ずかしそうに頬を赤らめると、カレンは自分とアルドモンド卿の事を語り始めた。
カレンはリーベンゲルのとある小商人の末娘だったが、家業に全く関心を示さず、魔術に心惹かれて魔術師を志そうとした。十三歳の時、魔術師の許へ弟子入りしたいと親に打ち明けたものの、両親と兄姉達の大反対にあった。
「魔術師は怪しげな行いをするって、いい感情を持っていなかったのよね、うちの家族は。真面目にこつこつ働くのが美徳と考えているような人達だから。でも私は諦めなかった。絶対魔術師になってやるって言い張ったわ。結果、親と大喧嘩して勘当されたわけ」
「ほーほー、そんなことがあったのか。お前さんは離婚前も後も、魔術修行を始める前の話は、ぜーんぜんしてくれなかったからのう」
「もう、うるさいわね。話の腰を折らないでよ。で……こんな家族の中にもたった一人だけ、私に味方してくれた人がいたの。それが五歳年上の姉、サリア姉さんだった……」
サリアは身一つで家を出ようとする妹になけなしの身銭を与え、暖かく見送った。カレンは姉に深く感謝し、魔術師となった暁には必ず恩に報いてみせると約束した。
故郷を離れたカレンは王都で師を見付け、魔術の修行に励んだ。七年が経った頃、姉の噂が風の便りに聞こえてきた。サリアは五年前、地元の若いやり手商人の許へ嫁いだ。夫は結婚後商売で大成功し、昨年リーベンゲルに立派な豪邸を建てた、と。
「私は当時、修行中の身だったんだけど、師匠にお願いして一度だけ里帰りさせてもらったの。勿論行き先は実家じゃないわ。姉さんの家よ」
見習い魔術師だったカレンは、姉との約束を果たせる立場ではない。面と向かって会うことが出来ないのだ。そこで弊の向こう側から、こっそり中を覗いてみることにした。
「まず屋敷の凄さにびっくりしたわね。貴族の屋敷顔負けの豪華絢爛さで、館の壁は白大理石、庭なんか公園みたいだったわ。リーベンゲルの商人の屋敷の中じゃ一番だって」
「その屋敷を覗き見したのか、お前さんは」
「そう。透視の魔術でちょちょいと。そうしたら、庭に人がいるのが見えたの」
カレンが目にしたのは、噴水の側で無邪気に戯れる三歳くらいの二人の男の子だった。二人共顔がそっくりで、双子に違いない。さらに噴水に腰をかけ、子供達へ暖かな眼差しを注ぐ若い女性の姿もあった。その腕に生まれて間もない赤ん坊を抱いて。
「その女の人は、紛れもないサリア姉さんだった。とても穏やかな顔をしていたわ。それを見て私、本当に嬉しくなった。ああよかった、姉さんは幸せになったんだって」
「その時見た子供がアルドモンド卿じゃな。アルドモンド卿は双子の片割れなのかのう」
「いいえ。アルは赤ん坊の方よ。姉さんも双子の兄達も、アルもこのまま何事もなければ幸せに、何一つ不自由なく暮らして行けたのに……。悲劇は七年後に起きたわ……」
カレンの目が微かに光った。涙を浮かべているのだ。
リーベンゲルから戻ったカレンは、一年後に師匠の許から独立した。その後ホーガニーと結婚するも四年足らずで関係は破局。再び独り身となったカレンは、王都で占い場を開いたのだが、その矢先悲報が飛び込んできた。サリアの屋敷へ深夜強盗が押入り、家族を皆殺しにして金を奪っていったというのだ。
占い場が軌道に乗ったら、姉との再会を果たそう――そう考えていただけに、カレンの心は激しく打ちのめされた。しかし、いつまでも悲しみ嘆いてはいられない。とる物も取り敢えずカレンは家を飛び出し、リーベンゲルへ向かった。
「私がリーベンゲルに駆けつけたのは事件から十日後の昼前、葬儀が済んだ後だった。ところが屋敷に着いて驚いたわ。いや、驚きを通り越して腑が煮えくり返ったわよ」
「一体何があったのじゃ?」
「屋敷の客間から、複数の人間が激しく言い争う声が聞こえてきたの。罵声、怒号、悲鳴が飛び交い、凄まじかったわ。扉の隙間から中の様子を窺って、私は唖然とした。見覚えのある人もいたから。それは見紛うことなき私の兄姉だった。そう、そこで口論していたのは死んだ姉夫婦の親族だったのよ。連中は遺産の取り分を巡って、自我丸出しの醜い争いを繰り広げていたんだわ! うちの親族、義兄の親族、双方入り乱れてね!」
カレンはこの遺産争奪戦に参戦する気は毛頭なかった。姉夫婦が力を合わせて築き上げた財産に、群がる薄汚いハゲタカ共。そんな者の仲間入りなどしたいはずがない。血を分けた親類が死んだというのに……カレンは怒りのあまり声も出なかった。
戦慄く手で客間の扉を閉めると、カレンは屋敷の使用人を捕まえた。どうしても尋ねたいことがあったのだ。
「姉さんの七歳になる末息子が事件のあった夜、たまたま友達の家に泊りに行っていて、難を逃れたって聞いていたの。私、その子にどうしても会いたかった。突然家族を一遍に失って、どれほど悲しい思いをしているのか……。気になって仕方がなかったのよ」
末息子のアルドモンドが自室にいると聞き、急行したカレンだったが、中へ入って驚いた。カーテンが閉められた薄暗い室内の片隅に、アルドモンドはたった一人でいたのだ。目のふちには隈、頬の肉はげっそりと落ち、魂が抜けたかのような虚ろな表情。足を投げ出して床に座り込んだまま、カレンが近寄っても眼すら動かそうとしない。
「アルの様子を見て、私はわかったの。この子は家族の死後、誰にも構ってもらえなかったって。誰もこの子を慰めたり、優しい言葉をかけてやらなかったんだってね。独りぼっちになったアルは悲しみに心を蝕まれ、ボロボロの状態だったのよ」
カレンはアルドモンドが哀れでならなかった。このまま放置すれば、アルドモンドの心の傷は癒されることなく、冷たい北風が吹きすさぶばかりだ。この子を救えるのは自分しかいない――そう考えたカレンは、一大決心をした。
――アル、初めまして。あなたのお母さんは私の姉さんなの。私はあなたの叔母さんよ。
カレンはアルドモンドの前へ膝をつくと、幼子の頬をそっと両手で包み込んだ。俯き加減だったアルドモンドの顔が、ゆっくりと動いた。優しげな笑みを浮かべるカレンの顔が、母親の顔と重なったのだろうか。アルドモンドの目から涙が溢れ出した。
――お母さん……!
カレンの胸の中へ飛び込み、顔を押し当てて、ただひたすらに泣きじゃくるアルドモンド。その小さな頭をカレンは愛おしげに撫でた。
――可哀想に。さぞや辛かったでしょうね。寂しかったでしょうね。でももう大丈夫。叔母さんがずっと側にいてあげますからね。
ひとしきり泣くと、アルドモンドは落ち着きを取り戻した。カレンはアルドモンドをベッドまで運び、寝かしつけようとした。が、布団を掛けようとした途端、幼子は耳を塞ぎ、背を丸めてしまったのだ。あの声――親族が口論する声に酷く怯えていたのである。
カレンはアルドモンドの頬にキスをすると、客間へ出向いた。もう我慢ならなかったのだ。アルドモンドを怖がらせ、それでも争いを止めようとしない親族に。
カレンは客間の扉を蹴破り、挨拶代わりに閃光の魔術を叩き込んだ。そして慌てふためく親族へ向かい、怒りの赴くままに怒鳴り、思う存分説教してやったのだ。遺産が目当かと突っかかってくる者には容赦なく平手打ちをお見舞いし、こう言い返した。
――お金なんかいらないわ。私が欲しいのはアルよ。アルは私が引き取りますからね!
カレンはアルドモンドの行く末を心底心配していた。アルドモンドはたった七歳の子供だ。ところが親族は誰一人として、この気の毒な子供のことなど気にかけようとはしない。それどころか正当な遺産相続人であるアルドモンドは、親族にとって邪魔な存在。未だ幼い子供であることをいいことに財産を取り上げ、孤児院に押し込むことすらやりかねない。
「成程。で、お前さんはアルドモンド卿を引き取ろうとしたのか。しかし、何故?」
「……私もあんたと別れた直後で、寂しかったのよ。勿論、アルが可哀想だったし、可愛かったことも大きいわ。私はとうとうサリア姉さんの恩に報いることが出来なかった。だから姉さんの忘れ形見であるアルには、何としても幸せになって欲しかったのよ。それが姉さんに対する恩返しでもあったから」
「そうか。それでお前さんは遺産は受け取らなかったのじゃな?」
「当たり前じゃない。一オール……いや、一メルも受け取らなかったわよ」
「じゃろうな。受け取っていたら、今頃そんな所で占いなどやってはおらん」
「……悪かったわね!」
プイとそっぽを向いたカレンだったが、気を取り直して続きを話してくれた。
カレンは片時もアルドモンドの側を離れなかった。腹黒い親族から守ってやらねばならなかったからだ。だがアルドモンドが親族以上に恐れたのは夜であった。陽が落ち、家族が惨殺された魔の時間帯がやってくると、アルドモンドは寝床でガタガタと震え、眠ることすらままならない有様だった。カレンは添い寝をして、身体をさすったり抱きしめたりして慰める一方、簡単な攻撃魔術を披露してみせた。
――ほら、大丈夫よ。悪い奴が来たら、叔母さんが魔術でやっつけてあげますからね。
だから安心してお休みなさい――と、カレンが微笑むと、幼子は腕の中ですやすやと寝息を立て始めるのだった。
カレンの深い愛情に心が癒されたのか、三日もするとアルドモンドはすっかり元気を取り戻した。アルドモンドもまたカレンに懐いた。まだまだ母親が恋しい年頃ということもあったが、カレンの優しさが何よりも嬉しかったのであろう。
さて、アルドモンドの家族を殺害した犯人は、事件直後逮捕された。屋敷から逃走するところを目撃され、家から血の付いた金袋が発見されたのだ。言い逃れの出来ない証拠によって犯人は有罪となり、事件から二十日後に公開処刑された。
「往生際が悪い奴でね。首を落とされる寸前まで『俺がやったんじゃない!』って泣きわめいていたわ。姉さんと義兄さん、子供二人を殺しておいて……憎ったらしいったらありゃしない。あまりの見苦しさに、見物人の中には石を投げ付ける人もいたほどよ」
「うーん、無理もないのう。アルドモンド卿はその時、どうされていたのじゃ?」
「それがちょっと変だったのよ。家族の仇が罰を受けるっていうのに、納得がいかないみたいで。私にも『叔母さん、何か変です』って言っていたわ。さらに断首斧が振り下ろされる瞬間、『止めて! その人、犯人じゃない!』って止めようとしたのよ」
「犯人じゃないって……。何か証拠でも掴んでいたんじゃろうか、アルドモンド卿は?」
「うーん、どうなのかしらね……。この後、アルは自らの意思で遺産の相続権を放棄した。私はアルを連れて王都へ戻ろうとしたんだけど……アルが言うのよ。私の所へは行かないって」
アルドモンドはカレンとの貧乏暮らしを嫌ったわけではなかった。たまたまリーベンゲルを訪れていたレイン卿と出会い、この老騎士の許で修行を積む決意を固めたのだ。レイン卿は今でこそ隠居しているが、かつてはケルンにこの人ありと謳われた名騎士だった。
――叔母さん。親切にしてくれたこと、ずっと忘れません。でも僕は騎士になりたいんです。僕みたいな悲しい思いをする人が、少しでもいなくなるように。それにちょっと気になることもあるんです。それを調べるため、僕は強くなって旅をします。騎士になったら、直ぐに叔母さんに会いに行きますから、その時までお元気で。
事件から一月後、アルドモンドはレイン卿と共に西の地へと旅立って行った。別れの際、笑顔で手を振るその姿がカレンの脳裏に深く焼き付いた。
それから長らく、アルドモンドから音沙汰は全くなかった。十五年の月日が流れた、ある日の昼下がり。王都の占い場でカレンはいつものように客を待っていた。
「何かここのところ客足がさっぱりだなー、何て思っていた時だった。入口の呼び鈴が鳴って、凛々しい顔立ちの若い男が入ってきたのよ。占い目的で来たんじゃないことは一目でわかったから、『どちら様? 何用で?』って訊いたら、にっこり笑って言うじゃない。『お久しぶりです、叔母上。アルドモンドです』って。もうびっくりしたの何のって……」
カレンは我が目を疑った。アルドモンドはもはや弱々しい幼子ではない。成人し、背も伸びて逞しい若者となっていたのだ。カレンは嬉しさ余って泣き出してしまった。
――まあまあ、こんなに立派になって……。ああ、姉さんが見たらどんなに喜ぶことか……。でも、どうして私がここにいることがわかったの?
するとアルドモンドは微笑みながら答えた。以前、王都の西地区で占い場を開いていることをカレン自身から聞いていたので、人に訊いてみたところ直ぐにわかったという。
アルドモンドは五年前にレイン卿のわび住まいを発ち、放浪生活を始めた。そして先頃、南の火竜を退治した功績が認められ、昨日国王より騎士の称号を授かったのだ。その足でアルドモンド――いや、アルドモンド卿は叔母のカレンを訪ねたのである。
――あなた、騎士になったのね。ならもうアル、何て呼べないわね。
――構いません。そう呼んで下さって結構です。叔母上は私の大事な身内なのですから。十五年前、家族を失って途方に暮れる私に手を差し伸べて下さったのは、叔母上だけでした。もし叔母上のお心遣いがなければ、私は今頃どうなっていたことか……。
――そうかい、嬉しいよ。でも、もうここに来ちゃ駄目よ。私が叔母だってことも話さない方がいいからね。あなたは騎士なんでしょう? 私みたいなちんけな魔術師が親戚なんてことが世間に知られたら、あなたの評判が落ちるからね。だけど、これだけは忘れないでおくれ。どんなことがあったって、私はあなたの味方だからね。もし私の力が必要になった時は、いつでも協力するよ。
喜びと感動で胸一杯のカレンは、嬉し涙に目を曇らせてアルドモンド卿を送り出した。
その後もアルドモンド卿は各地を転々とし、ケルン国内にはびこる悪へ立ち向かっていった。「○○山の魔物の群を一掃した」とか、「××森林に潜む盗賊団を捕えた」などのめざましい活躍を耳にする度、カレンは己のことのように誇りに感じたものだ。
「アルはケルンのために戦ってきたのよ。なのにとんでもない嫌疑がかけられた。アルはヴィラ・ハーなんかじゃないわ、絶対に! 証拠だってあるんだから!」
カレンは自信たっぷりに宣言した。ホーガニーが一瞬怯むほどに。
「証拠……と、いうと?」
「アルが言っていたわ。自分はヴィラ・ハーにはめられたって」
「はめられた……?」
「実は……来たのよ。あの晩、ファーラン公爵が殺された夜にアルが」
「お前さんの所にアルドモンド卿が来たのか!」
「ええ。火事が起こって間もなくね」
王都の東側の空が真っ赤に染まったあの夜、カレンは自宅の何処かにしまい込んだ古い魔術書を懸命に捜していた。火災が発生したのは東地区、反対側の西地区へ炎が迫る危険性は少ない。そこで消火の手助けをしようと考えたのだが、ここのところ魔術をとんと用いていなかったので、強力な術の使い方を忘れてしまったのだ。
ようやく魔術書を見付けて引っ張り出した時、裏口の扉を激しく叩く音がした。こんな非常事態に誰が――苛立ちながら扉を開けたカレンは、そこにいた人物を見て信じられない思いに駆られた。アルドモンド卿が息を切らせ、立っていたのだ。
カレンは周囲に人がいないことを確認し、アルドモンド卿を家の中へ入れた。お尋ね者となってしまった彼が、何故王都にいるのか。虎口へ飛び込むようなものだ。カレンがハラハラしながら尋ねると、アルドモンド卿は事情を説明し始めた。
アルドモンド卿は昨年の春より、北の隣国メサ神聖国に滞在していたが、今年の八月初旬に帰国した。訳あって自分が戻ったことを人に知られたくなかったため、国境の関も通らず、入国後も正体を隠して旅した。そして五日前、立ち寄った町で自分がヴィラ・ハーと疑われ、逮捕状が出ていることを知ったのだ。同時にヴァドラー大公の死も。
アルドモンド卿は王都へ潜入する決心をした。ヴィラ・ハーを倒せば自分の容疑も晴れる。ヴィラ・ハーの狙いは恐らく王女の婿候補、次なる標的はファーラン公爵のはず。公爵の近くで待っていれば、ヴィラ・ハーは必ずや現れる――と、踏んだのだ。
王都へ潜入するため、アルドモンド卿はある教会関係者の協力を得た。馬車に見習い修道士を装って同乗させてもらい、八月三十日の昼、無事王都へ入ることに成功した。
アルドモンド卿は日中教会内に匿ってもらい、夜密かに教会脇の袋小路へ出て、停めてある馬車へ潜んだ。ファーラン公爵邸は壁一枚挟んだ向こう側。何か異常があれば直ぐにわかるし、ここなら夜間人は来ないので、見つかる恐れもない。
そして夜の十時頃、公爵邸は燃え上がり、アルドモンド卿は馬車から飛び出した。その時背後に禍々しい気配を感じ取り、振り返ってみると――
「そこにいた者こそ、ヴィラ・ハーだったのよ。アルが唖然とする間にスルシスが何度か嘶き、ヴィラ・ハーは消えた。そこへ公爵の護衛がやって来て、姿を見られたって……」
「はめられたというのは、そう言うことか……」
「そうよ。押し寄せる護衛を何とか振りきって、アルは私の所までやって来たの」
迷惑をかける訳にはいかないと、アルドモンド卿は直ぐ出て行こうとしたが、カレンが引き止めた。ヴィラ・ハーの出現で王都は厳戒態勢、脱出するのは至難の業だ。カレンは如何なる協力も惜しまないと約束したし、それ以上に甥が愛しかった……。
「そこで私は瞬間移動の魔術を使うことにしたの。あんたでも難しい術だから、私も今まで成功した試しはなかったわ。でも我が家から城壁の外まで二十ゼル(四十メートル)もなかったから、必死にやればどうにかなるかもって。で、実際……どうにかなったわ」
魔術書と首っ引きで術を試した結果、カレンは何とかアルドモンド卿を城壁の外へ移動させることに成功した。慣れない高等魔術を使った反動で疲労がどっと押し寄せ、そのままカレンは寝込み――目が覚めた時には東地区の火事は粗方鎮火していた。
「……そう、か。可愛い甥っ子に疑いがかかるのを嫌い、お前さんは儂等にあの情報を流さなかったんじゃな。ところでカレン、アルドモンド卿のその後の消息は……」
「わからないわ。お願い、ホーガニー。もしアルがマイアムへ来たら、力になってあげて。あんたが男爵の相談役だってことはわかっているけど、男爵には黙っていて欲しいの」
「あ……ああ。いいじゃろう」
「有り難う。感謝するわ。それじゃ、よろしくね」
嬉しそうに目を潤ませ、カレンは水晶球の中から消えた。意外にもホーガニーはけろりとしている。涙ながらに訴えるカレンに押され、首を縦に振ってしまったにも拘わらず。不思議に思ったルピアは、ホーガニーの髭をぐいと引っ張った。
『何よ、カレンとあんな約束して。もしアルドモンド卿がマイアムへ来たら、どうするつもり? そりゃ私だって協力はしたいけど、それが国王にばれたら……』
「心配しなさんな。アルドモンド卿はここには来んよ。来る理由がないからのう」
『まあ、確かにね。でもアルドモンド卿は何故あの夜、カレンの所に来たのかしら? カレンに迷惑をかけたくないのなら、最初から来なきゃいいのよ。違う?』
「そう言われてみれば……。カレンに会いたくなったからじゃないかのう、やっぱり」
ホーガニーの惚けた憶測が的中しているとは、ルピアには到底思えなかった。アルドモンド卿がカレンを訪ねたのには、何か特別な理由がある――と、睨んでいても、その理由までは見当もつかず、首を捻るばかりのルピアだった。
朝の九時過ぎ、ジェスタは文句たらたら、日課となっている「ガキの使いまがい」の仕事へ出た。ただし今日――九月十二日はいつもとは違い、ルピアが一緒だ。ルピアが庭で雀をからかっていると、そこへ怒れるジェスタが登場。「御主人様がせっせと働いているのに、遊びほうけやがって。供ぐらいしろ!」と、無理矢理ルピアを連れ出したのだ。
今日の買い出し先は二番通り沿いの青空庵だ。ルピアがジェスタの横について脇道から二番通りへ出てみると、午前中かつ元来人通りが少ないこともあって人影は皆無だった。
だが二番通りへ足を踏み入れて間もなく、静かな通りが物々しい空気に包まれた。正面――西から数人の衛兵が鎧を軋ませ、地響きをたてんばかりの勢いで走ってきたのだ。
「未だそれ程遠くへ行ってはいないはずだ! 徹底的に捜せ!」
「そろそろ薬が効き始める頃だ。必ず近くにいるぞ!」
衛兵の目は血走り、形相は鬼神そのもの。あまりの迫力にルピアとジェスタは路地へ飛び込み、道を譲った。衛兵は二人のことなど眼中にないのか、一目散に走り去った。
「何だ連中、妙に殺気立っていたが……。何かあったのか?」
『誰か捜しているみたいでしたね。あ……』
ルピアはふと後方を振り向いた。今、路地の奥で物音がしたのだ。音は突き当たり、木箱が積まれている場所から聞こえたようだった。見るとピラミッド状に積み重ねられていたはずの木箱の一部が崩れ、二、三個地面に転がっている。
マイアムは外観を重視する町、公私に拘わらず物品の屋外放置は禁じられている。ワイン樽や輸送用の木箱など、一部のかさばる物はこの規定から除外されているものの、それでも目立たない場所に整然と置くことが義務づけられているのだ。
先程の音は木箱の山が崩れた音に違いない。しかし重くて容易には落ちない木箱が、何故……? ルピアは木箱の山の上まで飛んで行き、その裏側へ首を突っ込んだ。
『旦那、来て下さい! 早く!』
ルピアの呼びかけにジェスタが駆けつけてみると、山の裏側には人が一人倒れていた。三十才くらいと思われる、旅装束を纏った焦げ茶色の髪の男性。左の二の腕に真新しい刀傷があるが、掠り傷程度のものだ。意識を失っているのか、ピクリとも動かない。
『さっきの衛兵が捜していたのは、この人だったんですかね。ねえ旦那、旦那……?』
ルピアはハッとなった。主の様子がおかしい。眼を見開き、食い入るように男を見詰めているのだ。その顔からは見る間に血の気が引いていった。
「ルピア、これが誰だかわかっているのか、お前……」
『え? 御存じなんですか、この人を』
「この格好をよく見てみろ!」
押し殺した声でジェスタに怒鳴られ、ルピアは改めて男を観察した。男は暗灰色のマントを羽織っており、マント留には鮮やかな青い石――群青石がはめ込まれている。マントの下から覗いているのは、剣の柄先だ。しかも二本も……。
『え……。こ、この人ってまさか……』
ルピアがゆっくりと視線を移すと、ジェスタは拳を固く握りしめた。
「そうだ。俺のかつての主であり師でもある、アルドモンド卿だ……」