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ルピアと死神の騎士  作者: 工藤 湧
3/9

その2 湖畔の都市(まち)

 「ヴィードの青き貴婦人」――それがケルン北部・ヴィード山脈の山間に水を湛える、ライナ湖の別名だ。湖畔を彩る多種多様な木々と、ヴィードの四季折々の風景。それらが青い湖面に映える様は、訪れる人々の心を捉えて離さないという。そんな貴婦人に寄り添うように、西湖畔の丘の上に築かれた都市がマイアムだった。

 リーベンゲルを発って五日目の昼過ぎ。ルピアとジェスタはシュルト山中の街道を進んでいた。目指すマイアムはこの山を越えた山間部にある。マイアムへと続く街道は山肌に添って作られており、坂の勾配も緩やかだ。しかしその分激しく蛇行し、やたらと長くてなかなか山を越えることが出来ない。

 強い真夏の日差しも、街道まで張り出した木々の枝が遮ってくれる。ルピアは主の肩の上でうとうとしていた。標高が上がるにつれ、風は涼しくなって行く。身体が黒く、夏の暑さが大敵の鴉にとって山の風は心地よかった。

「おいルピア、お前さあ……。いつまで俺の肩の上に乗っているんだ?」

 ジェスタは足を止め、ルピアを横目で睨んだ。ルピアがそそくさと舞い上がると、ジェスタは口を尖らせ、腹を指差した。俺は病み上がりなんだぞ、と、言わんばかりに。

 草原で夜を明かした翌朝、ジェスタは激しい腹痛に見舞われて七転八倒。何とか痛みが和らいだのはその日の夕方だった。前夜の食事が原因であることは明白であったが、いくらジェスタが問い詰めてもルピアは白を切った。逆に「よく焼きもせず、がっつくからですよ」と、説教したくらいだ。

 おかげで予定は丸一日遅れていたが、何とか今日の夕方までにマイアムへ辿り着けそうな感じだった。シュルト山の宿泊施設は麓にあるだけで、山中にはない。もし閉門前に町へ入れなければ野宿となり、大変な危険が伴う。かのヴィラ・ハーの活躍によって山賊は激減したが、まだまだ油断は出来ないし、野獣や魔物の出没頻度も平野の比ではないのだ。

 さて、ルピアとジェスタが空と地上で見合っていると前方、上り坂のカーブの向こう側から、幌付き馬車の一団がゴトゴトと音を立ててやって来た。馬車の数は三台、護衛の騎兵も十騎伴っている。隊商だ。幌は洗い立てのシーツのように真っ白、車を引く馬もよく肥えて逞しく、隊商の中でも裕福な一行と見て取れた。マイアムで一儲けし、さらなる商いを求めてリーベンゲルへ向かう途中といったところか。

 金持ちとはいえ、ジェスタも人前ではルピアをけしかけるような真似はせず、擦れ違おうと少し道端へ寄った。ところがこちらには用はなくても、むこうにはあったようだ。ジェスタの直ぐ手前で一行は止まり、先頭の馬車を御す老人が声をかけてきた。

「お若いの。これからマイアムへ行くのかね?」

「そうだが……何だ?」

 すると老人は、ジェスタを頭の天辺から爪先まで一通り眺め――豪快に笑い出した。

「ハッハッハ! それならその格好を何とかしなきゃならんな。あんたも知らない訳じゃあるまい。マイアムはケルン一の観光地。それに今は国中の偉いさんが、避暑のため訪れておる。そんなリッチな町に、あんたみたいな見窄らしい格好をした人間を入れると思うかね? 追い返されるのがおちじゃ」

 老人に虚仮にされ、ジェスタはこめかみをヒクヒクさせていたが、言い返そうともしなかった。出来るはずもない。ジェスタはここ一年間服を新調したことがない、着たきり雀。服もマントもブーツもボロボロの、乞食同然の格好だったのである。

「そこでじゃ。もしあんたがどーしてもマイアムへ行きたいのであれば、儂が服を見繕って差し上げよう。勿論、これがあればの話じゃが」

 老人はにんまりすると、親指と人差し指で円を作った。いやはや、流石は商人。鮮やかな戦術だ。老人は完全にジェスタの心中を見透かしている。マイアムまであと三、四時間といったこの地点で、諦めて引き返す訳がないことを。

『こりゃ相手の方が一枚も二枚も上手です。旦那じゃ勝てっこありませんねー。どうします? 商談に乗って、せめて格好だけでもいい男に変身しますか?』

 幌の上から冷やかすルピアを無視し、ジェスタはムスッとした表情で了解した。御者台から降りた老人は、ジェスタを馬車の後部へと案内すると、衣装ケースの中から色とりどりの服を取り出した。そして――

「衣装一式五オールお買い上げー! 毎度ありー! いやー、よくお似合いで」

 老人が囃しても、ジェスタは仏頂面のまま。思わぬ大出費に頭が痛いのだろう。いくら値切ろうとしても、老人が頑として首を縦に振らなかったせいもあるが。

 されど商人が厳選した品々だけのことはある。マントはヴィード特産の高級羊毛で出来ており、上着とズボンは今の季節にぴったり合った通気性抜群のレン綿織物。ブーツは丈夫で長持することでは定評のある南野牛の革製だ。

 一級品を身に纏ったジェスタは、ルピアが感嘆するほど立派な出立となっていた。少なくとも見かけは上級市民と区別が付かない。馬子にも衣装とはまさにこの事であろう。

「……ったく、これだけ大金はたいたんだ。ちゃんとマイアムに入れるだろうな、爺さん」

「勿論。儂が保証するよ」

「そうか。で、今日は何日だっけ?」

「今日か? 確か八月三日だったはずじゃが」

「八月三日、か……」

 ジェスタはぽつりと呟いた。先程とはうって変わった寂しげな面持ちで。

「爺さん、あんたのところで群青石は取り扱っているか?」

「群青石? ああ、群青石のアクセサリーなら幾つかあるが……。見るかい?」

「見せてくれ」

 ジェスタの真剣な眼差しに、老人は目をパチクリさせるばかりだった。群青石はコバルトブルーに輝く美しい宝石。ケルン国内では一部の海岸でしか産出されず、決して安い物ではない。必需品の服を渋々買った人間が、いきなり高価な宝石が見たいと言い出したのだ。老人が驚くのも無理は無かろう。

 老人が見せてくれたベルベットの宝石箱の中には、群青石の装飾品が七個並べられていた。どれも金銀の台座や鎖をあしらった、見事な細工物ばかりだ。ジェスタはその中から迷いもせず、大粒のブローチをつまみ上げた。老人曰く、値段は二十オールだという。するとジェスタは今度は値切ろうともせず、黙って言い値分の代金を支払ったのだ。

 ブローチを手に入れたジェスタは、直ぐさま隊商と別れて歩き出した。慌ててルピアは幌から飛び立ち、ジェスタの足下へ降りた。

『旦那、旦那! どうしちゃったんですか! あんな高価な物、ポンと買ったりして』

 いくらルピアがしつこく尋ねても、ジェスタはうんともすんとも言わない。視線も向けず、振り切らんばかりの勢いで足を動かすだけだ。

『もう、ケチの旦那らしくない。とうとう頭いかれちゃった……あ!』

 ルピアは思わずぴょんと跳びはねた。思い出したのだ。八月三日という日が、ジェスタにとって特別な日であることを。

『そう言えば、旦那。確か今日って、弟さんの誕生日でしたよね? 旦那が故郷に残してきた、たった一人の兄弟の。今日で何歳になったんですか?』

「十二だ……」

 ようやくぼそりとした声が返ってきたが、ジェスタの表情は険しかった。

『弟さん、足が悪いんですよね? 本当は騎士になりたかったのに、足のせいで諦めた。だから旦那が騎士になるのを楽しみに――』

「黙れ!」

 ジェスタが放った踵の一撃を、ルピアは間一髪横っ飛びに避けた。

「レイのことはもうこれ以上何も言うな! さもなくばその嘴を捻り上げ、簀巻きにしてどぶの中に放り込んでやるぞ!」

 顔面から火を吹くような凄まじい剣幕にルピアは縮こまり、二、三歩後退した。どうやら口がすぎて、主の逆鱗に触れてしまったようだ。弟のレイについて訊かれると、ジェスタは何故ここまで激怒するのか。その理由は五年前、ジェスタがアルドモンド卿の従卒となって故郷を去る際に、レイと交わした約束にあった。

 ――俺はこれより騎士になるため、修行の旅に出る。でも、四、五年経ったら卿にお願いして一度村へ戻ろう。お前の誕生日に間に合うように必ずな。

 ところが今のジェスタは、とても故郷へ錦を飾れる様な立場にはいない。夢半ばで挫折し、弟との約束を破ってしまったのだ。このままでは故郷へ戻れない、弟にも会えない……。無神経なジェスタも弟のことを思うと、胸が締め付けられるようだ。

 大きく息つくと、ジェスタはルピアに背を向けて先を急いだ。主の背中を見上げつつ、ルピアは頃合いを見計らって再度質問した。ジェスタは気が短い分、冷めるのも早い。少し時間をおけば機嫌も幾分よくなっているはずだ。

『旦那は何故群青石なんて買ったんです? もしかして……誕生日プレゼント?』

「まあ……な」

 かなり熱が抜けたのか、ジェスタの声色はそこそこ落ち着いていた。相も変わらずルピアの方を振り返ろうともしなかったが。

『何で群青石なんですか? 他の物じゃまずいんですか?』

「アルドモンド卿があの石で出来たマント留めをしていて、レイがそれを見て欲しがったからだ。群青石なんて高価な物、村じゃ手に入らんからな」

『成程。で、その誕生日プレゼントを盗んだ金で買ったんですか。呆れたもんですね。第一、折角買ったプレゼントも、弟さんに渡さなきゃ意味がないじゃないですか』

「どの面下げてレイに会えって言うんだ、えっ!」

 振り返り、ジェスタは肩を怒らせてルピアを睨み付けた。されど先程の憤怒の表情に比べれば、まだ可愛いものだ。ルピアは怯むことなく、すかさず突っ込みを入れた。

『なら、どうして買ったりしたんです? 渡せっこないのに』

「それはだな、その……」

 口籠もる主を見て、ルピアは思った。ジェスタは弟との再会を諦めていないのでは……と。騎士になる夢を捨てきれていないのか、それとも他に立身出世する手立てを探っているのか……。怠惰な主だが、まだ見込みがあるかも知れない。何となく嬉しくなったルピアは、ジェスタの脳天へ飛び移った。

『ま、とにかくちゃんと旦那が働いて、稼いだ金で買えばいいじゃありませんか。その方が弟さんも喜びますよ、ね』

「一丁前に主に向かって説教たれるのか。可愛げのない奴だな、全く」

『何をおっしゃいます。私が説教して差し上げなかったら、旦那の病気がますます酷くなるじゃありませんか。付ける薬がない病気が』

「何だと、こいつ!」

 ジェスタが手を伸ばすよりも一瞬早くルピアは飛び立ち、道沿いの樹上へ避難した。地上ではいきり立ったジェスタが、ルピアが留まる木へ何度も蹴りをお見舞いしている。その様子を見てルピアは心配になった。新品のブーツが痛んでしまう――と。


 空がやっと白み始めた、八月四日の早朝。ルピアは奇妙な唸り声によって、夢の世界から現へと引き戻された。

 ルピアが今いる場所はマイアムの宿屋、三階のバルコニー。昨日マイアムへ到着したジェスタが、宿泊費の高さにブーブー文句を言いながら泊まった部屋の窓の外だ。

 纏まった金が手に入ったこともあり、ジェスタは目についたごく普通の宿屋へ足を運んだ。ところが番頭から提示された料金にびっくり仰天。リーベンゲルなら上宿に泊まれような金額だったのだ。無論ジェスタも、よく世話になっていた格安の宿――場末にあるような雑魚寝の宿はないのかと尋ねてみた。が、番頭の返事は「この町にはそんな木賃宿はありません」というつれないものであり、がっくりきたジェスタだった。

 だがよく考えてみれば、それも当然のことだった。マイアムは観光で成り立っている都市、町のイメージや雰囲気を重視する。貧民街もなければ、安宿もない。町を訪れる者も経済的に余裕のある階層だから、宿泊費も安いはずがないのだ。

 観光客相手ということもあり、マイアムの宿はペットの室内連れ込みも可能だった。されどルピアはチェックインせず、客室へも入らなかった。ジェスタのペットではなく、あくまでも野鳥を装ったのには理由があった。ルピアに盗みをさせている都合、ジェスタも人前で一緒にいるところを見られるのはまずい。ルピアが連れであるとを知られれば、ジェスタが裏で糸を引いていることが発覚する恐れがあるからだ。

 二人が行動を共にするのは郊外か、町中では人目につかない場所に限られた。町への出入りはルピアは城壁を翼で越え、ジェスタは門から。大通りや市場など、多くの人が行きかう場所ではルピアはジェスタから離れ、さり気なく空から後を追って行く。酒場や店では屋根で待機。宿泊時は宿の屋根やバルコニーで一夜を明かす――と、いった具合に。

 かくしてルピアはバルコニーで一晩明かしたのだが、早々に目が覚めてしまった。問題の唸り声は窓の向こう側、客室から聞こえてくる。

「うーん……。すまない、レイ……。兄ちゃんは帰ってこられない……」

 声の主はジェスタだった。木製戸に遮られて中は窺えなかったが、確認するまでもない。悪夢にうなされているのだ。約束を守れなかったことを弟に謝る夢を。

 ルピアは別段驚きもしなかった。こんな事は一度や二度ではない。またいつもの譫言か……と、大あくびをしているうちに唸り声は止んだ。

「ふう、またあの夢か……。目覚めが悪くて堪らんな」

 ジェスタが起きたようだ。ルピアは直ぐに嘴を背中へうずめ、狸寝入りをした。ジェスタの恥ずかしい声など聞いていなかったふりをして。ルピアも気を利かせたのだ。

 やがてばたばたと足音が近付き、窓が開いた。

「おい、起きろルピア」

 ルピアが顔を上げると、窓際に顔色の冴えないジェスタの姿があった。

『あ、お早う御座います、旦那』

「玄関の上で待っていろ。仕事だ」

『えー、こんな朝早くにですか? 夜まで待ちましょうよ』

 低い声を漏らし、ルピアは抗議したが、ジェスタは聞く耳持たなかった。

「冗談じゃない! こんなに何でもかんでもクソ高い所に、いつまでもいられるか! コルル酒一杯飲むだけで五十メルだとぉ? リーベンゲルでも何処でも、五十メルあれば浴びるほど飲めるぞ! おまけに宿じゃ、飯抜きで三オールなんて値段ふっかけられるし……。一稼ぎしたら、直ぐにでもここから出て行ってやる!」

『折角服を新調して入ったのに……勿体ない。本当に出て行くんですか、今日中に』

「しつこいな。出ていくと言ったら出て行く!」

『でも、旦那だって悪いんですよ。マイアムを訪れるのは初めてのくせに、きちんと下調べしもしないで来たりして』

「しただろう! 前の領主が死んで、少しは稼げそうだと……」 

『そういう盗みに関する情報は耳敏いくせに、どうしてもっと肝心な事に気を回せないんですかねぇ。マイアムは風光明媚な観光地なんですから、物価が高いことくらい予想して然るべきじゃないですか。ま、旦那は世間知らずの田舎者だから、仕方ないですねー』

 注意するにしても何にしても、ついつい一言余計に言ってしまうのがルピアの悪い癖だった。だが「世間知らずの田舎者」と小馬鹿にされたにも拘わらず、珍しくジェスタは一喝しようとしない。肝心な事に気を回さない――痛いところを突かれたからであろう。

「……それじゃ何だ、お前は予想出来たっていうのか?」

『あーら、失礼なことをおっしゃいますこと。当然じゃありませんか。私は宮仕え経験のある魔術師に作られた、スペシャル優秀な召使い鳥です。おつむの方だって、そんじょそこらの殿方よりも、ずっとよろしいんですのよ。オホホホ……』

 片翼で嘴を覆い隠し、流し目をするルピア。貴婦人が扇子片手に、男性を魅了しようとする様そっくりに。ジェスタは呆れ果て、腹を立てる気も失せたようだった。

「気取っている場合かよ、鴉のくせに。そら、行くぞ」

 主の不満げな後ろ姿を見て、ルピアは諦めに近い心境でバルコニーから飛び立った。ルピアにもわかっていたのだ。ジェスタが「損をした分」を取り返さない限り、大人しく引き下がらないことを。


 宿を離れたルピアは金がありそうな家を求め、マイアム上空を飛んだ。降り注ぐ朝日を受け、黒い翼は輝きを増していたが、ルピアの気分は爽快というには程遠い。盗みが嫌なこともある。しかしそれ以上に、ジェスタの態度が腹立たしかったのだ。自分がせっせと飛び回っている間、いつものように目立たない場所で帰りを待っているだけなのだから。

 ジェスタ同様、ルピアもマイアムへ来たのは今回が初めてであった。珍しさもあり、熱心に町を観察していたルピアであったが、あることに気付いた。マイアムは今まで見てきた都市とは、明らかに異なっていたのだ――見た目も雰囲気も。整然とした町並みに軒を連ねる建物は、その多くが白と薄水色に統一され、外壁は磨き上げられてピカピカ。細い路地の隅々に至るまで石畳がきっちり敷かれ、路上にはゴミ一つ落ちていない。町全体に高級感、清潔感が溢れているのである。流石は観光を産業にしているだけのことはある。

 ここまで管理が徹底出来た理由の一つとして、町の歴史が浅いことが上げられる。かつてマイアムは辺境の小さな一山村にすぎなかった。村人は林業や漁業を生業に、細々と生活していたのだ。

 そこへ今から五十年ほど前、この辺り一帯の領主・ブラス男爵が、ライナ湖の美しい風景に目を付けた。自分の館をライナ湖の湖畔へ移し、周囲を開拓。観光地として、避暑地として国内へ大々的にアピールしたのだ。努力の甲斐あって多くの王侯貴族がこの地に別荘を建設し、観光客も大勢訪れるようになったのである。

 マイアムの観光の目玉は何と言っても、「ヴィードの青き貴婦人」ライナ湖。湖や周辺景色の美しさは勿論、ライナ湖でしか捕れない魚介類を用いた料理も絶品だという。また水も澄み、危険な動物もいないので、遊泳やダイビングも十分に楽しむことが出来た。

 町を一周したルピアは、町一番の高い建物――教会の鐘突棟の屋根へ降り、周囲を見渡した。町の東外れ、湖に面した岩壁の上にたつ一際大きな屋敷が、ブラス男爵の館だ。男爵邸の周辺にずらりと立ち並ぶ豪邸は、王侯貴族の別荘。町から湖を一望出来る絶景ポイントは、全てこれらの別荘によって占められている。おかげで一般観光客が美しく雄大な風景を満喫するには、一度門から町の外へ出て湖畔まで降りなければならない。

『今は夏真っ盛りだから、きっと多くの王侯貴族えらいさんがあそこで余暇を楽しんでいるんだわ。でもあの辺はちょっと無理ね。お金はありそうなんだけど、警備も厳しそうだし』

 要人の別荘へ忍び込むのは無謀な行為だった。彼等は命を狙われる恐れがある故、屋敷も魔術で守り固めている事が多い。屋敷に張り巡らされた警備網に少しでも触れようものなら、たちまち警報がけたたましく鳴って……などという仕掛けは、まだ質のいい方。中には問答無用で爆発が起きたり、稲妻が飛んでくるものまであるというから、いやはや恐ろしい。外壁を越えようとした途端罠が発動、ドカーン!バシーン!という音と共に焼き鳥一丁上がり~……などということになりかねない。

 それに比べて商人の屋敷は警備兵に見張らせはしても、魔術を用いることは滅多にない。財産を狙う賊の侵入を防げればいいのだから。

 ルピアは困ってしまった。マイアムは観光地、商業都市のリーベンゲルとは違って商人は少ない。さらに民間居住区内の建物は、外観や規模が規制されているため、商人のものと思しき屋敷が見付けにくいのだ。これが他の都市であれば、ルピアも直ぐに見当がついたはず。金を不用意に手元に置きたがる豪商の多くは成金者。その屋敷はけばけばしく、悪趣味に走りがちなのである。

 こうなれば贅沢は言っていられない。何処でもいいから、少しでも金がありそうな家を見付けなければないのだ。ルピアが目を皿のようにして探すと、偶然にも別荘街との境近くにある、一件の家が目に入った。見た目はやや大きめの「民家」といったところだが、庭もそこそこ広く、二階建ての母屋の他に平屋の離れもある。大金は置いていなくても、小金くらいはありそうな雰囲気だ。

『まあ、取り敢えずあそこでいいでしょう。手ぶらで帰るよりはいいわ』

 ルピアは一直線に目的の家まで飛んで行き、念のため上空を一回ぐるりと旋回した。大丈夫、屋敷に魔術は施されていない。安心したルピアは庭へ降り――そう、いかにも野鳥が何気なくやって来たかのように――母屋へ近寄った。

 窓の戸は全て閉まっていたが、ルピアにしてみれば何と言うことはなかった。中の様子なら透視の魔術で窺うことも出来るし、すり抜けの魔術で難なく室内へ侵入出来る。問題は家の住民に発見されずに済むかということだ。前回はあともう少しで逃げられる、やれやれ……と、一息ついたところを、家主に見付かってしまったのである。

 早速ルピアは透視の魔術を使うため、一階の一室の前で呪文を唱えた。もっぱらルピアはテレパシーで呪文詠唱を行う。本来呪文は声に出さなければ唱えても無駄なのだが、前の主が肉声と同じ効果が出るよう、ルピアのテレパシーに特殊な改造を施したのだ。

 やがて術が効き始め、室内に置かれた革張りのソファーや、彫刻を施した木製のテーブルが見えてきた。客間のようだが、意外なことに人がいる。しかも二人だ。一人は灰色の艶やかなローブを纏った、人の良さそうな細身の老人。もう一人は寝間着の上にガウンを羽織った、顔も身体も岩のように厳つい中年男である。恐らく老人が客、中年男が家の者なのだろう。二人は蝋燭一本の薄明かりのもと、ソファーに向い合って座り、小声で話をしている。

 まだ朝食もとっていないような時間帯に玄関先ならともかく、客を奥へ通すとは一体如何なる用なのか。二人の真剣な表情から見て、何か重要な事柄について話し合っているのは間違いなかったが、内容まではわからない。だがルピアにとって、二人の話などどうでもよかった。一つわかっているのは、この部屋からは侵入不可だということだ。

 金を探すのは二階の方がよさそうだ。ルピアが術を解き、二階へ移ろうと翼を持ち上げた時だった。老人の思いがけない台詞が耳へ届いたのは。

「それではアイル隊長。今の話――ヴィラ・ハーの件については、また午後に男爵を交え、改めて議するということで」

 ヴィラ・ハー! この名を耳にした途端、ルピアの陰鬱な気分は吹き飛んだ。

『もしやもしや……。ヴィラ・ハー様がマイアムへ来るってことかしら? でもヴィラ・ハー様は、半年前にここの領主を討っているのよね。なら今の領主がヴィラ・ハー様に報復を企てているとか! もしそうなら聞き捨てならない話だわ!』

 ルピアは心がうきうきしてきた。もうじっとしてはいられない。ジェスタの命など綺麗さっぱり消し飛び、頭の中はたちまちヴィラ・ハーのことで一杯になってしまった。

『ああ、愛しのヴィラ・ハー様ぁ! またお会いする機会がありましたら、今度こそサインをお願いします! ペンと紙を持って参りますからぁ!』

 浮かれたルピアは踊り出し、庭中を駆けずり回った。しかし嬉しさ余ってか、全く様になっていない。離れの前までスキップしては壁に衝突し、また母屋の前へ戻っては小石に蹴躓くといった具合に。もし人がその狂喜乱舞ぶりを目にしたら、頭がおかしくなった鴉が、のたうち回っているようにしか見えなかったであろう。

 そこへ扉が軋む音が聞こえてきて、一転ルピアは気を引き締めた。老人が家を後にするところだ。あの老人、明らかにヴィラ・ハーに関する情報を握っている。ルピアは尾行しようと、外壁の上へ飛び移った。

 中年男の見送りを受けた老人は、門を出ると右へ曲り、長い顎髭をさすりながらルピアの方へ近付いてきた。ルピアは外見上、普通の鴉と全く見分けがつかない。相手は振り返りもせず、黙って通り過ぎるはず。が、前まで来ると老人はピタリと足を止め、ルピアを食い入るように見詰め始めたのだ。ルピアは知らぬ顔をして目をそらそうとしたが――

「おやまあ、ルピアではないか! こんな所で会えるとは奇遇じゃのう」

 老人は皺だらけの顔をくちゃくちゃにさせ、両手を上げてはしゃぎ出した。けれどもルピアには、何が何だかさっぱりわからない。向こうはこちらのことを知っているようだが、ルピアは初対面。老人の尋常ではない喜び様を見ても、ポカンと口を開けるばかりだ。

「ん? 儂がわからんのか? まあお前さんに最後に会ったのは、二十三年も前のことだからのう。心配しておったのじゃぞ。師匠が亡くなってお前さん、どうなったかと」

 ルピアは記憶のタンスの引き出しを開け、懸命に中を引っかき回した。二十三年前、師匠の死……。この二つのキーワードをもとに、ついにルピアは該当する記憶を探り当てた。

『もしかして、あの超ヘビー級甘党ですっとぼけの……』

「大当たりぃ! その通りじゃ! お茶目な魔術師ホーちゃんことホーガニーじゃよ。ファーッファッファ!」

 老人――ホーガニーは腰へ手を当て、得意げに胸を張った。

 ホーガニー。ルピアの前の主であった魔術師が育てた、十数人の弟子の一人だ。ルピアが前の主と暮らした数年間、二、三度そのわび住まいを訪ねてきたことがあり、互いに面識があった。最後に来た時、ホーガニーは四十手前だったので、今は六十を超えているはず。当時栗色だった髪は今では真っ白、顔には染みも増えて皺も深くなっている。二十三年の歳月はホーガニーを別人のように変えていたのだ。

 ルピアの前の主は魔術一本槍の実直な人物。弟子達も生真面目な者ばかりだったが、その中で唯一の「毛色違い」がホーガニーだった。「軽薄」「脳天気」「ちゃっかり」を絵に描いたような性格。おまけに底なしの甘物好きで、「砂糖の量は従来品の二十倍! 口がひん曲る甘さ、どんな甘党でも一口でダウン!」と、評判のケーキを、平気な顔をして何個も平らげる強者だった。

 弟子として師の宅に住み込んでいた時も、真剣に修行に取り組む姿勢はこれっぽっちも見せず、怠けてばかり。師匠の言いつけをすっぽかし、甘物屋でケーキを頬張っていたことも度々だった。あまりのいい加減さに師匠も閉口し、破門を検討したこともあったとか。でもホーガニーは、要領の良さと魔術の素質も天下一品だった。次々に術を習得し、誰よりも早く修行期間を終えて独り立ちしてしまったのだ。

 こんなホーガニーではあったが、魔術師としての腕前は確かだ。二十三年前の時点で、師と肩を並べるほどの実力の持主だったという。何人かの地方貴族から「当家の専属魔術師にならないか」との誘いもあったが、ホーガニーは全て断った。理由は簡単。田舎へ行ったら、都会の素晴らしく洗練された甘物を食べられなくなるから――だった。

『あんたも相変わらずのボケぶりねぇ。昔と全然変わっていないわ。前の旦那、あんたのこと思い出すと頭が痛くなるって、しょっちゅうぼやいていたわよ』

「なーに、儂は師匠に『人生は一度きり! 愉快に、大らかに生きましょう!』と、いうことを言いたかっただけじゃ。あの方は本当に根っからの堅物だったからのう」

『で、あんたここで何をしているの? さっきヴィラ・ハー……』

 しかし故意か偶然か、不意にホーガニーはルピアの言葉を遮った。

「儂はここ、マイアムに住んでいてな。実は……」

 ホーガニーは十七年前、先々代のブラス男爵に招かれてマイアムへ来た。優れた魔術師は知識も豊富なので、男爵の次男ラディルの教育を任されたのだ。十年ほど住み込みの家庭教師を務め、ラディルが成人するとホーガニーはマイアムを離れた。

「半年前に領主であった長男のエンディル様が亡くなり、ラディル様が新しい領主になられた。それを機に儂を相談役として、ここへ呼んで下さったのじゃ。マイアムは本当にいい所じゃ。観光地だけあって、王都にもないような美味い物が沢山あるからのう」

『そうなの。ところで今の領主にあんたの脳天気、伝染うつっていないでしょうね?』

「心配ご無用、ラディル様はしっかりしたお方じゃよ。そう言えばお前さん、さっき師匠のことを『前の旦那』と言っていたな。今は別の人間に仕えておるようじゃが、どんな人なのじゃ?」

 するとルピアは表情を曇らせ、がくんと頭を垂れた。

『もう、何て言ったらいいか……。馬鹿に付ける薬ってないのかしらね、本当……』


 ホーガニーの肩に留まり、ルピアは閑散とした裏通りへ向かった。ジェスタがこの奥で待っているのだ。宿を出て既に二時間が経過、ジェスタも苛々しているに違いない。

 案の定、ジェスタはしかめっ面で路面へ座り込んでいた。だがホーガニーを見た瞬間、ジェスタは不可解な表情を見せ、立ち上がった。ルピアが見知らぬ老人と戻ったので、戸惑っているのだ。相手の口が開くよりも早く、ホーガニーは老人とは思えぬ素早さでジェスタへ接近した。

「ほうほう。お前さんがルピアの今の主のジェスタか」

「誰だよ、あんたは。おい、ルピア――」

 唖然とするジェスタの前で、ホーガニーはちっちっちっと人差し指を振った。

「儂はホーガニーという。ルピアの前の主の弟子じゃ。あ、ホーちゃんでいいぞ。ブラス男爵も儂のことをホー爺と呼んでおられるからのう」

「……ってことは、あんた魔術師か。ルピアの知り合いかよ……。で、俺に何の用だ?」

「儂のところで働かないか? 丁度一人、人が欲しいと思っていたところじゃ。簡単な仕事の手伝いや、家事をやってくれればいい。給金は小遣い程度しかやれんが、三度のちゃんとした食事とフカフカのベッドは保証するぞ。どうじゃ、悪くはあるまい?」

「馬鹿言え!」

 ジェスタは噛みつかんばかりの勢いでホーガニーにくってかかった。

「俺に下働きをしろって言うのか! そんなこと出来るか!」

「ファッファッファ。そんなこと言っていいのかのー。儂はお前さんが今までやってきたことを、ぜーんぶルピアから聞いておるのじゃぞ」

「な、なんだと……!」

 青ざめるジェスタに向かい、ホーガニーはさも楽しそうに告げた。

「もしこの件を断るのであれば、お前さんがしでかした悪事をお役所へ通報するが、構わんか? それとも、ハルバーグやリーベンゲルの盗賊ギルドの方がいいかのー」

「わ、わかった! わかったからそれだけは止めてくれ!」

「では、儂のところで働くのじゃな?」

 ジェスタは唇を噛み、頷いた。地味で根気を要する作業が、ジェスタは大の苦手。下働きなど以ての外である。だが弱味を握られているうえ、相手は魔術師。どうあがいても勝ち目はない。ジェスタの怒りの矛先は、自分を裏切った――と、ジェスタは思っている――ルピアへ向けられた。

「ルピア、お前このじじいと結託しやがったな!」

『私は旦那が堅気になるのでしたら、何だってやりますわ。オーッホッホ』

 してやったりと言わんばかりに、ルピアは声も高らかに笑った。主を盗賊稼業から足を洗わせることに成功し、胸がすっきりしたのだ。

「それではよろしく頼むのう、ジェスタ。で、早速じゃが」

 ジェスタの肩をポンと叩くと、ホーガニーは懐から地図を取り出し、一点を指差した。

「まずはこの店――マイアム一の甘物屋ロイン亭へ行って、特製ケーキを十個ばかり買ってきてくれんか。あのケーキは超人気の限定品じゃから、ま、最低でも二時間は並ぶことになるが。それが済んだら、次はピピカ屋じゃ。ここのプリンはケルン一でな、これは五個くらいでいいかのう。その次は青空庵の甘茶じゃ。買い物はこれで終いじゃが、家に戻ったら地下室の整理を頼もうかのう。あと……」

 ジェスタはヘナヘナとその場へ座り込んでしまった。目眩を起こしたようだ。初っぱなからこう次々と用を言いつけられるのでは、先が思いやられる。

『これこそ馬鹿に付ける最高の薬だわ。いい気味』

 情けない主の姿から目を背けると、ルピアはペロリと舌を出した。

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