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ルピアと死神の騎士  作者: 工藤 湧
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その4 疑惑

 昨夜、ヴィラ・ハーがヴァドラー大公を殺害――あまりに衝撃的で信じ難い出来事に、ルピアの頭の中は瞬時にして真っ白になってしまった。

『ヴィラ・ハー……様が……? それ……本当……なの?』

「そうじゃ。大公の従者が男爵邸へ駆け込み、そう報告したとか。儂は男爵邸へ行ってくる。帰りは遅くなるじゃろうから、先に休んでいておくれ」

 身支度を整え、ホーガニーは使いと共に慌ただしく男爵邸へ向かった。

 残されたルピアは室内をうろうろと歩き回った。ヴィラ・ハーの復活を知っても気分が晴れない。以前のルピアであったら手放しで喜び、大騒ぎしたはずだ。

 明らかにルピアの中で、ヴィラ・ハーに対する思いが変わりつつあった。今までルピアはヴィラ・ハーの強さ、勇敢な振る舞いに惹かれ、応援してきた。それはとりもなおさず、ヴィラ・ハーが「悪を裁く正義の味方」であったからに他ならない。ところがそのイメージが、今回の事件を機に崩れ去ろうとしている。自分が描いてきたヴィラ・ハー像は、単なる思いこみの産物だったのかも……と、いう疑念が芽生えたのだ。

「何だ爺さん、また出かけたのかよ。さっき帰ってきたばかりだっていうのに」

 背後から声の不意打ちを食らい、ルピアは足が縺れてよろけてしまった。振り向くと扉が開き、ジェスタがフラフラと食堂へ入ってきた。

『あ、あ、旦那。ホーガニーならまた男爵邸へ行きましたよ』

「またか? そりゃどうして?」

 ジェスタには内緒――ホーガニーとの約束を思い出し、一瞬躊躇ったものの、結局ルピアは素直に質問に応じた。黙っていても早晩発覚するからだ。ヴィラ・ハーがヴァドラー大公殺害に失敗し、負傷して行方知れずになったことは、翌日にはマイアム全住民の知るところとなったのである。

 ルピアから話を聞いたジェスタは、ヒューッと口笛を吹いた。

「ほー、ヴィラ・ハーが生きていたとはな。でもよ、その大公をった奴って、本当にヴィラ・ハーか?」

『多分。大公のお付きが姿を見ているんじゃないんでしょうか』

「矢を胴体に三本もぶち込まれて生きているなんて、普通じゃ考えられんぞ。昨夜大公を殺したのは偽者じゃないか? それとも男爵の屋敷を襲撃した方が偽者だったとか」

『少なくとも男爵邸に現れた方は本物ですよ。突然目の前に現れましたし、剣技も凄かったし。二本の長剣を振り回し、あっという間に衛兵を五人も倒したんです』

 そう言い返した直後、ルピアは内心しまったと後悔した。ジェスタが顔をしかめたのだ。ルピアの台詞――二本の長剣を云々という箇所が気に障ったのである。

 ジェスタはヴィラ・ハーのことを快く思っていない。平気で人の命を奪う残忍さが気に食わないというのだが、理由はそれだけでなかった。かつての主・アルドモンド卿のことを連想し、いい気持ちがしないようなのだ。ヴィラ・ハーは両刃の長剣、アルドモンド卿は片刃の三日月刀と愛用する武器こそ異なるが、共に名の聞こえた二刀流の使い手であった。

 幸いにもルピアとジェスタの間に気まずい雰囲気が漂ったのは、ほんの僅かな時間だけだった。ジェスタは直ぐにへへっとせせら笑いを見せたのだ。

「あ、そう。それで爺さんは男爵の屋敷へ飛んでいったのか。ま、どのみち俺には関係のないことだ。そういうことはお偉方に任せておけばいいんだからな」

 鼻歌交じりに食堂から出て行くジェスタ見て、ルピアは不安を覚えずにはいられなかった。ジェスタは極力厄介事には関わらない主義だ。アルドモンド卿のように世のため人のために、命を課して戦うことなど間違ってもしないし、第一出来ない。ヴィラ・ハーが何をしようと我関せず……と、いうわけである――彼の批判はするが。

 ヴァドラー大公の死によって、ケルンは激震に見舞われるかも知れない。そうなれば国民は誰一人として、安穏と暮らすことなど出来なくなってしまうのだ。もし自分の身に困難や災いが降りかかったら、ジェスタはどうするのか。アルドモンド卿の許から逃げ出したように、また逃げるのか。正面から立ち向かおうとはしないのか。ルピアは主の背中へ向かってそう訴えたかった。


 その日ーー八月七日の午後十時過ぎ、ジェスタがベッドで高鼾をかいていた頃。人の気配を感じたルピアは、玄関へまっしぐらに飛んでいった。ホーガニーが帰宅したのだ。

『お帰り。それでどうだったの?』

「ルピア、年寄りはもっと労るもんじゃぞ。甘茶を一杯、寝室まで持ってきてくれんか」

『あ、御免御免。わかったわ』

 ルピアは台所へ急行し、茶の支度を始めた。ホーガニーは二晩ろくに睡眠もとらずにヴィラ・ハー捜索に携わったうえ、自宅で休む間もなく男爵邸へ戻ったのだ。疲労もピークへ達し、もうへろへろ。倒れる寸前であった。

 ルピアがカップを乗せたワゴンを押して寝室へ行ってみると、ホーガニーは暗闇の中で安楽椅子へもたれ掛かり、眠っていた。普段のホーガニーなら灯の魔法で室内を明るくするところだが、そんな簡単な術すら使う気力もないようだ。

 ルピアは燭台の蝋燭に火を灯し、ワゴンを安楽椅子の方へ向かわせた。ワゴンが横へついた途端、ホーガニーはがばりと起きてカップを掴み、無我夢中で茶を飲み始めた。

「フーッ、やれやれ。やっと一息着けたわい。それでルピア、お前さんが聞きたいのは昨夜の件――ヴィラ・ハーが大公を殺めたことじゃったな?」

『ええ、そうよ。詳しいことを教えてちょうだい』

「その事じゃがな……」

 空のカップをワゴンへ戻し、ホーガニーは背もたれに身を預けたまま話し始めた。

 昨夜――八月六日の夜。王都へ帰還する途中、大公一行はシュルト山麓の宿に宿泊した。ヴィラ・ハーはもはやこの世の者ではないと「思いこんでいた」ヴァドラー大公は、側近の心配も余所に護衛を室外に待機させただけで、一人部屋で休んだ。

 消灯した午後十時過ぎ、突如部屋からヴァドラー大公の叫び声が上がった。待機していた護衛は即刻室内へ踏み込み――中を見て我が目を疑った。暗闇の中、青白い燐光の塊が動いている。スルシスに跨ったヴィラ・ハーだった。

 そして護衛は、更なる衝撃の光景を目の当たりにする事となった。ヴィラ・ハーが手にした剣が、ベッドの方へと伸びていたのだ。床に横たわるヴァドラー大公の左胸へと。

 怒れる護衛は雄叫びを上げて得物を抜き、ヴィラ・ハーへ襲いかかった。ところがヴィラ・ハーはくるりと馬首を返し、窓を突き破って外へ飛び出したのだ。部屋があるのは三階、飛び降りて無事に済まされる高さではなかったが、スルシスは軽やかに着地。追手を振りきり、ヴィラ・ハーは闇の中へと消え去った。

「事件の直後、側近の命で王都とマイアムへ使いが走り、今日になって男爵の知るところとなった訳じゃ」

『成程。……で、ヴィラ・ハー様はピンピンしていたってこと?』

「そうじゃ。前夜にあれ程の深手を負ったはずなのに、痛む素振りすら見せなかったとか。鎧には矢の跡――穴すら空いていなかったというし……」

『何かおかしいわ。もしかしたら、大公を殺したのは偽者だった……なーんてね』

「五日の夜に大公の側にいた側近が、宿から逃走するヴィラ・ハーを目撃している。その側近が間違いないと言っているのじゃから、本物じゃろう。これまで同様、唐突に相手の目前に現れたし……。さてさて、これで厄介なことが起きなければいいがのう」

 ルピアは小さく頷いた。わかっていたのだ。「厄介なこと」が実は二つあることを。

 一つ目は国情だ。ヴァドラー大公の死により、ほぼ内定していたロミナ王女の婿選びが暗礁へ乗り上げてしまう。第二候補の親衛隊長ファーラン公爵、第三候補のアラート副提督などの各候補が動き出すだろう。国王や王女のご機嫌伺いをするならまだしも、足を引っ張り合ったり牽制し合ったり、他勢力を取り込もうとしたりと政戦が激化。国王が抑えきれないほど大規模化する恐れもある。

 同様に財務大臣の後任選びも頭が痛い問題だ。財務大臣は国の金庫番。激務であるうえ、不正発覚時の処分が大変厳しい。過去にこの職に就いたとある貴族は、部下の横領を見抜けなかったために、辞任させられたばかりか爵位も下げられたという。このため、財務大臣になりたがる人間が殆どいないのだ。加えて不正や汚職に手を染めず、かつ国富をしっかりと管理出来る能力が求められるのだから、人選が大いに難航するのは目に見えている。

 二つ目は今回の事件におけるマイアムへの処分だった。もしヴァドラー大公がマイアムを発たなければ、ヴィラ・ハーに襲われることはなかったかも知れない。たとえ襲撃されても、町中ならば守りきれた可能性もある。どうしてヴァドラー大公を王都へ向かわせたのか。強引にでも引き止めるべきではなかったのか――と、糾弾されかねない。

「明日早々に、男爵は王都へ向かわれることになった。自ら事情を説明し、国王や大公の母君であるエリアナ王女にお詫び申し上げるためにな」

『まー、男爵も律儀ね。謝る理由なんて何もないのに。マイアムは大公のために衛兵を五名も失っているんだから、逆に国王から賠償金をふんだくってやればいいのよ』

 ホーガニーは苦笑した。ルピアの主張もあながち間違ってはいないからだろう。国王に面と向かい、賠償金を請求出来る度胸があればの話だが。

『ところでホーガニー、あんたは王都へ行かないの?』

「残念ながらホーちゃんはお・る・す・ば・ん」

『よかった……。あんたが行ったら話がややこしくなるだけだもの』

「あんまりじゃのう。儂がマイアムに残ったのは男爵のご配慮じゃ。何しろ王都まで六、七日かかる。旅の途中では美味い甘物が口に出来ん」

『やっぱり最後はそこへ行き着くのね。この底なしの甘党』

 ルピアに憎まれ口を叩かれても、ホーガニーは文句一つ返さない。ベッドへ直行し、そのまま眠り込んでしまったのだ。ルピアへの報告も終わり、根尽きてバタンキュー……と、いったところか。

 しまりのない顔で眠るホーガニーを放置し、ルピアは寝室を出た。胸の内で不可解な謎がモヤモヤと蠢いている。僅か一日で傷を回復させ、相手の油断に乗じてヴァドラー大公を討ち取ったヴィラ・ハー。とても人間業とは思われない。

『ヴィラ・ハー様には治癒師いやしての相棒でもいるのかしら? それなら一日で傷を治しても不思議じゃないけど。うーん、わからないわ……』

 ヴィラ・ハーは何者なのか。人間なのか、それとも幽霊や魔物の類なのか。謎は深まる一方だった。


 まだまだ残暑厳しい、八月十七日の午後二時頃。今や大量の本も綺麗に片付き、すっきり広々とした地下書斎で、ルピアは一人休んでいた。地下室はとても涼しく、日中の暑さを凌ぐにはもってこいの場所なのだ。

 ルピアが椅子の背もたれの上で、気持ちよさそうに船をこいでいると、何の前触れもなく机の左隅にあった水晶球がブーンと音を立て、光を発した。そして声も。

「こんにちは。あら、あなた召使い鳥? ホーガニーはいないの?」

 真っ暗だった室内が水晶の光に照らされ、ルピアは明るさに戸惑いながらも水晶球を覗き込んだ。球体の中に四、五十代と思しき女の顔が映っている。小豆色のローブを纏い、耳には大きなリング状のイヤリング。化粧も濃いめだ。今でこそ顔に皺も目立つが、昔――三十年ほど前はかなりの美女であったろう……と、いう面影があった。

 ルピアは一目見て、この年配女性が魔術師に違いないと感じた。魔術師は遠く離れた場所からも水晶球の魔術を用いて、別の魔術師と話し合うことが出来る。まさにその術で、女魔術師はホーガニーに連絡をしてきたのだ。

 相手が近くにいない以上、テレパシーも届かない。ルピアは書斎から飛び出し、ホーガニーを呼びに行った。ホーガニーは食堂でケーキを堪能している最中だったが、ルピアの呼び声を耳にするやフォークを放り出し、全速力で水晶球の前へ駆けつけた。

 ところが水晶球の前へ立ったホーガニーを見て、女魔術師は癇癪を起こしたのだ。それこそ竜の咆哮に匹敵するかのような、凄まじい剣幕で。

「何よあんた、髭にクリーム付けて! またケーキを食べていたわね! 身体に良くないから止めろって、口を酸っぱくして注意したじゃない! 忘れたの!」

「すまんすまん、カレン。頼むからそれぐらいで勘弁してくれんか」

 ホーガニーが手を合わせてへこへこ頭を下げると、女魔術師――カレンも機嫌を直したのか、口を閉ざした。額の汗を拭い、ホーガニーはルピアにカレンを紹介した。

 カレンはホーガニーの古くからの知り合いで、王都在住の魔術師だ。ただ魔術師といっても魔術は片手間で、より得意で才のある占術を生業にしているとのことだった。

「それでカレン、例の件はどうなったのじゃ?」

「ブラス男爵のことでしょう? 大丈夫、お咎めなしとのことよ。大公が勝手にヴィラ・ハーは死んだと思いこんで、男爵の制止を振り切った。今回の事件は大公の軽率な行動が原因、自業自得ってことになったわ――大公には気の毒だけどね」

「そうか、よかった……」

「逆に国王はマイアムでよく大公を守ったと、男爵に労いの言葉をかけたそうよ。これでマイアムは安泰じゃないの」

 カレンからの報告を聞いて、ホーガニーは椅子の上へ崩れ落ちた。ブラス男爵が責任を追及されずに済んだと知り、心底安堵したのだ。

 国王がブラス男爵に如何なる処分を下すか、ホーガニーはカレンに頼んで調べてもらったようだ。しかし、一介の魔術師兼占い師であるカレンが、如何にして王宮内の情報を知り得たのか。疑問に感じたルピアが尋ねると、ホーガニーは少々言いにくそうに説明した。

 カレンの占い場には様々な客が訪れるが、その中には少なからぬ数の貴族の子女が含まれていた。カレンの占いはよく当たると、上流階級の間では評判がいいらしい。ただその様な上得意は大層な口軽で、カレンが訊く訊かないに関係なく、ぺらぺらと宮廷内の噂や情報を漏らすという。故にカレンは彼女らのことを陰で「宮廷雀」などと呼んでいた。

「今回のブラス男爵に関する情報も、その宮廷雀が教えてくれたわけ。雀共、男爵が凄い美丈夫だから、大騒ぎしたみたいよ。馬鹿馬鹿しいったらありゃしない」

 そう言うとカレンはカラカラと笑った。

「そうか、男爵が王宮を訪問されるのは初めてじゃったのう。兄上のエンディル様は、何度か国王に謁見されたことがあったと聞いているが」

「そうそう、そのエンディルとかいう人のことも話していたわ。エンディル・ブラスは今のブラス男爵とは全然似ていない、本当に兄弟なのかって。顔の善し悪しみたいな、どうでもいい下らないことは、呆れるくらいよく覚えているのよね。宮廷雀は」

「はてさて、女子おなごは幾つになっても男のことになると――」

「何か言った?」

 水晶球の中から、カレンがホーガニーへ冷たい一瞥をくれた。

「い、いや……。ところでその後、男爵はどうされた?」

「男爵なら昨日、王都を発ったわ。雀共のピーチクパーチクうるさい声に、うんざりしたんじゃないの? あ、あと……」

「ん? あとなんじゃ?」

  ホーガニーの問いかけに、カレンは悪戯っ子のように口元を緩めた。

「ちょっと厄介なことが起こったのよ、ブラス男爵のことで」

「な、何じゃと! 男爵の御身に何があったのじゃ!」

 水晶球を両手でがっちり抱え込むと、ホーガニーは食らいつかんばかりの勢いで見入った。その顔が余程おかしかったのか、カレンはプッと吹き出した。

「あらま、何よその顔は。あんたの真顔、本当久し振りに見たわ。でも心配ご無用、ブラス男爵の身には何も起きていないから。起きたのは宮廷内、ロミナ王女よ」

「はあ? 王女が何か……」

「どうやら一目惚れしたみたい。ブラス男爵に」

「な、な、なにーっ!」

 カレンの突拍子もない発言に、ホーガニーはひっくり返りそうになった。

「あーら、知らないの? ロミナ王女って物凄い面食いなのよ。宮廷雀の間じゃ有名なんだから。しかもその面食いも、今に始まったことじゃない。相当昔からって話だわ」

「そりゃまたいつの頃から……」

「十年前から。十年前、あのアルドモンド卿が騎士の称号を授かるため、王宮を訪れたことがあったのよ。その時に彼のことを好きになったんですって。呆れちゃうわ。子供のくせに、ませた娘。アルドモンド卿も結構な男前だったそうだけど」

 軽い頭痛を覚えているのか、ホーガニーは力無く片肘をついた。

「夫にするならブラス男爵か、アルドモンドがいい――そんな戯けたこと、王女はぬかしているそうよ。だから大公が死んでも、悲しむ素振り一つ見せやしない。むしろいなくなって清々しているんじゃないの? 身勝手な娘だから」

「何と厄介なことに……」

「ねー、厄介なことでしょう? それじゃ、何かまた面白い動きがあったら、教えてあげるわ。じゃあねー」

 陽気な声と共に、水晶球の中からカレンの姿は消えた。

 書斎を後にして居間へ入るや否や、ルピアとホーガニーは顔を見合わせた。ロミナ王女がブラス男爵を見初めるなど、予想外の展開だ。

『びっくりしたわ、本当に。男爵が王女にモーションかけたのかしら?』

「いや、王女に対しては、儀礼的な挨拶をされただけのはずじゃ。男爵はあまり異性には関心を持たぬ方じゃからのう」

『もてるわりには奥手なのね、男爵って』

「領主となられた以上、いずれ奥方を迎えられることになるはずじゃが。それにしても、男爵は王女が好意を持たれていること、御存じなのかのう。もし御存じでなかったら、とてもお耳に入れることは出来ん」

『普段は脳天気なくせに、男爵のことになると急にマジになるのね、あんたって』

 するとホーガニーは背をしゃんと伸ばし、胸を張った。

「ウォッホン! 男爵は儂がお小さい頃から、手塩にかけてお育てした方じゃからのー」

『……本当、あんたの馬鹿がうつらなかったのは奇跡だわ。ところで、カレンって本当に「ただ」の知り合い?』

 ルピアは訝しんでいた。カレンがホーガニーに対し、全く遠慮しなかったことを。単なる知り合いが出会い頭、「ケーキを食べるな!」などと怒鳴り散らす訳がない。

 得意げな態度が一転、ホーガニーは黙り込んでしまった。ルピアが睨み付けても、故意に目線を外そうとする。明らかに焦っているのだ。でもルピアは、少しも追及の手を緩めようとはしなかった。

『もう一度訊くわね。カレンは本当に「ただ」の知り合い?』

「それは……」

『正直におっしゃいなさい』

「……お察しの通りで御座います」

 観念したのか、ホーガニーはか細い声で答えた。ルピアの勘は的中したのだ。

『別れた理由は訊かないわ。大体想像つくから。で、どうやってくっついたの?』

「それは今を遡ること三十年前、儂が三十一、カレンが二十二の……」

『だから出会いじゃなくて、どうやってカレンを引っかけたのかって訊いているの!』 

 大声を張り上げて凄むルピアの前で、ホーガニーは完全に固まってしまった。俗に言う「蛇に睨まれた蛙」状態である。

 ルピアにはカレンがホーガニーをプッシュしたとは思えなかった。カレンは軽薄な貴族の子女を軽蔑していた。安易に男について行くようなタイプではないのだ。

 と、なればホーガニーが、カレンにアタックしたに違いない。だが普通に交際していれば、ホーガニーのどうしようもない性格が見えてくるはず。それがカレンに発覚しなかったのは、ホーガニーが巧みに隠すなり誤魔化すなりして欺いたということだ。そう、何らかの「だまし」のテクニックを駆使して。

『カレンを口説く時、どういう手口を使ったのよ! 洗いざらい白状しなさい、この詐欺師! まさかそんなことまでブラス男爵に教えたんじゃないでしょうね!』

「んー、何のことかなー?」

『ちょっと何よ! ひとの話を聞いているの!』

「ホーちゃんの耳、今日はお休みなのー」

 ホーガニーははぐらかすだけで、口を割ろうとはしない。あまりの往生際の悪さに、ルピアの怒りは頂点へ達した。

『話さないと言うのなら、こっちにも考えがあってよ! 女は怒ると怖いんだから!』

 一声高く鳴くと、ルピアはホーガニーの両肩を背後から脚でがっちり掴み、髪を天辺からむしり始めた。図太い嘴が頭へ突き刺さる度に、ホーガニーは堪らず悲鳴をあげた。

「ギャー、ルピア! 止めてくれ! 頼むから許してくれぃ!」

 白い毛を撒き散らしながら、居間を駆けずり回るホーガニー。されどルピアの攻撃は激しさを増すばかりで、一向に止む気配はなかった。


 八月三十日の昼過ぎ。ルピアはホーガニー、そしてジェスタと共に男爵邸へ赴いた。今回は何故かジェスタにも、ブラス男爵から呼び出しがかかったのだ。

 執務室ではブラス男爵がソファーに座し、三人の来訪を待っていた。客人が前の席へ着くと、ブラス男爵は一呼吸おいてから話し始めた。

「三人ともよく来てくれた。礼を言う。ところでホー爺、髪の具合は良くなったか?」

「ハハハ……。お陰様で少しずつ生えて参りました」

 頭に出来た円形禿をさすりながら、ホーガニーは一礼した。隣ではルピアが「またいつでも禿をこさえてやるわ」と、言うように、嘴をカチカチ鳴らしていたが。

「さて、足を運んでもらったのは他でもない。ジェスタ、お前に訊きたいことがあるのだ」

 ブラス男爵の意外な言葉に、ジェスタはえっと身を乗り出した。

「俺にですか?」

「そうだ。お前は以前、騎士アルドモンドに仕えていたことがあったと聞いているが」

「そうですけど……。俺が卿の従卒やっていたのは、もう四年も前のことですよ」

 ジェスタは露骨に嫌な顔をした。アルドモンド卿の従卒時代は、あまりいい思い出がない。加えて逐電した後ろめたさもあるのだろう。

「気を悪くしないで聞いて欲しい。お前が従卒として旅をしている間、アルドモンドは何か不審な行動をとったり、不可解な仕種を見せたりはしなかったか?」

「そう言われても……」

「どんな些細なことでもいい。何か思い当たることはないか?」

「うーん……」

 四、五年前の記憶を呼び起こそうと、ジェスタは目を瞑った。忙しなく頭をあちこちに動かしているうちに、何か思い出したのかハッと目を開けた。

「そう言えば旅で村落へ寄る度に、古老の許を訪ねて熱心に話をしていました。あと、書庫や図書館があると聞けばそこへ籠もって、丸一日出てこなかったり……。俺の目には卿が何か調べているように見えましたけど、何を調べていたかはわかりません」

「そう、か……」

 ブラス男爵は深く溜息をついた。心労でも抱えているのか、顔色が冴えない。ホーガニーが主の心を慮り、尋ねた。

「男爵、何か困ったことでも?」

「うむ……。実は今日、陛下の使者がここを訪れたのだ。私にこれを渡すために」

 ブラス男爵はテーブルの端に置いてあった木箱を開け、中から筒状に丸められた羊皮紙を取り出した。王都やリーベンゲルのような大都市ならば、水晶球による連絡網が完備されている。だがマイアムは北部の小規模な地方都市。よってそのような設備はなく、何か国王からの急な知らせがある場合は、王宮から早馬が飛ぶことになるのだ。

「国王からの書簡ですか。拝見してもよろしゅう御座いましょうか?」

 無言で頷くブラス男爵。ホーガニーは王紋の刺繍が施された帯を解き、書状を広げた。

「えー、何々……。『騎士アルドモンド、国家反逆罪により騎士の称号を剥奪する。もしこの身柄を確保した場合は、即刻王都へ連行すべし……』 はあ!」

 ホーガニーの手からバサリと書状が落ちた。尋常ではない内容に全身の力が抜けてしまったのだろう。国王からの書簡はアルドモンド卿の逮捕状だったのだ。

「こ、これは一体どういうことで……。アルドモンド卿が何をされたと……」

「ホー爺。陛下はヴィラ・ハーの正体は、アルドモンドではないかとお考えのようだ……」

「ま、まあ、以前からそんな噂はちらほらとありましたが、何で急に逮捕状など……」

「今までヴィラ・ハーに殺害された犠牲者は、皆民を虐げ苦しめた者。故に陛下も犠牲者が貴族や役人であっても逮捕の命は口頭のみ、大目に見てこられたところがあった。だが大公までもがヴィラ・ハーの手にかかり、陛下もついに――」

「でも、何を証拠に!」

 突如大声をあげ、猛然と反論したのはジェスタだった。

「そりゃ卿は俺にも自分自身にも厳しい人でしたけど、断じてヴィラ・ハーなんかじゃありません! 卿は人殺しが嫌いで、盗賊退治をするにしたって殺すのは頭だけ。それだってやむを得ない場合だけです。残りの子分共は必ず全員捕まえて、役人に引き渡していました。ヴィラ・ハーみたいな殺人狂じゃないですよ!」

「これこれジェスタ、落ち着きなさい。気持ちはわかるが、ここは男爵の御前じゃ」

 ホーガニーに宥められ、ジェスタは口を閉ざした。しかしそれも長くは続かず、一層厳しい口調でブラス男爵に詰め寄った。

「それで俺に卿のことを訊いたんですか! 一体どういう意図があって!」

「もしアルドモンドがヴィラ・ハーであれば、何らかの前兆があったのではないかと考えたのだが……。どうやら見当違いだったようだな」

「当たり前じゃないですか。卿はヴィラ・ハー何かじゃありませんよ、絶対に! そこまで言うんでしたら何か証拠を見せて下さい、証拠を!」

「うむ。その『証拠』については、使者はこう言っていた……」

 国王の使者曰く、アルドモンド卿には現場不在証明アリバイがないのだという。ヴィラ・ハーが最初に現れたのはおよそ一年前のこと。ところがその頃から今まで、アルドモンド卿を国内で見かけたという情報が全くないのだ。

「アルドモンドの目撃証言は昨年の四月、北の国境にて得られたものが最後だ。ヴィラ・ハーが最初に現れた――いや、最初に死の予告をしたのは、去年の八月三日だと聞いている。故にアルドモンドが何らかの摩訶不思議な力を手に入れてヴィラ・ハーとなり、国内で暴れているのでは……と、いう推測が成り立つという訳だ」

「そんな……。北の国境にいたってことは、メサ神聖国にでも行っているんじゃ……」

「確かに。だが、政治的な観点から見た証拠もあるということだ。アルドモンドには大公を殺害する理由があると」

「何ですって!」

 聞き捨てならぬと言わんばかりに、ジェスタはテーブルへ掌を叩き付けた。直ぐさまホーガニーがたしなめたので、謝りはしたが。

「知っての通り、大公は近くロミナ王女と正式に婚約をされるのではないかと噂されていた。その大公が亡くなれば、得をするのは誰だ? わかるな、ジェスタ」

「そりゃ他にも候補はいましたから、その連中が喜ぶんじゃないですか?」

「その通り。当初、生き残っている候補へ疑いの目が向けられたが、全員ヴィラ・ハーが現れた夜に、完全なアリバイがあることが確認された。では候補者以外に、王になれそうな者はいるのかということになり――」

「卿が疑われたんですか!」

 ブラス男爵はゆっくりと頷き、語った。アルドモンド卿がロミナ王女に気に入られていると。平民出身でも、王女が我が儘を押し通せば王になれる可能性はあると。

 ただ、この王女の好意という点については、ブラス男爵もアルドモンド卿と同じ立場にある。ブラス男爵が疑われずに済んだのは、ヴィラ・ハーとマイアムで直接戦ったからだ。

「そんな馬鹿な! きっと他の候補の連中が、陰でヴィラ・ハーを操っているんですよ! そしてその罪を卿になすりつけようとしている……そうに決まっています!」

「そうかもしれないが、使者が言うのだ。決定的な証拠があると」

「決定的な証拠……?」

「ヴィラ・ハーは二刀流で、剣技も超人級。同様に両手で剣を自在に扱い、かの者に匹敵する技量をも持ち合わせた人物は、ケルン国内では一人しか――」

 「決定的な証拠」に止めを刺され、ジェスタのテンションは奈落の底まで落ちていったようだ。アルドモンド卿の実力は、近くで仕えていたジェスタが一番よく知っていたのだから。群がる盗賊に次々と峰打ちを食らわせ、灼熱の炎を吐く竜を一撃で葬る凄さを。

「男爵……。卿は王位なんかに興味はありません。騎士になれば国王の親衛隊員にだってなれるのに、卿はそれを蹴った。自分の力を人々の平和のために活かしたいって、いつも言っていました。あの人は子供の頃、自分の家族を強盗に惨殺されているから……」

「私も同感だ。かつて一度だけアルドモンドに会ったことがあるが、立身出世に関心があるようには見えなかった。私も使者にその旨を伝えたのだが、否定する決定的な材料に欠ける。やむなく書簡を受け取った」

「そ、そしたら、もし卿がマイアムへ来たら……」

「捕えて王都へ送る」

 沈鬱な面持ちでブラス男爵は目を伏せた。苦渋の末の決断だったに違いない。だがジェスタは引き下がらない。捕まったら最後、アルドモンド卿は確実に処刑台へ送り込まれてしまうのだ。目を潤ませ、ジェスタは喉が張り裂けんばかりの声でブラス男爵へ迫った。

「そんな、何とかならないんですか! あなたも貴族なら、国王に進言するなり……」

 ジェスタは急に口を噤んだ。後ろからルピアが襟元を引っ張っていたのだ。

『旦那。もし男爵がアルドモンド卿に変に肩入れすれば、今度は男爵家が疑われるんですよ。国王に睨まれれば地方貴族なんて、あっという間に取り潰されてしまいます』

「……何てこった。畜生、世の中何でこんな理不尽なことがまかり通るんだよ……」

 頭を抱え込み、ジェスタはテーブルへ俯した。しかし意外にも、主へ向けられたルピアの眼差しは、何処となく嬉しげであった。実のところ、少し主を見直したのだ。ジェスタがアルドモンド卿のことを必死に庇う様を目の当たりにして。

『旦那は騎士になるための厳しい修行や、それに耐えられずに逃げ出したことが嫌でアルドモンド卿を避けているだけ。アルドモンド卿のことを聞くと不愉快になるのは、嫌な思い出に繋がる人物だから。決して人柄が嫌いな訳じゃないんだわ。むしろ好きなのよ。さもなきゃあんなに向きになって、アルドモンド卿のことを弁護したりはしないわ』

 ジェスタの思いやりを垣間見たルピアであったが、今は喜んでいる場合ではない。アルドモンド卿が逮捕されれば、ジェスタの思いはどうなるのか。ケルンは本当にヴィラ・ハーの脅威から救われるのか。疑惑と不安が影となり、ルピアの心を覆い尽くそうとしていた。

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