第005話 ノスフェラトゥ
「狂ってやがんのか、人間ヤロウが!?」
狼男が怒りの咆哮を上げながら前へと出て、男の放った弾丸にガントレットに包まれた右ストレートをぶつけた。
「グッ、ガァアアア!?」
だが次の瞬間には、その装甲ごと狼男の右腕が貫かれる。さらに弾丸の威力は減衰することなく、背後にいたドクの肩をも吹き飛ばした。
「ァァァアアアッ!」
「ふむ」
狼男が痛みに吠え、ドクは己の身体の一部が抉られたことに眉をひそめた。それを見て男が笑う。
「肩に逸れたか。けどなぁ」
男が続けて放った二発目は、態勢を崩したことであらぬ方へと飛んでいった。しかし、その弾道は空中で不自然な弧を描き、男の睨むドクの頭部へと向かっていく。
「人差し指の弾丸は狙った場所に飛んでいくんだったよな?」
「ドクトルッ!?」
単眼の巨人が弾丸に向かって棍棒を振り上げる。それは常軌を逸した速度であったが、弾丸はそれすらも避け、ドクの鼻から上に当たって吹き飛ばし、中身を散らしていった。
「やった!」
男が歓喜の声を上げている前で、ドクと呼ばれた老人は頭部の半分と右肩を失い、糸の切れた人形のように力なくその場で崩れ落ちる。
「貴様ぁ!」
その次の瞬間には単眼の巨人が棍棒を横に振るって、男を吹き飛ばした。すでに死に体であった男の身体が宙に舞い、そのまま地面に落ちて転げていく。
「がっ……ハァ!?」
それを見た狼男が充血した目で男を睨みつけながら咆哮した。
「こいつ。ドクを、俺の腕をッ!? ダオス、殺したんじゃねえだろうな。その人間は俺が殺す」
「は、ははァはは、知るか。ケイトの仇だ。クソ野郎!」
対して地面に横たわる男も叫んでいた。それは先ほどまでにはなかった熱を帯びた目をしていて、この場にいる誰もが知らぬ名を叫んでいた。
『で、いったいどういうパーティなんだぁ、こりゃあ?』
その様子を見て(?)いたリボルバーが、まったく分からぬという風に疑問を口にした。ただの哀れな犠牲者に過ぎなかった仮初めの相棒が、この世界でも有力な存在であるドクトル・カドモスへと殺しにかかり、それを為したのだ。
『とはいえ、どうであっても意味はねえがな』
続けて、そう口にしたリボルバーの声はどこか自嘲めいたものがあった。続けて、吹き飛ばされて転がっていたドクの肉塊に残されていた口から言葉が漏れる。
「待ちなさい」
「なっ?」
目を見開いて驚く男の目の前で、ドクの亡骸が起きあがっていく。それに対して狼男が吠えた。
「ドク、しかしコイツはアンタをッ! 俺の腕をっ!」
「待ちなさい……という言葉が聞こえませんでしたか?」
「あ……いえ、すんません。興奮し過ぎました」
再度のドクの言葉に、狼男はその気勢を削がれて尻尾が垂れた。だが、男にとっては狼男の反応などどうでも良いことだ。ただ目の前で起きていることが、男にとって悪夢以外のなにものでもなかった。
「……なんだ、コイツ?」
ドクの吹き飛んだ肩と頭部が、まるで逆再生の映像でも見ているかのようにみるみると戻っていく。そして、ドクは再び形を取り戻してキョロキョロと動き始めた目を細めながら男を見て笑った。
「ヴェトー、さすがにこれ以上暴れられても他の方々に迷惑でしょうから、手足を折っておきなさい」
「はっ」
「くそ、テメエ。俺はお前を……畜生。止めろっ、離せ!?」
吠える男に対して狼男は残忍な笑みを浮かべ、その両手と両足を一本ずつゆっくりと叩き折っていく。そのたびに発せられる悲鳴にドクは満足そうな笑みを浮かべながら、後ろに控えていた赤髪の少女へと声をかけた。
「まったく、元気がいいのは良いことですが……ノエル」
「なんじゃ?」
ノエルと呼ばれた赤髪の少女が不機嫌そうな顔で返事をする。
「これをあなたに差し上げましょう。ジョニーも付けます」
「いるか。使い道など薬を二発撃って終わりではないか」
度重なる激痛に意識が混濁しつつある男を見下ろしながら、ノエルが即答する。その言葉に狼男と単眼の巨人がノエルを睨みつけるが、ドクはにこやかに笑って口を開いた。
「彼は不死病感染者ですよ。私とあなたと『同類』の」
その言葉に周囲がざわめく。多くは呆気に取られたといっても良い。また、そこには嫉妬と羨望が入り交じっていた。それらの様子を気にせず、ドクは恥ずかしそうな顔で頭をかいた。
「いや、食事会で食材に手を出そうとしたらいきなり噛みつかれましてね。多分、それが彼です。まさか覚醒するとは思いませんでしたが……こういうこともあるのですね。ほら、もう最初に潰された腕が戻りつつあります。元が元だけに再生力はそこまでではないようですが」
そのドクの言葉通りに、骨が突き出るほどに損傷していた男の右腕が徐々に形を取り戻そうとしていた。その姿を見て、ドクはさらに満足げな笑みを浮かべると両手を上げて涙を流す。
「今日は家族が増えました。大変、良き日です」
「ドク、それは……!?」
単眼の巨人がノエルに警戒の視線を向けながら、口を開いた。もっともドクもノエルも気にせず互いに視線を向け合っている。
「いいのか? 家族と言いながら、随分と恨まれているようじゃがの」
「ふふふ、だからこそあなたには必要でしょう。今日のお代です。随分と楽しませていただきましたし、久方ぶりに私も興奮いたしました。あなたは何百年立っても恥じらいを忘れない淑女だ。そう躾た甲斐があった」
ドクの言葉にノエルが舌打ちをする……が、何も言葉は返さない。その反応にもドクは満足そうに頷くと言葉を重ねた。
「ですが、私に怒りを抱いたまま固定された彼ならば、怯える子のトリガー足り得るかもしれません」
その言葉を聞いて狼男と単眼の巨人がノエルと男を交互に睨みつける。その場で始末をつけたいと顔に書いてあるも同然の表情をしていたが、当然どちらも主に逆らえるわけもなく、ただ睨むことしかできなかった。
その反応をもドクは喜ばしく感じているようで、落としていたステッキを拾うと、倒れている男とノエルに背を向けて歩き出した。
「ふふ。ではダオス、ヴェトー行きますよ。ノエル、私の子を頼みましたよ、あなたの弟です」
そう言い残しながらドクと、その取り巻きが去っていく。
そして残されたのはノエルと、倒れている男、リボルバー、それにノエルの従僕であろう赤い瞳をした男のみであった。
『よぉ、ノエルの嬢ちゃん。久しぶりだな』
「ジョニーか。そなた、随分と厄介なのと契約したようじゃな」
ノエルの言葉にジョニーが『はっは』と笑う。
『因果かね。こいつが不死病感染者だったとは知らなかったが……こりゃあ長い付き合いになりそうだな』
その言葉を男は虚ろな瞳で聞いていた。ドクと呼ばれた男が去った途端に男の中にあった熱はすでに消えていた。もう動く気力もないようで、ただうめきながら、破壊された四肢の再生の痛みと、再生されぬ指の痛みに耐えるだけの存在となっていた。
『ハハハハハハ。ま、この兄ちゃん、随分とスレてねえみたいだし当分は楽しめるんじゃねーかな』
「それはご愁傷様じゃ。まあ良い。仕方がないから妾がどちらも引き取ってやろう。感謝しろよ」
『へ。俺様はどーでもいいんだけどよ。それより、まーだお嬢ちゃんは諦めてはいないようだな?』
「ふん」
リボルバーの問いにノエルは答えず、顔を背けて後ろにいる赤目の男へと指示を出す。
「リチャード、それを運べ。指は呪いで再生せぬだけじゃろうが、身体そのものはギリギリかもしれん。念のため傷つけるな。『成り立て』とはいえ『捕食状態』にでもなられたら死ぬのはお前じゃからな」
その言葉にリチャードと呼ばれた男が「ハッ」と言葉を返して頷き、男を抱き抱えて歩き出した。
「ああ、そうじゃった」
その途中でノエルは何かに気付いたように、赤目の元へと駆けより、抱き抱えられた男に尋ねた。
「そなた、名を何という?」
その言葉に、男は恐らくは最愛であったものの名前を口にした。そして、彼には他に覚えている名もなかった。それを聞いたノエルは頷き、
「ではよろしくな、■■■■」
意識の消える男にその名を告げたのだ。
その日、新たな名を得た男はノエル・レーベという吸血姫の下僕となった。
───そして半年が過ぎた。
◎ダンジョン『魔人界』 セフィロシティ 第243街区 ゼダン通り
通りから人々の騒がしい声が聞こえてくる。それは慌ただしく、焦りの混じった無数の声だった。
「ベヒモスが出たぞ、畜生」
「あれ、逃げ出したペットだってよ」
「飼い主はどうした?」
「もう腹んなかだよ。喰われやがったらしい」
「で、逃げられたと。バッカじゃねえの?」
「バカはそこで突っ立ってるテメェだ。良いから逃げるぞ」
「あんなカバみてえなのの糞になるのはごめんだぜ」
大勢の人々の声が流れるように響き、さらには地響きのような足音まで轟いている。
そんな喧噪に包まれたゼダン通りに面したラーメン屋のカウンターで、男はひとり黙々とラーメンを食べていた。それから最後の麺もすすり、スープも残さず飲んだ男は、眉をひそめながら口を開いた。
「なあ、オヤジ。なんか外が騒がしくねえ?」
「騒がしいっていうかよ。テメエ、食べ終わるまで普通に無視してたよな。ありゃ、完全にお前さんの出番だと思うんだがなミーシャ?」
ラーメン屋のオヤジが青筋を立てながらそう言葉を返す。
対して男は肩をすくめて「え、俺?」と笑いながら、器の底にあったナルトをハシで摘まんで口に運んでいく。
「え、ヤダよ? ほら仕事の連絡もないしさ。俺だって怪我とかしたくねえよ」
「用心棒がさぼってんじゃねよ。ウチの店に傷でも付いたら、お袋に言ってテメェ呪わせんぞ」
苛立ちを露わにしたオヤジの言葉に、男は心底嫌そうな顔をしながらぼやく。
「ひでえな。あんたのお袋さん、本職じゃん。呪いはもう間に合ってるっつーの。たく」
そう言いながら男は髪をがりがりかきながらオヤジを見た。
「そんじゃあさ。仕事してくっから、今日のお代はただにしてくれよ。な?」
『おいおい、セコいぞ相棒』
「うっせ。」
脇下のホルスターから呆れ声が響き、オヤジも眉をピクピクとさせながら男に叫んだ。
「わーったよ。わーったから。今日も明日もついでに一杯は奢りにしてやる。だから、さっさといけや用心棒!」
そう言われた男が「へいへい」と口にして、ゆっくりと椅子から降りて、ため息をつきながら店を出ていく。そして、通りに出た途端に男が目を細めた。人の波の先、男の視界に巨大な魔獣の姿が視認できたのだ。
「なんだよ。もう目の前じゃないか」
『オメエがトロトロし過ぎだったんだよ。アホが』
魔獣は、大通りを闊歩しながら男のいる場所に向かって走ってきていた。大勢の人々が逃げる中、魔獣に踏まれた車が爆発しているのも見えた。それを見て男の目が細くなる。
「人界からの輸入モンを……勿体ねえなぁ」
その言葉に『そういう心配かよ』と、ホルスターの中のリボルバーが呆れた声を出しながらも言葉を重ねる。
『しっかし、魔物の出現率は抑制させてるはずだってのに、なかなかの大物じゃあねえか。蛇野郎は別に不機嫌でもなさそうのによ』
「ペットとか、さっき外で言ってたみたいだしな。第150階層辺りにいるのを捕獲したんじゃねえのかね。はぁ、やるぞジョニー。ありゃ、親指でいくしかねえわ」
そう言って男がホルスターからリボルバーを取り出すと、すぐさま銃身が折れてシリンダーが姿を現した。そして並ぶ五つの穴の周囲の歯がギチギチと蠢くのを見て、男が深いため息をつく。
『あいよ。久しぶりのお食事だぜ。相棒、アーンさせてくれ。アーン』
「気味悪いこと言うんじゃねえよ。一週間前に中指喰わせたばかりだろ。クソッ。さっさとやってくれ」
そう言って男が歯を食いしばって、シリンダーの穴のひとつに親指を差し込んだ。
『ケッケッケ。そんじゃあ頂くぜ相棒』
それからシリンダーから骨が砕ける音と肉を咀嚼する音と、それと同時に男のうめき声がその場に響いた。
「ぐぅうっ」
そして、痛みに顔を歪ませた男が、撃鉄を上げながらリボルバーの銃口を迫る魔獣へと向ける。リボルバーに装填されている銃弾はたった一発。だが、それだけで『十分』だ。
「毎度のことながらクソッタレなお仕事に就いちまったな」
『ブチかませや相棒ォオッ!!』
トリガーが引かれて撃鉄が落ち、リボルバーから赤黒い銃弾が放たれる。
「グガアァアアアアアッ!?」
ベヒモスが直感で迫る脅威を感じて吠えるが、その前で親指を生け贄に生み出された赤黒い弾丸が大質量の物体へと変換されていく。
それはまるで巨大なドリルを集合させた掘削機のようなものへと変わり、頑強であるはずのベヒモスの頭部がまるで豆腐のようにバラバラと削り飛ばされていく。
そして、頭部から後背部までをも削り取った弾丸が空へと昇り、ベヒモスの亡骸がその場で崩れ落ちていく。
ォォオオオオオオッ
それを眺めていた人々から歓声が上がった。
豚、鬼、妖精やリザード族などといった多種多様な種族の人々が、ベヒモスを吹き飛ばした人族の男に喝采を浴びせて始めたのだ。
この第243街区の住人たちはベヒモスを倒した者を知っている。目の前で行われたド派手なショーの主役を知っている。故に男の名をその場で叫んで彼らは称えていた。
一方で中心にいる男は、親指のなくなった左手を抱えて涙目になりながらうずくまっている。
一日絶てば再生はするが、それまで味わう苦痛は契約により回避もできない。未だに痛みに慣れるということもなかった。
そして、人々が声を挙げて呼んでいる男の名はミーシャといった。
セフィロシティ、ゼダン通りを含む第243街区の用心棒であり、犬使いのガンマンとして知られる男の名はミーシャ・ドッグ。それが今の男の名であり、役割だった。