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ルピアと死神の騎士  作者: 工藤 湧
2/9

その1 死神は夜現れる

「この盗人野郎めーっ!」

 夏真っ盛りの七月末の夕刻、とある商人の大豪邸。贅を尽くした寝室に家主の図太い怒号が響いた。血走った目がとらえているのは、一階の窓際に留まる小さな影。一羽のカラスだ。鴉が握り締める革袋の中には、家主が妻にも内緒でベッドの下に隠しておいた、大事なへそくりが入っていたのである。

 家主は近くに置いてあった真鍮のゴブレットをむんずと掴み、こそ泥目がけて投げつけた。ところがゴブレットは標的に掠りもせず、放物線を描いて庭へ落ちてしまったのだ。

「クワーックワックワッ! アホアッホー!」

 まるで嘲笑うかのように鳴くと、鴉は大きく羽ばたき、空へ舞い上がった。逃がすまじと顔を真っ赤にさせ、猛然と後を追う家主。脂肪がたっぷりまとわりついた身体が、窓から転がり落ちる様は、滑稽以外の何者でもなかったが。

 裏門から屋敷を飛び出した家主は鴉を追い、無我夢中で走り続けた。飛ぶ鳥にしてみれば、地上をのろのろと走る人間など問題外。楽々撒くことが出来る。が、鴉は何故か道に沿ってゆっくりと――そう、まるで追手を誘導するかのように飛んでいたのだ。明らかに不自然な行動だったが、金のことで頭が一杯の家主は気付くはずもなかった。

 入り組んだ路地の角を五つ六つ曲がった頃、鴉は急に高度を下げた。後をつけ、一際狭い路地の前へ出てきた家主は、目を見張った。路地の十ゼル(二十メートル)程奥、行き止まりの弊の上で、あの小憎らしい盗人が悠々と羽繕いをしていたのだ。心臓は破裂する寸前であったが、いや何の何の、ここぞとばかりに家主は勢いをつけ、路地へ突進した。しかし、もう少しで指先が黒い羽毛へ届こうかという時、家主の姿は忽然と消え――ドブンという鈍い音が地下から込み上げてきた。

 路地一帯の景色が蜃気楼の如く揺らめき出したのは、その直後だった。やがて弊の手前の地面には、人が入れるほどの穴が現れた。そして路地の入口には古びた看板も。その看板には赤い大きな文字で、はっきりとこう書かれてあった。

『この先注意! 地下用水池の侵入口あり!』


 ファリード大陸の東に位置するケルン王国。四百年の歴史を有するこの国は、大陸の数ある国々の中でも一、二を争う繁栄を誇っていた。北には国教の首長である教皇が国を治める宗教国家・メサ神聖国が、南には勇猛果敢な遊牧の民が暮らす国・ナラン王国があったが、国力、兵力、その他どれをとってもケルンの足元にも及ばなかった。

 ケルンの繁栄の源。それは恵まれた国土にあった。西には大陸を縦断する大山脈帯が、南北の国境沿いには険しい山々があるものの、国土の大部分を占めるのは温暖な気候が作り上げた草原と森林。これらの「緑の大地」は豊かな実りをもたらし、近海には海の幸が溢れている。ここ百年ほどは他国との戦も内戦もなく、国政は安定してまさに天下太平の世。平和の恩恵は王都ハルバーグだけではなく、国内全ての都市や村々にまで及んでいた。

 王都から西へ約五十ディール(百キロ)行った地点には、浩々たる大草原が広がっている。その中に築かれた都市・リーベンゲルは、ケルンのほぼ中央にあって、国内各都市への中継地点としての役割を担っていた。交易が盛んで、毎日数え切れないほどの旅人や隊商が、商売もしく休息するために立ち寄る。来訪者や町の住民が生き生きとした表情で行きかい、賑々しく交流する様は、王国第三の都市と呼ばれるに相応しいものであった。

 されど如何に栄えている町にも、「日陰」の部分は存在する。リーベンゲルの片隅、住民ですら滅多に足を踏み入れない西の路地裏。その上空を鴉が一羽、飛んでいた。やがて、薄汚い弊に隠れるようにして蹲る一人の男が、鴉の視界へ入った。よれよれのマントに染みだらけの上下、腰のベルトには型の古い短刀が一振。ブーツは踵がすり減り、爪先には穴が空いて親指が顔を覗かせている有様で、この町の活気とは程遠い装いだ。

 男は鴉の存在に気付いたのか、マントのフードを取り払った。顔立ちは平凡で、無造作に束ねられた赤茶色の髪に、黒い瞳。あか抜けておらず、野暮ったい雰囲気は男が都市の出ではなく、村落出身である事を物語っていた。年齢は二十代前半といったところか。

 辺りを暫く旋回した後、鴉は男の足下へ降り立ち、握り締めていた革袋を差し出した。

『只今戻りましたよ、ジェスタの旦那』

 鴉は男――ジェスタに向かい、声にならざる「言葉」を発した。心から発する声、俗にテレパシーと呼ばれるものだ。

「御苦労、御苦労。で、今回の稼ぎはどうだ?」

 労いの言葉もそこそこにジェスタは革袋をひったくり、中味を取り出した。硬貨を丁寧に数えているうちに、日に焼けた顔が見る間にほころんで行った。

「百二十オールか。上々だな。これで三ヶ月は楽に暮らせる。でかしたな、ルピア」

 黄ばんだ歯をむき出しにし、喜ぶジェスタ。が、ジェスタを見上げる鴉――ルピアは大きく溜息をつくばかりだった。

『今回は結構苦労したんですよ。屋敷の豚親父に見つかったんです。だから忍び込むのは、陽が落ちてからにしようって言ったのに……もう』

「うるさい! 御主人様の命令が聞けないのか! で、お前。盗みの現場、見られたのか」

『ええ。しかもその豚親父、事もあろうに私に向かってゴブレットを投げつけてきたんですよ。この美しくか弱いレディに対して、無礼にも程があります! 癪に障ったんで、お仕置きしてやりました。幻影の魔術を使ってからかってやったんです』

「何がレディだ。小悪魔のくせに。第一、鴉は雄も雌も真っ黒――」

 ジェスタの悪態は悲鳴に変わった。ルピアが脳天に乗り、鋏のような嘴で左耳を捻り上げたのだ。

「いでぇ、止めろ! いや、止めて下さいお嬢様、ルピア姫!」

『わかればいいんです。この黒く光り輝く究極の美しさが』

 やっとのことでルピアはジェスタの頭から降りると、黒光りする翼を颯爽と広げ、軽やかに飛び跳ねた。耳をさすりつつ眉間に皺を寄せるジェスタのことなど、眼中にないかのように。

「ところで、ルピア。姿を見られたのは、この町に来てもう三度目だろうが。得意の幻影の魔術使えば、姿見られずにすんだんじゃないか」

『だってあの豚親父、いきなり部屋に入って来たんです。魔術使う暇なんてありませんでしたよ! それに何です、人を顎で使っておいて、その言い草は? 私も盗みなんてやりたくはないんです。そもそも旦那が、まともな職に就いてくれさえすれば――』

 ルピアは飛びかからんと、羽を逆立てて身構えた。また耳を捻られては堪らないと思ったのだろう。ジェスタはうるさそうに手を振った。

「あー、わかったわかった。そのうちな。とにかく万一のことを考えて、今日中にこの町からおさらばした方が良さそうだな。纏まった金も手に入ったことだし……。次は北の町・マイアムで一儲けするか」

『え、マイアムでもまたやるんですか、こんなこと』

「当然だな。主のために身を粉にして働くのが、召使い鳥の使命ってもんだろう」

『やれやれ……。旦那には何を言っても無駄ですね。何って言ったって旦那は、「付ける薬がない病気」にかかっているんですから、仕方ないですか』

「何だ、そりゃ? 俺はすこぶる健康だぞ」

 怪訝な表情を見せるジェスタの前で、ルピアは嘴を僅かに軋ませた。笑っているのだ。

『別名「死ななきゃ治らない病気」とも言いますね。まだわかりませんか?』

「いや、さっぱり」

『そうですか。本当、旦那は救いようがありませんね。なら、教えて差し上げましょう。この病気は俗に……』

 ルピアはじりじりと後退すると、翼をもたげた。

『「馬鹿」と呼ばれているものですよ!』

「な……」

 頭へ血が上ったジェスタは飛びかかったが、その手は呆気なく宙をきった。ルピアはヒラリと攻撃をかわし、頭上へと逃走したのだ。

「ルピア、この尼ぁ! 降りてこい! 焼き鳥だ、焼き鳥!」

『それじゃ先に北門の外れに行っていますよ、旦那』

「畜生、肉が不味くなかったら本当に食っているところだぞ!」

 悔しそうに夕焼け空を見上げるジェスタ。それを尻目にルピアは北門を目指した。一足先に空からリーベンゲルの外へ出るために。ジェスタも直に追ってくるはずだ。町の門は日没と同時に閉まるのが決まりなのだから。


 リーベンゲルを後にして数時間が経過し、辺りは闇に包まれた。この頃、ジェスタとルピアは草原の中、街道からやや外れた木の根元でキャンプを張っていた。

『マイアムまで三日ってところですね。噂によれば、あそこは重税を課すことで有名な町で、住民はそう裕福じゃありません。観光地ですから人は集まりますけど……。まさか、観光客から盗む気ですか?』

 赤々と燃える焚火へ目をやりつつルピアが尋ねると、ジェスタは頬杖をついたままにんまりとした。

「観光客なんか当てにはしていないさ。心配いらん。マイアムとその周囲を治めている貴族――強突張りの悪徳領主が半年前に殺され、その弟が新領主になった。途端に税も軽くなったという訳だ。商人の屋敷にでも行けば、またがっぽり稼げるだろうよ」

『領主が殺されたって……。あっ、そうか! 思い出した!』

 ルピアは目を輝かせ、ばたばたと羽ばたいた。

『ヴィラ・ハー様だ! ヴィラ・ハー様がその領主を討ったんでしたね!』

「へっ! そんなに気になるのかよ、ヴィラ・ハーが!」

『あーら、焼き餅焼いているんですか? もてない男は惨めですねー』

「馬鹿抜かせ! 誰が鴉なんぞに焼き餅焼くか! 俺が言いたいのは、あんな人殺しの何処がいいのかってことだ!」

 ジェスタが舌を鳴らしても、ルピアは目を細めるばかり。ルピアはヴィラ・ハーの熱狂的なファンであったのだ。もし人間の娘であったのなら頬へ手を当て、赤面していること間違いなしだった。

『そりゃもう、決まっているじゃないですか。ヴィラ・ハー様は強くて格好良くて、勇敢で……。勝負だっていつも正々堂々と真正面からぶつかって。ああ、ヴィラ・ハー様ってステキ! 何処かの誰かさんとは本当、大違いなんですから』

「下らんことをほざくな!」

 怒鳴り声と一緒に、ジェスタはルピア目がけて足を繰り出した。陶然としていたルピアはまともに一撃を受け、もんどり打って倒れた。

「鴉のくせに、人間の男なんぞに夢中になりやがって。それより飯だ、飯! 何か獲物でも狩って来い!」

 ジェスタは癇癪を起こし、火のついた枝をブンブンと振り回した。暴力を振るう男からは遠ざかるに限る。逃げるように草原へ飛び立ち、真夜中の狩りへ出たルピアであったが、我が身の現状を嘆かずにはいられなかった。

『あーあ、私って世界一不幸な乙女よね。あんな乱暴でぐーたらな男に仕えなきゃならないなんて。こうなったのも全て前の旦那が、あんな遺言を残したせいだわ』

 ルピアが「前の旦那」と呼ぶ人物は、宮仕え経験もある名の聞こえた魔術師だった。名声を得て、多くの優秀な弟子も育てた。だが妻には先立たれ、子供もおらず、年老いてわび住まいへ身を引いた後、独りになってしまった。

 そこで寂しさを紛らわすために、自分の身の回りの世話をさせるために、魔術師はごく普通の鴉にすぎなかったルピアに魔術を施した。結果、ルピアは人間と同等の知能とテレパシー会話能力を持つばかりか、護身や家事手伝いに役立つ幾つかの魔術も使える、極めて優秀な「召使い鳥」となったのである。

 ところが数年後、魔術師は不治の病に冒されてしまった。死期を覚った魔術師は床で黒い石の塊を差し出すと、枕元のルピアにこう言い残した。

 ――これよりお前をこの黒曜石の中へ封印し、眠らせる。儂の死後、この中からお前を目覚めさせた者を新たな主と認め、仕えるのだ。

 魔術師の意思で一塊の黒曜石の中へ封印されたルピアは、二十年後ジェスタの手によって蘇った。だがこの新しい主は、とんでもない人物だったのだ。

 ジェスタはかつて故郷であるケルン南部の山村で、両親や幼い弟と共に畑を耕し、羊を飼って慎ましやかに暮らしていた。そんなのどかな生活が一変したのが、今から五年前。ジェスタが十九歳の時、一人の騎士が村を訪れたのだ。

 騎士の名はアルドモンド卿。幾多の輝かしい武勲と名声は、国内はもとより遠く異国にまで轟いていた。剣の腕前は超人級、ケルン随一の騎士と誉れ高き人物ではあったが、騎士の中では少々変わり者でもあった。出世に無関心で宮仕えを嫌い、単身各地を巡り歩いていたのである。そのためまたの名を「放浪の騎士」とも言った。

 ジェスタの故郷は国内でも辺境中の辺境、来訪者もここ三十年ほど皆無。村人は高名なる騎士の噂を耳にはしていなかったが、久方ぶりの客人を手厚くもてなした。その礼にとアルドモンド卿は、旅の途中で起こった出来事を語った。盗賊の討伐、魔物退治、誘拐された高貴な姫君の救出などなど……。村人はアルドモンド卿の武勇伝を夢中になって聞き入った。無論、ジェスタも例外ではなかった。

 ジェスタの心の中に「野望」が芽生えるのも、ごく自然なことだった。自分も騎士となり、名を馳せたい――と。ジェスタは村での平穏な生活に飽き飽きしていたのだ。

 一念発起したジェスタは、旅の同行を願い出た。アルドモンド卿は気が進まなかったようだが、最終的にはこの願いを聞き入れ、ジェスタを自分の従卒とした。しかし――

 一年も経たないうちに、ジェスタはアルドモンド卿の許を逃げ出したのだ。従卒の毎日は決して楽なものではない。武芸の稽古や、騎士としての礼儀作法を叩き込まれるうえ、主の身の回りの世話も一切やらなければならないのだから。薄っぺらい憧れや志でなれるほど、騎士への道は甘くはない。厳しい現実に直面したジェスタは音を上げ、主に暇も告げずに自ら夢を捨て去った。

 必ずや騎士となり、手柄をたてる――大口を叩いて故郷を発っただけに、のこのこ家へ戻ることも出来ない。ジェスタは都市へ潜り込んで働き口を探したが、生来の「飽きっぽさ」と「根性なし」が祟って長続きせず、職を転々とした。瞬く間に金は底をつき、とうとう最終手段に出た。盗みを働いたのだ。深夜家へ忍び込み、僅かな金を盗み出しては、ジェスタは細々と食い繋いでいった。

 されどジェスタが同じ都市で「働いて」いられる期間は、精々半年くらいだった。町の衛兵も脅威だったが、それにも増して恐ろしいのが盗賊ギルドの存在だった。ジェスタのようなもぐりの盗賊――ギルド未加入者が、ギルドの縄張り内で「仕事」をしたことが発覚すればどうなるか。よくて袋叩き、最悪命までも奪われかねないのだ。ギルドに睨まれる前に、ジェスタは素早く他の都市へ移動しなければならなかった。

 そんな危険に満ちた生活が三年近く続いたある日の夜、ジェスタはさる都市の屋敷へ侵入した。物色している最中、家人に見つかりそうになり、泡食ってジェスタは目についた置物を鷲掴みにして逃げ出した。

 安全な場所で改めて置物を確認すると、黒曜石で出来た物であることがわかった。が、いじくり回しているうちに、ジェスタはうっかり手を滑らせ、置物を地面へ落としてしまった。そして信じられないことが起こったのだ。粉々に砕けた黒曜石の中から一羽の鴉が現れ、ジェスタを主と呼んだのである。言うまでもなく、この鴉こそルピアだった。

 以来、ジェスタは自ら危険を冒す真似はせず、ルピアに盗みをさせるようになった。ルピアは暗闇でも目が見え、魔術も心得ている。鴉が相手では衛兵も取り締まれず、ギルドも気にしない。鴉が光物を失敬することなど、決して珍しいことではないのだから。

 ルピアはこんな主と早急に縁を切りたかった。一体いつまでジェスタがこんなに情けなく、道徳に反した行為を犯し続けるのか、頭が痛くて堪らなかったのだ。しかし悲しいかな、一度契約してしまえば、主が死ぬまで側を離れることは許されない。主が危機に陥れば、全力をもって守らねばならないのである。

 とはいえ、ルピアも駄目主に盲従するような、「おしとやか」な召使いではない。説教、口答え、悪口、悪戯は日常茶飯事、時と場合によっては容赦なく暴力を振るうなど、前の主には決して行わなかった蛮行で反抗した。

『ジェスタの旦那が前の旦那みたいに、尊敬出来る人物だったらよかったんだけど。ま、旦那の中にも良心の欠片が残っていて、人は傷付けない、貧しい者からは盗まないというのがせめてもの救いかしらねえ』

 馬鹿に付ける薬が欲しいわ、などと呟きながらルピアは大木の天辺へ降りた。闇雲に飛び回っていても、時間の無駄。高い場所に腰を据えて、獲物を探すことにしたのだ。

 月明かりの中、いくらルピアが目をこらしても、生き物の姿は何処に見当たらない。耳をすますも、風にそよぐ草葉の乾いた音が聞こえてくるくらいだ。

『夜の狩りは難しいのよねー。兎も穴の中だし』

 グッと背伸びをした時、ルピアの目が何かをとらえた。ずっと遠く――半ディール(一キロ)程先に火が一つ二つ……。いや、七、八の「灯」がぞろぞろと一列になって、草原を横切っていくのが見えたのである。

 松明の灯と確信したルピアは胸騒ぎを覚え、矢のような速さで灯の列目指して飛んだ。この草原には遊牧民は住んではいないはず。隊商や旅人だとしても、陽が落ちれば休む。危険が多い夜に移動するのは慎むのが常だ。

 間もなく列の上空へ到達し、ルピアは息を呑んだ。不吉な予感が的中したのだ。見るからに気が荒そうな男達が、馬に乗って行進している。男達は武装していたが、身に付けている武器も防具も統一性はない。戦斧を背負っている者もいれば、槍を持っている者もいる。兜を被っている者もいれば、頭巾で頭を覆っている者もいる。どう見ても正規の騎士団や戦士団ではない。夜盗団だったのだ。

 空から観察していくうちに、ルピアはこの一団がただの夜盗ではないことを知った。男達は全員、鎧の上から深紅のマントを羽織っている。悪名高い赤套団せきとうだんに違いない。闇に紛れて隊商や旅人を襲撃し、身ぐるみ剥ぐばかりか命さえも奪うという。つい一月ほど前にも馬車十二台を連ねたの大隊商を急襲、護衛や商人は愚か馬までも殺していったそうだ。その徹底した残虐非道ぶりは、人々にとって脅威だった。

 ルピアは内心焦った。もしジェスタが発見されてしまったら大変なことになる。得意の幻影の魔術を用いれば、敵を撒くことぐらい出来そうなものだが、赤套団の頭目は魔術師。国王の討伐隊も手を焼くほどの実力者だという噂だった。

 ただ赤套団がこの草原にいるのは、ルピアにとっても意外だった。赤套団は国の東部を本拠地にして暴れ回っていたはずだ。さしもの赤套団も東部では警戒されて仕事がやりづらくなり、中央部へ侵出してきたのかも知れない。

 一行はルピアに気付いていないようだった。黙々と馬を御しているので、誰も上空を見上げようとしないのだ。幸いなことに、赤套団はジェスタがいる方向とは逆の方へと進んでいる。取り敢えず安心したルピアは、このまま暫く赤套団の後について行くことにした。馬蹄に驚き、兎が巣穴から飛び出すことを期待して。

 だが突然、行進は止まった。何かあったと感じたルピアは高度を上げ、前方を見据えた。一行の先頭より五十ゼル(百メートル)程先に何かが見える。青白くボーッと光る燐光だ。モヤモヤとした塊にすぎなかった燐光は、次第に形を成していった――馬に跨った騎士の姿へと。途端に夜盗は慌てだし、怯え切った叫びが草原を突き抜けた。

「ヴィラ・ハーだ! つ、ついに出やがったぞ!」

 ヴィラ・ハー。それは一年前、彗星の如く登場した神出鬼没の謎の騎士。青白く輝く完全鎧に身を包み、乗るは青白き馬スルシス。兜に隠された素顔を見た者は誰一人としておらず、その正体は不明。出現するのは決まって夜、国の北の端に現れたかと思えば、三日後には南の端に現れる。剣の一振りは岩をも断つほどに凄まじい。

 ケルン国内に跋扈する盗賊団や悪政を敷く領主、悪徳商人等にたった一騎で挑み、鮮やかに葬り去るヴィラ・ハー。僅か一年で七つの盗賊団と二十人近い人物を滅している。その華々しい活躍に人々は熱狂し、ヴィラ・ハーを正義の味方、稀代の英雄と絶賛した。

 しかし狙われる方にしてみれば、堪ったものではない。ヴィラ・ハーは標的を逃がさず、地の果てまで追って必ず討ち取る。一度狙われたら最後、死は免れず、もはや死神に憑かれたも同然――それが「死神の騎士」という、恐ろしげなあだ名の由来だった。

 その「死神の騎士」が今、目の前にいる。赤套団を滅ぼすため。憧れの人物の出現に、ルピアはまさに天にも昇る心地だった。

『キャー、何てラッキーなの! ヴィラ・ハー様にお目にかかれたばかりか、活躍を生観戦出来るなんてぇ! ルピア、幸せー!』

 ルピアは歓喜のあまり「鴉の声」をあげて騒ぎ立て、空中で転げ回った。夜中に自分を狩りに駆り立てたジェスタにさえ、感謝したい気分であった。

 上空のやかましい鳴声など気にも留めぬかのように、ヴィラ・ハーは両腰にさした二本の長剣を抜いた。そう、ヴィラ・ハーは両刀使いなのだ。よって盾は装備していないが、身体は隈無くがっちりと鎧で固めている。しかし馬――スルシスは乗手とは実に対照的であった。全くの非武装、それどころか鞍や手綱といった馬具すらつけていない、完全な裸馬。見る者によっては、人馬の装備の差が不自然に感じられたはずだ。ルピアはそんなことなど目にも入らなかったが。

「か、頭ぁ! やっぱり奴は来ましたぜ! 逃げても無駄だったじゃねぇですか!」

 夜盗の一人が発した声に、ルピアは我へ返った。赤套団がここにいる理由が読めたのだ。ヴィラ・ハーは狙いを定めた相手に対し、「今度はお前を討つ」と、前もって死の宣告をする。ヴィラ・ハーから死の宣告を受けた赤套団は襲来を恐れ、本拠地の東部からこの地まで逃げ延びてきたに違いない。

「馬鹿野郎! 恐れるな、相手は一人だけだ! これでも食らえ!」

 先頭に立つ頭目は手下を叱咤すると、右手を前方へ突き出し、唇を素早く動かした。呪文を詠唱しているのだ。

『あいつ、魔術を使う気だわ。ヴィラ・ハー様、気を付けてぇ!』

 ルピアが警告を発した直後、頭目の掌から火球が発射された。火球は瞬時に半ゼル(一メートル)まで膨れ上がり、一直線に突き進んでいった――ヴィラ・ハー目がけて。

 されどヴィラ・ハー、少しも怯む様子はない。ヴィラ・ハーが踵を脇腹へ当てると、スルシスは深紅の瞳をカッと光らせ、大地を力強く蹴り出した。その背の上でヴィラ・ハーは高々と右手を掲げ、渾身の力を込めて剣を振り下ろした。ビュン、という鋭い音と共に生み出された風は刃と化し、ものの見事に火球を真っ二つに切り裂いた。

『凄い、流石はヴィラ・ハー様! 剣圧で火球を切ったわ! しびれるーっ!』

 眼下で剣技を目にし、感激で心が一杯のルピアは、思わずヴィラ・ハーへ向かって投げキッスをした。おかげで危うく墜落しそうになったが。

 消滅する火球を見て頭目は戦慄き、急ぎ腰の得物へ手をかけた。が、もはや手遅れだった。スルシスの蹄は目前まで迫っていたのだ。月の光を受け、ヴィラ・ハーの剣が煌めいた瞬間、頭目のこうべは胴体と訣別し、宙へ舞った。

「頭がやられた! に、逃げろーっ!」

 死の恐怖に取り憑かれ、浮き足だった夜盗達は狂ったように馬に鞭を当てた。だがヴィラ・ハーに狙われ、その刃から逃れられた者はただの一人もいないのだ。しかも乗っている馬は「飛ぶように走る」名馬スルシス。並の馬の足で振り切れるものではない。

 たちまちヴィラ・ハーは逃げ惑う夜盗の一団へ追いつき、縦横無尽に駆け回っては剣を振るった。素人目にはただ闇雲に剣を振り回しているように見えるが、実際は違う。首をはね、胴を袈裟懸けにし、心臓を一突きにする。一振りで確実に相手に致命傷を与える、まさに一撃必殺の攻撃。更に驚くべきことに、左右の剣で同時に二人の夜盗を斬るという離れ業を易々とやってのけたのだ。ヴィラ・ハーの剣の腕はやはり噂に違わぬものであった。

「た、助けてくれ! 命ばかりは……お願いだーっ!」

 夜盗の中には両手を合わせ、涙ながらに命乞いをする者もいたが、所詮は無駄な努力というもの。ヴィラ・ハーは躊躇うことなく、冷たい剣の一撃をもってその返事とする。敵には一切の情けをかけない冷酷さこそ、その強さと執拗さと共に悪党の恐怖の的となっているのである。

 噴き上がる血飛沫、こだまする悲鳴と絶叫。惨たらしい殺戮ショーもさして長続きはしなかった。二十人ほどいた赤套団は、あっという間に全滅してしまったのだ。累々と転がる無惨な躯。風は血の臭いをはらみ、柔らかな草は朱に染まり、肉片や臓器が散乱していた。目も覆わんばかりの光景だ。

 静けさを取り戻した草原で、ヴィラ・ハーはスルシスに跨ったまま佇んでいた。二本の剣にこびり付いた血糊を拭おうともせず。夜盗を皆殺しにし、何を考えているのか。兜に隠され、表情は外からは窺い知れなかった。無論、ルピアにも見当もつかない。

『うーん、ヴィラ・ハー様ってどんな方なのかしら? お顔を見せて……くれる訳ないわね。なら、サインをもらおうかしら? いや、やっぱりサインも無理だわ。今はペンも紙も持っていないし。それならお話くらい……』

 ヴィラ・ハーは出現してから、今まで一言も声を発していない。せめて生の声ぐらい聞いておきたいと、ルピアはヴィラ・ハーの正面へ回った。テレパシーが届く範囲は十ゼル(二十メートル)くらい。声をかけようにも、ルピアの喉は鴉の鳴声しか生み出せない。そこで至近距離よりテレパシーで話しかけることにしたのだ。お疲れ様、本当に素晴らしい活躍でしたね、と。

 ところが相手の目線まで降りようとした途端、ヴィラ・ハーは馬首を返して駆け出した。ルピアも翼に全ての力を集中させ、後を追ったが、差は開く一方だ。百ゼル(二百メートル)程距離が開いた時、青白き燐光は暗闇の中へ融けるように消滅した。ルピアがいくらその姿を捜し求めても、何処にも見当たらない。突然現れたかと思うと、突然去って行く。神出鬼没、まさに正体不明の謎の騎士だ。

『あー、もう残念! 折角お近付きになれるチャンスだったのに。ヴィラ・ハー様ったら、つれないお方!』

 ルピアは酷く落胆したが、ここで重要なことを思い出した。ジェスタの許を発って一時間以上経つというのに、何ら獲物を得ていない。気の短いジェスタのこと、今頃腹を空かせて苛々していることだろう。かと言ってこのまま手ぶらで帰りでもしたら、何を言われることか……。

 幸い今夜のルピアにはツキがあった。赤套団のむくろの中に小さな獣の死骸を発見したのだ。逃げ惑う赤套団の蹄にかかり、哀れ踏み殺されてしまったのである。

『あら、丁度いいわ。あれ、旦那に食べさせましょう』

 幸運を噛み締め、ルピアは嬉しそうに獣の死骸の側へ降りた。獲物は自身よりやや大きめであったが、浮遊の魔術を使えば十分運べるものだ。もっともルピアが喜んだのは、何もツキの良さだけが原因ではなかったのだが。


「遅いぞ! 何処ふらついていた!」

 藪の中から現れたルピアを目にするや否や、ジェスタは怒声を浴びせた。一時間半も待たされ、腹の虫は鳴りっぱなし。我慢も限界だったのだろう。

『人の苦労も知らないで。それより、ほら』

 ルピアは魔術で引っ張ってきた兎を一匹、ジェスタの前へ押し出した。

『これで文句はないでしょう』

「よしよし。美味そうな奴を捕ってきたな」

 先程までの癇癪はどこへやら、ジェスタはたちまちご満悦となった。鼻歌を歌いながら兎を捌き、枝に刺すと焚火の火で焼き始めたのだ。程よく焼き上がったところで、ジェスタは勢いよく肉に齧り付いた。

「少し変わった味がするが、結構いけるな、この兎」

 余程美味かったのか、ジェスタは骨までしゃぶっている。その一部始終を眺めていたルピアは、身体を小刻みに震わせた。込み上げてくるおかしさを懸命に堪えていたのだ。

 満腹になったジェスタは、木の根を枕にして眠ってしまった。気持ち良さそうに鼾をかく主の横で、ルピアはクワクワと笑い声を漏した。

『知らぬが仏、呑気な旦那。これが何であるか知ったら、それこそ七転八倒、腹に詰めた物を逆流……なーんてことになるのにね』

 焚火の脇に捨てられた兎の頭を、ルピアは嘴でくわえて力一杯放り投げた。そろそろ施した幻影の魔術が解ける時間だったのだ。兎の頭は藪の中をころころと転がりながら、汚らしい灰色の物体へ――糞食獣グラダスの頭へとなった。

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