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ルピアと死神の騎士  作者: 工藤 湧
6/9

その5 異変

 男爵邸からの帰り道、ジェスタの足には全く力が入っていなかった。アルドモンド卿の身を案じつつも、何一つ力になれないことが歯がゆいのか……。虚ろな目で下を向いたまま、一言も喋らない。

 帰宅するとジェスタは自室である屋根裏部屋へ籠もってしまった。ルピアがいくら呼びかけても、「うるさい、焼き鳥にするぞ!」のお決まりの怒鳴り声さえ返ってこないのだ。もはやルピアの力ではどうにもならなかった。

『こりゃ重傷ね。当分出てきそうにないわ。そう言えばホーガニーが、直ぐにカレンに連絡をとるって言っていたけど、どうなったのかしら?』

 屋根裏部屋へ通じる梯子の前から離れ、ルピアが地下書斎へ行ってみると、ホーガニーは椅子に腰をかけ、布で丁寧に卓上の水晶球を磨いている最中だった。既にカレンと話を済ませたようだ。

「ルピア。カレンに連絡して、何かアルドモンド卿のことで情報を掴んだら教えてくれるよう頼んだ。で、ジェスタの様子はどうじゃ?」

『駄目。部屋に引っ込んだまま、うんともすんとも言わないわ。気が気じゃないみたい。アルドモンド卿がいつ捕まるのかって』

「そうか。じゃがそれ程心配することもあるまい。アルドモンド卿はそう簡単には見つからん。探索の魔術が使えんからのう」

 ルピアはホーガニーの足下まで来ると、そうね……と、相槌を打った。魔術師に作られただけあって、探索の魔術の骨子はおさえている。この魔術には必要不可欠な道具があるのだ。

 その道具とは捜したい物体や人物が接触した物――人の場合は愛用品や身に付けていた物、髪の毛など身体の一部だ。探索の魔術は、これらに残っている気配を手掛かりに目標を捜し出す術。よって「太古の宝物の埋蔵場所を教えてくれ」とか、「未だ見ぬ未来の恋人の居場所は?」などという願いは対象外となる。ホーガニーがルピアのことを心配しながらも捜し出せなかったのは、ルピアに関する物を何一つ所持していなかったから。以前会った時、羽を一本でも引っこ抜いていたら見付けられたはずである。

 ところがこの物についた気配、永遠に残留している訳ではない。どんなに長年愛用してきた品々でも、時間が経てば気配は薄れて行く。ましてや少し触れた程度の物であれば、短時間で役に立たなくなってしまう。ホーガニーは負傷して行方不明となったヴィラ・ハーを捜すため、ブラス男爵が放った矢を術に用いた。しかしこれも、翌朝には使い物にならなくなったという。矢に血や肉片が付着していれば、もう少し長く使用出来たのだが。

 では、アルドモンド卿の場合はどうか。アルドモンド卿は放浪の身、旅先で持物等を残すことはまずない。放浪生活をする以前の品々が残っている可能性も低く、仮にあったとしても十数年も前の物だ。時間が経ちすぎている。

『アルドモンド卿が品物を残さなかったのは正解ね。これなら捜索は難航するわ。ところであんたは、どう思っているの?』

「ん? 何がじゃ?」

『つまり、本当にアルドモンド卿がヴィラ・ハー様かってこと。あんたの意見は?』

 ルピアの問いかけにホーガニーは即座に首を横へ振った。

「儂は違うと思うのう。国王はアルドモンド卿が摩訶不思議な力を手に入れたと考えられているようじゃが、はてさて、それを何処でどうやって手に入れたのか。ルピア、お前さんも見たじゃろう? ヴィラ・ハーが儂の攻撃魔術をいとも簡単に防いだことを」

『ええ、見たわ。あれ程の防御魔術を使えるなんて、びっくりした。しかも信じられない速さで防御壁を張って、すんでの所であんたの雷撃を防いだじゃない。普通ならとても間に合わないわ。呪文を唱え終わる前に雷撃が飛んできて、黒こげだから』

「ヴィラ・ハーは呪文を唱えずに防御壁を張ったようじゃ。儂の目にはその様に見えた。恐らく、儂等とは違った方法で魔術を使っているのじゃろう。じゃがさらに驚くべきは」

 ここでホーガニーは机の引き出しから砂糖菓子を一つ取り出し、齧り付いた。書斎での作業の合間に食べようと、ストックしておいたらしい。

「……そう、ヴィラ・ハーの移動能力じゃ。ヴィラ・ハーは必ず標的の前に現れ、突然消える。これは瞬間移動の魔術じゃ。瞬間移動の魔術は魔術の最高峰、そう易々と出来るものではない。儂も、そして師匠でさえも人を一人移動させるのがやっと、移動距離も精々一ディール(二キロ)ってところじゃな」

『でもヴィラ・ハー様は国の至る所に現れたわ。馬まで一緒に』

「こんな力、人が手に入れられる代物ではない。仮に手に入れても持て余すだけ、とても制御出来んじゃろう」

『……ってことは、やっぱりアルドモンド卿とヴィラ・ハー様は別人物ってことね』

「当然じゃな。カレンも違うんじゃないかと言っていた。妙に向きになってな」

 ホーガニーは口をモグモグさせながら椅子から立ち上がり、髭を手で払った。が、髭から落ちた粗目が、まともにルピアに降りかかったのだ。ルピアは奇声を上げ、羽を震わせたり翼をばたつかせたりと、大騒ぎして粗目を振り落とした。粗目は溶ければべとべとになり、羽にこびり付いて簡単にはとれなくなってしまうからだ。

『ちょっと、何てことするのよ! この光り輝く羽を汚すつもり!』

「あ、すまんすまん。で、カレンは『あの人は凄く優しい人なのよ! あんな乱暴な真似する訳ないでしょう!』って、物凄い剣幕で怒鳴る怒鳴る。いやはや、恐ろしい」

『あのおばさん、アルドモンド卿のファンなんじゃない? 年配女性が年下の男に熱を上げるのはよくあることだし』

「まあ、確かにそうじゃのう。取り敢えず今はカレンからの連絡待ちじゃな。ヴィラ・ハーも大公を殺害してから、とんと姿を現わさないし……」

 ホーガニーは再度引き出しへ手を伸ばした。また粗目霰を降りかけられては堪らない。さっと背を向け、ルピアはジェスタの許へと急いだ。アルドモンド卿は簡単には見つからない――この「いい知らせ」を主の耳へ入れるために。


 教会の鐘が深夜十二時の時を告げ、日付も改まって八月三十一日となった。その夜もルピアはいつものように定位置――屋根裏部屋の梁に留まって眠っていたが、妙な寝苦しさから目を覚ました。何気なく室内を見回すと、ベッドに主の姿がない。ジェスタは寝間着姿のまま、窓から身を乗り出してぼんやりと夜空を見上げていたのだ。

『あらま、爆睡が特技の旦那が起き出すなんて、珍しいこと。どうしたのかしら?』

 ルピアは梁から飛び立ち、窓枠へ着地すると主の横顔を見詰めた。遠くを見詰めるジェスタの目には、どことなく寂しげな色が浮かんでいた。

『星空でも見ていたんですか? 旦那らしくもない』

 ルピアが話しかけても、ジェスタの視線は空へ据えられたまま。ワンテンポ遅れてその唇がぎこちなく動いた。

「い……いや、違う。ちょっと考えごとをしていただけだ」

『アルドモンド卿のことですか? 心配ないって昼に言ったじゃありませんか』

「いや、卿のこともあるが、ふと思ったんだよ。俺、何で今ここにいるのかって……な」

 肩で一回深呼吸をした後、ジェスタは頬杖をついた。

「あーあ、昔が懐かしいよな。故郷で畑を耕していたころが。あの頃に戻りたいよな」

『あら、飽き飽きしていたんじゃないんですか、村での退屈な生活に。だから騎士になろうと、アルドモンド卿についていった。そう前に話してくれたじゃないですか』

「まあな。確かに村での生活は味気ないものだった。だが言っておくが、俺は心底騎士になりたかった訳じゃない。騎士になりたくて堪らなかったのはレイの方だ。俺が騎士になろうと思った真の理由は、レイが望んだからだ」

 ルピアにとって主の発言は意外だった。ジェスタが弟の夢の代理人に過ぎなかったとは……。ルピアはジェスタが自ら進んでアルドモンド卿の従卒になったと、信じて疑わなかったのである。

 レイは六歳の時、ちょっとした不注意が原因で崖から転落。一命は取り留めたが、怪我の後遺症で松葉杖なしでは歩けなくなってしまった。物心着いた頃から「大きくなったら騎士になる!」と、言ってきたレイは心にも深い傷を負った……。

「レイは自分が絶対騎士になれないってわかっていたから、五体満足な俺に期待したんだな。そして俺はその期待に応えようと、背伸びをした。そして騎士になることを自ら望んだと自分自身にも言い聞かせ、その様に振る舞ったんだ」

 ルピアにはジェスタの弟に対する心遣いが理解出来た。もしもジェスタがあからさまに「俺はお前に代わって騎士になってやるんだ」などと言ったら、レイが傷付く。あくまでも自分の意思で選択したように、ジェスタは周囲にアピールしなければならなかった。

「……よくよく考えてみれば、俺が卿の許から逃げ出したのは当然だな。自分の本当の願いじゃなかったんだから。弟の期待に応えようとしただけだから、騎士の修行に着いてこられっこない。俺はレイほど熱心に騎士に憧れていた訳じゃないしな」

『そんなに熱烈に憧れていたんですか、弟さんは』

「足を悪くする前は、色々やっていた。丸太に跨って馬に乗った気分になったり、棒切れ振り回して剣の稽古をしたり……。でも、怪我をしてからはさっぱりやらなくなった。やっても空しくなるばかりだからな。その代わり、俺に注がれる期待の眼差しは、日に日に増してきた。そんな時、卿がひょっこり村にやってきたんだよな」

『それで勢いもあって、アルドモンド卿についていったんですね?』

「そういうこと。俺はレイの喜ぶ顔が見たかった。でも結果はこのざまだ。村に帰ればそれがばれる。レイが失望する様は、もう見たくはないからな」

 そう言うとジェスタは窓際を離れ、ベッドに寝転がった。

 不甲斐ない主に対し、ルピアはずっと言い続けてきた。いつまでもだらだらした生活を送らず、定職に就くようにと。そして成功して、大手を振って故郷へ戻ればいいと。

 一番よくないのが、このままうやむやな態度をとり続けることだ。中途半端な宙ぶらりんの状態でこの先も生きて行くのなら、帰郷して潔く弟に謝罪する方がどれ程ましか。

『弟さんは今でも待っているんでしょうか。旦那が騎士になって帰ってくるのを』

「さあな……。もう諦めたかもしれん。あいつも知っているはずだ。俺が既に約束を破ったことを。四年後の去年も、五年後の今年も俺は村に戻ってこなかったんだからな」

『でも、今でも旦那を信じて待っていたらどうします? それこそ弟さんが気の毒じゃないんですか。だって弟さんは、旦那が騎士になるのを夢見ながら、ずっと故郷で待ち続けなければならないんですから』

 返事はなかった。答えられないのだ。騎士になること。四、五年後の誕生日までに一度村へ戻ること……。弟との約束を二つ共破ったと思うと、ジェスタの胸は罪悪感で押し潰されそうになるのだろう。ルピアもこれ以上主を責めまいと言葉を切り、梁へ戻った。

 ルピアはもどかしくてたまらなかった。レイのために買った群青石のブローチを、いつ渡すことが出来るのか。このままジェスタが犯した罪と現実に背を向けている限り、その日は永遠にやって来ない……と。だが心の叫びを声にすることもなく、ルピアは眠りについた。


 翌朝、未だ朝日も淡いうちから、ルピアは台所でせっせと働いていた。年寄りは朝が早いと言うが、ホーガニーは例外で寝坊助。よって三度の食事のうち、朝食はジェスタの担当となり、ルピアもその手伝いをしていたのだ。

「しかしあの爺さん、毎日こんな物ばかり食ってよくおかしくならないな」

 つまみ食いが得意なジェスタも、流石にホーガニーの生クリームまみれのパンには手を出そうとしない。すかさず隣で茶の支度をしていたルピアが答えた。

『舌はとっくの昔にいかれていますよ。若い頃からこんな調子だったそうですから』

「頭の方はどうなんだ、頭は。やっぱり昔からあんな脳天気野郎だったのか?」

『ええ。師匠が呆れ果てて破門を考えるくらい――』

 などとルピアが言っていると、噂をすれば何とやら。ドタバタと足音をたて、ホーガニーが台所へ駆け込んできた。今し方起きたばかりなのか、髪の毛がもじゃもじゃだ。

「たった今、カレンから連絡が入った。ルピア、お前さんも話を一緒に聞くか?」

 勿論――と、ルピアが返事をするよりも早く、ジェスタが割り込んできた。

「卿の情報か? もしそうなら俺も混ぜてくれよ」

「だーめ。お前さんは直ぐに話に茶々を入れたがる。カレンに見えんように部屋の隅に引っ込んで、話を聞いているだけならいいが」

「卿のことは俺だって色々訊きたいことがある! 少しくらいなら……」

「んー、それとも何かのう。『アルドモンド卿の従卒だったが、挫折してとんずらした男』なーんて紹介されたいのかなー、ジェ・ス・タ」

「ちっ、わかったよ……」

 渋々ジェスタは首を縦に振った。実際、ホーガニーの判断は妥当だった。アルドモンド卿のこととなると、ジェスタはいつにも増して感情的になる。ブラス男爵に対してでさえ、猪のように突っかかっていったのだ。カレンは気が強く、少しも相手に遠慮しないタイプ。攻撃的な態度で臨めば、へそを曲げてしまうかも知れない。

 その様な訳で、ジェスタは地下書斎の片隅で大人しくしていることに――いや、大人しくせざるを得なくなった。ホーガニーが金縛りの魔術を施したのだ。ジェスタは頭へ血が上ると、自制心が吹き飛んでしまうことがしばしばある。その防止という訳だ。

 頭から湯気を立てるジェスタを「置き去り」にし、ルピアとホーガニーは水晶球を覗き込んだ。球体の中にはカレンの膨れっ面がある。

「もう、いつまで人を待たせているのよ。大事な話があるっていうのに」

「あー、御免御免。ルピアを呼びにいったものでのう。すまんかった。で、話とは?」

「三日前、二十八日のことだから、未だマイアムには噂は届いていないと思うけど。ゴラージの町で起きた大事件、聞いている?」

「ゴラージというと、ケルン随一の港町じゃな。あそこは国の軍船の半数以上が集結している、海軍最大の基地。海軍関係のお偉いさんもあそこに……まさか!」

 ホーガニーが息を呑むと、カレンは静かに頷いた。

「……わかったようね。ご名答、その通りよ。アラート副提督が殺されたわ。下手人は勿論ヴィラ・ハーよ。しかも今回は予告なしと来たわ。完全な奇襲ってわけ」

 ヴァドラー大公殺害後、ロミナ王女の婿候補は自分にもヴィラ・ハーの魔手が迫ることを恐れ、神経を尖らせていた。第三候補だったアラート副提督も例外ではなく、それとなく屋敷の警備を厳重にはしていたという。

 八月二十八日の深夜、ヴィラ・ハーは何の前触れもなく、突然アラート副提督の寝床へ姿を現わした。ヴィラ・ハーは必ず襲撃の二、三日前までに予告状を出す。敵を迎え撃つ本格的な準備は、それからでも遅くはない――と、信じ込んでいたアラート副提督は、完全に不意をつかれた。警備兵が駆けつける前にヴィラ・ハーは刃を朱に染め、姿を眩ました。

「しかし、今まで律儀に予告状を出していたヴィラ・ハーが、今回はまた何故……」

「ヴィラ・ハーも学習したんでしょう。大公の時、予想外に手こずったから。超大物を狙う時は相手に考えさせる時間を与えると、とんだ苦労するってね」

「ヴィラ・ハーも標的を討ち取るためなら、手段を選ばなくなったという訳か……」

「そう、そういうことよ。これをご覧なさい!」

 水晶球の中からカレンの顔が消え、一面の焼け野原が映し出された。何処かの町の光景のようだ。僅かに残った石塀と焼けただれた柱が、そこにかつて家屋が立ち並んでいたことを物語っていた。まだくすぶっているのか、あちこちから立ち上る白い煙。瓦礫の下に埋もれているのは、馬の焼死体だ。そればかりか人の手足らしき物もちらほらと……。

「こ、ここはもしや王都か? 火事でも起きたのか?」

「ええ。ここは王都の東地区、東大通り沿いの住宅街よ。死者も大勢出ているって話だわ」

 焦土の画像はカレンの沈痛な面持ちと入れ替わった。

「それで、この火事とヴィラ・ハーがどんな関係が……」

「関係ですって! 大ありよ!」

 突如カレンは目を爛々と燃え上がらせ、息巻いた。

「この大火を引き起こしたのがヴィラ・ハーなのよ! ファーラン公爵を殺すついでに、あいつは多くの人の命と家を奪ったのよ!」

「な、な、なんじゃとぉ!」

 ホーガニーは仰け反った反動で椅子ごとひっくり返り、ルピアは気絶しかけた。ヴィラ・ハーが標的以外の人間を殺すのは、自分に刃向かった時だけだったはずだ。

「ヴィラ・ハーが現れたのは昨夜の十時頃。ファーラン公爵も一昨日のゴラージの事件があったから、夜は物凄く警戒していたらしいのよ。百人近い兵を動員して、それでも不安だったのか、腕利きの魔術師も三人雇って、屋敷に強力な結界まではらせていた……」

 アラート副提督の時同様、ヴィラ・ハーは予告なしにいきなりやって来た。ところが通常標的の直ぐ近くに出現するヴィラ・ハーが、昨夜姿を見せた場所は公爵邸の隣、教会の鐘突棟のバルコニーだったのだ。

「この夜、公爵は屋敷の中にいた。如何にヴィラ・ハーといえど、結界の中までは入ってこられないと踏んでいたのね。だから屋敷の中の方が安全だと。もしヴィラ・ハーが結界を突破して屋敷内に侵入したら、すかさず護衛や魔術師が迎え撃つ。その隙に公爵を別の場所に避難させる手筈だったみたいだけど……駄目だったわ」

「どうして? 中に入れないからこそ、ヴィラ・ハーは屋敷の外に現れたのじゃろう?」

「ヴィラ・ハーは鐘突棟の上から、火炎竜の魔術を使ったのよ!」

「はい、火炎竜……? 何かの間違いじゃないかのう。掌から火の玉がポポンがポーン! いやいや真っ赤な花火がババンバーン!……って言うのならまだわかるがのー」

 ホーガニーは戯言を口走りながら、その場で軽やかにステップを踏んだ。端からカレンの話を真実と捉えず、天性の陽気さもあってついついふざけてしまったのだ。

 それというのも火炎竜の魔術は、「火の玉がポポンがポーン」の火球の魔術や、「真っ赤な花火がババンバーン」の爆炎の魔術よりも、さらに高等な火炎系魔術であるからだ。術で生み出した巨大な火柱に仮の意思を植え込むと、蛇にも似た竜の姿となる。これが火炎竜だ。火炎竜は目についた物全てに襲いかかり、欲望の赴くままに焼き尽くそうとする。その恐るべき破壊行為は、自身が消滅するまで続くという。

 火炎竜の魔術が高等魔術の部類に入る理由は二つある。まず一つ、この魔術が複合魔術であること。術者は出現させた火柱に、仮初めの意思を与えなければならないのだ。ホーガニーが自分の蔵書に魔術で意思を持たせていたが、あれを火に対して行う訳である。

 二つ、制御が大変難しいこと。いくら御しやすい「従順で優しい」気質を持たせようとしても出来ないのだ。火の激しい属性にさらされた意思は、荒ぶる魔物となってしまう。こうなれば火炎竜は術者の命令に従いはしない。抑えつけられる力があれば話は別だが、大抵の場合は術者自身がその牙にかかるという、悲惨な結末を迎えるのである。

「いやいやカレン、お前さんもこんな時に冗談を言うとはのう。一緒だった時に少しでもそのユーモア精神があれば、お互いバツイチにはならずに済んだじゃろーて」 

 浮かれたホーガニーは満面の笑みを浮かべ、嬉しそうに水晶球を二、三回叩いた。されどカレンしてみれば、ホーガニーの態度は心外どころでは済まされなかったようだ。顔が見る間に真っ赤になり、形相が鬼と化していった。

「この馬鹿アホ間抜け、すかぽんたん! こんな時に何ふざけた事言っているのよ!」

 水晶球が砕けんばかりのカレンの怒号にホーガニーはヒッと叫び、縮み上がった。

「す……すいません。あのー、本当に火炎竜の魔術だったんでしょうか?」

「本当よ! 竜の形をした火柱が上がるのを、何人もの人が見ているんだから!」

「信じられん……。それにヴィラ・ハーは、攻撃魔術は使えなかったはずじゃが」

「使えないんじゃなくて、使わなかっただけじゃないの? 今までの相手には使う必要がなかった。だから使わなかったのよ。……とにかく、ヴィラ・ハーは火炎竜の魔術を使った。そう、公爵邸目がけてね!」

 火炎竜の火影を浴び、真っ赤に染まるヴィラ・ハー。バルコニーに佇むその姿を目にし、庭に待機していた護衛は誰もが目を疑った。火炎竜が出現するまで、誰一人としてヴィラ・ハーの存在に気付かなかったのだ。

 愕然とする護衛の頭上を通過し、火炎竜は灼熱の牙で結界をあっさりと粉砕。屋敷に三十ゼル(六十メートル)はあろうかという長い身体を巻き付けた。外部からの火には強い石造りの建物といえど、窓から炎に侵入されたのでは一溜りもない。公爵邸内は瞬く間に火の海と化し、ファーラン公爵は逃げること適わず屋敷と運命を共にした。

 かくしてヴィラ・ハーは目的を達成させた。だが火炎竜は消えない。さしものヴィラ・ハーも、火炎竜を制御出来なかった……のではない。消そうとしなかったのだ。

「生き残った護衛の話によれば、ヴィラ・ハーはスルシスに乗ったままバルコニーから路上へ飛び降り、手で何か合図をしたそうよ。その直後、火炎竜が動き出した。鎌首をもたげ、公爵邸から東大通りへ向かったのよ」

 火炎竜は東大通りを這いながら、天へ向かって咆哮した。すると全身から幾つもの炎の帯が飛び出し、通り沿いの家の窓や屋根を突き破ったのだ。家屋内で燃え広がった炎は、熟睡している住民を襲い、逃げ遅れる者が続出した。火炎竜はそのまま東大通りを突き進み、東地区全てに火が回った時点でやっと消えたという。

「あの夜は風が殆どなく、他地区は類焼を免れたわ。不幸中の幸いね。私の住居兼占い場は、西地区の外れにあるから問題なかったし」

「ヴィラ・ハーが何の関係もない庶民を手にかけるとは……。やり方が次第に残虐になって行くような気がするが、気のせいかのう」

「気のせいなんかじゃないわ。アラート副提督を殺した時も、側にいた召使いまで一緒に始末したって話よ。以前のヴィラ・ハーだったら、無抵抗の者はあっさり見逃していたのに」

「確かに。一体どうして……。あ……」

 ここでホーガニーはいったん右手後方を振り返った。ジェスタの不満げな唸り声が聞こえてきたのだ。ホーガニーはジェスタにウインクを返すと、改めてカレンと向き合った。

「ところでカレン、アルドモンド卿の消息については、何か情報はあるかのう」

「アルドモンド卿のこと? い、いいえ……。特に何も聞いていないけど……」

 カレンの口調に明確な変化が現れた。歯切れが一気に悪くなり、トーンが落ちたのだ。おかしい。妙だ。ルピアはホーガニーに探りを入れてもらおうと、ローブの袖を引っ張った。しかし何故かホーガニーは、ルピアの嘴を振り払ったではないか。

「とにかく、これで有力候補だった三人が、ヴィラ・ハーに殺されてしまった訳じゃのう。王都も大火に見舞われ、悪影響が出なければいいが」

「この混乱に乗じて攻め入ろうと、南のナラン王国が国境沿いに兵を集結させているって情報もあるわ。もっとも直ぐに越境するような軽率な真似はせず、もう少し様子を見るでしょうけど。でもこれ以上ヴィラ・ハーにケルンを引っかき回されたら、危ないかもね」

 ヴィラ・ハーに殺害された三人は、国の要職を担う人物でもあった。財務大臣の件だけでも難航しているというのに、加えて親衛隊長と副提督の後任も選ばねばならない。が、この二つは財務大臣とは異なり、就任を希望する者が多い。権力の座を巡って一悶着も二悶着も起こることが予想される。

 王女の配偶者選びも完全に振り出しに戻る。先の三人以外にも二、三の候補はいたが、国王は候補者の選定を一からやり直すつもりのようなのだ。今まで諦めていた王侯貴族や宮仕人が、ここぞとばかりにしゃしゃり出てくる。もしここでロミナ王女が自分の「我が儘」を押し通そうとすれば、事態はややこしくなるばかりだ。

 こうした政情不安は、人々の心を脅かす。さらに国は焼失した王都の復興といった難題にも取り組まなければならない。勿論、ヴィラ・ハーの凶行も頭が痛い問題だ。お尋ね者を逮捕するために費やされる労力や費用も、馬鹿にならないのである。

 これだけの騒動が起きているにも拘わらず、何とかケルンが激震に見舞われずに済んでいるのは、国王の求心力と指導力があればこそだった。さもなくば国内は今頃大混乱に陥っていただろう。それでも建国以来、これ程国内が騒がしくなったことはない。隣国が虎視眈々と攻め入る機会を窺うのも頷ける。

「ヴィラ・ハーがあと一騒動起こせば、如何に国王とはいえ収拾がつかなくなるじゃろう。そこへナランの兵共が一気に攻め込んでくる……」

「だから国王もヴィラ・ハーの行方を必死に追っているわけ。じゃ、またね」

 ホーガニーに別れの挨拶を返す間も与えず、カレンは一方的に通信を絶ってしまった。水晶球の中にはもはや何も見えない。

「やれやれカレンめ。こういうせっかちなところも、昔と全然変わってはおらん。……さて、待たせたのう、ジェスタ」

 ホーガニーは部屋の隅まで歩み寄ると、ジェスタにかけた術を解いた。

「ちっ、結局卿のことはわからず終いかよ! あのばばあ、本当に調べているのか! 貴族の女共と親しいんなら、それぐらいのこと訊き出せるだろう!」

「まーまー、カレンにはアルドモンド卿の情報を掴んだら教えてくれ……と、頼んであるだけじゃ。無理に調べてくれとは言ってはおらん」

 まるで駄々っ子をあやすように、ホーガニーはジェスタの頭をぐりぐりと撫でた。

「そうなのかよ。で、いつになったらわかるんだ、卿の消息は」

「さーてのう。まあ、慌てる乞食はもらいが少ない……と、いう喩えもある。そのうちカレンも教えてくれるじゃろう。と、いうか」

 ホーガニーは水晶球の傍らに蹲っていたルピアの方をチラリと見た。

「もう知っているようじゃな」

『え、やっぱり!』

 ルピアは机から飛び立ち、ホーガニーの足下へサッと舞い降りた。

『アルドモンド卿の話が出た時、カレンの様子がおかしかったじゃない。変に慌てているみたいで。あれって何か隠し事をしているんじゃないの?』

「多分そうじゃな。儂もカレンと一緒に暮らしたのは四年足らずじゃったが、あれの癖はよう知っておる。普段は思ったことをずけずけ言うカレンが急に口籠もったり、口調がしどろもどろになる時。それは儂に知られては困ることを隠している時じゃった。儂に内緒でこっそり服やアクセサリーを買ったり……とか」

「なら、何でその隠し事を訊き出そうとしなかったんだ、爺さん! おい!」

 ジェスタはホーガニーの胸座をむんずと掴んだ。されどホーガニーは少しも慌てず、何かぶつぶつと呟くと、人差し指で相手の額を軽くつついたのだ。直後、ジェスタは飛び上がり、尻餅をついた。軽い電撃を受けたのである。

「ジェスタちゃんがホーちゃんを苛めた! 乱暴する悪い子にはホーちゃん、何も教えてあげなーい」

「……わかったよ。大人しくしてればいいんだろう?」

 ジェスタはどうにか怒りを鎮めた。もう電撃は御免だと思ったからだろう。こめかみにたてた青筋は完全には消えていなかったが。

「早い話、カレンはアルドモンド卿に関する何らかの情報を得ていたが、儂等には話さなかった……と、いうことじゃな」

「そうか。それならあの婆さん、どうして俺達に卿の情報を教えてくれなかったんだ?」

「そこまでは知らん。儂もカレンに突っ込みは入れられなんだ」

「何でだ?」

 ジェスタがずいと顔を突き出すと、ホーガニーはそっぽを向いた。

「その……じゃな。あまりしつこく訊くと、カレンが怒り出すから……」

「はあ? たったそれだけの理由でか!」

「だってカレンちゃん、滅茶苦茶怖いんだもーん。怒るとホーちゃんのこと夜でもお外へ放り出して、朝になってもお家に入れてくれないのよー」

「何だと、この屁っ放り腰じじい!」

 今度は胸座を掴むだけでは気が済まなかったのか、ジェスタは拳を繰り出した。だがホーガニーは老人とは思えぬような機敏な動作でかわし、ドアノブへ飛びついたのだ。

「じゃ、ホーちゃんは今聞いた話を男爵へ報告しにいきまーす。さよーならー」

「さよならじゃねえだろう! こら、待て!」

 脱兎の如く勢いで書斎から出て行くホーガニー。それを猛然と追うジェスタ。されどルピアは二人を止めようともはやし立てようともせず、一人考え込んだ。追いかけっこどころではない。カレンの話で引っかかった点が幾つもあったのだ。

 凶悪化するヴィラ・ハーの手口。目的のためなら手段を選ばず、無関係の者まで殺害するとは、ルピアも信じ難かった。ヴィラ・ハーが王女の婿候補を狙う理由も不明だ。邪魔者を抹殺し、自ら王になろうとでもいうのだろうか。ヴィラ・ハーは決して愚か者ではない。こんな悪辣非道なやり方では玉座につけないことぐらい、わかっているはずだが。

 そしてカレンは何故、アルドモンド卿に関する情報を封じたのか……。謎は多い。ルピアは頭がごちゃごちゃになり、目眩がしてきた。

『あー、もう止めた止めた。いくら考えても所詮は憶測にすぎないし……。もっと情報が集まるのを待つしかないわね』

 ルピアがブルンと頭を振った時、ジェスタの猛獣のような声と地団駄を踏む音が、一階から聞こえてきた。追いかけっこの決着がついたようだ。こんな時、ジェスタと顔を合わせてもろくな事はない。ルピアは全速力で書斎から出ると、屋外へと非難するのだった。


 九月となり、ケルンの北部に位置するマイアムは急速に秋めいてきた。吹き抜ける風が肌を撫でる際、どことなく冷たいものを感じられるようになってきたのだ。

 この月の四日昼過ぎ、ホーガニーは男爵邸へ一人赴いた。王都から国王の急使がマイアムへ到着したので、男爵より呼び出しを受けたのだ。ルピアは敢えてホーガニーについて行かなかった。国王が急使をマイアムへ派遣した理由が読めていたからである。

『きっとこの間カレンが話してくれた「大事件」について、急使はブラス男爵に知らせにきたんだわ。新情報はなさそうだし、行っても意味はないわね』

 そう考え、ルピアは庭で行水を楽しむことにした。思う存分水浴びをして羽繕いを始めた頃、ホーガニーがふらりと庭へ入ってきた。今回は随分と早い帰宅だ。男爵邸には正味一時間もいなかっただろう。

「ルピア、ジェスタは家にいるか?」

『さっき出ていったわ。あんたのおやつを買いに行ったから』

 ホーガニーの影が直ぐ側までさしても、ルピアは視線を向けようともしない。せっせと嘴で濡れ羽をすいたり、頭をかいたりするばかりで。

「そう、か……。なら丁度いい。お前さんだけに話しておこうと思っていたからのう」

『何かあったの? 王女の婿候補が殺されたって話以外に』

「あった。しかもジェスタにとってはよくない知らせじゃ」

 やっとルピアは動きを止め、ホーガニーを見上げた。視線の先にあったのは、老人の途方に暮れた顔だった。

『旦那にとってよくない知らせって……アルドモンド卿のことね。どうしたの?』

「それが、のう……」

 ホーガニーは暫しの沈黙の後、重たそうに唇を動かした。

「ファーラン公爵が殺害された際、現場近くで数人の護衛がアルドモンド卿を目撃したそうじゃ。ヴィラ・ハーを追跡し、袋小路に追い詰めたその時に」

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