第004話 ドク
「ツゥ……痛ぇ。マジで泣ける」
『ははは、あれからさらに景気よく吹っ飛ばしたからなあ』
「三匹いるのを知ってるなら最初から言えよ。畜生。涙も血もこぼれて止まんねえ」
そう口にする男は両腕をボロボロの布で巻きながら、言葉通りに涙を流して歩いていた。ニーチェルグ二匹を倒した後、ここに至るまでに男はさらにリボルバーに左の人差し指と中指を一本ずつ喰われていた。その理由は男が口にした通り、再びニーチェルグと戦ったためだ。リボルバーに案内されて出口へと向かった先に三匹目のニーチェルグがいたのだ。
「左の中指と人差し指か……はは」
男が泣き笑いをしながら、己の無くした指を口にする。巨大な質量弾を産み出すことが可能なのは親指だけだ。そのため、男は三匹目を殺すためにさらに二本の指を犠牲とした。男は指を失った手から感じる苦痛によって、歪んだ顔を隠そうともせずに歩いていた。
『ヒヒヒヒ……まあ、良かったじゃあねえ。指だって残り六本は残ってるんだぜ。上々上々』
対してリボルバーはご機嫌であった。
苦痛を糧とする呪いの銃にとって、目の前の男の嘆きは上質なワインのようなもの。泣き叫ぶ男の声は、リボルバーにとっては何よりの御馳走だった。
「イテェ……たくよぉ。結局、ここはなんだったんだよ?」
男は通路を歩きながら、そう口にする。
生き残ろうと必死だったため、ここまで忘れていた疑問が再び蘇ったのだ。その男の問いにリボルバーは素直に答える。
『んー、ほらよ。ここは闘技場のひとつだぜ。グラディエーターが己の力でさっきのニーチェルグとかと戦うのさ。まあ力がなければ俺様を使うんだがな。ほれ、まず自分の親指を犠牲にして二匹倒すだろ。そんで助かったと思ったところに三匹目が出てきて、それを倒せるか否かってところで客が大盛り上がりするってぇプログラムなわけだ』
「し、死ぬだろ、普通?」
男の言葉にリボルバーが『まあ大体はなぁ』と返す。
『だがよ。テメエは生きてる。まあ、それ自体はさして特別なことじゃねえよ。賭けってのは一方的じゃあ成立しねえからな。賭率は9対1程度。実際には二十回に一度くらいだが、テメェが生きているように、勝ちの目も一応用意はされているわけだ』
ケッケッケとリボルバーが笑う。それを男は苦い顔をして眺めながら、さらに尋ねる。
「それで……客ってのは、なんなんだよ?」
『そりゃあ、この闘技場に来ているクズどもさ。ま、テメェが生きている上でもっとも関わり合いになりたくねえ連中なんじゃねーの?』
「だからさ。なんで、そんなところに俺はいるんだよ?」
『俺様が知るかよ』
最後の問いに、リボルバーは素気なく返す。
その口調からも、ここまでのやり取りからも、リボルバーが男に関して何も知らないのは間違いないようだった。であれば、どうして自分がここにいるのか……男にはそれがますます分からない。
「くそ、死ぬほどイテエ。早く医者に見せねえと」
『もう喰っちまったし飛ばしちまったからな。生えでもしねえ限りは一生そのままだ。ハハハハ』
リボルバーの笑い声に、男はさらに泣きそうな顔になる。ボロボロだった服を破って指のちぎれた部分に巻いて止血しているが、痛みは一向に取れない。ドクドクとまるで心臓がそこにあるかのような感覚が続いている。
だが、それでも死の危機からは脱したのだ。リボルバーの言葉が確かならば、今向かっている先に出口があるはずだ。敗者には死を、勝者には生を……それが絶対的なルールであるというリボルバーの言葉を、男は信じるしかなかった。
「……本当に、この先でいいんだな」
『ああ、グラディエーターは三匹目の首に掛かっていた鍵を使って外に出ることを許される。その権利がある。まあ、テメエは飛び入りみてえだが』
「グゥ……その飛び入りってのが……不安なんだけどな」
そう口にしながら、男はようやく出口の扉の前に辿り着いた。
「これで出れる……んだよな?」
『俺様ぁ、嘘は言わねえさ。テメェが死んだら、その痛みが味わえねえからな』
男がゴクリと喉を鳴らす。
手に入れた鍵を、痛みでおぼつかない右手の人差し指と中指で挟んで穴に差し、うめき声を上げながら回してロックを外し扉を開けた。
そして、男はついに外へと足を踏み出したのだ。
「出た……のか?」
扉を開けて外に出た男が見た光景は、高層ビル立ち並ぶ摩天楼だった。空は薄暗く、どうやら今の時間は夜明けか日暮れのようである。しかし、見上げた空の色は男の知っているものとは違っていた。また摩天楼の先には巨大な塔が天へと伸びていた。
「空が紫色か。気味悪ぃ。それになんだよ、あの塔は……」
『ああ、サイタンピラーとかいうヤツだな。ダンジョンの階層を連結して固定してるもんらしいぜ。よくは知らねえが』
そのリボルバーの説明を聞きながら、男は己の背後を振り返った。
自分が出てきた場所。そこは小さな扉がひとつあるだけの巨大な壁であった。さらに男が壁の上を見上げれば、はるか上空に大きな城が見えた。その、あまりにも巨大な建造物を見て、男は呆気にとられながらリボルバーに尋ねる。
「ここは何なんだ?」
『客どもからは娯楽城って言われてる。人界や魔界からさらった連中で遊んだり、さっきみてえな昔の闘技場もどきをやったり、懐古主義の古くせえ連中が集まって、下らねえことをさせて楽しむ場所さ』
そう口にして笑うリボルバーの言葉を聞いても、男にはその意味が飲み込めなかった。だが次の瞬間に視界に入ったものを見て、
ゾクッ
と、まるで己の身体の中心を一本の剣で貫かれたような感覚が男を襲った。男の視線の先にはひとりの老人がいた。それは白衣を着た、温和そうな老人だった。その姿を見て、男は頭の中が真っ白になる。
そして、老人が笑いながら口を開く。
「古くさいとは相変わらずですね、ジョニー」
『なんだよ、アンタも来てたのかいドク』
男は、たった今リボルバーと会話をした相手を見て、脳の奥から、いや魂の奥底から湧き上がる何かを感じた。
『ドク、一応聞くが闘技場のルールは適用されんだよな』
「そうですね。先ほどの戦いは途中からですが、私たちも見てました。問題はありませんね」
ドクと呼ばれた老人がそう口にする。
また、ドクの後ろには赤い髪の少女、単眼の巨人、狼男、その他無数の異形の存在たちが並んでいた。それはまともな人生を送っていれば、遭遇することなどあり得ない超常の者たちだ。
そんなものを前にした男が何も言わないのを、リボルバーは単に恐怖で声が出ないためだろうと『勘違い』をして、笑いながら口を開いた。
『よぉ、相棒。こいつらがその娯楽城の連中さ。ま、途中から観測コウモリも飛んでたしな。一応、この城のルールには筋を通す連中だ。後のことは……あ?』
話している途中でリボルバーは己の体が掴まれたのを感じた。腰に下げられていたリボルバーは、男の手によって掴まれ、引き抜かれたのだ。そして、男が尋ねる。
「じょ、ジョニー……確か、薬指と小指は……相手を殺せないんだったよな?」
そう口にした男の視線は、ただひとつに向けられていた。それはドクと呼ばれた老人だ。彼だけが男の瞳に映っていた。
そこにはもう、先ほどまでの生きるために必死であった男はいなかった。そこにいたのは、血走った瞳をした殺意の固まりだった。
『テメェ……何を言って?』
カシャンと銃身が折れて、シリンダーの穴が露出する。
「ほぉ?」
ドクが興味深そうにその様子を見て、周囲が警戒の視線を男に向けた。彼らも男のことは知らずとも、その銃のことは知っていた。警戒すべき魔銃であると理解していた。
だが、男はそんな無数の視線を気にもとめず、一気に右の中指と人差し指を穴へと差し入れる。
「─────ッッッ!?」
次の瞬間、男は己の頭の中が真っ赤に染まるような激痛を感じた。だが、それを自身の精神力で押さえ込み、リボルバーに赤黒い弾丸を二発装填させて銃口をドクへと向けた。
「こいつ!?」
「ドクトル・カドモス、お下がりください」
護衛である単眼の巨人と狼男がドクの前へと出る。それを見て男は笑う。己の指を犠牲に生み出された弾丸はドラゴンすらも殺せるものだと男は知っていた。だから男は、躊躇うことなくハンマーを歯で噛んで起こした。
『おい、犬ヤロウ。てめぇ、何を考えてやがる。ヤツには俺様の弾丸だって』
「ははは、くたばれよッ! クソヤロウ!!」
リボルバーの言葉も男には届かない。今、男の中に記憶の一部が蘇っていた。最愛の人が目の前で殺された最悪の光景が脳裏に再生されていた。そして男はそれを行った相手を睨み、無理に持たせたリボルバーのトリガーを薬指で引いた。