その3 死神は再び現れる
泣きそうな顔をして買い出しへ出かけたジェスタを見送ると、ホーガニーはルピアを自宅へ招いた。ホーガニーの家は先程ルピアが覗き見をした中年男宅の近隣にあり、規模も普通の民家より少し大きい程度の質素なものだった。
帰宅して直ぐ、ホーガニーは朝食の支度をするために台所へ消えた。食堂で待っている間、ルピアは軽い恐怖感を覚えた。ホーガニーは無類の甘党、まともな食事を出してくれるのかどうか。昔、前の主のわび住まいを訪れたホーガニーが、紅茶に角砂糖を十個も入るのを目撃、ひっくり返るほど驚いた――そんな記憶がルピアの脳裏を過ぎったのだ。
半時間ほどしてホーガニーは食堂へやってきた。が、ワゴンの上に並べられた料理を見て、ルピアは顔が引きつった。焦げ目が見えなくなるくらいクリームをべたべたに塗ったパン。表面がテカテカに光る蜜漬けのハム。砂糖がこんもり盛られた輪切りのオレンジ。カップから湯気をたてているのは、シロップの代用品にもなる東部産の甘茶だ。
「ファッファッファ、安心せい。ほーれ、お前さんの分はちゃんとここにあるぞい」
ホーガニーは焼きベーコンを乗せた皿を食卓へ置いた。ルピアは恐る恐る首を伸ばし、じっと観察した。どうやら何も加味されていないようだ。
ホッとしたルピアは、ベーコンをついばみ始めた。その正面でホーガニーは、口が曲りそうに甘い料理をさも美味そうに食べている。ルピアは頭がくらくらしてきた。
『よくもそんな物を毎日食べて、身体がおかしくしならないわね、ホーガニー』
「じゃからホーガニーじゃなくて、ほ・お・ちゃ・ん」
フォーク片手にホーガニーがウインクしても、ルピアは無視を決め込んだ。これが六十をすぎた男のやることだろうか。いくら優秀な魔術師とはいえ、こんないかれた老人を相談役に招くブラス男爵の気が知れない――と、ルピアは開いた口も塞がらなかった。
朝食後、静かな所でじっくり話をしようと、ホーガニーはルピアを地下書斎へ誘った。が、ホーガニーが書斎の扉を開け、灯をつけた途端、室内の凄まじい「惨状」がルピアの目に飛び込んできた。多数の魔術書や文献が床を埋め尽くし、天井近くまで支柱の如く積み重ねられていたのだ。床が覗いているのは、扉から部屋の奥に据えられた机へ至る「道」だけだった。
ルピアは室内へ入るのを躊躇った。もし何かの拍子で「書物雪崩」でも起きようものなら、巻き込まれてぺちゃんこだ。ホーガニーも頭にたんこぶくらいでは済まされまい。
「怖いかなー、ルピア。大丈夫じゃよ。『魔物大系第十四巻』、お出でませー」
ホーガニーが指を鳴らすと、「道」沿いに積まれていた本が一冊、スルリと抜けてその手へ収まった。上に乗っていた本は揺らぎもせず、宙に浮いたままだ。
『成程、本に魔術を施して意思を持たせているのね。やるじゃない』
「なんのなんの。これなら地震がきても、本が浮かび上がって崩れることはないから安全じゃろう?」
本は呼べば主の手元へ飛んでくる。探し出すのには何の不自由もないが、見てくれは悪い。そこで隣に新設した書庫へ移動させようというのだが、蔵書は優に千を越える。おっくうなので、その作業をジェスタにやらせる腹なのだ。
呼び出した本を戻し、ルピアは机の端へ、ホーガニーは机の側の椅子へ落ち着いた。
「さーてルピア、何から話そうかのう。お互い積もる話もあるじゃろうからな」
『昔話もいいけど、さっき岩親父と話していたこと、教えてよ。ヴィラ・ハー様のこと』
「聞いておったのか、アイル隊長との話を」
『詳しいことはわからなかったわ。声も小さかったし。ただあんたがヴィラ・ハーの件が……って言ったんで、ピンと来たわけ。で、ヴィラ・ハー様がどうしたの? ね、ね』
するとほんの一瞬、ホーガニーの顔に暗い影のようなものがさした。これは大変珍しい事だ。ホーガニーは根っからの陽気者、常に笑顔を絶やさない。昔、いくら師匠にこっぴどく叱られようと全く堪えず、ヘラヘラ笑っていたくらいに。
「ルピア……。お前さんもしや、ヴィラ・ハーのことが好きなのか?」
『はーい、大ファンでーす! ヴィラ・ハー様、ステキ! ヴィラ・ハー様、しびれるぅ!』
「どうしてそこまで熱を上げる?」
『決まっているじゃないの。ヴィラ・ハー様は強くて格好良い、正義の味方だからよ!』
「正義の味方、か……。確かにそうじゃったな――今までは」
『え? それってどういうこと?』
ルピアに訊き返され、ホーガニーは困ったように白い眉をかいた。
「ルピアよ。お前さんが儂やブラス男爵の言動に一切口出しせず、邪魔も手出しもしないと約束出来るのなら、話してもいいぞ。どうじゃ?」
『……わかった、するわ。約束する』
ヴィラ・ハーファンの自分に首を突っ込まれては、何か好ましくないことでもあるのか。不安を抱きつつも、ルピアはしっかりとホーガニーを見返した。
「よし、それでは話そう。ルピア、ヴァドラー大公をのことを知っているかな?」
『勿論。国王の甥で現財務大臣、それでいてロミナ王女の筆頭婿候補よね』
ケルン王国の現国王・ベルドラン二世には、世継ぎの王子がいない。一人娘のロミナがいるだけだ。ケルンの国法により女王は即位出来ない。国王の子供が女子のみの場合、王位の第一継承権は長女の配偶者が得ることになる。
ロミナ王女は今年十七歳だったが、既に婿候補は幾人かいた。中でも家柄と政治力で第一候補――玉座に最も近いと目されているのが、国王の姉の一子ヴァドラー大公だ。
そのヴァドラー大公が今、避暑のためにこのマイアムを訪れている。大公はマイアムに別荘を所持していないので、ブラス男爵の屋敷に滞在しているそうだ。
「昨夜、大公が宿泊されている部屋に、矢文が打ち込まれた。差出人はヴィラ・ハーじゃ。八月五日――明日の夜十一時に大公のお命を頂戴するため参上すると、な」
『何ですって! そんなの嘘に決まって――』
ホーガニーへ怒りの一撃をお見舞いせんとしたルピアだったが、すんでのところで嘴を引っ込めた。ルピアがカッとなった理由。それはヴィラ・ハーが、ヴァドラー大公殺害を企てるはずがないからだ。ヴィラ・ハーは多くの者を葬ってきたが、どんなに格が上でも中級の貴族止まり。王家の者にまでその刃が及んだことはない。さらに――
『……ヴァドラー大公って、悪人だったかしら? 表じゃ何も悪い噂は聞かないけど』
「少々自信過剰で向こう見ずなところはあるが、実直な方との男爵のお話じゃ。じゃから財務大臣という重職を任されておるのじゃろう」
『もしかしてその矢文事件、ヴィラ・ハー様の名をかたる偽者が仕組んだんじゃ……。大公ならいつ命を狙われても不思議じゃないもの。他の婿候補が刺客を送っても』
「その可能性も否定出来ん。でも警備の厳重な男爵邸、しかも大公の部屋に矢文を打ち込むことなど、誰にでも出来ることではなかろう。ヴィラ・ハーは狙った相手が何処にいようとも、必ずやって来た。エンディル様の時など、寝室にいきなり現れたそうじゃ」
ルピアは五日前、草原で起こった出来事を思い出した。ヴィラ・ハーは何の前触れもなく突然相手の前へ現れ、煙の如く消え去った。どうも瞬間移動能力を持っているらしい。
「矢文が見つかって、男爵の使いが儂の許へ来た。儂は直ぐに男爵邸へ赴き、この事について主要人物を集め、協議することを男爵に勧めた。そして家へ戻る途中で、衛兵隊長のアイルにその件を伝えに行ったのじゃ」
『それで対策会議を、今日の午後に開くことになったのね。私も参加させてよ』
「だーめ。会議に連れて行く訳にはいかん。部外者は立ち入り禁止じゃ。ただし会議が終わったら、お前さんを男爵に紹介してやろう。でも男爵の御前でヴィラ・ハーの話題はタブーじゃぞ。兄上のエンディル様はあやつに殺されたのじゃ」
『わかっているわ。それにこの件については一切邪魔しない。約束だから』
「たとえヴィラ・ハーが討たれてもじゃ。大公の御身にもしものことがあれば、国中に動揺が広がるのは必至。何が何でも阻止せねばならぬのじゃ」
王族、しかも悪人でもない人物を、何故ヴィラ・ハーが狙うのか。理由は不明だったが、とにかく敵の計画を阻止しなければならないことは、ルピアにも重々わかっていた。もし大公を守れなければ国情の混乱は勿論、マイアムの責任まで問われてしまうのだ。
と、ブーンを音がして、卓上の水晶球に人の姿が映った。ジェスタだ。大きな包や紙袋を抱え、ぐったりと玄関に蹲っている。
『旦那が帰ってきたわ。思っていたより早かったわね』
「今の話、ジェスタには内緒じゃぞ。お前さんの主は信用出来そうにないからのう」
『言えてるわ。まあ、根っからの悪人じゃないけど根性なしだし、口は軽いし』
「そういうことじゃ。さて、ジェスタが買ってきたケーキでお茶にでもするかのう。会議中は甘物も口に出来ないから、食いだめしておかねば。お前さんもどうじゃ?」
『……一口だけでいいわ』
ルピアはそう答えるのが精一杯だった。先程甘い物をあれだけ食べたというのに、まだ食べ足りないのか。ホーガニーの舌や胃袋はどうなっているのか。ルピアは首を捻るばかりだった。
午後一時前、ルピアはホーガニーの肩に乗り、ブラス男爵邸へ赴いた。ジェスタは留守番だ。書斎の本を書庫へ移動させる作業を押しつけられたのである。
ヴィラ・ハー対策会議にはホーガニーやブラス男爵の他、渦中の人ヴァドラー大公と随行してきた側近、それにマイアムの主たる要人が参席していた。
ルピアは邸内にあるホーガニーの部屋で、会議が終わるのをひたすら待った。しかし窓際から外の景色を眺めたり、室内をぐるぐる飛び回ったりと、一向に落ち着かない。
ホーガニーが自分を信用し、真実を語ってくれたのは嬉しかった。でも心中複雑だったのだ――ヴィラ・ハーの大ファンとして。ヴィラ・ハーはたとえ相手を取り逃がしても、地の果てまで追って必ず仕留める。標的となった者が、その魔手から確実に逃れる方法は一つしかない――ヴィラ・ハーを殺すしか。つまりこの方法こそが会議の議題だったのである。
『あーあ、ホーガニーと約束しちゃった以上、邪魔は出来ないわ……。今回は悪人退治じゃないから、ヴィラ・ハー様にも非はあるし。サインもやっぱり無理よねー』
椅子の背もたれの上で、ルピアは大きく溜息をついた。もしヴァドラー大公が殺されればその混乱に乗じ、他国がケルンへ触手を伸ばしてくるかも知れない。長年続いた平和と秩序が乱されるかも知れない。今まで要人がヴィラ・ハーの手にかかっても、国情にさして影響はなかったが、今回は王族で大臣。そうもいかないのだ。
故に作戦は念入りに練られるだろう。来襲は明日の夜、王都や他の都市に援軍を要請する時間も、大公をより安全な場所へ逃がす時間もない。マイアムの独力でヴァドラー大公を死守せねばならず、魔術師のホーガニーも実戦部隊として参加すること確実だ。ヴィラ・ハーがマイアムへ侵入するのはこれで二度目であり、ブラス男爵も前回の轍は踏むまいと必死のはずである。
先のブラス男爵エンディルは、弟ラディルの忠告を無視して作戦などたてず、寝室周囲を衛兵に固めさせたにすぎなかった。ヴィラ・ハーを甘く見たのだ。結果、寝室にいたところをヴィラ・ハーに襲われ、あえない最期を遂げたという。
会議が始まって一時間、二時間……。ホーガニーが戻ってくる気配はない。会議が難航しているのだろう。ルピアはいつの間にか卓上で眠ってしまった。そして――
「こりゃこりゃ、ルピア。起きんかい」
いきなり首の羽を一本引っこ抜かれ、ルピアは飛び起きた。見れば目前には羽をつまんだホーガニーの姿がある。窓からはオレンジ色の光が差し込んでおり、もう夕方だった。
『あ、あ、会議は終わったの?』
「済んだぞい。ほれ、行くぞ。男爵がお待ちじゃ」
部屋を出たルピアは執務室でブラス男爵に謁見した。ブラス男爵は精悍な顔立ちをした黒髪の若者だった。ケルンでは極めて稀な碧眼の持主で、瞳が放つ輝きは湖の色そのままだ。ルピアは胸の高鳴りを感じつつ、ブラス男爵の足下まで歩み寄った。
『初めてお目にかかります。ルピアと申します』
恭しく一礼した後、ルピアはブラス男爵へ熱い眼差しを注いだ。ブラス男爵は二十五歳。ジェスタと同年代だが、両者には雲泥の差があった。顔も雰囲気も貧相なジェスタに対し、ブラス男爵は男前かつ尊さ、聡明さが全身から溢れ出ているのだ。
「お前がルピアか? 話はホー爺から聞いている。成程、賢そうな鴉だ」
執務席からブラス男爵は立ち上がり、片膝をついてルピアの頭をそっと撫でた。心根の優しい人物のようだ。尊大な人物であったら、召使い鳥ごときが側に寄ることを許さないはず。この人が主だったら、どれ程幸せだったことか。ルピアは己の悲運を心の中で嘆いた。
その後全員が応接用ソファーへ座したところで、ブラス男爵がホーガニーへ話しかけた。
「ホー爺、何か甘物でもとらせよう。会議が長引いて口が寂しいであろうからな」
「御心配には及びません。家を出る前たっぷり食べてきましたので。フォッフォッフォ」
「遠慮することはない。私も些か疲れて甘い物が食べたいのだ」
微笑みながらブラス男爵は召使いを呼び寄せた。程なく紅茶と茶道具、そしてクリームと果物たっぷりのケーキ三個が室内へ運び込まれ、少し遅めのティータイムとなった。
「こうしてホー爺と茶を飲んでいると、子供の頃を思い出す。あの頃は楽しかった」
ティーカップを手にしたまま、ブラス男爵は目を細めた。
「いやはや、左様で。あまりにちょくちょくお茶をするので、よく父君からはお叱りを受けましたなあ。お前は本気で息子を教育する気はあるのかと」
「父上は私には厳しいお方であったからな。だが休憩は大事だ。あまりにも根を詰めてやると、息が続かぬ。それにホー爺が面白可笑しく教えてくれたからこそ、私は嫌いな勉学を克服出来たのだ。父上や兄上にその事を理解して頂けなかったのは残念だが」
「ま、勉学以外にも随分といらぬ事もお教えしましたが。こっそりお屋敷を抜け出して、湖へ魚を捕りに行ったこと、覚えてらっしゃいますかな?」
実はホーガニーは家庭教師を務めていた頃、雇い主の目を盗んで度々ブラス男爵を屋敷の外へ連れ出していた。町の庶民の子供と遊ばせたり、山野を駆け回らせたり。そのことを追求されると、ホーガニーはしらっとした顔でやれ郊外授業だの野外授業だのと答えていたのである。
「無論だ。しかし、あれとて役に立っているのだぞ。いつの季節にどんな魚が捕れ、何処にどんな魚が潜んでいるのか……。おかげで漁民の苦労がよくわかるようになった。もし私に子供が生まれたら、その時は家庭教師を頼む。また色々と教えてやって欲しい」
「畏まりました。喜んでお引き受けいたします」
まるで家族と団らんするかのように、ブラス男爵はホーガニーとの会話を楽しんでいる。両者の関係は、単なる主と相談役の間柄ではなさそうだ。
嘴についたクリームをナプキンで拭いながら、ルピアは思った。人望が厚く、マイアムの住民からも慕われ、頭も切れるブラス男爵。そんな彼もホーガニーには素顔のまま、本音を語ることが出来るのだろう。堅苦しい執政の合間に、会って息抜きが出来る人物が欲しい――それがブラス男爵がホーガニーを呼んだ、本当の理由なのかも知れない、と。
二口三口紅茶を飲むと、ブラス男爵はカップをソーサーへ戻した。その直後、穏やかな表情が一気に険しくなった。
「ホー爺……。ヴィラ・ハーとは何者なのだろう?」
「さ、さあて……。か、皆目見当もつきません」
ホーガニーは胸を軽く一度叩いた。危うくケーキを喉に詰まらせるところだったのだ。和やかな雰囲気が一変、急に深刻な話題となり、呑気なホーガニーも焦ったらしい。
「ヴィラ・ハーは今まで幾人もの者達を討ってきた。しかし、その目的が読めない。騎士の称号が欲しいのであれば、国王陛下に申し出れば済むこと。そうではないか」
実のところ、ブラス男爵の言う通りだった。騎士の称号は王侯貴族の男子であれば、成人と同時に「もれなく」与えられる。が、庶民でも努力次第で騎士の称号を得られるのだ。国に貢献出来るような大手柄をたてればいいのである。その功績が国王に認められれば、晴れて騎士の仲間入りとなる。ジェスタのかつての師・アルドモンド卿も商人の出であったが、数多くの武勲をあげ、騎士の称号「卿」を授けられた一人であった。
ヴィラ・ハーは「死神の『騎士』」と呼ばれているが、それは騎士の姿で現れるからにすぎない。正式な騎士の称号を得ている訳ではないのだ。もう十分すぎるほどの「手柄」をたてているのにも拘わらず、未だ国王の前へ現れないヴィラ・ハー。もっとも貴族など要人も殺しているので、玉座の前へ参上したくても出来ないだけなのかも知れないが。
「男爵……。私の目にはヴィラ・ハーは、ただ単に有名になって喜んでいるとしか映りません。民のため、正義のためと言うには、あまりにも手口が残忍すぎます。必ずしも相手を殺す必要はないのです。捕らえて国王へ引き渡すなり、可能なら改心させるなり……」
ホーガニーは明らかに言葉を選んでいた。ブラス男爵の心中を察しているのだろう。先のブラス男爵もヴィラ・ハーの犠牲者の一人、悪人呼ばわりは出来ないのだ。
「そのヴィラ・ハーが、今度は大公のお命を狙っている。一体、奴の狙いは何なのだ? 大公を亡き者にして、また名を上げようと言うのか? しかもこのマイアムで!」
「今度こそ阻止しなければなりませんな」
「二度も暴れさせはせぬ。あやつは半年前、兄上の首を私の前へ投げ付けたのだ!」
ブラス男爵は腕をブルブルと震わせた。肉親を惨殺された怒りと悲しみ、屈辱が沸々とわき上がってきたのだろう。
「……確かに兄上は、人の上に立つ者として些か問題のあるお方ではあった。だが私にとって、たった一人の血を分けた兄弟なのだ。その兄上を奴は……」
ブラス男爵は面を伏せ、拳を握りしめた。涙を堪えているようだ。彼の兄エンディルは世間知らずのお坊ちゃんだった。男爵家の嫡男として両親に大事に育てられ、庶民の暮らしを知る機会を全く与えられなかった。故に父親と同じように領地を治めればいいと安易に考え、悪政を敷いて民を苦しめた。結果、ヴィラ・ハーに討たれてしまったのだ。
領主としては全く無能なエンディルだったが、ブラス男爵には殊の外優しかった。人の良い彼は幼い頃から純粋に弟を可愛がり、その態度は両者が成人してからも変わることがなかった。弟を政敵として見るどころか、「自分は結婚する気はないから」と自分の次の領主に指名するほどだった。そんな「人として」の兄を、ブラス男爵は心から好いていたのである。
「兄の敵は必ず討つ。私がこの手で……!」
報復を誓うブラス男爵を、ホーガニーはただ静かに見詰めるだけであった。
この間、ルピアは沈黙を守った。口出し無用とホーガニーに釘を刺されていたこともあるが、しみじみ感じたのだ。全ての人がヴィラ・ハーの活躍を喜んでいる訳ではないことを。
『この前殺された赤套団の連中にも、お腹をすかせた家族がいて、帰りを待っていたのかも知れないわね。世の中、全てが丸く収まる方法ってなかなかないものだわ』
ルピアはふと窓の外の景色へ目をやった。陽は山の向こうへ沈もうとしている。夜がやってくるのだ――ヴィラ・ハーが出現する時間が。
翌八月五日、午後十一時前。マイアム衛兵の精鋭二十名が、ブラス男爵邸本館の屋上に集結していた。さらにその側には、背の高い金髪の男性ーーヴァドラー大公とその護衛の姿も。作戦会議の結果、ヴィラ・ハーを迎え撃つ場所として選ばれたのが、ここ屋上だったのだ。
屋上は平らな本館屋根の縁に木製の高欄を設けたものだ。外付けの階段で地上との往来が可能で、数十人の人間が支障なく動ける広さがある。本来は眼下に広がるライナ湖を眺めながら食事やダンスを楽しみ、優雅な一時を過ごすのが目的の場所なのだが。
ヴァドラー大公を屋敷の奥に隠すと思いきや、何故これ程見晴らしが良く、広い場所を選んだのか。それ理由は二つあった。
第一に、屋敷の中は戦いづらいことが上げられる。邸内の一室へ収容出来る人数には限度があり、加えて武器も思うように振るえない。攻撃魔術も危険で使用出来ないのだ。
第二に、来襲予告をした者が本当にヴィラ・ハーなのか、確認する意味もあった。ヴィラ・ハーは標的が如何なる場所にいようとも、必ず目の前に現れる。本物のヴィラ・ハーであれば、まず間違いなくスルシスに乗って屋上に姿を見せるはずだ。
もしヴィラ・ハーの名をかたる偽者であれば、先に屋敷内の警備を突破しなければならない。湖から船で近付く手もあるが、屋敷は高さ二十五ゼル(五十メートル)はあろうかという断崖の上にある。あの重い完全鎧姿では、崖をよじ登ることなど不可能。浮遊の魔術で屋上まで上昇することは出来ても、その時点でヴィラ・ハーではないとわかるだろう。
ルピアも戦いの行方を見守ることを許された故、これら件についてはホーガニーから聞いていた。しかし、作戦の詳細までは知らされていない。ただ、作戦を立てるに当たっての重要情報――今までの襲撃談から得られたヴィラ・ハーの特徴や能力については、ファンとして幾つか得ていた。
ヴィラ・ハーは攻撃魔術を使用せず、剣のみで戦う。剣は二本とも強力な魔力を帯びており、どんな鎧や魔術の防御壁も一撃で切り裂いてしまう。さらに身に纏っているのは魔力の鎧。通常の攻撃は全く受け付けないが、強力な攻撃魔術や魔力の武器までは完全に防御しきれないらしい。雷撃の矢が掠り、鎧に焦げ目が付いという話もある。
ただしヴィラ・ハーは、いざとなれば魔術で防御壁をはり、魔力の武器や魔術による攻撃を防いでしまう。おまけに睡眠や目眩まし等の攻撃支援魔術は、効いた試しがないとか。魔術師が参戦した例も幾つかあったが、ことごとく失敗しているのも納得が行く。
さて、ルピアが屋上にたてられた旗竿の天辺から下を見ると、アイル率いる衛兵隊がヴァドラー大公を取り囲むように配置に着いているのが見えた。さらにその内側を固めているのは、大公直属の護衛。ホーガニーは兵の輪の外にいる。だがブラス男爵の姿はない。ブラス男爵は本館周辺の警備を担当し、屋上の指揮はアイルがとることになったのだ。
『男爵、あんなに仇をとるって意気込んでいたのに。そう決まったのなら仕方ないわね』
ルピアは少々がっかりした。復讐に燃えるブラス男爵とヴィラ・ハーとの直接対決を、この目で見てみたかったのだ。どちらを応援するかは別問題として。
陣形が整って間もなく、教会の鐘が一回大きく鳴った。ケルンでは朝六時から夜中零時まで偶数時は二回、奇数時は一回教会の鐘を鳴らすのが通例。十一時を告げる音だった。
鐘の余韻が消えぬうちに屋上の南端、煌々と焚かれた篝火がゆらりと蠢いた。歪んだ空間から現れた青白き燐光が、徐々に形を成して行く。ルピアが平原で見たものと寸分違わ姿――青白い馬に跨った、鎧姿の騎士へと。ヴィラ・ハーだ。
衛兵は一斉に剣を抜き、じりじりと前進していった。対するヴィラ・ハーは二本の長剣の柄へ手をかけようともせず、スルシスを一歩だけ進めただけだ。しかし蹄が床を叩くカツンという音がしない。屋上の床は石、足が滑るのを防ぐために、スルシスは魔術でほんの僅か宙へ浮いているのだ。ヴィラ・ハーも考えたものだと、ルピアは内心感心した。
スルシスはフーッと鼻息を荒げ、真っ赤な目で衛兵を牽制した。だがその程度の脅しに屈するほど、衛兵も腰抜けではない。いつでも攻撃出来るよう腰を少し落とし、ヴィラ・ハーの行く手を阻むように人の壁を作った。盾となり、ヴァドラー大公を守る覚悟なのだ。ヴィラ・ハーの狙いはヴァドラー大公ただ一人。邪魔も抵抗もせずに大人しく身を引けば、死なずに済むとわかっていても、敵に背を向けようとする者は誰もいない。
ヴィラ・ハーはその場から微動だにしない。緊張感をはらんだ冷たい空気が周囲を漂い、両陣営は睨み合いを続けた。が、とうとう辛抱出来なくなったのか、衛兵五人がワーッと雄叫びを上げ、突撃を開始したのだ。
「馬鹿者っ! 命令するまで動くな!」
アイルの懸命な制止も聞かず、衛兵は剣を振りかざした。迫り来る敵を前にしても、ヴィラ・ハーは動かない。されど相手が剣の届く範囲へ入るや否や、ヴィラ・ハーの二つの刃は風を巻き込み、唸りを上げて衛兵の身体をとらえた。鮮血が飛び散り、断末魔の絶叫が耳をつんざいたのは、ほんの二、三数える間だけ。五人の衛兵は物言わぬ物体となり、血だまりの中に無惨な姿を晒した。
瞬殺と呼ぶに相応しい早業、いや神業に皆息を呑んだ。ルピアも悪寒を覚えたほどだ。先の赤套団との戦闘では、はしゃぎながらヴィラ・ハーの剣技を見物したというのに……。手練れの兵士数人を一瞬で葬った、その力にルピアは畏怖したのである。
深紅に染まった剣を握り締めたまま、ヴィラ・ハーは面を正面へ据えている。兜の下より発せられる凍れる殺気が標的――ヴァドラー大公を貫いた。
その時、左手からヴィラ・ハーを一筋の光が襲った。ホーガニーが雷撃の矢を放ったのだ。しかし雷撃の矢は命中する直前で、空間へ吸収されてしまった。攻撃を察知したヴィラ・ハーが、自分の周囲に防御壁を張ったのである。
「アイル隊長。ここは儂に任せて、お前さんは大公を別の場所に!」
ホーガニーの声に頷くと、アイルはヴァドラー大公の許へ駆け寄った。階段へ誘導するつもりなのだ。そうはさせじとヴィラ・ハーはスルシスの脇腹を蹴ったが、もう一発雷撃が飛んできて、またしても防御魔法を使う羽目となった。
「お前さんのお相手は、このお茶目な魔術師ホーちゃんが仕ろう。ヘーイ、カモーン!」
まずはこの目障りな老人を、始末するのが先だと判断したのだろう。ヴィラ・ハーはホーガニーの方――西側へスルシスの頭を向けた。
「おーおー、そうこなくっちゃ。それでは参るぞぉ!」
気合いの入った声と共に、ホーガニーは爆炎の魔術を放った。ホーガニーがこうも次々と魔術を連発出来るのは、攻撃直後に次の術の呪文を唱え始めているからに他ならない。さもなくば敵に隙を与え、非力な魔術師は一撃でお陀仏となってしまうだろう。
爆炎の魔術は一撃で竜を倒すほどの強力な攻撃魔術だが、それでもヴィラ・ハーを傷付けることは適わない。炎は防御壁の表面を滑りながら消滅してしまったのだ。
「凄い、凄い! 流石はヴィラちゃんじゃのう。じゃが、次はどうかなー?」
拍手喝采するも、直ぐにホーガニーは超雷撃を発射した。雷撃の矢の百倍以上の威力を以てしても、ヴィラ・ハーの防御壁は破れない。跳ね返された雷撃は四散し、床を突き破り、ヴィラ・ハーを飛び越して背後の高欄を木っ端微塵に粉砕した。
ヴィラ・ハーは防御一辺倒、何故か攻撃へ転じようとはしない。ハラハラしながら二人の戦いを見詰めつつも、ルピアにはヴィラ・ハーの心中が読めていた。
『ヴィラ・ハー様、ホーガニーが疲れるのを待っているんだわ。まずい……!』
ルピアは加勢したかったが、手出し無用との約束である。第一、ルピアが加勢したところで戦況が好転するとは思えない。けれども、二十三年ぶりに再会した知人を見殺しには……。ルピアは翼を広げ、旗竿から飛び立とうとした。
ところが、である。ヴィラ・ハーの左斜め後方の闇より、一つの人影が躍り出たのだ。弓矢と剣を装備したブラス男爵だった。本館周辺の警備担当というのは、作戦の秘密を守るための嘘。実際は気配を殺し、屋上の片隅に身を隠していたのである。
ヴィラ・ハーの視線はホーガニーに釘付け、新手の出現に全く気付いていないと見える。好機とばかり矢をつがえ、狙いを定めるブラス男爵。その姿がスルシスの赤い目に映ったものの、遅すぎた。青白き馬が主へ伝える前に、ブラス男爵は弦より手を放したのだ。矢は一直線に宙を駆け、ヴィラ・ハーへ命中。鎧を貫通して背中へ突き刺さった。
悲鳴や呻き声こそ出さなかったものの、堪えたのだろう。ヴィラ・ハーの身体がグラリと傾いた。それでもブラス男爵は手を休めず、続けざまに二の矢、三の矢を放った。矢はどちらもヴィラ・ハーを捉え、腰と脇腹を深々と射抜いた。
如何にヴィラ・ハーといえど、矢を三本受けては無事ではすまされない。どっと馬上から落ち、床へ伏した。魔力の鎧を貫けるの矢は、魔力の矢のみ。命中した時のダメージも普通の矢より遙かに大きいのだ。鎧の外へ血こそ流れ出ていないが、間違いなく致命傷を負っている。普通の人間なら身動き一つとれないはずだが、そこはヴィラ・ハー。剣を握りしめたまま何とか立ち上がろうともがいている。
ここでルピアはやっと作戦の概要を知った。ホーガニーが真正面から矢継ぎ早に強力魔術を繰り出せば、ヴィラ・ハーも前面防御に専念せざるを得ない。結果、背後ががら空きとなる。その無防備な箇所を狙い、ブラス男爵が魔力の矢を射る……と、いう次第。
矢は三本で終いだった。魔力の矢は恐らくホーガニーが拵えたものだろう。ヴィラ・ハーの鎧を貫通するほど強力な魔力を持った矢も、三本作るのが精一杯だったようだ。
「ヴィラ・ハー! 兄の仇、覚悟!」
ブラス男爵は憤怒の表情のまま弓をかなぐり捨てると、魔力の剣を抜いた。自らの手で止めを刺すつもりなのだ。が、弱っているとはいえ相手はヴィラ・ハー、油断は禁物である。
慎重に距離を詰めようとしたブラス男爵だったが、思わぬ邪魔が入った。スルシスが棒立ちとなり、主の敵を踏み殺さんと襲いかかってきたのだ。咄嗟に剣を払い、ブラス男爵は蹄の一撃をかわした。
ブラス男爵が目を離した一瞬の隙をつき、ヴィラ・ハーは立ち上がった。剣を手によろよろと歩き、壊れた高欄の向こう側、断崖絶壁へ身を投げたのだ。崖の下はライナ湖だ。闇苅の中からドブーンという音が響くと、今度はスルシスが主を追って身を躍らせた。
「しまった! 逃がしたか!」
ブラス男爵は高欄へ駆け寄り、崖下を覗き込んだが、眼下に広がるのは漆黒の闇だけだ。
「湖へ人をやってヴィラ・ハーを捜せ! 見つけ次第首級をあげるのだ!」
ブラス男爵の狂ったような叫びも、ルピアの耳には届かなかった。この時ルピアは旗竿の先ではなく、既にライナ湖上にいたのだ。しかしヴィラ・ハーの姿を求めて何度旋回しても、見えるのは静かに波打つ湖面だけ。それ以外に動くものはない。
ヴァドラー大公もホーガニーも無事だった。ブラス男爵も見事仇を討った。けれどもルピアは素直に喜べなかった。憧れのヴィラ・ハーが死んだとあっては。
『ヴィラ・ハー様……。本当に死んじゃったの……?』
入り混じった思いを胸に、ルピアは闇の中をひたすら羽ばたくことしか出来なかった。
「いでぇ、いててて! こら、もっとそっとやらんか、ルピア!」
八月七日、午後。ホーガニー宅の食堂で、ジェスタはルピアを叱りつけた。顔や身体に出来た無数の痣や擦り傷を、ルピアに治療させていたのだが、やり方が些か雑だったようだ。
そんな気が立っている時に、ホーガニーが呑気な顔をして入ってきたからさあ大変。ジェスタは目を三角にし、ドスドスと地響きたてながらホーガニーへ歩み寄った。
「おい、じじい! 何だ、あの人食い本共は! 俺に食らいついてきやがったぞ!」
書物を書庫へ移動させる作業の最中、ジェスタは本の襲撃を受けたのだ。見返しを開いて食らいつくわ、背表紙を向けて体当たりをしてくるわ、頬をひっぱたくわ……。散々な目に逢ったのである。
「それはお前さんが本をぞんざいに扱ったり、きちんと順番通り棚へ収めなかったからじゃろう? 本が怒るのも当然じゃ。デリケートな連中じゃからのう。ファッファッファ」
「ちっ……。とにかく、終わったぞ。もうあんな仕事は懲り懲りだ」
「ほいほい、御苦労さん」
治療も粗方済んだので、ジェスタは全身から「不機嫌」の文字を発しつつ退室した。ジェスタがいなくなった途端、ルピアは薬の片付けもそっちのけでホーガニーへ尋ねた。
『ねえ、それでヴィラ・ハー様は見つかったの?』
「それがな……。未だなんじゃ」
ホーガニーは椅子へ腰を下ろすや、いきなり大あくびをした。ヴィラ・ハーの来襲があった一昨日の夜。ヴィラ・ハーが落ちたと思われる地点を中心に、ライナ湖の大捜索が行われた。ところがヴィラ・ハーの死体が上がらない。後を追って飛び込んだスルシスも。
スルシスはともかく、ヴィラ・ハーは瀕死の重傷を負っていた。助かる訳がない。しかし湖の何処を捜しても、見つかったのはブラス男爵が射た三本の矢だけであった。
夜が明けて八月六日の朝、ルピアは一足先にホーガニーの家へ戻ったが、ホーガニーは男爵邸に残って捜索に協力。まる一日半経った今、疲れ切って帰ってきたのだった。
『あんた魔術師でしょう。探索の魔術くらい使えないの?』
「勿論使えるし、実際に使った。しかし何故か反応がないのじゃ」
『そう、変ね。ヴィラ・ハー様、どうなっちゃったのかしら? 矢を抜いて逃げたとか』
「それは常識では考えられんのう。胴体に食い込んだ矢を三本とも引き抜き、逃走するとは……。仮に抜けたとしても鎧はどうする? 脱がねば湖底に引きずり込まれるぞ。それに脱げば鎧が発見されるはずじゃが、これまた見つかってはおらん。さらに剣もな」
『何か訳がわからないわ』
「儂にもさっぱりわからん。何か幽霊みたいな奴じゃ。生死不明といったところか。こうなれば大公には、もっと慎重に行動して頂きたかったが……」
ホーガニーの憂いももっともだった。ヴァドラー大公はヴィラ・ハーを退けたことに大いに喜び、ブラス男爵を褒め称えた。ここまではよかった。が、ヴァドラー大公はこの大事件を叔父の国王へ一刻も早く報告したいと、昨日マイアムを発って王都へ向かったのだ。
「せめてヴィラ・ハーの死を確認してからにして欲しかったのう。ブラス男爵も大層心配され、懸命に引き止められたのじゃが……聞き入れられなかった。ま、とにかく今は一休みじゃ。どれ、ジェスタに頼んでロイン亭のケーキでも……」
不吉な予感に駆られているのか、ホーガニーはどことなく落ち着かぬ様子で席を立った。するとそこへ扉が開き、ジェスタが傷で腫れ上がった顔を覗かせた。
「爺さん、あんたに客が来ているぞ。男爵の屋敷の者だとよ」
「わかった、今行く」
足早にホーガニーは玄関へ向かい、食堂にはルピアだけが残された。
程なくしてホーガニーは戻ってきた。だがルピアの顔を見るなり、ホーガニーは床へ崩れ落ち――死人のような声で呟いたのだ。
「やられた……。大公が昨夜、亡くなられたそうじゃ。ヴィラ・ハーの手にかかって」